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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
君の前前前世です。
貴様っていう言い方は非常に乱暴な言い方で、
まあ普通は使えないですよね。
ただ、漢字で書くと貴族の貴と、
まあ様ですからね、相当、
なんていうか、
敬意のこもった言い方だっていう風に、
今まで思ったことがある方も多いと思います。
で、実際その通りなんですね。
貴様っていうのはもともと敬称でした。
まあ敬意を持った言い方だったんですよね。
で、同様にお前っていうのも敬称だったんですよね。
なのに今では真逆もいいとこですよね。
逆にかなり相手を見下したような言い方になってしまっています。
で、こういう風に敬意がなくなっちゃうことを
専門的に敬意提言の法則と言います。
敬意提言の法則。
提言の提は何だろうな、いつ使う字なんだろう。
まあ言は減るなんですけど、
あの字面は概要欄でチェックしてみてください。
敬意提言の法則。
まあこういう風に繰り返しですけど、
敬意があった言い方だったものが、
まあだんだんそれが乱暴な言い方になっていると。
時々ありますね、こういうのね。
今ちょっと思い出したのが、
得てこうっていう言い方がありますよね。
まあこれも普通は使えないっていうか、相当きつい言い方ですけど、
去るのことですね。
で、去るのことを得てこうって言うわけですが、
この得てこうっていうのはどちらかというと、
いい意味で使われてて、
というのが、去るっていうのは、
まあ去っていくっていうことでね。
まあ商売でもなんでも、
ちょっと縁起が悪いということで、
去るの反対で、
得てですね。
得る、てと書いて得て。
それで得てこうっていう言い方だったんですが、
現代日本語では、
かなり悪いイメージを持った言い方になってますよね。
この敬意提言の法則は、
おそらくですけど、もともとこういうふうに、
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いい意味っていうかプラスのイメージだったものが、
かえってマイナスになりやすいんじゃないかなと思います。
なんというかね、意味的にニュートラルで、
いいイメージも悪いイメージもないようなものは、
別にそれ以上悪くなりようがないっていうか、
もともといいイメージや、
敬意のあったものの方が、
真逆の意味になりやすいという、
そういったことがもしかしたらあるかもしれません。
これは平たく言えば、
言語の意味変化の問題ですよね。
似たような変化は、
本来遠曲表現、つまり遠回しな言い方であったものが、
そのものを指すようになっちゃった、みたいなものがあります。
例えば英語で、棺、死んだ人を入れるあれ、
はカフィンって言いますけど、
これはもともと箱っていう意味だったらしいんですね。
棺っていう意味は本来なくて、
カフィンっていう箱っていう言い方を知ってたのが、
それ自体がもう棺を指すようになっちゃったということなんですね。
本来直接的な表現を避けるための表現だったものが、
まあそれが使われすぎて、
そのものを指す言葉になってしまっていると。
面白いのは、
くまを指す単語にこういったものがよく見られます。
これはね、ことだま思想みたいなのとちょっと関わってると思うんですよね。
くまっていうのを直接表現してしまうと、
くまが現れてしまうとか、引き寄せてしまうということで遠曲表現を使うと。
例えば英語でベアっていうのは、
もともと茶色いやつっていう意味なんですね。
くまっていう直接表現を避けて茶色いやつと呼んでいたのが、
今ではくまそのものを指していると。
これはロシア語も面白くてですね、
ロシア語でくまはメドベーチと言います。
でこれは由来としては、
はちみつを食べるやつなんですね。
ちなみにロシアの人名のメドベージェフっていうのは、
これと由来としては一緒です。
英語にしろロシア語にしろ、
直接的な表現を避けて茶色いやつとかはちみつ食うやつって呼んでたのが、
今ではくまそのものを指すようになってしまっています。
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こういうふうにことだま思想っていうのはいろんなところで見られるもので、
よく日本人とか日本語と結びつけられることもあるんですけど、
ちょっとそれは安易に結びつけないほうがいいと思います。
こういった遠距離表現ってことだま思想もそうですけどね、
タブーとすごく関わりがあってですね、
詩とかですね、さっきの質疑がそうですけど詩とか、
排説とか、あるいは性行為とかね、
こういったものは遠距離表現が使われやすいです。
で、やっぱり本来遠距離表現だったものが、
もう遠距離的な効果がなくなってるっていうことがよくあります。
日本語の弁助っていうのも、もともとは遠距離表現だったのが、
今ではかなり、どっちかというとマイナスなイメージですよね。
弁助っていうのはなかなかすっとは言えない表現ではないかと思います。
その弁助っていうのが遠距離的な効果がなくなったがゆえに、
例えば化粧室とかが出てきてるわけですよね。
おそらくですけど、この化粧室っていうのもそのうち遠距離的な力がなくなってですね、
トイレを直接指すような言葉になり、
それに変わる遠距離表現がそのうち出てくるんじゃないかと思います。
今回はね、言葉の意味変化の話ですけど、
意味変化っていうか、言語の変化っていうのは捉えどころがなくって、
母語話者とはね、全然関係ないとこで展開していく、発展していく、変化していくような気がするんですけど、
今回の話はかなり、話者の真理とね、結びついてますよね。
それもかなり後ろ向きなネガティブな真理と結びついています。
こういう表現をしちゃダメだとかね、
言っちゃダメだから代わりの表現を作るみたいに、
非常に後ろ向きな態度が言語を変化させていると言っていいと思います。
これは放送禁止用語とかもそうじゃないかなと思います。
そういった表現は失礼だとかね、差別用語だとか、
そういう認定をされるとですね、すぐ話者は新しい言い方を探すっていうことがよくあります。
なので言語変化っていうのは、こういうふうにネガティブな、
その心理的なね、態度が引き金になっていることもよくあります。
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やっぱりその共同体でね、暮らしていく上で言っちゃダメなことを言っちゃうっていうのは、
周りから白い目で見られたりとかね、仲間外れになったりするので、
非常に気を使うとこだからっていうふうに言えるんじゃないかなと思います。
ポジティブなそのメンタルがね、言語変化に影響することもあるかもしれないですけど、
どうなんですかね、なんかいいことがあったのを記念して、
今度からこのことをこういう呼び方にしようみたいになるのかな。
まあそういった前向きな姿勢よりは、さっき言ったように後ろ向きな姿勢の方が、
言語変化とはかなり密接に関わっているのではないかと思います。
ただですね、こういう言語の変化というか歴史っていうのは、
現代話されている言語の体系とは別個に考えるべきもので、
例えばベアーっていうのがね、茶色いやつを指すからといって、
白クマに使えないわけではない。
その歴史と現代の言語の体系っていうのは別個に考えるべきものです。
というわけで今回はここまでということで、また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
お会いでは4月15日でした。
またねー。