1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #587 「声色」はなぜ「こえい..
2023-10-03 09:42

#587 「声色」はなぜ「こえいろ」じゃないの? from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/581019

主要参考文献
『日本語全史』 (沖森卓也、ちくま新書)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:06
始まりました、志賀十五の壺。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
パリ暮らしのアリエッティです。
今回は、エピソードタイトルにもある通り、
怖い色、なぜあれで怖い色と読むのか、
そういったお話をしていこうと思います。
漢字の字面だけを見れば、声と色なので、
こえいろとなりそうですけど、
まあ、そうはなってないんですね。
こわいろ。
まあ、もしかしたらね、若い子とかは、
こえいろっていうふうに、
いわゆる間違った読み方しちゃってるかもしれないですけど、
基本的にはこわいろです。
まあ、こういうのは専門的に点音っていう言い方をするんですね。
まあ、母音が変わってるわけなんですけど、
例えば、酒に対して酒屋さんとか、
雨に対して雨宿りとか、
船に対して船酔いとかね、
まあ、これと同じように、
声に対して怖い色というのがございます。
まあ、規則的といえば規則的なんですよね。
全部母音がAで終わってるものが、
ある単語の一部になるとき、
まあ、これが複合語って言いますけど、
もっと言うと複合語の前の要素となるときに、
えーっと、こうわーとか、
たかーとか、
あまーとか、
ふなーっていうふうに、
Aっていう母音があーっていう母音に変わっているというものです。
まあ、これはその前の要素になるときだけで、
後ろの要素になるときは別に母音は変わらないんですよね。
大雨とか、大声とかね。
なので、まあ、かなり限られたときに、
えー、起こる音の変化ということができるかもしれません。
ただ、怖い色が他の酒屋とかね、
船酔いとかの点音と違うのは、
死音が入っているっていうことですね。
ただ母音が変わるだけじゃなくて、
Wで書くようなわーっていう音になっているということです。
雨が雨宿りになるんだったら、
声は怖い色になってほしいところなんですよね。
余分な死音が挿入されているように見えますが、
果たしてこれはどういったわけなんでしょう。
東十五の壺
現代日本語の考えでは、点音っていうのは、
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単体で使っているときのAという音が、
何か複合語の一部になるとき、前の要素となるときに、
あーという母音になるっていう風に、
おそらくそのように説明されると思うんですが、
歴史的に見ると実は逆だったと考えられています。
つまり元々は雨とか船っていうのが、
ある意味元々の形で、
それが単語として独り立ちするために、
雨とか船という形になっていると。
そのように考えた方が、
説明が結構スムーズにできるんですよね。
さらに言うと、ただ母音が変わってるんじゃなくて、
雨とか船っていう、
いわば依存形、非独立形みたいなものに、
イという設備字、パーツがくっつくことで、
独立形になっていると説明されます。
なので雨井とか船井、
この井っていう母音連続がAに縮まっていると。
これは現代語でも見られる現象で、
やばいがやべえになったり、高いがたけえになったり、
井っていう母音連続がAに変わるっていう現象は、
不思議ではないんですよね。
この井っていう設備字を想定することで、
他の天音も同じように考えられるんですね。
他の天音っていうのは例えば、
背向くに対し背、背中の背、
木陰の甲に対し木、
月夜に対して月、
こういった背とか木とか月っていう独立形も、
依存形にイっていうものがくっついたと、
そういうふうに説明できるんですね。
今依存形と独立形みたいな言い方をしてますけど、
よく被覆形と露出形という言い方がされます。
なので天音という音変化は、
被覆形にイという設備字がくっついて、
独立した単語として用いる露出形になっていると。
歴史的にはそのように考えられています。
ただ当然現代日本語では、
ただ単に母音が変わってるとしか認識されていないし、
もっと言うと、
例えば背向くの装と背中の背っていうのが、
同じものだっていう認識もないですよね。
なのでこういう文法的な仕組みというよりは、
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ただ単に単語ごとのね、語彙的な問題だと認識している、
母語話者の方が多いんではないかと思います。
で話は戻りますけど、
じゃあコワイロ、このコワっていうのが元々の形で、
これにイっていうのがついて、
エという母音になったと考えると、
声の露出形はコウエとなってないとおかしいということになりますよね。
で実際そうなんですね。
歴史的カナ使いで書くと、
コウエ、つまりルーの下に波を打ってるような、
あのカナで書かれます。
昔の日本語は、
ウィーとウェーとウォーっていう和行のカナが存在していたんですけど、
ウィーとウェーはイーとエーにそれぞれ吸収されてしまって、
ウォーっていうのは発音上はオーっていうものになりましたけど、
カナではね、各助詞のオー、和音のオーにだけ残っているということになっています。
というわけで今回の話をまとめると、
コア色のコアっていうのは、
コエっていう単語の変化形みたいに一瞬考えられるんですが、
本当はコアっていうのが元にあって、
それに独立するためのイーというのがついて、
コアイからコウエになって、
それがそのうちコエという発音になっているということなんですね。
そのように考えることで、他の転音という現象と同じように考えられると、
そういったお話でございました。
ただ、こういう転音っていう現象が、
どれだけ日本語母語話者に認識されているかっていうのは、
意識されているかっていうのは、
ものにもよりますけど、あんまり意識されてないかもしれませんね。
さっきもちょっと言いましたけど、
例えば、めっていう単語の被覆形、
ある意味元の形はまっていうことですよね。
で、このまっていうのは、
まぶたとかまつげとかまなことかまのあたりにするとか、
もっと言うと窓とか前とか、
こういった単語のまと同じなんですね。
ただ、まぶたっていうのが目の蓋だっていうふうに意識している母語話者はほとんどいなくて、
もうまぶたっていう単語として認識していると思います。
こういう目に比べると、声と声色のペアっていうのは、
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少しは意識されているかなと思います。
あるいは雨に対して雨宿りとか、
漢字の力もあるでしょうけど、
そういったふうにまとめることができると思います。
というわけで今回は、
転音という日本語の音の減少についてのお話でした。
関連エピソードもあるので、ぜひそちらも聞いていただけたらと思います。
それではまた次回お会いいたしましょう。
お相手はシンガ15でした。
またねー。
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