書き間違いの重要性
最近はもう、ペンでね、文字を書くということがだんだんなくなってきてますよね、その時代的に。
パソコンにしろ、スマホにしろ、機械でね、打ち込みますので、予測変換とかが出るので、書き間違いっていうのはなかなか起きづらいかもしれません。
が、そういう予測変換があるにも関わらず、書き間違いっていうのは結構ね、あるっちゃあるんですよね。
例えば、その通りとかいう時のこの通りっていうのは、とおりと書きます。あいうえおのおで書くんですけど、
x で検索してみると、その通りっていうふうに、おではなくてあいうのうで書いているというね、書き間違いも結構見られるんですよね。
あるいは、おまちどうさまっていうのも一緒で、おまちどおさまっていうふうにおっていうのは、おで書かなきゃいけないんですよね。
ただこれも検索してみると、おまちどうさまっていうふうに、うで書いているという書き間違いが結構ヒットします。
これは何でかというと、おだん長音っていうのは、多分数の上ではうで書く方が圧倒的多数だからではないかと思います。
とおりとか、おまちどうさまとか、あとは水のこおりとか、これはおで書くわけですけど、漢語由来のものは、漢語由来のおだん長音は多分うで書くものばっかりで、
同じ氷でも、氷菓子の氷っていうのはこううりだし、道理にかなうとか、道理がわからないって言った時のあの道の字のね、道理っていうのは書くときはどうりでうで書くので、
おだん長音っていうのは、マジョリティはうで書くもので、おで書く方がどっちかというとイレギュラーになってるんじゃないかと思います。
ただ、僕がここで言いたいのは、そのおで書くべきところをうで書く、その通りとか、おまちどうさまとか、そういうのがダメだとか、ちゃんと書きましょうとか、そういうことを言いたいんではなくて、
そういう書き間違いが結構言語の研究にとって重要な役割を担うことがあると、そんなお話をしようと思います。
発音と表記の関係
BGM、行けい。
始まりました。4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。マイケルジャクソンです。
おまちどうさまのおは、おで書かなきゃいけないところを、おまちどうさまとうで書いてしまうのは、さっき言ったように、おだん長音はうで書く方がマジョリティであるっていうのと、
そもそも、うと書いているのに、発音はおだん長音だっていうことがポイントですよね。
予想通りといったときの通りと、通りがわからないといったときの通りっていうのは、発音上は区別がありません。
ただ書くときは予想通りの方はとおりでおで書いて、通りがわかるわからんの方はどうりでうで書きます。
これは発音は一緒です。
で、このおまちどうのおをうで書いちゃうっていうことこそが、発音が同じであることの何よりの証拠とも言えます。
要はおおという発音とおうっていう発音が区別されているとしたら、
書き間違いっていうのは起こらないんですけど、おうと書く方が、おうと書く方が両方おだん長音でおうとなってしまうので、
すなわちこれは現代日本語において、おおとおうは同じ発音であるということになります。
もし未来の言語学者が、この時代のね、現代の日本語の書き込みとかを見て、おおと書かなきゃいけないとこをおうと書いている、
そのとうりとかおまちどうさまとか書いているのを見たら、
この時代はおおとおうが同じ発音だったんだなということがわかるんですね。
このように書き間違いっていうのは意外と言語学的に貴重な資料となり得ます。
というか実際なっている例があります。
例えば英語でGHというつづりを読まないことがありますよね。
光のライトとか、8のエイトとか、こういうのはGHっていうのはつづりの上ではありますが、現代英語では発音されることはありません。
ただこの現代英語では読まれないGHっていうのは、昔はちゃんと発音されていて、フっていうような発音だったと考えられています。
このフっていう発音がいつなくなったのかというのが書き間違いからわかるんですね。
英語のdelightという単語があります。
これもライトとかエイトと同じでGHというつづりが含まれています。
d-e-l-i-g-h-tですかね。
ただこのdelightのGHは元々なかったものです。
というのがこれはフランス語からの釈用で、ライトとかエイトと違ってフっていう発音は本来的に持っていなかったんですね。
で、それが16世紀の前半、1500年代前半になると、GHの入ったスペリングに変わっちゃったそうです。
もともとフっていう音が入ってなかったdelightに、このフを表すGHが入っているということは、
この16世紀前半ですでにこのGHというつづりはフという音を表さなくなっていたということです。
もう音は表していなくて、つづりの上で残っているだけでエイト、ライトみたいな発音になっていて、同じような発音のdelightにもつづりでGHをつけちゃったと。
つまり、もともとGHがなかったdelightにGHが入った書き間違いがあったことから、その当時の英語ではすでにGHはフという音を表さなくなっていたということがわかるんですね。
資料としての書き間違い
これは過剰修正ということもできるかもしれません。過剰修正というのはハイパーコレクションとも言って、
ライトとかエイトみたいな、読まないけどGHがあるというこのつづりに合わせなきゃいけないというかね。
むしろ読まないんだから意識してGHっていうのは入れる必要があるんですよね、エイトとかライトは。
その意識が強いあまり本来必要のなかったdelightにもGHが入っちゃったということができると思います。
もしかしたらさっきのね、「そのとうり」とか、「お待ちどううさま」っていう、「う」で書いちゃうっていうのも、
おだん長音は「う」で書かなきゃいけないっていうその意識が強すぎるあまり、あるいはおだん長音に「お」を使うようなものはむしろ少数派で意識して
「う」を使わなきゃいけないということで書き間違いが起こっているのかもしれません。
同じ発音だけど書き間違いが起こらないっていうような例も当然あります。
例えば、ラジオを「わー」と言ったときのこの「わー」ですね、いわゆる助詞の「わ」、主題を表す「わー」っていうのは
「はー」で書きますけど、これを「わー」で書き間違えるということはあんまりないんじゃないかな。
子供はあると思うんですけど、大人になればおそらくないことだと思います。
あるいは同じ助詞のね、本を読んだの「を」とか、東京へ行くの「へー」っていうのも
それぞれ和音の「を」と「へー」で書くわけですけど、これをね、アイウエオの「を」とかね
「へー」で書き間違えるっていうことも、そんなに大人はないと思いますね。
さっきのその通りとかお待ちどう様に比べたら、全く起こらないような書き間違いではないかと思います。
そういう助詞で書き間違いが起こらないのは、一つは使用頻度が高いからっていうのが考えられますよね。
もう山ほど出てきますから、書き間違いは起こりづらいと、そういったことがね、想像できます。
それと、「は」とか「を」とか「へ」っていう助詞に使われているかなは、音を表す以上のことをやっているので
「は」と書く「は」は、さっきも言ったように主題を表すっていう機能になっているので、
なんていうかな、文法的な側面もあるというか、ある種標語的な側面もあると思うんですよね。
「を」と「えい」についても同様ですけど、そういう、なんていうかな、機能的な側面もあるから書き間違いが起こりづらいんじゃないかなぁとも思います。
なんやかんや話してきましたが、書き間違いが起こるっていうのは、発音の変化があった証拠ということができます。
発音の区別がなくなっちゃったとかね、発音しなくなっちゃったとか、そういった理由づけがあることなので、
そういった意味で書き間違いというのは、将来の貴重な言語学的な資料となり得るし、
実際にそういった例もあるといった、そんなお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローまだの方はよろしくお願いいたします。
お相手は、シガ15でした。