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『森川美穂のシンプルライフ』
皆様いかがお過ごしでしょうか。森川美穂です。 さあ今日も『森川美穂のシンプルライフ』スタートいたしました。
今日はね、ちょっとあのお便りから紹介させていただこうかと思うんですけれども、 sengokuさんという方からいただいております。
『おんなになあれ』で衝撃を受け、それ以来美穂さんのファンになってかれこれ37年になります。 さて私が美穂さんを初めて知ったのはラジオ番組でした。
当時勉強しているフリをしながらラジオを毎日聞いていたのですが、美穂さんのアイドルらしからぬトークは群を抜いていて、すぐに虜になりました。
中でも今も記憶にあるのは、学校での出来事を語った時です。 久しぶりに行った学校でウォークマンを聴いているところを学校の先生に見つかり、取り上げられたそうなのですが、
この間学校でウォークマン聞いてたら先公に見つかってさ、取り上げられてさ。ふざけんなよ、先公。
当時真面目な高校生だった私は度肝を抜かれました。 そんなこんなで毎週聞いているうちに番組で毎週かかる美穂さんの曲
『おんなになあれ』に衝撃を受けファンになりCDも買ってと今に至ります。 最近ではファンクラブにも入りライブにも参加し、ファンの方とも触れ合って楽しい日々を送っています。
ラジオがきっかけで美穂さんのファンになった者として今回のポッドキャストスタートは嬉しい限りです。 美穂さんの番組を聞いていると若かったあの日の思い出が蘇ってくるようです。
大学教授、歌手と、これからも忙しい日が続くと思いますが、お体を大切にいつまでも私たちに素敵な歌を届けてください。
ありがとうございます。 いやこんな先公呼ばわりしてたのは私、もっと口が悪いにも程があるんですけど。
これね何の番組だったかっていうと私がデビューした1985年7月からですね デビューと同時にあの名古屋にあります東海ラジオさんであの番組を持たせていただいたんですよ
30分の一人喋り あのタイトルが青春放送局っていうことで
当時はえっと 真ん前にね放送作家の方が座っていらっしゃって
でまぁマイクがこうあってその前で私がひたすらこう喋るわけですね まあどういうことを喋ろうかっていうのもあったんですけどとにかくハガキ
当時ハガキだったんでねハガキの量が半端なくあの多くてですね もうだから収録前にもとにかくどのハガキを読むかであのすごいこうたくさんの
ハガキを読んだが今でも覚えてるんですけども 当時あの名古屋までちょっと行けなかったのであの高校生でしたし
であの日比谷の野音や野音の迎えにあるであの 東海ラジオの支社でね
録音させていただいていたんですけど当時のディレクターさんとはまだ今も 連絡を取り合ったりしている中でございますけれどもその青春放送局
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私5年間この番組を務めさせていただきました でねあの当時あのラジオの雑誌もあったんですよ
なんか雑誌が毎月発行されるもうちょっとタイトル忘れちゃったんですけど そのラジオ番組の人気投票みたいなのがあって
もうこの青春放送局をねもう本当にいつもね あの5位以内に入るっていうねあの結構な人気の実は番組は自分で言うのも何なん
ですけどあのすごい人気の番組になったんですよ でまぁあの私はもうそのほらアイドルでデビューしたにもかかわらず
今だったら多分こう炎上しちゃうようなこととかも結構平気で結構言ってたし もう当時そのラジオの番組でそのアイドルと言われている
あのところにいる人がバカ野郎とかいうこと自体がもうそもそも ちょっと考えられなかったみたいな時代だったのでね
あの多分それで何か何この人みたいな感じで多分皆さんに聞いていただけてたと思うん です
でまぁデビューしてからまあいろんな各地キャンペーンとかでまいりますよね 岐阜に行ったりとかなのその東海地方とかにもお邪魔してこうね
キャンペーンとかするんですけど何年か経った後に放送局のあのアナウンサーの方が あの昔青春放送局を聞いていましたって言われたりとかね
そういうことが結構あったりとかしてでも本当恥ずかしいですみたいな感じで言って ましたけどあの本当にねたくさんの方に指示いただいていた番組でした
まああれはねあの実は何を隠そうレコード会社があのスポンサーだったので ちょうどレコード会社がこう移籍するタイミングであの番組が終了したっていうのがまあ大人の事情としては
あの方あったんですけども もとにかくあの
なんでしょうね公開録音とかもしましたしホールで公開録音とかもしましたし いろんなイベントやったりとかして
まあラジオがすごく元気だった時代だったのかなあの時代ってね うーん私もだからあの
なんだろう 中学の時とかは結構深夜ずっとラジオを聴いて
あの この曲いい曲だと思っても聴きながら歌詞をこう書いたりとかもしてましたけどね
