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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
みなさん、国語の授業で、助詞とか助動詞っていうのを習ったのを覚えてらっしゃいますかね。
これは、現代語でも古典でも出てくる、習わなきゃいけない用語ですよね。
漢字で書くと、どちらも助けるっていう字が入ってるんですよね。
なので、助詞とか助動詞っていうのは、よく付属語みたいな言い方をするんですよね、確かね。
なので、犬とかいう名詞とか、走るとかいう動詞とか、寒いっていう形容詞とかね、こういうのは自分で一人で表れることができるので、
こういうのを自立語って言うんですよね。 それに対して、
助詞とか助動詞っていう付属語っていうのは、自立語にくっつかないと表れることができない、原則として独り立ちできないっていうものになっております。
この助詞と助動詞の違いは何かって言うと、助詞の方は形が変わらないってことなんですよね。
代表的なのは、「は」とか、「が」とか、「を」とかこういったものですね。
一方、助動詞の方は活用するっていうことなんですよね、形が変わると。
なので、ここで古典を習うときに、助動詞の暗記をしましたよね。
助動詞のめんどくさいところは、動詞の何形にくっつくか、未然形にくっつくのか、隣用形にくっつくのかっていうのを覚えなきゃいけないっていうのに加えてですね、
それ自体が形を変えるっていうのがあって、まためんどくさかったっていうことで、割と助動詞で古典つまずいちゃったっていう方も多いんじゃないかと思います。
これで今日のトークは、助動詞も面白いんですけど、助詞の方の話をしようと思います。
特にその中でも格助詞と言われるものですね。助詞の中にもいろいろあるんですよ。
ここでまず断っておきたいのはですね、助詞っていうのはテニオ派とはちょっと違うと言えば違うのかなって気がするんですよね。
一般的な日常会話的にテニオ派っていうのが助詞みたいな意味で使われることもあるんですけど、どうなんだろうな、テニオ派は割と文字通りテとニとオとハみたいなものみたいなことだと思うんですけど、
あれはもともと漢文を読みやすくするために添えられた記号的な字のことをテニオ派って言ってたんですよね。
だから翻訳するときに必要だった道具立てみたいなところがあるっていうのがまず歴史的にそういうことがあるんですよ。
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それとテニオ派っていうといろんなレベルのものがごっちゃごちゃなっちゃってて、
特にテニオ派のテっていうのは、助詞ってあんま僕自身言いたくないっていうのもあってですね、
堅苦しいですけどちょっと格助詞っていう言い方をしようと思います。
まずこれが一点というのともう一つは、和っていうのも助詞の代表的なものなんですけど、格助詞ではないんですよね。
大きく分けてですね、よく言われるのは副助詞と係助詞と格助詞みたいに大体3つぐらいに分けられることが多いんだと思うんですけど、
和っていうのは係助詞に入っていて、格助詞っていうのはがとかおとかにとかでとか、あとは方向を表すえとかこういったものですね。
なので時々和が助詞っていうのは、これ間違ってないです、あってるんですけど、和が格助詞って言ったりする人がいるんですよね。
それはもう間違いだってね、はっきり言っておかないといけないかなと思います。
レベルが違うんですよね、和っていうのは。
じゃあ格助詞って何なのかっていうと、先ほど言ったようにがとかおとかにとかでって言ったものなんですけど、
こういうのは何をしているかっていうと、当然名詞にくっつくっていうのが主な特徴といえば特徴ですよね。
ではその働き、機能は何なのかというとですね、格助詞はそのくっついた名詞と他の語、主に動詞ですけど、その間の意味関係を表すのが格助詞ということです。
例えばこれ大まかに言ってですけど、ががくっつくと主語を表して、をがくっつくと目的語を表すみたいな感じですね。
だから魚が食べるだとこれ魚主語だし、魚を食べるだとこれ目的語になってるっていうことなんですよね。
だったら和も同じようなことしてんじゃねえかと思われるかもしれないんですけど、和はねもうちょっとレベルが違ってですね。
これはね、和っていうのは談話機能的なんですよ。
これもまた堅苦しい言い方ですけど、めちゃくちゃシンプルに言うとね、和がくっつくとその名詞はおなじみのものだみたいなことを表すんですよね。
魚は食べたとかだと、もうそれはその会話の中でですね、魚っていうのが話題になってて、で魚は食べたみたいにね。
すでに話の話題になっていることを表すのに、和っていうのは使われたりします。
これだけじゃないですけど、和ってもっといろんな機能があるんですけど、そういう意味でですね、和っていうのは格助詞とは別個のものです。
