1. 森川美穂のシンプルライフ
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2024-07-17 24:53

#3 自分自身に向けて歌う / 森川美穂のシンプルライフ

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▼今回のエピソードで登場した楽曲一覧(プレイリスト)

https://music.youtube.com/playlist?list=PLWSC9pastWy0AfWPzG4EX7lN5LuJIGtKn&si=XXV8hN3-ldUmG6ef

おんなになあれ(1987年版)/おんなになあれ(2023年版)/PRIDE/Be Free/チャンス/アルバム『1/2 Contrast』/アルバム『Solista』
『Best Collection Be Free』収録の『おんなになあれ』(Guitar:押尾コータローさん)の音源は、YouTube Music上で公開されていないため、プレイリストには入っておりません。

『森川美穂のシンプルライフ』
歌手の森川美穂が、歌うことについて、そして日々の暮らしのなかで今感じていることについてお話ししていきます。毎週水曜日午前更新。

番組ハッシュタグは #森プル です!
(↑シンプルと読みます)
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【森川美穂 プロフィール】
1985年シングル『教室』でデビュー。『おんなになあれ』、『PRIDE』、『ブルーウォーター』(NHKアニメ『ふしぎの海のナディア』オープニングテーマ)など、数多くの楽曲をリリース。また、『森川美穂の青春放送局』をはじめ様々な番組でラジオパーソナリティーも務めたほか、『RENT』(モーリーン役)、劇団四季『アイーダ』(アムネリス役)など、ミュージカルの舞台にも出演。現在は大阪芸術大学の教授として、後進の指導にもあたっている。自身のライブやアルバム制作も精力的に行いながら、歌い手として日々邁進中!
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『森川美穂のシンプルライフ』
皆様お元気でしょうか。森川美穂です。
今日もですね、私のこのシンプルライフ始まりました。
どんなタイミングで聴いてくださっているんでしょうか。
さあ、今回は前回に引き続きまして、私の楽曲で言いますと、
『おんなになあれ』、飛鳥涼さんが書いてくださった、『おんなになあれ』から、
『チャンス』という曲までの時代のお話をしたいなと思うんですけれども、
実はこの『おんなになあれ』というのは、アカペラバージョンというのもあるんですよ。
ベスト盤かなんかで歌っていると思います。
でも私、なんでアカペラやりたかったかというのが、いまだに謎なんですよね。
私、アカペラとか苦手なんですよ。
なのにも関わらず、なんであんな難しいことをしちゃったんだろうと。
今聴くと、もうリズムも何もないやん。っていう
なんかね、ちょっと悲しい
『おんなになあれ』になってるなぁ、みたいな。
どこかでお耳にすることがございましたら、ぜひ聴いていただければなと思うんですけど。
その後ですね、押尾コータローさんのギターで、アコースティックギターでやりましたね。
『おんなになあれ』演奏しています。
これはベストセレクション『Be Free』というアルバムに収録されています。
そして今回、『Brightest』というアルバムで塩入俊哉さんのピアノ1本で、『おんなになあれ』を歌ってきたんですけども。
本当にいろんなバージョンでレコーディングして歌って、ライブでも歌って、バンドでも当然演奏してもらっているんですけども。
あの楽曲は本当に難しい楽曲で、毎回緊張するんですよ、いまだに。
例えばバンドの場合だと、バンドの勢いみたいなのに乗せられて歌えたりするんですけど、
一番何が緊張するかって、ピアノ1本とかギター1本とかで歌うっていうのが一番緊張するんですね。
あとは、サビのずっと高音が続くところっていうのをどういう風に処理しようかっていう。
その時の調子とかにもよるんですよ。
後半になってくるとサビが出てきて、その後大サビが続けて出てきて、でまたサビに戻るみたいな。
もうこれ結構地獄なんですけどね、私にとっては。
これはバンドだったら勢いで結構いけたりするんですけど、
例えばギター1本とかピアノ1本ってなると、これが勢いでいけないっていうね。
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だから今日はミックス使うかとか、今日はちょっと自声寄りのミックスにするかとか、
その時によってちょっと違ったりするんですね。
結構毎回緊張する楽曲なんですよ。
ここでちょっとお便りいただいてるんですけども、
いえじゅんさんからいただきました。
「美穂さんこんにちは。
こんにちは。
美穂さんに聞いてみたいことっていうのは、ベスト10に出演された時のエピソードをお聞きしてみたいです。
美穂さんが出演していたのは延長戦で時間の許す限り放送みたいな回で、
生放送でもしかしたら歌えないかもしれないような状況だったと思うのですが、
当時のことは覚えていらっしゃいますか?」
これね、たぶんね、えっと『おんなになあれ』は、え?『プライド』?