あとからどうやって調べればいいかなとか言って レコード屋さんに探しに行ったりとか昔はしてましたけれどもね
まあそれぐらいの時代の話ですからそういう青春放送局 もうね実は私喋ることに対してなんですけれども告白します
実は喋るということっていうのはあの 私苦手だったんですよ
でこれ言うともう絶対嘘でしょとか言われるし であの
本当に初対面の人とかもすごい苦手だったんです私 実は
もうほんとちっちゃい幼稚園とか小学校1年生とか2年生の頃によく母がよく言って ましたけれども
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あの後にね言ってましたけどもうあんたはとにかく喋らなかったから もうあの男の子ととにかくボールをかけっこしたりとか鬼ごっこしたりとか
なんか走り回って 遊ぶ遊びが好きだったわよねって話をしててあんまそうだねつってスカートも
上がらかったしねつってでたまに近所の女の子同士 あの集まって誰それの誰それちゃんの家でこう集まってこうね
みんなで話をするとそこの家のお母さんが後からね もうみほちゃんだけがとにかく家来ても何にも喋らないと
で他の女の子たちはもう自分のお母さんの悪口とかお父さんの悪口とか 家の出来事とかめっちゃ喋るんだけどみほちゃん本当に何にも喋んないわねって
よく言われたわよっていうのを結構母から何回も聞いて あそうだねってそういえばそうだねって私ね本当苦手だったんですよね
だからママごととかも本当基本したことないし 父が本当にあの昔まだすごいちっちゃい頃に
リカちゃん人形買ってきてくれて私にその瞬間に胴体を全部のバラバラにしてそのまんぽいって 捨てて終わったっていうことがあったのでそれからもう奴には絶対に人形買うまいと
心に誓ったそうでそれから人形買ってもらった記憶が1ミリもないんですけれども もう本当にあの頭もぎ
右手左手足両足引きちぎってでももう遊び終わりみたい 誰だあんたみたいな
でも本当にねそういうのが本当にだからままごとした記憶がないんですよね そもそも
なんかこうあのござみたいなの敷いて こーね してこうなんかみんなでお茶碗とかもそういう遊びをとにかくしたことがなかったです
もうそれだったら走り回ってましたねうん であのグローブとかももうすごいもう小学校のもほんとちっちゃい頃に親に買ってもらって
なんと中学の私入学祝い何がいいってあの両親から言われてグローブって言ってグローブ 買ってもらってるぐらいな人だったので
あの そんなぐらいのレベルの人だったのでその女の暮らし遊びっていうのを本当に基本的に
全くしなかったしそれなんで苦手だったかっていうのはちょっとわからないですけど とにかくね喋れなかったんですよ全然
だから初対面の人と喋るのも本当にずっと苦手で で東京行ってからもうあの
まあ東京行ってで周り大人ばっかりじゃないですか で喋れなきゃいけないじゃないですか
である時デビューする前にねあのヤマハにいらっしゃるあのすごく あの
偉い指揮者の方とあのなんかヤマハが発行してる なんか会報であのちょっとインタビューを受けてくださいって言われて
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え?みたいな感じでその指揮者の方と私はじめまして みたいな感じだったんでね
で向こうも誰?みたいな感じだったし2人で え?みたいな固まってで私喋れないしそもそもが
で聞かれたことにはいとかしか言えないしなんか多分あのインタビューって結局どうなったのか ちょっとあんま覚えてないんですけども
でも実はその偉い指揮者の方っていうのが実はですね 今私があの勤めています大学のあの演奏学科ポピュラー音楽コースっていうのを立ち上げた
偉い先生なんですね実は その先生がその私の恩師太田先生と2人でちょっと森川呼ぼうよみたいな感じの話になってあの
呼ばれて私行ったみたいな感じの経緯があるんですけど そのだから一番最初にお会いしたのが16歳ぐらいの時だったかな
でも喋ることないしって後から2人でね大学でお会いした時に あの時何喋っていいかわからなかったよねって先生に言われたから
いや先生もそうですよね私も何喋っていいか本当にわからなかったんですよっていう話を もう本当何十年と経ってねお話ししたんですけれども
もうそれぐらいね苦手だったんですよでもねある日私ふと考えたんです ちょっと待てよと私このまま本当にいいのって
なんでかって言うとだってデビューしたりとかすると絶対インタビューとかいっぱいされる じゃないですか
ねで雑誌とかもそうだしテレビとかラジオとかそのまあるし絶対インタビューいっぱいされるのに なんか喋れない自分で本当にいいのかなってすごい思ったんですよ
それではこれではいけないと思ってやっぱ自分の気持ちだったりとか あの言わなきゃいけないことやっぱり伝えるっていうことはやっぱりやらなくちゃいけないと思って
それでそれから毎日夜お風呂に入って喋る練習を始めまして
でね毎日ね自分にインタビューするんですよ この曲はえっと美穂さんにとってどんなあの楽曲ですかとか声でらしいんです
