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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。ジョン・ウィックです。
お便りいただいております。マクタブさんからいただきました。
外国語を話すとき、合図詞や言いよどみを自然に使うのが大事だと思っています。
でも、教科書には、あのーとかふーんなどの訳や使い分けはあまり出てきません。
こうした言葉は言語学でどう扱われているのでしょうか。
言語差や文法、どういう状況で出るかなどは、研究されているのでしょうか。というご質問です。
マクタブさん、お便りありがとうございます。
まあ、こういった言いよどみっていうのは、言語学ではフィラーと言われて、
まあ、研究対象になっております。
まあね、僕自身はちょっとこの辺の話は不勉強なところがございますので、
今回はちょっとね、日本語のフィラーに限定してお話ししていこうと思います。
あのーとか、ふーんとか、えっとーとか、まあそんな感じですよね。
で、こういったフィラーは長らく発話のね、隙間を埋めるもの、間を埋めるものとして考えられていました。
実際フィラーってそういう意味らしいですね、建築でひび割れとか隙間を埋めるもののことをフィラーと言うそうで、
まあそこから取ってきてると。
なので実質的な文法的な機能とか、あるいは意味とか、そういったものはフィラーにはない。
単に発話の穴を埋めているだけだ。
まあそういうふうに考えられていたんですが、
まあ実はそうではないんではないかというふうに考えられてきております。
今このエピソードが始まって2分半ぐらい経ってますけど、
まあこの間にもね、フィラーっていうのはそれなりに使われていると思います。
当然日本語以外にもフィラーっていうものは各言語にあって、
英語のwellとかそういったものですけど、
まあそういったものと日本語のフィラーを比較対象した研究もおそらくあると思うんですが、
今回はまず日本語のフィラーに焦点を絞ってね、お話ししていこうと思います。
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今回参考にしているのは、
佐田信俊先生のご研究で、PDFで読めるものがございましたので、
概要欄にURL貼っておきますので、ぜひ皆さんも読んでみてください。
さっきも言ったようにフィラーっていうのは伝統的にはっていうかね、
長らく発話の間を埋めるものとしてね、考えられていたんですが、
それぞれのフィラーにそれぞれの機能があるというようなことがね、だんだんわかってきております。
例えば、えーとっていうのと、あのーっていうのとあって、
それぞれ考え中とかね、問題を検討中みたいな時に出てくるフィラーです。
ですので、何か考えている時にね、間を埋めるために、
えーとっていうのと、あのーっていうのと、それぞれ自由に出てきても良さそうなんですが、
このえーととかあのーにも使い分けっていうのがあるんですね。
サダーノブ先生の論文に出ている例だと、
123たす456は?みたいな発話に対して答える側は、えーと579、
これはかなり自然なんですが、あの579、これは不自然に感じられるんではないかと思います。
こういう計算の問題の答えを言う時に、あのーっていうのは出てきづらいんですね。
じゃあどういう時にあのーっていうのが出てくるかというと、
あのーちょっといいですか?とか、あのー質問いいですか?とか、
まあそういった時に出てくるわけなんですが、これはどういうことかというと、
あのーっていうのは、確かに何か考えてる、何らかの問題について考えてるんですけど、
その何らかの問題っていうのが、自分がこれから喋る言葉の問題の時に、
あのーっていうのが使われるということらしいんですね。
それに対してえーとっていうのは、その問題の種類っていうのは結構幅が広くって、
さっきの計算の問題みたいな一般的なものも扱えるんですが、
あのーは限定されてるので、自分の話すことっていうとこに限定されてるので、
あのー579みたいな言い方はちょっと厳しいということになっているようです。
面白いですよねこれね。
えーとっていうのも、えーとちょっといいですか?とか、えーと質問があるんですがっていう風に、
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自分がこれから喋ることについても使うことができるんですけど、
あのーの方がね、ちょっと丁寧な印象を受けるんではないかと思います。
こういう風に、えーととあのーっていうのは、何か喋り出す前の穴埋めっていうかね、
そういう風に思われるんですが、実は細かい使い分けがあって、
あのーっていうのは自分がこれから喋る言葉について検討中だみたいなね、限られたとこで使われるということなんですね。
考え中、検討中を表すフィラーとして、
さあっていうのもあります。
まあこれはさあ行こうとかなんかそういう気合を入れる時のさあではなくて、
さあわかりませんねみたいなこのさあです。
で今言ったようにさあっていうのが出てくると、
後ろって否定的なものしか出てこれないんじゃないかなと、そんな気がします。
佐田信先生はこれをさあの絶望性という言い方をなさっています。
面白いですね。絶望的になるということなんですね。
このさあっていうのも主に会話で出てくるもので、
どういうことかというと独り言ではちょっと出てきづらいものなんですね。
そういった点ではあのーと似ていて、それに対してえーとっていうのは、
えーと鍵どこ置いたっけなーみたいに独り言で出ることができます。
こういうふうにあのーとかえーととかさあとか、
こういう検討中のピラーにも使い分けというかね細かい違いがございます。
でさっき言ったようにさあっていうのは絶望性を伴うものなので、
会話で出てくるので、例えば質問があって、
この辺に交番ってありますかと聞かれてさあときたら、
さあちょっとわかりませんねみたいに否定的なものとか、
まあ否定等まではいかなくても、さあもうちょっと言ったらあるんじゃないですかみたいに、
自信のないようなね回答になります。
さあすぐそこにありますよみたいな肯定的な返答っていうのは、
まあ期待されないというかね相性が悪いんですね。
このことから、さあっていうのを聞けば否定的な内容ですよっていう風にその、
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前もって聞き手に示してるっていうようなね風に思われるんですが、
これはねどうもそういうわけではないみたいなんですね。
事前にねこれから否定的なことを言いますよっていうために、
さあがあるっていうわけではなくて、
さあに限らずですけど、フィラーっていうのがやってるのは認知行動をあからさまに行うということだそうです。
これがサダドム先生の結論なんですが、
まあちょっとね時間的にも厳しいですので、ぜひURL飛んでいただいて論文見てみてください。
というわけで今回は言い淀み、フィラーについてのお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お便りもお待ちしております。
お相手はシガ15でした。
またねー。