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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
この番組は言語学の話を要求する番組となっております。 いつも聞いてくださっている方、どうもありがとうございます。
今日初めて聞くぞっていう方はね、初めまして、ということで。 内容といたしましてはですね、
言語に関することだったら、大抵のことを話しているんじゃないかなと思うんですけどね。
まあそんなこともないかな。 やっぱり日本語が中心となってますかね。
なんか世界各国のこういう言語があって、こういう特徴があるみたいな話も、過去にやってないことはないんですけど、
まあそれよりかはね、馴染みがある日本語とか、 言っても英語とか、その辺の話をした方が
皆さんと付きやすいかなと思って。で、そこからさらにね、他の言語とかあるいは言語学の専門的なところの方にどんどんどんどんね、
皆さん興味を持っていただけたらと思っております。 日本語が多いと先ほど言いましたけど、
古典もね、割と話してるんじゃないかなと思いますね。 で、僕は国語は好きだったんですよ。その学校の教科として国語っていうのは。
ずっと好きで。 で、古典もまあ好きだったんですよね。
中学に入って、僕の場合はですけど、最初に習った古典の作品っていうのが、
タケトリ物語だったんですよね。 古典中か古文って言うんだっけ?まあどっちでもいいか。
タケトリ物語を最初に習って、で、そこからまあ 古文というか古典に触れていく時間がね、授業を通して増えていったと、こういうことになって
おります。まあ皆さんも似たような感じですよね、スタートはね。 で、ご存知のようにですね、タケトリ物語っていうのは
かぐや姫っていう名前で、むしろまあ現代の我々にはね、親しまれているわけでございます。
で、本日のトークはこのタケトリ物語の冒頭。 皆さんも暗唱させられたんじゃないでしょうか。
今は昔タケトリの沖縄というものありけり。 まあこの一文をね、ちょっと見て言語学的にどういう面白いことがあるかっていうのをね
やっていこうかなと思います。一文だけじゃきついかな、12分。どうですかね。 まあこの今は昔タケトリの沖縄というものありけり。
これを見るだけでもまあいろんなことがわかって面白いんですよね。 じゃあまずどっからいきましょうかね。
タケトリの沖縄というものの言うっていうのが、歴史的金遣いではイフと書きますよね。
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まあこれ中学でね、古文を習うと一番最初に言われるのが、この語中のハヒフヘホはワイウエオで読めと。
こういうのは歴史的金遣いだからまあそういうルールになってるっていうことで最初教わるんですよね。
ここも例に漏れずイフと書いてイウと読むってことなんですよね。 ただ戦後、歴史的金遣いから現代金遣いですか
にこう初期体系がね改訂されてですね まあ今ではイウっていうその発音通りに書くようになっているってことなんですけど
じゃあ昔の日本語で イフと言ってたのか
これはね、波行の音がこの語中で ハヒフヘホと言ってた
ことはないんですよね。そうではなくてむしろ ファフィフーフェフォっていうね唇を使って摩擦を出すような音だったと言われています。
でこのフだけは現代日本語でも唇を使って摩擦を起こしているんですけど ただ他の音はファフィフーフェフォっていう音は現代日本語では唇ではなくて
この喉の奥の方でね まあ専門摩擦音というふうに専門的には言うんですけどハとかヘとかもそうですね
別の箇所で摩擦を作っているんですけど昔の日本語ではファフィフーフェフォっていうね唇を使う音だったと
英語のFに近いと言えば近いですけど英語のFはあれは唇と 上唇と下の歯でファっていうね
あー違うなえっとすいません下唇と上の歯でファっていう音を作るということで 音としては相当近いんですけど
日本語の場合は歯ではなくて両唇でファっていう音だったと言われています これがねさらに遡るとですね
ファフィフーフェフォっていう音だったそうです なので今は昔のとこも今パ昔とか
言うものっていうのもイプモノみたいな発音だったと考えられています つまりこれどういうことかというとですね唇を使って
一旦閉じてそれを破裂させる音だったんですよね歯行って パピプペポっていう発音が
これが 唇閉じるのが甘くなってファフィフーフェフォとなっちゃったと
でその唇の閉じるのがさらに甘くなるとワイウエオっていう音になって なので
言うものとか今は昔のはとかは そういう語中の場合
