1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #654 go と went って違いすぎ..
2024-05-25 09:48

#654 go と went って違いすぎない?(補充形) from Radiotalk

主要参考文献
岸田緑渓・早坂信・奥村直史 (2018)『英語の謎: 歴史でわかるコトバの疑問』東京: KADOKAWA.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。クリス・タッカーです。
今回のエピソードタイトルにもなっているように、go の括弧形、あ、英語ですね、英語のgo の括弧形が went ってどういうことなんだということですね。
いうことですね、というか、まあみなさんそのように思ったことはございませんでしょうか。
go と went なんか、発音も違えば、綴りも違うっていうことでね、まるで別の単語みたいですよね。
で、実際ね、もともと別の単語だったんですね、マジで。 この went というのは、もともと go とは関係のない単語で、関係ないっていうか、
意味としては似てるんですよね。行くみたいな意味だったそうなんですけど、 意味は似てるけど、全く別個の単語を、
まあ括弧形として用いているということなんですね。 では、昔の英語に遡れば、go っていうのは、
その go どうみたいなね、 ちゃんとした別記とした括弧形があったのかというと、これもねそういうわけではなかったようです。
go っていうのはそもそも括弧形は持たない、 現在形しかないみたいな、まあそういった動詞だったらしいんですね。
じゃあその括弧形は何を使っていたかというと、 went とは別に、また別個の動詞を括弧形として使っていたらしいです。
音としては、エオデみたいな、 まあそういった単語だったらしいんですね。
昔の英語は括弧形にも認証変化があったので、 その認証によって多少音は違うんですけど、
1認証とか3認証だとエオデみたいな括弧形だったらしいんですね。 でそのエオデがいなくなっちゃって、
代わりにまた別の動詞 went を 括弧形で用いるようになり、
現在に至っているということなんですね。 昔から go っていうのはそれ自身の括弧形みたいなのはなかったということです。
英語って時々こういうことがありますよね。 あとは b 動詞ね。
am とか is とか are とか、括弧形の was とか were とか、 こういったものがすべて同じ動詞ですと言われてもピンとこないですよね。
まるで別個の動詞みたいじゃないかということですが、 これもね話は一緒なんですよ。実際別の動詞だったみたいなんですね。
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b 動詞の括弧形の was とか were に由来するのは、もともと留まるみたいな意味の動詞だったらしいです。
でそれを括弧形として用いていって、 まあなんだかんだで現在に至っているということです。
こういうふうに、 語根を共有しないっていうふうに言うんですけど、
語根を共有しない、違う語根を用いて 語形変化しているっていうようなものを言語学では補充形と言います。
補充法ということもありますかね。 まあ一種の不規則と言ってもいいかと思います。
普通の動詞だったら walk、歩くに対して walked みたいに ed をつづりの上ではつけるわけですけど、こういうふうに現在形過去形とかで
語根を共有してるんですよね。 でそれがはっきりわかるんですけど、補充形と言われるものは歴史的に語根が
異なるということで、 言語ってねそういったことが時々あるんですね。
英語で補充形が観察されるのは、 あとは形容詞の比較級とか最上級とかで good とかあるいは well の
比較級が better で最上級が best とかね、 bad に対して worst とかね、まあこういったものですけど、
これらもやはり歴史的には別個の単語から持ってきているようです。 ただ英語という言語においては、
まあそれはそれである意味問題ないというか、 きちんとパラダイムを成してるんですね。
パラダイムを成すというのは 表になっているというか、他の単語と同じように表が埋まっているので
不規則でも構わないし、母語話者にとっては 言語が規則的か不規則的かっていうのはそんな関係ないんですよね。
では日本語にこの補充形というのがあるかというと、 過去形の時に変なのが出るっていうのはないと思います。
たぶん。 過去形の時にはないですけど、例えば可能動詞では補充形が使われると言われていて、
可能動詞とか可能形と言われるのは、例えば 行くに対して行ける、飲むに対して飲めるみたいに
えだんの音が出てくるような動詞ですね。 で割とそういうのは規則的に作られるんですけど、
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するっていう動詞は すれるっていうのがないんですよね。
そうではなくてするに対してはできるっていう動詞が使われます。 これは全然違う語根が使われてますので補充形と言えると思います。
あとは動詞の自多対応っていうのも一応そういうのがあるかなと思いますね。 落ちる落とすとかね。
上がる上げるとか 閉まる閉めるとかね。
こういう自動詞と他動詞のペアっていうのは語根を共有していることが非常に多いんですけど、
死ぬと殺すっていうのは補充形と言えると思います。 死ぬに対して死なすっていう他動詞、
があってもおかしくないし、 あるいは殺すという他動詞に対して
殺さるみたいな自動詞があってもおかしくないです。 もしそういう状況だったら規則的な自多対応みたいに言うことができるんですけど、
死ぬと殺すっていうのは全く語根が違うペアになってますので補充形ということです。
そんぐらいかなぁ。 あ、でもね、敬語はかなり補充形が多いかなと思いますね。
例えば尊敬語で考えてみますと、 例えば投げるっていうのを尊敬語にするとお投げになるっていう風にこの
を〜になるっていう言い方すれば まあ一応尊敬語ができるんですけど
見るの尊敬語はご覧になるとかね。 食べるだったら召し上がるみたいに
まあ全然違う形を尊敬語で使うので、 まあこれは補充形ですね。で謙譲語も一緒ですね。
言うに対して申し上げるとか、まあそういったものですけど、 まあこれも語根を共有してないので補充形ということができます。
だから日本語は敬語を見ると補充形はかなり多いかなと思いますね。
で先ほどちょっと言いましたけど、 母語話者にとっては補充形かどうかっていうのは
まあ結構どうでもいいんですよね。 規則的だろうが補充形だろうが正しい形しか口から出ないのでいいんですけど、
敬語はちょっとどうかな。時々間違った使い方とかするので、 まあ補充形がもしかしたらそういった間違った敬語の使い方の一員になっているかもしれません。
それと補充形が観察されるのは基本的な単語、 基礎的な単語っていうのが多いと思いますね。
be 動詞もそうですし、 まあ go みたいな行くとかね。
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あるいは good と bad もそうだし。 敬語で補充形が観察されるのもやっぱり見るとか食べるとか、
言うとかね、そういった基本的な単語なので、 まあそういったところに補充形が観察されるっていうふうに
多分一般化できると思うんですけどね。 というわけで今回は
規則的な言語の中で、 ある意味不規則な部分ともね、そんな風に言えそうな補充形のお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。 番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。 またねー!
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