1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-05-05 09:58

#303 所有表現の言語学 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:01
こんにちは、志賀十五です。
今日も志賀十五の壺、やっていこうと思います。
いつも言おう言おうと思って、言いそびれてしまっていることがあるので、忘れんうちに言うとこうと思うんですが、
いつもトークにギフトを送ってくださる皆様、どうもありがとうございます。
無事、ありがたく、受け取っております。
もしよかったらですね、一言、こんにちはとかどうもだけでもいいので、一言何かメッセージを添えていただくとですね、
お返しトークっていうか、収録のトークを取る形で、受け取ってますよっていうお礼を言うことができるので、
もしよかったら、ギフトを送ってくださる際は、何か一言メッセージを添えてくださるとありがたいです。
何なら壺の絵文字だけでもいいので、ちょっとね、メッセージがないとうまくお返しができないので、
もしよろしかったら、何かメッセージを付け加えていただけたらと思います。
無理にとは言いません。こっそり送りたいぞっていう方もいらっしゃると思うので、そういう方はギフトだけ送っていただいても、本当にそれはそれでありがたいことでございます。
ギフトもそうなんですけれども、トークにリアクションボタンっていうのがありますよね。
ハートと受けるとネギですね。それを押してくださっている皆様もどうもありがとうございます。
こないだですね、300回記念トークの時にですね、何かよかったら押してくださいみたいなことを言ったらですね、
押してくださる方が行さんいて、本当にありがたいことですね。
このトークに対するリアクションっていうのはね、このリアクションボタンを押すっていうのは課金動向とかそういうの関係なく聞いてくださった方は誰でもできることなので、
ある意味で純粋な評価だと思うんですよね。ギフトももちろん嬉しいですけど、それと同じくらいトークにリアクションがつくっていうのは、
どのトーカーさんも同じだと思うんですけど、本当に嬉しいことです。
特に僕の場合はですね、収録トークが評価されるっていうのが一番嬉しいことなんですよね。
ラジオトークだとライブ配信っていうのもありますけど、ライブ配信に比べたら収録トークの方が100倍自信があるっていうか、
いいものができていると思うので、そういった意味でも純粋に収録トークが評価されているっていうのは励みになります。
03:05
このことをね、いつも言おう言おうと思ってすぐ本題に入ってしまうので忘れてしまってたんですけど、
無言のギフトあるいはトークに対するリアクション、いつもありがとうございますということでございました。
さて、ここからが今日のトークの本題ということになります。
トークタイトルにもあるようにですね、
所有表現とは一体何なのかということを考えていこうと思います。
所有表現あるいは所有と単に言ってしまってもいいかもしれませんが、
つまり何かを持っているというか所有しているっていうのは同じことかもしれませんけど、
どういったことなのかということですね。
全然ピンとこないと思うので、言語学でよくなされる考え方として、
所有物っていうのを持ち物ですね、2つに分けるっていうことがよくあります。
1つは分離可能所有、もう1つは分離不可能所有というものです。
分離できるかどうかっていうことなんですけど、もうちょっと分かりやすく言うとですね、
分離可能所有っていうのは人に与えることができるような、譲渡可能みたいな言い方もしたりするものです。
分離不可能所有っていうのは簡単に人にあげることができないものということになるんですが、
具体的に言うと身体部位、目とか鼻とか口とか耳とか手足とかこういったものとか、
親族名称、息子とか兄弟姉妹お父さんお母さんこういったものが分離不可能所有となっています。
今ちょっとアクセントが迷っているな。
分離不可能所有、分離不可能所有、分離不可能か、すみませんね。
この2つを区別することが言語学ではよくあるんですね。
日本語の場合この違いはあまりはっきりとは表れていません。
例えば分離可能所有の、あまり人にあげることはないかもしれないですけど、
私の車といった場合ものっていうのが出てくるし、
分離不可能所有の私の目、私のお父さんみたいに、どの所有表現を見てものっていうのが出てくるんですよね。
ただ言語によってはですね、全く違う表現を使うことがあります。
06:01
つまり私の車といった時の私のと、私の目といった時の私の、
私のお父さんといった時の私の、全部違う私のを使う言語があるということですね。
例えばハワイ語にはこの区別があって、
すなわち分離可能所有には、あっていう音がつく所有表現を使って、
分離不可能所有には、おという音を含む所有形式を使うっていう、
このあとおの所有の区別っていうのがあるんですよね。
この分離可能、分離不可能っていった所有の区別は、
ハワイ語のみならずいろんな言語で見られる現象です。
ハワイ語みたいに分離可能、分離不可能で、
違う私のを使うなんてめんどくさいな、日本語はのだけなのにな、
みたいに思われたかもしれませんが、
日本語も歴史を遡れば、いろんな所有表現を持っていました。
これは分離可能、分離不可能とは ちょっと違うものですが、
現代日本語では、所有を表すのは のしかないと言っていいと思うのですが、
昔はこののに加えて がっていうのもあったんですよね。
このがっていうのは、君がよみたいなところに残っているものです。
こののとか がに加えて つとか なとかいったものもありました。
この2つも 化石的にしか 残っていなくて、
例えば まつげとか あれは 目の毛という意味で、
つが のと同じような意味を表していると。
なの方も 源のな あれは 水のもとという意味なので、
なっていうのが のと同じような意味を表している ということになっています。
このつとなは 置いておいて、
のとが どちらも名詞を修飾するというか、
広い意味での所有表現を表していたわけですが、
一応 使い分けはあったんですね。
よく言われるのは、のの方は 敬意を表すような、
言い換えれば 距離感があるような 表現に使われたと。
一方 がの方は 親密度が高いようなものに 使われたようです。
まさに 君がよ みたいに、
君みたいに 親密度が高い名詞の後に がというのは 出てきがちだったようです。
我が公とか 我が妹とかいった場合も 同じでしょうね。
09:02
やっぱり 親密度が高いので がというのが 用いられています。
なぜ 現代日本語において のしか 所有表現を表さなくなったのか、
なぜ がというのが 主語を表すようになってしまったかというのは、
また 回を改めて お話ししようと思います。
というわけで 今回のトークはですね、
一口に所有表現といっても 大きく分離可能 分離不可能みたいに分けることができると。
ハワイ語みたいな言語だと それぞれ違う所有表現を用います。
ただ 昔の日本語にも いろんな所有表現があったと そういったお話でございました。
というわけで 最後まで聞いてくださって ありがとうございました。
また次回お会いいたしましょう。 ごきげんよう。
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