でそれに対してそうですねとか言ってお風呂に浸かりながら そうですねこの曲はとか言ってその曲の説明をするとかいう練習をね
私実は毎日してました だけどやっぱりこう急にパンと振られたことに対してのこう
返しっていうのがやっぱりすごく苦手でしたねしばらくはだからこの青春放送局という番組 をさせていただいて
もうあの前に座っていらっしゃる放送作家の方がどんどんメモでこれ どうなのこうなのみたいな感じ質問をどんどん私に投げかけてくださるのでそこで話を
繋げていっぱいしゃべるよあれ特訓でしたねいわゆる なんか特訓させられたみたいなでもあの番組があったからこそ何かこう
自分の気持ちだったりなんか意見だったりっていうのを言えるようになったのかなーって 今になって思います
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だからびっくりでしょ そんな嘘ってきっと思ってると思うんですけれども
でも本当に今もだからね初対面の人とはね こんにちはって言ってもうあのいきなりこうなんか懐に入るみたいな感じで
初めましてとか言いながらあの心開いてますよーってこっちがやらないと 普通に会うとは初めましてってなるべく
フレンドリーにこう接するっていうのをちょっと今も実は心がけている一つではあります 何年か前にあの
スタッフの方がうちの息子をねあのちょっと軽くインタビューしてくださった時に お母さんって家でどんな感じなんですかって聞かれててうちの息子は
いや喋んないんですよねって言ってそしたらスタッフの人が えっみたいな感じで固まったってことがあったんですけど
いや本当にそうで家にいると 多分私はほとんど喋らないですね
だからの母とそれから亡くなった兄とそれがうちの弟がよく喋る人だったんですよ 家でもで父と私がほぼほぼ喋らない
人種で だからの
よくあの母がちょっと家を留守にしてる時とか私と父とうちの息子の3人になると 食卓はシーンってよくしてましたねちっちゃい時ねうん
すごい子供がちっちゃい時ねシーンと静まりが喋ることないしと思ってテレビの音しか 聞こえないみたいな感じの食卓だったですね
でまぁ母がいるとあーだこーだよくね父に話しかけたりとかよくしてましたし 私たちにも話しかけてきてたんでまぁそれに返したりとかしてましたけどでも基本
自分から話しかけるってことはまぁ ほぼないですかね今も息子がちょっと家に帰ってきても
私から話しかけることはほぼないですねなんか最近どうとか聞くけどもうそれ以外別に なんか
話しかけないかな だから向こうが話しかけていきますなんかで今日もなんか昼間電話ちょっと今から電話していいとか
やって電話きたかいいよって5分だけだっていいよって今ちょっと先輩たちと今喋っ てるんだけどちょっと話したいって言うからちょっと電話していいってか言うから
また初めての人と思ったけど あ、いーよーとか言って でも電話であもしもしとか言ってまたちょっとフレンドリーに行こう
ちょっと切り替えしたんですけどねまぁそんな感じで まあそんなね実は一面も私はあったりします
でよくあの滑舌いいですよねとかよく言われるんですけど滑舌もね別にね 練習したわけでも何でもなくてね
どうなんだろうねあそれはねちょっと一つ思うのは私あの昔ね めちゃくちゃラジオのレギュラー持ってたんですよ
あのまあ当然そのあのえっとね最高11本やってたと思います1週間にでもその11本 というのは全然違う番組かっていうと
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まああの一つのところで録音してそこから放送局にこういくつか投げたりとかしてたん でね
それを全部合わせて11本というの言い方してたと思うんですけどあの もうとにかくねラジオ学校が終わってとにかくそのまま
あの制作スタジオに行ってでラジオの 録音を本当に何本も取らなきゃいけなかったりしてた生活だったんですね
でリハーサル行ったりレコーディング行ったりっていう日々だったのでとにかくあの 喉をこうやってグーッと締めて喋ったり歌ったりすると
枯れるっていうことに気がついたわけですよある日であこれはいかん 枯れるってもう歌い手にとっても一番最悪やんと思って
で当時はね喉を締めて歌ったりいけないとかっていうことってあんまり言われてなくて だいたいこう喉を締めてこうキュって締めて歌うのが結構主流だった時代だったりもしたんです
よね結構日本語の歌ってそういうのが多かったんですよね だから誰もそんなことは何かこう言ってなくて私もレッスンとかいろいろ受けましたけど
ねそんなこと一回も言われたことなかったんで でも自分であなんか喋ってると声枯れてくるっていうことはちょっと待ってなんか使い方がきっと
まずいんだわってある日気がついたわけですよまた そこで何をしたかっていうとそうだ歌う時の発声をそのまま喋りに使えば
