1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2022-06-28 09:00

#455 イライラしちゃう?「こちらコーヒーになります」の言語学 from Radiotalk

参考文献
『「する」と「なる」の言語学』 (池上嘉彦、大修館書店)
『自動詞文と他動詞文の意味論』 (佐藤琢三、笠間書院)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:06
始まりました。志賀十五の壺。万物あるせんします。ペラクレイトスです。
今回のトークは、「こちらコーヒーになります。」 こういった表現についてね、お話ししていこうと思います。
こちらコーヒーになりますと言っておいて、実際に出されるものはすでにコーヒーであるわけですよね。
物はコーヒーでもなんでもいいんですけど、 もしこれからコーヒーになるんだったらお前の手に持っているものは何なんだと
まあそう言われてもおかしくないというかね、理屈の上ではそういうことになっています。 もしかしたらこういう表現は
言葉の乱れとか あるいは間違った日本語みたいにやり玉に挙げられているかもしれないんですけど
この番組のスタンスとしてはあんまりそういった言い方はしたくないので、なぜ こういうね、コーヒーになりますみたいな言い方ができるのかっていうのを
これからお話ししていくということにしたいと思います。 まあこのなるっていうのは変化を表す動詞なので
このコーヒー豆がこれからコーヒーになります。 まあこれはある意味で
ちゃんとした なるっていう動詞の使い方なわけですよね。
でこのなるっていうような 動詞は
なんていうかなその動作を 意図的にというか意思を持って行う主体っていうものが全面に現れてこない動詞と
言われています。 これは池上義彦先生っていう先生の研究で
するとなるの言語学っていう本があるんですけど 日本語っていうのはなる形の言語で
まあ今言ったなるみたいな動詞や あるいは宝くじが当たるとかね
こういうふうに誰がっていう動作の主体っていうのが あまり全面に現れないような表現をよく使う言語であると日本語はそういう言語であると
言われているんですね。 このなるっていう動詞が持っている
その動作の主体っていうのが全面に出てこないという特徴が こちらコーヒーになりますという表現につながっているらしいんですね
03:03
今回参考にしている 研究は佐藤拓三先生の研究で
ごくごく簡潔に言うと さっき言ったようになるっていう動詞の持っている
主体が全面に出てこないという特徴が 個人としての発話というものを背景化しているっていうふうにね説明されるんですね
そもそもこちらコーヒーになりますみたいな言い方は結構 条件っていうかな言える場面っていうのが限り
られててまずなりますっていうふうに 丁寧系じゃないとダメなんですよね
こちらコーヒーになるとかかなり厳しいと あとは否定とか過去にもなりませんこちらコーヒーになりました
なりませんとかも言えない でね面白いのが
丁寧だったらいつでも言えるかというとそういうわけではなくて 例えばお店で
トイレどこですかって聞いた場合 定員だったら2階になりますっていう言い方ができるんですけど
これがもし客同士とかだったら 2階になりますとは言えないんですね
おそらく2階ですとしか言えないと つまりこれは定員みたいにある組織を代表して何か言うような時にしか
使えないっていうことなんですね なので
トイレは2階になりますとかこちらコーヒーになりますっていうのは 私個人の発話ではなくて
組織を代表して言っていますということになります なんでなるっていう動詞にこういった機能があるかというと
そもそもなるっていうのは動作の主体 意図的に何かを行う人っていうのを全面的に表わさない動詞だからなんですね
それがこうつながっていると拡張されているということです
こちらコーヒーになりますみたいな言い方は なるっていうのが変化を表していないっていう点で面白いわけなんですけど
もう一つ 変化を表さないなるっていうのがあって
それは例えばね この定義に従えば
4月15日のツボは人気番組になるみたいなものです まあこれが事実かどうかはさておき
こういうものも変化を表さないなるなんですね 何々だということになるみたいな言い方をすることが多いですかね
こういったなるの使い方を佐藤拓三先生は 計算的推論のなるという言い方をしています
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こういうなるの使い方の面白いのは その発話の背景に何か客観的な計算式というか
公式みたいなものがあるということなんですね そうでないと言えなくて
さっきの例だとこの定義に従えばみたいに ある意味公式みたいなものがあるわけですよね
客観的な 公式みたいなものがない場合はこういうなるの使い方はできなくて
このあたりは葛飾区になる こういう言い方ができますというのがその背景にその行政区画っていう客観的
な基準みたいなものがあるからですね 一方このあたりは
とてもいいところになるとは言えなくて まあ言えたとしてもそれは変化を表すなるとしてしか解釈されないと思います
こういった計算的推論のなるっていうのも やはり
主体の背景化っていうのが関わっているんですね 何回も繰り返して言ってるように
なるっていうのはそもそも動作の主体 意図的に何かを行う人っていうのを全面的に出さない動詞なわけで
でそこから拡張して こちらコーヒーになりますみたいに組織を代表して言ってるみたいな言い方ができてる
っていうことなんですけど 計算的推論のなるの場合も同様で
この公式この計算式この基準に従えば こういう結果になるっていう
誰がやっても同じ結果になるっていう そこに動作の主体っていうのが絡んでこない表現になってるんですよね
なので この辺りはいいところになるみたいなものは主観が入っているのでそういった言い方はできずに
この辺りは勝つ資格になるみたいに客観的な基準があれば言えるということです というわけでなるっていう動詞がそもそも持っている特徴がこちらコーヒーになります
とか この辺りは勝つ資格になるみたいな
変化を表さないなるの表現につながっているということなんですね どうでしょうかなかなか興味深かったんではないかなと思います
ではまた次回のトークでお会いいたしましょう お相手はシガ15でした
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