マルティネと二重分節性の紹介
今回のエピソードは、言語学者とその思想シリーズの第2弾でございます。
今日ご紹介しますのは、アンドレ・マルティネというフランスの言語学者です。
言語学者ないし、記号学者と言ってもいいかもしれません。
1908年に生まれたアンドレ・マルティネは、
言語学の流れで言えば構造主義に位置づけられるというか、
あるいは機能主義言語学の第一人者とも言えると思います。
その辺の小難しい話は一旦置いておいて、
今回はマルティネの主張した言語の二重分節性についてお話ししようと思います。
BGMです。
始まりました4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。眠れる森の美女です。
言語の二重分節性。二重に分節できる。
すなわち2回に分けて分割できるというのがマルティネの主張です。
形態素と音素の関係
分というのはいくつかの要素で成り立っています。
それは線上性という特徴があるので、一列に並んでいくしかないんですよね。
2つの記号を同時に発音することはできません。
これは言語、特に音声言語が持つ宿命ですね。
同時に発音できないから、一直線に並べていくしかない。
線上性という特徴を言語は持っています。
その線上に並べられた言葉の連鎖、連続体は単語ごとに切ることができるんですよね。
魚を食べただったら、魚プラスをプラス食べた。
単語ごとに分割できるということは逆に言えば、単語を組み合わせることで文を作っているということでもあります。
そんなのは当たり前じゃないかと思われると思いますが、もう少し話を進めて、
単語ごとに切れるというよりは、単語よりももう少し小さい単位に切れるといった方が正確だと思います。
今の例で言うと、「食べた」は、「食べ」と「た」に分けることができます。
「た」というのは過去を表していて、「食べた」に対して「食べる」というのもありますよね。
この「る」というのは、平たく言えば現在を表しています。
こういった「る」や「た」のように、独立して発音されることはない。
単語としては独立していませんが、意味を持っている単位というのがあるんですね。
こういったものを言語学では形体組と言います。
場合によっては記号組と言われることもありますが、より一般的な形体組という言い方をします。
つまり文は単語の組み合わせというよりは、形体組の組み合わせによって作り上げられているということです。
これは裏を返せば、文というのは形体組ごとにまず分割することができる。
魚プラスをプラス食べプラスた。
この組み合わせを変えれば、意味の異なる文を作ることができます。
ををがに変えれば、魚が食べただし、さらにたをるに変えたら、魚が食べるというふうになると。
このように形体組を組み合わせることで、われわれは発話というのを実現しているんですよね。
これがマルティネの言う第一次文節です。
さらにこの形体組は細かく分割することができます。
それが第二次文節と言われるもので、魚であればさとかとな、
日本人の感覚であればそのように考えてしまうと思うんですけど、
さらに真と母音に分けられるので、すとあとくとあとぬとあ、
アルファベットで書けば、sakanaこれで魚となっているわけですね。
こういった真や母音を組み合わせることで形体組を作っています。
こういった真や母音のことを音組と言うんですね。
これは音声ではなくて音想です。
言語学では音声と音想を厳密に区別します。
この点についてはね、今はこれ以上立ち入りませんが、
今の話をまとめると、魚を食べたのような発話文は、
まず第一段階として形体組ごとに切ることができる、分割することができる。
そしてその分割された形体組はさらに細かく第二次分節として音想ごとに分けることができる。
こういった特徴が言語にはあるんですね。
それが二重分節と言われる言語の特徴です。
今の話を逆から言えば、音、真や母音を組み合わせて形体組を作り、
その形体組を組み合わせることで文を作る。
当たり前のことを言っているだけで、そんなに大げさなことなのかと思われるかもしれませんが、
結構大げさなことで、ここで大事なのは、形体組というのは意味を持っています。
意味を持つ一番小さい単位のことを形体組と呼ぶんですね。
ルやタのような真一つ母音一つみたいなこんなに短い形体組であっても、現在とか過去という意味を担っているんですね。
それに対してそれを構成している音素、ルだったらRとUとか、タだったらTとAみたいな、
こういった音素自体には意味がありません。意味を担っていません。
言語の特徴と結論
無意味な音素を組み合わせることで、意味のある形体組を作り出す。
それが言語の持つ二重分説の肝なんですね。
これは言語の経済性と非常に深く関わっていて、経済性ないし創造性?
要は言語を言語たらしめている特徴です。
一番小さい単位、音素に意味がないからこそ、無限に意味のある形体組を作ることができるんですね。
例えばさっきの例で言うと、食べたの最後のタ、この過去のタに含まれる音、TとかAといったシーンや母音、
例えばここでTのシーンに、このシーン自体に過去という意味があるとしたら、
このTというシーンは過去関連以外のものには使えなくなってしまいます。
タコとか扉とか何でもいいですけど、多行の音が入っている単語って日本語にたくさんありますけど、
それらは過去の意味を担っていませんよね。
これはTというシーンに、音素に過去の意味がないからです。
もしTというTの音に過去という意味があったとしたら、タコとか扉はまた別の言い方を当然しなきゃいけないわけですけど、
そうなるとタコ専用の音素とか扉専用の音素とか、
ありとあらゆる世の中の物にしろ、ことにしろ、ルーとかタンみたいなそういう文法に関わるものにしろ、
すべてのものにそれ専用の音というのを用意しなきゃいけなくなるんですね。
それは現実的にはおそらく不可能で、人間が発音できる音っていうのは限りがあるし、
それを聞き取る方も能力として限りがあると思います。
さらに新しい概念とか、あるいは新しいものとかが発明されたりとか、
そうなるとそれ専用の音っていうのを考えなきゃいけなくなるんですよね。
ただ、現実の言語はそのようにはなっていません。
音素には意味がないので、その意味のないもの同士を組み合わせることによって、
初めて意味のある単位、すなわち形態素ができるんですね。
過去のたであれば、toにしろ、aにしろ、要はしんにしろ、ぼいんにしろ、
過去という意味は全くありませんけど、
それが組み合わせることで初めて過去という意味が出てくるんですね。
一種のパラドックスというか逆説的な話ですけど、
意味のないものと意味のないものを組み合わせると意味のあるものができる。
音素には全く意味がないので、どういう組み合わせをしたっていいんですよね。
組み合わせることで初めて意味が出てくる形態素となれる。
それが人間の言語の特徴です。
動物の言語的なもの、鳴き声は、おそらく音に意味があると思います。
ある特定の音がある特定の意味や機能になっている。
それが鳴き声です。
それに対して人間の言語の音、音想は、それ自体には意味がないんですね。
何度も言うようですけど、それが二重分節性の肝なんですね。
このアンドレマルティネについては過去のエピソードでおそらく取り上げたことがあるし、
二重分節についてのエピソードはおそらく何回か撮っていると思います。
強調しすぎてもしすぎることはないというかね。
それだけ重要な話というか、言語の特徴であります。
言語学を本格的に学んでみたいという方は、
ぜひマルティネの一般言語学用理という本が、
これ日本語で読めますので、読んでみてはいかがでしょうか。
というわけで今回のエピソードはここまでということで、また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローまだの方はよろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
またねー。