どっちだろう?もうすぐベスト10で出たの。
延長戦は『おんなになあれ』、どっちだろう?
でもね、私実はね、ほとんど覚えてないんですよ、何も。
もうね、私の記憶力ってどうしちゃったんだろうっていうくらい、もう何にも覚えてないんですよね。
もう本当に日々、なんかこう、いろんなことがありすぎたのかどうかわからないんですけど、
全くこの辺のこと覚えてないんですよね。
最後に写真撮影とかすると思うんですけど、その時に掛け声みたいなのを、
なんかどうも私がしたっていうのをファンの方から教えてもらったんですけど、
そんな記憶もないんですよね。
だから何も覚えてないから、もしかしたらファンの方の方が詳しいかもしれないと思いました。
びっくりですよね。
ちょうどその頃、テレビの番組とかもやっていた時代でした。
ここでもちょっと1枚お便りあるんですけど、
どこでも生歌生演奏さんという方からいただいています。
「テレビ『うるとら7:00』に出演していた時、どのように向き合って収録していましたか?
楽屋の雰囲気はどんなでしたか?とても印象に残っている番組なので、
伺ってみたいです」ということなんですけど、
これ実は『うるとら7:00』、今YouTubeでも上がっていますけれども、
あの番組ね、後楽園ホールで収録していたんですよ。
それは覚えているんですよ。
ここっていつもプロレスやっているとこだよっていうのを聞いていて、
お、そうなんだと思って。
何でかというと、あの頃女子プロがすごい流行っていて、
長与千種さんとかライオネス飛鳥さんとかが全盛期だったんですよ。
私、女子プロすごい好きで、よく見てたんですね。
おお、ここかーっていう感じで、それで覚えているっていう。
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あの番組は、私独立したコーナーを受け持っていまして、
私、ラジオの番組を当時すごくたくさんやっていたので、
あのコーナーでテレビ版ラジオ番組みたいな感じにしようみたいなのがコンセプトで、
そもそもあったんですね。
なので、視聴者さんからいただいたハガキを読んで、それにお答えするみたいな。
最後に自分のプロモーションビデオを流していただいたりするみたいな感じのコーナーだったんですよね。
だからMCの方々と何か掛け合いとかっていうのも特になく、
コーナー振られてポンとそのコーナーだけ出てくるみたいな。
そんな感じだったんで。
どういうふうに向き合ってっていうのも、
あの当時ね、SNSとかもなかったですから、
もうほんと結構言いたい放題でしたし、炎上するとかって言葉も当然なかったし、
今考えると本当に自由奔放にさせていただいていたなと思いますね。
どのように向き合ってて、あんまりそういうところも何も考えていなかったというか、
とにかくラジオで喋っているように喋ろうみたいな、
なんかそんな感じで毎回収録していたと思います。
非常に楽しくやらせていただいておりました。
その後ですね、『おんなになあれ』があって、『プライド』を歌ったりとかもしてましたし、
そして『Be Free』とかね、『プライド』とかに行くわけなんですけれども、
こういう楽曲、いわゆる応援ソングみたいな感じのものとかを歌う機会がこの辺りからぼちぼち出てくるんですけれども、
こういったBe Freeとかプライドとかで元気づけられたっていうね、
当時メッセージをいただくことがとても多かったんですね。
でもね、実は私、特に誰かを励まそうとか、元気づけようと思って、
実は歌ったことっていうのは本当にないんですよね。
これ、ドジャースの大谷選手みたいじゃないですか。
大谷選手もついこの間テレビで見たんですけど、そんなことをおっしゃってましたね。
でもね、多分そうだと思うんですよね。
私どういうふうに歌ってたかというと、結構自分自身に向かって歌ってる感覚かな。
そんな感じだと思います。
だから自分自身に向けて、私頑張れよっていうふうに歌ってたと思います。
なんかそんな気がしますね。
同世代のファンの方がとても多かったので、そういうふうに捉えてくださるということは非常に光栄ですし、
