行くという動詞の不規則性
日本語に行くという動詞がありますよね。 毎日会社へ行く、ハワイへ行った。
まあこういう使い方をするわけですが、この行く、実は不規則動詞なんですね。
あまり不規則っていう感じしないかもしれませんというか、しないと思います。
母語話者にとって規則か不規則かっていうのは結構ねどうでもいいことですので、
ただ不規則動詞と聞くと、もっと変なものを想像するかもしれません。
英語のまさに、goっていうのが不規則動詞ですよね。
つまり、現在形goに対して過去形はwentっていう、全く違う形を使っています。
日本語の行くも、過去形行ったで、
goとwentに比べたら全然不規則じゃないと思われると思います。
goとwentっていうのは全然違う音だし、
語源としても別の単語なんですよね、wentっていうのは。
それに比べると行くに対して行ったっていうのは、
このたっていうのが過去を表しているので、
別に変じゃないじゃないか、そんな気がするんですが、BGMです。
始まりました。4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。David Bowieです。
行くに対して行ったというのがなぜ不規則かっていうのは、
他の句で終わる動詞と見比べてみるとよくわかります。
句で終わる動詞っていうのは、例えば書くとかですね。絵を書く、文字を書く。
この過去形は書いたですよね。
あるいは花が咲くに対して花が咲いた。
こういうふうに句で終わる動詞っていうのは、規則的に
いっていう音が出てくるんですね。いたというのが過去形になります。
専門的には異音便と言われるものです。
つまり、もう一回言っておくと、書くに対して書いた。
咲くに対して咲いた。
これは句で終わる動詞にかなり規則的に見られるものなんですが、
行くという動詞について言うと、行ったっていうふうに小さいつ、
専門的には側音と言われるものが出てきています。
句で終わる動詞なのに側音便が出てくるのは行くだけです。
つまり、書くに対して買った。咲くに対して去ったとはなりません。
そういった意味で行くという動詞は不規則動詞なんですね。
音便の概念と規則
異音便が起こるのは、句で終わる動詞だけではなくて、
句で終わる動詞でも起こります。
プールで泳ぐに対して泳いだ。
カレーの匂いを嗅ぐに対して嗅いだ。
こういうふうに句や句で終わる動詞は過去形、
あるいは過去形だけではなくて、手の形、手形と言われるものがあるんですけど、
泳いでとか嗅いでっていうふうに異音便というのが起こります。
さらに泳いで嗅いでの場合はでっていうふうに手がでになって脱音になってますが、
いずれにせよ、句あるいは句で終わる動詞には異音便というのが観察されます。
が、行くという動詞についてはそれが当てはまらないということで不規則なんですね。
行くの過去形は行ったで、これが小さいつの出てくる側音便ということでしたが、
側音便が観察されるのも動詞によって決まってるんですよね。
つとるとうで終わる動詞はそれぞれ側音便になります。
人を待つに対して待った。
花が散るに対して散った。
歌うに対して歌ったっていうふうにつるうで終わるのは小さいつが出てくる側音便になります。
もうついでに言っちゃいますけど、音便にはもう一つんの出てくる発音便というのがあって、
これはぬむぶうで終わる動詞で観察されます。
死ぬに対して死んだ。
読むに対して読んだ。
叫ぶうに対して叫んだ。
これらはうんという音が出てくるんですね。
ただ、日本語母語話者にとってこの音便の規則っていうのはどうでもいいことです。
ある意味でどうでもいいことで、
そういう規則を知らなくっても平気で母語だったら話すことができます。
なんならそういう規則さえなくっても平気で話すことができるんですよね。
さっきも言ったように行くっていうのは異音便じゃなくて側音便が起こって、
行くに対して言いたじゃなくて行ったになるわけですけど、
そういう不規則性も母語話者にとってはある意味でどうでもいいことです。
ただ、日本語学習者にとってはもちろん勉強しなきゃいけないことなので、
日本語教師はこういったことを教えたりするんですよね。