声枯れねえんじゃねってちょっと思ったんですよねまた気づいちゃったわけですよ そこでそうだと思ってラジオってねどうしてもこう座ってマイクの前で喋るじゃないですか
だからやっぱこうあのどうしてもこの度を使ってギューって喋っちゃうんですけどそれをね ちゃんと腹筋とかその腹圧とかいわゆる呼吸もちゃんと歌の呼吸で
腹圧をちゃんとしっかり使って喋るとあれなんか枯れなくなってきたみたいな それ気づいたわけですよね発見でしたねそれはそっからなんかこうお腹からねこう声を出すとね意外とね
滑舌しっかりしますよなんかねここの唇だけでなんかねこう おはようございますと言おうとするとはにゃにゃにゃってなっちゃうんですけどちゃんと腹筋を
あの動かして腹圧ちゃんとしっかり使うと あのやっぱりこうあの
言葉って息のスピードが結構必要だったりすると思うんでね それがちゃんとこうあの本当自然に歌のように出ると
意外となんかこの辺一生懸命なんか口の周りとか動かさなくても 喋れるっていうことに気づきましたぜひちょっと皆さんもやってみてください
いろいろこうラジオをねたくさんやらせていただいてましたけど 私あのラジオはねもうとっても大好きでした
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あの リスナーの方々にはこう
なんて言うんですかテレビと違って見ることができない だから言葉でそれをきちんと説明したきてしなきゃいけないじゃないですか
だから なんかよりその自分の頭の中でこうものをその説明するときにもすごく想像して
であらゆる角度からどういうふうにこう見えるかみたいなことが想像してで こうなんですって説明しなくちゃいけない
これは本当にあのすごくいい勉強になりましたね今思うとね だからあのラジオは未だに私もたまにラジオ聞いたりするんですけども
最近やっぱね動画とかでねこうどうしてもこうちょっと見ちゃったりとかしますけど でもまぁあの動画をやっといてスピーカーで流して家の中うろうろ
あれやこれやしながらあの音だけこうずっといろいろ聞いたりとかはずっとしてますね やっぱり音だけで聞くと頭の中のこの想像っていうのかな
絵を自分で作るっていうかななんかそれがすごくあの楽しいですよね あの実は歌うっていう時もね
それとすごく似てるんですよね あの私はいちいちは想像しないんですけれども
瞬間瞬間をね映像化して歌っている瞬間ってやっぱあるんですよ でよくまぁ私あの教えてる学生なんかに言うんですけど
じゃあこの歌をじゃあ1枚の絵に 表すときにこの歌ってどんな絵になるっていうことでちょっとよく聞いたりするんです
けど 私もどちらかっていうとあのこの1曲がこの1枚の絵になるとしたらどんな絵を自分が
書くだろうっていうふうにこうちょっと思ったりね 特に新しい曲を歌う時っていうのはあのそんなことをねちょっと思ったり
考えたり想像したりなんかしています まあでもそうやってね今考えるとね本当にこう
あの なんていうの不便だったなぁと思いますよね今なんかいろいろ便利じゃないですか
不便だったな80年代って不便だったよな まあもっといえばもっと昔から生きている方たちからするともなんて便利な世の中になったんだ
ってよくねうちの母も言ってましたけどね あの
洗濯機ができた時とかびっくりしたとか言ってましたけどね 掃除機ができた時もびっくりしたとか言ってましたけどね
私たちはもうもともとね生まれた時から冷蔵庫があったしね まあだから
ただやっぱり今この令和を生きてて なんか不便だったなぁって思うことっていっぱいありますよね
でも不便だったからこそ何かこう 想像力
がなんて言うんでしょうねあの豊かになったりとかすることも たくさんあったんじゃないかなってちょっと思ったりもするし
まあそれぞれ時代のね良さとまあっていうのはまあそれぞれあると思うんですけど まあそんな感じで80年代をちょっと振り返っていますけれども
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まあこういう感じでおしゃべりしているので何かその当時の質問があったりとか なんか感想があったりとかあとご意見ですね
まあご意見なんかあってもいいかなと思うんですけど ぜひお便りもお寄せいただきたいなと思います
たくさんの皆さんからお便りいただくことをとても楽しみにしていますまあ今メール だから
まあねささっとねちょっと書いてなんかくだらないことでいいよ くだらないことでもなんか全然いいので何でも書いて送ってきてください
お待ちしています さてということで『森川美穂のシンプルライフ』お届けしましたいかがだったでしょうか
毎週水曜日の午前中に新しいエピソードを配信しています お聞きのポッドキャストアプリで番組をフォローしていただいてそして次回もまた聞いていただけると
もうめちゃくちゃ嬉しいです 番組メールフォームからのお便りも募集しておりますのでぜひぜひお寄せください
そして最新の私のライブ情報などは森川美穂公式ホームページをぜひご覧くださいそれではまたお会いしましょう
森川美穂でした