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少しでも曲を聴いて元気になれたっていう方がいらっしゃると、それはそれでとっても嬉しいですし、
得てしてそれに向かって歌ったっていうことではないと思うんですけど、
ただ『Be Free』に関してはラジオの番組とかで、私がいつも結構悩みとかを相談された時に言ってたような感じのことを歌にしてもらったっていう経緯はあったので、
だからそういうふうに捉えてくださっていたらとても嬉しいです。
さて、1985年に『教室』でデビューして、その年代、同世代の気持ちをずっと歌っていくぞっていうコンセプトだったと思うんですけど、
セカンドシングルで『ブルーな嵐』が出てしまったところで、そのコンセプトは一気にそこで崩れてしまったんですけれども、
でもそこからまたちょっと盛り返してきて、同世代へ同じ時代を生きている人たちに歌っていきたいみたいなところはあったと思うんですけどね。
でもそういう中で励ましたりとか、そんなおこがましいことは本当にさっきも言いましたけど考えていなくて、
だけどやっぱり『Be Free』とか、あと『チャンス』なんかはそういうふうによく言われてるんですね。
この『チャンス』っていう楽曲なんですけど、これは実はシングルとして私は初めて自分で歌詞を書いた歌なんですね。
シングルっていうのはちょうどコマーシャルソングが決定していまして、すぐ作らなきゃいけないという状況だったんですね。
曲は小森田実さんのメロディーが先に来てたんです。これで急いで詞を書かなきゃいけないって誰に頼むって言われたから、
もう私が書くって言って、言ってしまったんですよね。大変なことですよね。
私が書くって言って、しかもそのコマーシャルっていうのはカメラのコマーシャルだったんで、
カメラのコマーシャルと想像するとか連想するようなタイトルがいいなと思って、
シャッターチャンスと自分に対してのチャンスっていうのをかけようと思って、それでチャンスっていうタイトルにしたっていう経緯がありまして、
実はあの頃、私はレコード会社を移籍するという話がポツポツ出てきていた時だったんですよ。
私はあの時20歳とか21歳くらいだったと思うんですけど、
21歳になる手前ですね。確かまだ20歳だったと思います。
12:05
レコード会社を移籍するっていうのは非常に不安があったりもするしね。
なぜならばデビューの頃からずっと担当してくださっていたレコード会社のスタッフの方とかっていうのも全部スタッフが入れ替わるわけですよね。
そうすると本当に間近で、私の10代の頃ずっと支えてくださった方々と離れて、
また新たなステージで歌っていくということに対しての不安とかっていうのも多分あったと思うんですね。
でも私はこれはもしかしたらチャンスかもしれないってどっかで思っていて、
そのチャンスを今回のカメラのコマーシャルソングのシャッターチャンスのチャンスとかけて、
チャンスというタイトルをつけ、そして2コーラス目で出てくる、
誰だって飛び立ってみたいって思っているっていう歌詞が出てくるんですけど、
まさしくあれは自分自身に書いている歌詞なんですよね。
だから失敗したり傷ついたりしたりすることっておそらくこれから先あるだろうけれども、
それっていつか必ず自分の経験として、経験値として帰ってくるっていうことも分かっていたので、
そういった歌詞を書いたっていうことなんですね。
でも実はあの曲、当時スポーツやってらっしゃった方々に「聴いてました」っていうファンの方が多くてですね、
後々フジテレビに入社された方だったりとか、当時昔僕はスポーツやってたんですよ、
あの曲に怪我をした時に励まされたんですっていうことを直接言ってくださった方もいらっしゃいましたね。
だからそういった意味では誰かに向けてっていうよりも、さっきも言ったみたいに自分自身に向けてっていう歌だったんですけども、
それがいろんな方に対しての背中を押したりとか、元気をもし与えられていたならば、
もうそれはそれですごく光栄に思っています。
さて、VAPレコードっていうところからね、東芝EMIっていうレコード会社に移籍をしたわけなんですけども、