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それに加えてですね、和っていうのは、がとをは別なんですけど、〜にはとか〜ではっていうふうに格助詞と一緒に表れることができるんですよね。
なので、こういう狂気できるっていう点からも、やっぱり和っていうのは格助詞とは別個のレベルのものだと考えたほうがいいだろうということになっています。
なので繰り返しになりますけど、格助詞っていうのは名詞と動詞がメインだと思うんですけど、その名詞と動詞の間の意味関係を表すものが格助詞です。
がだったら基本的に主語、をだったら基本的に目的語、にだったら動作の受け手とか場所とか、でっていうのも場所とかあるいは道具だったりもしますよね。
鉄砲で撃ったみたいに。このように格助詞っていうのは、その動詞に対してその名詞がどんな意味を担っているかというのを表しています。
さらにここでは主語と目的語、つまりがとをにちょっと注目して考えていきますか。
とりあえずこのがとをに注目すると、そもそもこいつらって必要なのかっていうのがまずありますよね。
例えば、「俺バナナ食べる。」みたいになんか原始人語的なイメージですけど、そういう初期の言語的なものを思い浮かべると、「俺バナナ食べる。」みたいになって、それでも十分意味は通じるといえば通じますよね。
がとをつけなくてもどっちが主語でどっちが目的語か、その意味からわかるってことなんですよね。
俺バナナ食べるって言ったときに、バナナが俺を食べるっていう意味には普通解釈されないということです。これはその名詞が持っている意味特徴ですよね。
食べると言ったら普通生き物がすることなので、当然主語は俺に絞られるだろうってことで、俺バナナ食べるでも全然通じるってことなんですけど、こうやってきれいに解釈されるものばかりでもないんですね。
例えば、「俺あいつ殴った。」って言ったときに、「あれ?これはどっちがどっちを殴ったんだろう?」っていうね、殴るみたいな動詞の場合はどちらが主語でも目的語でもおかしくないっていうことになっちゃうんですよね。
なのでこの、「俺あいつ殴った。」でどっちが主語でどっちが目的語かをはっきりさせるために、「俺があいつを殴った。」みたいにがとかをっていうのをくっつけて区別するようになってるってことなんですよね。
ちなみにですね、世界の言語を見回してみると、この主語を表すがみたいなのはゼロ、表れないっていう言語が非常に多いんですね。
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「俺あいつを殴った。」みたいな言い方になるってことですけど、これはつまり主語っていうのは一番出現頻度が高い名詞なので、それにいちいちがなんかくっつけなくてもいいってことなので、そういう点ではちょっと日本語は変わってると言えば変わってるんですよね。
これをね、すっごい固い言い方をすると、「有表主格。」とか言ったりするんですけど、これは全く覚えなくていいです。
とりあえず主語を表すのに何か名詞にくっつけるっていう点で日本語はちょっと変わってるとも言えるかもしれません。
韓国朝鮮語も一応あるんで、そういうがみたいなのが。日本語だけではないんですけどね。
なので今お話ししたように、「俺あいつ殴る。」みたいな言い方だと、どっちがどっちを殴ったかわからない、主語が目的語かわからないっていうことでそれを区別するために格助詞っていうのがあるってことをお話ししたんですけど、
何もこれは格助詞だけではないんですよね。こういう名詞を区別する働きをしているのが。
一つは語順っていうのがそういう機能を持ってたりします。
わかりやすいのは英語とか中国語ですよね。
あれは主語、動詞、目的語っていう順番で出てくるよっていうルールがあるので、
俺殴るあいつと言ってしまったら、
主語は俺で決まりだし、逆にあいつ殴る俺だったら、主語はあいつで決まりだしっていうことなんですよね。
だから格助詞がなければ別に語順で区別するっていう方法もあります。
そういう場合は普通、動詞で挟みますね。
名詞を動詞で挟んで、動詞の前か後かで主語か目的語を区別すると。
他にも動詞の形を変化させて、主語を表すっていうものもあります。
わかりやすいのは英語の三人称、単数現在のsみたいなやつですね。
ああいうふうに動詞の形を変えることで、主語が三人称なのかどうなのかっていうのを表しているってことなんですよね。
ちなみに言語によっては、主語と目的語、その両方に応じて動詞の形を変えるっていう言語もあります。
こういうのは硬い言い方ですけど、主要部表示型言語とか言ったりするんですよね。
ああ時間なくなっちゃった。というわけで、
今日は格助詞のお話でした。ちょっと硬い話でしたけどね。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。