1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #127 芥川龍之介『鼻』朗読 2/..
2020-07-04 07:01

#127 芥川龍之介『鼻』朗読 2/2 from Radiotalk

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#落ち着きある #朗読
00:00
さて、二度目に茹でた花を取り出してみると、なるほど、いつになく短くなっている。
これでは当たり前のかぎ花と大した変りはない。
内部はその短くなった花を撫でながら、弟子の相の出してくれる鏡を、決まりが悪そうにおずおず覗いてみた。
花は、あの顎の下まで下がっていた花は、ほとんど嘘のように萎縮して、今はわずかに上唇の上で、育児なく残善を保っている。
ところどころまだらに赤くなっているのは、おそらく踏まれた時の跡であろう。
こうなればもう誰も笑う者はいないに違いない。
鏡の中にある内部の顔は、鏡の外にある内部の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。
しかし、その日はまだ一日、花がまた長くなりはしないかという不安があった。
そこで内部は、図教をする時にも食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと花の先に触ってみた。
が、花は行儀よく唇の上に収まっているだけで、格別それより次第ぶら下がってくる景色もない。
それから一晩寝て、あくる日早く目が覚めると、内部はまず第一に自分の花を撫でてみた。
花は依然として短い。
内部はそこで幾年にも無く保家教書者の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。
ところが二、三日経つうちに、内部は意外な事実を発見した。
それは折から用事があって、池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層おかしそうな顔をして、話もろくろくせずにじろじろ内部の花ばかり眺めていたことである。
それのみならず、かつて内部の花を貝の中へ落としたことのある中道司なぞは、行動の外で内部と言いき違った時に、はじめは下を向いておかしさをこらえていたが、とうとうこらえかねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった。
よう言い使った下法師たちが、面と向かっている間だけはずつしんで聞いていても、内部が後ろさえ向けばすぐにくすくす笑い出したのは一度や二度のことではない。
内部ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。
しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。
もちろん中道司や下法師が笑う原因はそこにあるのに違いない。
けれども同じ笑うにしても、花の長かった昔とは笑うのにどことなく様子が違う。
見慣れた長い花より見慣れない短い花の方が滑稽に見えるといえばそれまでである。
が、そこにはまだ何かあるらしい。
前にはあのようにつけつけとは笑わなんだて。
内部はずしかけた教文をやめて、ハゲ頭を傾けながら時々こうつぶやくことがあった。
03:00
愛すべき内部は、そういう時になると必ずぼんやり、傍らにかけた不幻の画像を眺めながら、花の長かった四五日前のことを思い出して、
今は無限に癒しく成り下がれる人の栄えたる昔を忍ぶが如く塞ぎ込んでしまうのである。
内部には遺憾ながら、この問いに答えを与える妙が欠けていた。
人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。
もちろん誰でも他人の不幸に同情しないものはない。
ところがその人がその不幸をどうにかして切り抜けることができると、今度はこっちで何となく物足りないような心持ちがする。
少し誇張していえば、もう一度その人を同じ不幸に落とし入れてみたいような気にさえなる。
そうしていつのまにか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようなことになる。
内部は理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、
イケノオの相続の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく勘づいたからにほかならない。
そこで内部は日ごとに機嫌が悪くなった。
二言目には誰でも意地悪く叱りつける。
しまいには、鼻の領事をしたあの弟子の層でさえ、内部は封建殿の罪を受けられるぞ、と影口を聞くほどになった。
ことに内部を怒らせたのは、例のいたずらな中道司である。
ある日、けたたましく犬の吠える声がするので、内部が何気なく外へ出てみると、中道司は二尺ばかりの木のキレイを振り回して、毛の長い痩せた無垢犬を追い回している。
それもただ追い回しているのではない。
鼻を打たれまい、それ、鼻を打たれまい、と囃しながら追い回しているのである。
内部は中道司の手からその木のキレイをひったくって、したたかその顔を打った。
木のキレイは以前の花もたげの木だったのである。
内部はなまじいに鼻の短くなったのがかえって恨めしくなった。
するとある夜のことである。
日が暮れてから急に風が出たとみえて、塔のふうたくの鳴る音がうるさいほど枕に通ってきた。
その上、寒さもめっきり加わったので、老年の内部は熱こうとしても熱かれない。
そこで、床の中でまじいまじいしていると、ふと鼻がいつになくむずがゆいのに気がついた。
手をあててみると少しすいきがきたようにむくんでいる。
どうやらそこだけ熱さえもあるらしい。
むりにみじこうしたで、やまいがおこったのかもしれぬ。
内部はぶつぜんに高下をそないるようなうやうやしい手つきで、鼻をおさえながらこうつぶやいた。
よく朝、内部はいつものように早く目をさましてみると、地内のイチョウや土地がひとばんのうちに葉を落したので、庭は金を敷いたように明るい。
06:02
塔の屋根には霜がおりているせいであろう、まだうすい朝日にクリンがまばゆく光っている。
全地内部はしとみをあげた円に立って、深く息をすいこんだ。
ほとんど忘れようとしていたある感覚が、ふたたび内部にかえってきたのはこのときである。
内部はあわてて鼻へ手をやった。
手にさわるものは、ゆうべのみじかい鼻ではない。
上くちびるの上からあごの下まで五六寸あまりぶらさがっている昔の長い鼻である。
内部は鼻が一夜のうちにまたもとのとおり長くなったのを知った。
そうしてそれと同時に、鼻がみじかくなったときと同じような晴れ晴れした心持が、どこからともなくかえってくるのを感じた。
こうなればもう誰も笑うものはないにちがいない。
内部は心のうちでこう自分にささやいた。
長い鼻を明け方の秋風にぶらつかせながら。
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