このチャンスの後ですね、1年間アルバムを作ったりとか、そういった形で、
1年間活動をせず、移籍後の準備をしていた時代がここ1年あったわけなんです。
21歳から22歳になる時ですね。
そうですね、私すごい不思議っていうか面白いなって思うのが、
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当時、『おんなになあれ』歌ってた時の飛鳥さんにしてもね、今回出てきている『プライド』っていう楽曲だった時の佐藤純子さんなんですけども、
あとその当時のディレクターであった西嶋さんもそうなんですけど、
当時私の楽曲を本当に多く手掛けてくださった、作曲してくださった小森田実さんとかもそうなんですけど、
未だにずっと縁が続いているっていうのって、なんかすごいなって思うんですよ。
どうです?思いますよね。
私本当それがね、当時SNSが普及したってことがかなり大きいと思うんですけども、
SNSがなければもしかしたらもうちょっと疎遠になっていた方々もいらっしゃったと思うんですけども、
でも1回それぞれ皆さん自分自身の道へ別々の道を行っているんですね。
別々の道でそれぞれ頑張っていて、そしてまた再会みたいな、なんかそれってすごい面白くないですか。
めっちゃこの縁って何なんだろうって、すごく思いますね。
でもやっぱり縁があるっていうことっていうのはなんかあるんだろうなって、ようやくこの歳になってね、ようやくですよ。
この歳になってようやくそう思うようになりましたね。
やっぱり10代の頃って本当にこう、何だろうこう、突っ走ってただけの私だったから、
もう本当みんなになんかこう迷惑かけたりとかいっぱいしたし、
本当なんかどんな、よくね私母がね、よく言ってたんですよ。
子供が生まれてもう本当にその親としてこう自分がこう、親としていなきゃいけないってこうね、
思った時によく言われたのが、いやあんた子供を産んでなかったらもう絶対痛い大人になってただろうから、
もう子供産んで本当によかったわ、人間ちょっと丸くなって本当によかったわってよく言われてましたね。
だからそれくらい。
親は、母は東京にたまにね、こううちに掃除に来たりとか様子を見に来たりとかたまに来てたんですけど、
スタッフの人と会うたんびに、もう本当にいつもすみませんって謝っていましたね。
どういうこと?お世話になっていますじゃなくて、もう本当にいつもうちの娘が本当に申し訳ございません、すみません。
って、毎回めっちゃ謝ってました。
っていうことは、それだけ人に迷惑かけてたってことなんだなって、今になって思いますね。
18:04
どんな10代だったんでしょうね。
これあのなんか、当時の人に私インタビューしてみたいわ。
でもね、当時の人もね、結構ね、もう亡くなってたりするんだよね。
私のことよく知ってる人たちとかね。
だからね、もうこれ聞けないかもしれないんだけど、どっかのタイミングでちょっとインタビューってどうよ、これ。
どんな人だったか。
ただね、人間の記憶ってね、曖昧だしね。
で、まあ多少美化してたりとか、で悪いことっていうのは余計なんかそれが大きく、
もっとひどい、こいつこうだったなみたいなひどい印象が膨らんでたりとかするから、
私結構人の記憶って当てになんないなって思ってるんですよ。
まあ自分の記憶は一番当てになんないんですけど。
だからね、なんかそんななんだろうな。
ちょっとでも聞いてみたいな。
10代の頃に出会った人たち。
でも今ふっと頭に思い浮かぶ人たちはもうみんないない。
天国にいると思う。
残念だな。
まあこれで私の過去っていうのはみんなに知られることはなかったということで
ほっとしている今日この頃です。
さてここで1枚お便りを読ませていただきます。
ラーメンライスラブさんからいただきました。
「さすが美穂さん、デビューも自分で勝ち取ったのですね。
10代でアイドルでなければどんな歌手デビューをイメージしていたんでしょうか。
私はCMソングやドラマ主題歌、アニメ主題歌でバンバン流れる歌姫の声に魅了されまくっていました。
アルバム、『Vocalization』、『POP THE TOP』あたりが好きです。
ご自分でこのアルバム好きっていうのはありますか?
