1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-05-03 09:12

#302 「了解っす」は敬語か? from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:01
こんにちは、志賀十五です。お便り読んでいこうと思います。こちら、はるはるさんからいただきました。
こんにちは、はるはるです。私は仏教のお坊さんが書かれている本をよく読みます。
仏教的な考えは優しくもあり厳しくもあると感じています。お坊さんたちにとっては悟りを開き、下達をすることが目的ですね。
今の時代ですと、海外の仏教のお坊さんの書かれた書籍も入手できるので、いい時代でもあると感じております。
お釈迦様が使われていた言葉はパーリ語で、それも読むことができますね。
生命は仏教である、その意味をしっかり理解したいと思っています。
ではまた、ということで、はるはるさんどうもお便りありがとうございます。
これは前回のトークで、なんてタイトルだったっけな、仏教とサンスクリットっていうトークをとったんですね。
そこで、仏教的な考えがどうのこうの、サンスクリットがどうのこうのっていう話をしたので、それに対するお便りということになってますね。
僕も仏教の勉強っていうかね、本は読んだりしてるんですけど、
まあよくわからないですね。
まだ何かお話できるほど理解できてるとは、とてもじゃないけど言えないといった感じですね。
仏教観っていうのと言語学っていうのもね、結構神話性が高いっていうか、
相性がいいっていうか、そういう側面はあると思うんですよね。
言語相対論っていうか、私たちが見てる世界は相対的なものに過ぎないっていうね、
まあそういう考えが一つあるのと、
それと、我々が生きている世界っていうのもまた因縁によってできているっていうのが仏教の一つの大きな主軸となっているので、
そこんところはね、かなり通じている部分はあると思うんですけど、
それをうまくトークにまとめあげられるほど、さっきも言ったようにね、理解できているとは思えないので、
そのうち自分の中でうまく消化できて、お話できるようになったら、またそういったトークも取っていこうと思います。
というわけで、はるはるさんどうもお便りありがとうございました。
というわけで、4月15日のツボやっていこうと思います。
今日のテーマはですね、トークタイトルにもあるように、
了解す、とかいうね、このす、小さいつとすとかね、書くときはそうやって書かれるもの。
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これは敬語であるかっていうね、ことで話していこうと思います。
敬語です。結論から言えば敬語であると言ってしまっていいと思います。
敬語っていうのは伝統的に3つに分けられることが多いですよね。尊敬語、謙譲語、丁寧語。
このうち何々すっていうこのすは丁寧語に当たると思いますね。
すなわち話している相手、聞き手に敬意を払うということですね。
これはどういったことからわかるかというと、
例えば尊敬語のおっしゃってたすとかとは一緒に出ることができるし、
謙譲語のこの後伺うすっていうね、伺うっていうのとも協議することができます。
ただ丁寧語のですとかますとは協議しづらいんじゃないかなと思いますね。
俺ですすとか行きますすとは言いづらくって、
一つの発話の中に丁寧語は一つみたいな制約があるのかどうかわからないですけど、
俺すとか行くすみたいな言い方になりますよね。
こういったことからも何々すっていうのは丁寧語と言っていいと思います。
これはね、言うなれば学校敬語とか部活敬語って言っていいようなものじゃないかなと思いますね。
使用範囲が、使用範囲っていうのはその使える相手っていうのが非常に限られているんじゃないかと思います。
使えるとしたら学校の先輩ぐらいじゃないかなと思いますね。
先生もきついんじゃないかな。
その年齢差っていうのも一つ上とか二つ上とかせいぜい三つ上ぐらいまでしか使えないんじゃないかなと思いますね。
ある程度年が離れてしまうと何々すっていうのはかなり厳しいんじゃないかと思います。
多分ね、社外人になっても使っている人いるかもしれないですけど、
それは学校的なというか部活的な間柄を想定して使っているんじゃないかなと思いますね。
そういうのは日本人だと実感としてあるんじゃないかなと思います。
あるいはこれは会議的な敬語ということもできるかもしれません。
この何々すっていうのが簡易的とはどういうことかというとですね、
それ自体で完結している文の後に出てくるっていう修助詞的なものだからということですね。
修助詞っていうのは普通無変化なので、それ自体形が変わることはありません。
どういうことかというと、他の定名語のですとかますっていうのは、
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でしたとかましたみたいにそれ自体で形が変わるんですよね。
さらにますの方は動詞の形に連用形っていうのを要求するんですね。
行きますみたいに行くから行きっていう形に動詞の変化形を要求するので、
ある意味で高度なことをやっているわけです。
一方何々すっていうのは前の要素が何であっても、
名詞みたいに俺すでも動詞みたいに行くすでも、
それ自体でもう完結しているものにすっていうのを付けるだけでいいので、
そういった意味で簡易的だということです。
もしかしたらこの何々すっていうのは、
ですの縮約版だみたいに考えている方いらっしゃるかもしれませんけど、
ちょっとそうは言えないですね。
というのはさっき言ったように前の要素に動詞が来ることができるので、行くすみたいに。
だから単にですが変化した形だとは言えずに、
それ自体で別個の言語形式であるということができると思います。
なので繰り返しになりますけど、この〇〇すっていうのは本当に簡易的なんですよね。
ですとかますは前に出てくる要素の品詞を選ぶものであるし、
でしたましたみたいにそれ自体形を変えるものなんですけど、
何々すっていうのは前の要素は何でもいいんですね。
ある意味文を言い終わった後にこのすっていうのを付ければ、
それだけで丁寧語になるということですね。
このすっていうのは 終助詞なんですけど、
他の終助詞と比べると前の方に出てくる終助詞ということができると思います。
例えばまじすに対してまじすかとかまじすねとかまじすよというふうに、
すの後に他の終助詞が出ることがあるんですよね。
これが逆転することはありませんね。
まじねす、まじよすとかちょっと想定しづらいですよね。
というわけで今までの話をまとめると、
〇〇すっていうのは丁寧語ということができるんですが、
それを使う相手っていうのはかなり選ぶということです。
またすっていうのは終助詞なのでそれ自体変化しないし、
前に出てくる要素は何でもいいというか、
簡潔した発話であるといった意味で、
簡易的な敬語ということができます。
こういうふうに丁寧に見ていくと、〇〇すっていうのもなかなか面白いもんじゃないかなと思います。
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というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回お会いいたしましょう。
ごきげんよう。
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