はワイウエオっていう音になったということなんですよね なので歯行の音は楽して発音しよう発音しようとした結果
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パピプペポがファフィフーフェフォになってワイウエオになっちゃってるってこと なんですよね
歴史的金使いにはそれが多少残っていてイフモノとか書いているってことなんです けどただ現代金使いでは今は昔のはとか
あるいはどこどこ永遠の平みたいなものですね っていう部分的にしか観察されない残されていないということになっております
こういうふうに唇の緩めが起こって 完全に閉鎖してたのが摩擦っぽくなってさらに緩まって
日本語の場合だとワイウエオになったってことなんですけど 英語でも似たようなのはありますよね例えば
哲学っていうのはフィロソフィーって言いますけどこれは歴史的には ギリシャ語に由来してますけどこのフィロソフィーのフィっていう音は
続いてでは ph なんですよね その p の音がやっぱり弱まって
で唇と英語の場合は歯も使ってますけどフィっていう摩擦音になっているということで 日本語以外の言語でもそういう音平化ってあったんですよね
というわけでまず一点歴史的金使いからわかる 日本語の音の歴史ということですね
他にも最後のまあ最後ってこの一文のですね最後 竹取の大きなというものありけりこの蹴りもまあまあ面白いですね
これ皆さん覚えてらっしゃいますかね過去を表す助動詞って 木っていうのと蹴りっていうのがあったんですよねで蹴りの方が伝聞過去で木の方が
直接過去みたいな言い方を確かしたんじゃないかと思います ただ由来としては両方同じなんですよ
蹴りっていうのは木ありが縮まって蹴りになってるんですよね だから両方同じ木っていうのが
含まれているということになります で蹴りの方は何か英単の意味があるとか言いますよねであれは何でかっていうと
その状態があったってその過去の状態がある木あり まあそこから多分英単の意味が出てきたんだと思います
蹴りの方は なんだろうなその和歌とかそういうところでは多少まだ
残ってるかなーって感じですね 蹴りに限らずですかねそれはそういう
文語的な表現というのはね でこの木と蹴り
蹴りは木ありですけどこの木ってもともと何かっていうとこれは 来るっていう
まあ古語だと空ですけどその来るっていう動詞から来ているらしいんですね なのであり蹴りっていうのはすごい細かく分解すると
ある 送るそしてまたあるっていうのが出てくるってことですねあり蹴りっていうのは
なのでこの動詞と動詞の足し算 まああり聞いたとまさにあると来るの足し算ってことなんですよね
でその動詞の足し算からだんだん過去を表す専用の 標識となっていって木っていうのは過去になったと
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でそこから発生した木あり が蹴りでまたちょっと違った過去を表すようになったっていうことなんですよね
ただ現代日本語ではたっていうのがまあ過去を表す標識ですよね あったとかのたですね
でこれはまあ木とか蹴りは全然関係なくなっちゃっててこれは まあここでは足りにあたるものですでこの足りをさらに遡ると定ありから来るんです
よね だがありっていうのが割とね重要なんですよねここにおいてね
他にもですねこの一文で竹取の沖縄というものあり蹴りここですね というものあり蹴りでというものがとかというものはとか
そういうがとかはみたいなのはここで出てこないんですね ここではでこれはどういうことかというと主語を表すときは何にもつかなかったって
ことなんですよね ただ名詞をがーとかそういうのをつけずにポンと置くだけで主語っていうのを表して
たということです じゃあがっていうのはどっから湧いて出てきたんだって言うとですね
このがっていうのはもともと名詞を修飾するための標識だったんですよね これはまあ君がよとかですね
あるいは我が家とかそういったところに多少残っています じゃあなんでこの名詞を修飾するがっていうのが主語を表すようになっちゃったかっていう
話はですね 時間がなくなっちゃったので
過去のトークでやっておりますので他の関連トークもリンク先貼っておくので良ければ そちらも聞いていただけたらと思います
というわけでね今日は竹取物語の冒頭の一文を使ってですね まあ言語学的にこういう面白いことがあるというお話をいたしました
もし興味がある方は他の関連トークも聞いていただけたらと思います まあ少しでもね面白いと思った方はね
ぜひフォローしていただいて 過去のトークも聞いていただけたらと思います
というわけで今回はここまでということでまた次回お会いしましょう ごきげんよう