そして聖子さんカバーライブは楽しみですね。
アルバム曲も全部、全曲知ってますので野﨑さんの選曲に注目してます」
この間の放送ですよね。
聖子さんカバーライブ、森川美穂、松田聖子さんを歌いますみたいな。
これファンクラブのイベントとかコンサートで歌わせていただこうと思って。
1部、2部ってあるんですけど、2部で聖子さんを歌いますっていうね。
コンサートをちょっと1回やらせていただこうかなと思うんですけども。
これはちょっとね、野﨑さんにかかってるんでね、野﨑洋一にかかってるので、
野﨑さんがどんな楽曲を選曲してくださるかに私も注目しています。
さて、10代でアイドルでなければどんな歌手デビュー。
私ね、やっぱりね、歌謡曲本当好きだったんで、
もうどっちかって言ったら歌謡曲をひたすら歌いたかったかも。
だからアイドルを目指してたわけでもないし、いわゆるシンガーソングライターでもないし、当時ね。
だからもう本当に、すごく洋楽が好きだったかって言ったら別にそうでもないし、
21:00
なんかひたすら歌謡曲を歌うような、いわゆる歌手ですね。
昔で昭和で言う歌手っていう感じで、本当は私はデビューしたかったです。
デビューしたかったですって言われてもね、そんなこと言われてもね。
だからそうだな、なんだろうな、誰っていうのすっごい難しいんですけど、
誰っていうのはないんですけど、
沢田研二さんにはめちゃくちゃ憧れてましたけども、
女版ジュリーみたいなのに憧れてたのかもしれないですね。
でもジュリーもどんどんご自分で作曲とかをされるようになってから、
すごくアーティスティックになっていかれた時期もありましたし、
どんな感じなんだろうね、どんな歌い手になってたんだろうね。
でもこれはそう思っても答えは出ないよね。
想像でしかないもんね。
私が好きなアルバムっていうのは、
10代の頃に出したアルバムで、『1/2 Contrast』っていうアルバムがあるんですよ。
これは夏をテーマにして、都会で暮らす夏とリゾートで感じる夏と、
多分そういう区分けをしてた、『1/2 Contrast』っていうアルバムがあるんですけど、
このアルバムが10代の頃に出したアルバムでは一番好きです。
20代で出したアルバムの中では、
私、小林信吾さんがプロデュースしてくださった『Solista』っていうアルバムがあるんですけど、
このアルバムがやっぱり何より大好きですね。
まだ聴いてないよっていう方は、ぜひお聴きいただければなと思います。
50代で出したアルバムは?とか、40代で出したアルバムは?っていうのが言えるのがまたすごく嬉しいんですけども、
私、この間5月で56歳になりましたから、60代で出したアルバムの中で一番好きなアルバムは?っていう質問がいただけるように、
さらに頑張っていきたいなと思っていますので、どうぞ皆さん応援よろしくお願いします。
ということで、毎週この水曜日午前中に新しいエピソードを配信しています。
番組のメールフォームからお便りも募集していますので、ぜひ聞いてみたいなとかいうことがありましたら。
あと、相談とかでもいいですよ。何の相談?相談なんてあんまりないと思うんですけど、もしね。
でも私たち人生生きてると、どうしようかなとか迷うこととかっていうのってやっぱりありますよね。
そういったことを共有できるといいかなって思います。
私なんか相談をされて、それをメッセージとしてお伝えするっていうのはそんなおこがましいことはできないんですけど、
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そういう気持ちをみんなで共有していくっていうのは素晴らしいなってちょっと最近思ったりしてますので、
ぜひぜひお便りいただきたいなと思います。お待ちしております。
そして最新のライブ情報は私、森川美穂の公式ホームページをぜひぜひご覧ください。ということで、今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。森川美穂でした。
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