ただ、日本語のすべての動詞でこの音便という現象が起こるわけではありません。
一つは、数で終わる動詞は音便が起こらなくって、
話すとか出すですけど、
これの過去形は話したっていうふうに作業の音がそのまま出てきているので、
数で終わる動詞は音便が起こりません。
で、もう一つ重要なのは一段動詞では音便は起こらないんですね。
一段動詞、一応中学の国語で皆さんやったはずですが、
見るとか食べるとかいうようなもので、
紙一段と紐一段とそれぞれ言われることもありますが、
これはどういうものかというと、
日本語母語話者だったらないっていうのをつけて、
あだんの音が出てこなかったら、
それは一段動詞ということができます。
見ると食べるだったら見ない食べないで、
ないの直前の音がそれぞれいだんとえだんなので、
これは一段動詞ということができます。
逆に音便が起こるのは五段動詞と言われるもので、
これらはないをつけたときに直前の音があだんになります。
ずっとお話ししているいくだったらいかないだし、
うたうだったらうたわないだしっていうふうに、
このないの直前の音があだんだったら、
国語だったら未然形と言われるものですけど、
それがあだんだったら五段動詞です。
この五段動詞の多くは音便という現象が見られるんですが、
一段動詞、見るとか食べるみたいなものには音便はないんですね。
ですので、なんとなく一段動詞の方が簡単だなという気もするんですよね。
一段動詞と五段動詞の違い
一つは音便がないからっていうのもそうですし、
それと関連して一段動詞の場合は現在形はる、
過去形はたっていうふうにそのまま覚えてしまえばいいので、
見るに対して見た、るとたを入れ替えれば、
現在形と過去形を作ることができるんですよね。
食べるに対して食べたも同様です。
そういった意味で一段動詞は単純だっていう気がします。
一段動詞っていうのは必ずるで終わるということができますが、
逆はしんではないんですね。
一段動詞は全てるで終わりますが、
るで終わる動詞が全て一段動詞とは限りません。
例えば座るっていうのはこれるで終わってますけど、
五段動詞なので座るに対して過去形座たにはならないんですよね。
そうではなくて座ったっていうふうに側音便が起こる五段動詞です。
お一個が以前座るの否定形を座ない座ないって言ってたことがあるんですけど、
これは見るに対して見ない、食べるに対して食べない、
出るに対して出ないっていう一段動詞の否定のルールを適用しちゃって、
一段動詞だったらるをないに変えてしまえば否定形ができるので、
座るも同様にこのるをないに変えちゃって座ないと言ってたんですね。
ただ子供の成長スピードっていうのはものすごいものがあるので、
すぐに座るっていうのは五段動詞だと気づいて座らないとなることでしょう。
さらに言うと一段動詞っていうのはるの前はいだんかえだんに限られるので、
座るみたいなあだんが出てくるっていうものはないんですね。
そうなってくると問題になるのが例えば焦るみたいな動詞で、
この焦るっていうのは2つあるんですね。
2単語あり得ます。
一つは一段動詞で現在形焦るに対して過去形焦った、否定形焦せないみたいな、
色がとかそういうことになると思いますが、
もう一つは焦るっていうのが五段動詞だっていうのもあり得ます。
つまり現在形焦るに対して過去形焦った、否定形焦らないみたいなものです。
こういうふうに日本語の動詞の中には一段動詞と五段動詞で形が同じものっていうのがちょいちょいあります。
他にもいるとか、人がいるに対して人がいた人がいない、これは一段動詞ですが、
支援がいるといった場合はこれは五段動詞なので、
支援が行った、支援がいらないっていうふうに活用するんですね。
この辺は学習者にとってはなかなかめんどくさいところではないかなと思います。
というわけで今回は、行くという動詞が実は不規則だっていうところから日本語の活用の話ですかね、というエピソードでございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。番組フォローも忘れずよろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
またねー!