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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。Mr.サマータイムです。
お便り頂いております。まず3つ目、エピッグさんから頂きました。ありがとうございます。
シャープ589、聞きました。サムネのインディレクティブの綴りに誤りがありましたよ。
ありがとうございます。これね、直しました。こっそりね。
今回初めて聞いた用語もあってためになったし、この収録の内容の源の部分にマッシュの研究成果があると思うとやはり感慨深いということで、エピッグさんどうもありがとうございます。
シャープ589はインディレクティブもそうですけど、インディレクティブとかセカンダティブとかね、やたら専門用語が出てきた回で、大トランジティブっていうか、副多動詞の話をしたんですよね。
本編ぜひ聞いて頂けたらと思います。前回の収録になっております。
マッシュっていうのは、マッシュドライヤーのことで、我々というかね、よくドライヤーというと、まずは語順の話でよく出てくるんですよね。
語順に関わらずですよね、言語類型論の第一人者である先生でございます。エピッグさんはね、それを懐かしく思われたということでございました。
スペルミスもね、教えて頂いてどうもありがとうございました。
続きまして2通目のお便りです。ゆうげんさんから頂きました。ありがとうございます。
こんにちは。ドラえもんのび太のパラレル左右記でよくネタにされる他の3人、これは静かジャイアンスネ夫のことらしいです。
他の3人の危険が危ないというドラえもんのセリフは正しい日本語なのか、そうでないのか教えてください。というお便りです。
正しい日本語かどうかと言われると、ちょっと知りませんという感じですね。
冷たい人と言われそうですけど、卒業式も泣かないし、でも言語学的な立場からすると、知りませんっていうのが一番しっくりくる答えかなという感じがします。
言語学っていうのは規範の学問ではなくて、あくまで記述的な立場をとるものだと思ってるんですよね。
規範文法と記述文法の話は、なんかやったことあるような気もするんですけど、この規範だ記述だと言われてもよくわからないというかね、ピンとこないと思うので、
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この辺りのことについてズバッと書いてあるものがあるので、引用させていただこうと思います。
田中勝彦先生の「言葉とは何か?」という講談社学術文庫から出ているものです。これ普通に本屋さんに売ってると思います。
そこの26ページから読んでみますね。
さて、それでは肝心の1の問題、すなわち言語学は規範の学ではないというところに戻ろう。
ある言葉の使い方が正しいか間違っているかと問うのが規範の学である。
実は世の中の人は大抵言語学はそういうものだと考えていて、
あんたは言語学者だから教えてくれないか、見れるがいいのか、見られるがいいのかどうかと。
これにはっきりと正しいか正しくないかと判決を与えようとするのが規範の学であるが、言語学はそういうことにはあまり関心がない。
まさにね、ゆうげんさんが質問してくださって、僕が答えているのがこういった状況でございます。
正しい正しくないは判断しないんですね。それは言語学の仕事ではないというのがまず基本的な立場だと思います。
もうちょっと続きます。
規範を示さないのは言語学が自然科学の精神に貫かれているからだ。
言語学は存在するものにはすべて理由があるという立場を取る。
正しいか正しくないかはその言葉の本質から出てくるのではなくて、外から人間が勝手に判断するからである。
それはちょうど白い蝶と黄色い蝶とどちらが正しいかと問うようなものである。
規範とは別の言い方をすれば、言葉そのものの原理ではなく社会の圧力が決めるものだ。
これが割と言語学について一般に誤解されているところをズバッと言っているところだと思います。
正しい正しくないは興味関心がないというか、本当に知らないという感じなんですよね。
言語学をやっている人間でもそういう正しい正しくないに興味がある人はいると思います。
美しいとか正しいとかそういうことを謳った言語学の本みたいなのがあったりしますけど、
そういう人もいますけど、僕はとりわけそういうのに興味がないので、危険が危ないが正しいかどうかと言われたら知らないし、好きにしたらいいと思います。
言語学の立場から言うと、そういった回答になるかなと思います。
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ただ有言さんが聞きたかったのはそういうことではないと思います。僕はねその辺の常識はございますので。
この危険が危ないっていう表現は、確か重言とか言われるものだったと思います。
重ねて言うっていうので重言と言って、これもね過去にエピソード撮ったことあると思うんですよね。
例えば旅行に行くとか、旅行っていう単語そのものに行くっていう意味が含まれているのに旅行に行くとか言えるんですよね。
この辺は人によっては違和感はないと思うんですけど、頭痛が痛いとか、違和感を感じるとかね。
この辺になるとそれこそ違和感を感じる人がいるかもしれません。
言葉が被っちゃってるっていうことですね。危険が危ないっていうのもまさにそういった表現かな、そういったものの一種だと思います。
さっきの田中克彦先生の本の引用にもあったように、正しい正しくないっていうのは外から人間が決めているもので、
大多数の人が使えば語用も語用じゃなくなるんですよね。
例えば、独断状っていうのは本当は独占状っていうのが正しいんですよね。
とか、確信犯っていうのも悪いと分かってながらやるっていう意味で今使われてますけど、もともとは違う意味なんですよね。
ただ、本来の意味はどうであれ、例えば今僕が独占状みたいな言い方をしても独断状でしょっていうふうにむしろ訂正されることの方が多いんじゃないかと思います。
そういうふうに正しい正しくないは実感とともに変わっていくというか、かつての語用が今では定着しきってるっていうこともあるので、
そういった意味でも正しい正しくないはあんまり意味がないような気はするんですよね。
多くの人が勘違いしている語用みたいな本を見つけたことありますけど、多くの人が使ってるんだったらそれはもう語用じゃないんでね。
さっきの田中克彦先生の同じ言葉とは何かの29ページのとこにこうも書いてあります。
規範は作られたものであって、それは本来言語学が関わるものではないとはいえ、言語は社会的現実であるから規範の存在に目をつぶるわけにはいかない。
ここが仕方がないところで、人間が使っているもので、人間は社会的生物でとか考えると、どうしても規範というのは当然問題になってくるんですよね。
ただ原則はやっぱり規範の学問ではないので、正しい正しくないは知らないという感じですね。
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少なくとも危険が危ないという言い方は本来日本語にはなかった言い方だとは思いますけど、今後もちろん定着していく可能性はございます。
まあ一応こんなところがね、答えかなと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシンガー15でした。
またね!