00:00
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の財人が遠投を申し渡されると、本人の親類が老屋敷へ呼び出されて、そこで戯言をすることを許された。
それから財人は高瀬舟に乗せられて、大阪へ回されることであった。それを護送するのは京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は財人の親類の中で、重たった一人を大阪まで同船させることを許す官令であった。
これは神へ通ったことではないが、いわゆる大目に見るのであった。黙拠であった。
当時遠投を申し渡された財人は、もちろん重い咎を犯した者と認められた人ではあるが、決して盗みをするために人を殺し火を放ったというような童惑な人物が多数を占めていたわけではない。
高瀬舟に乗る財人の下半は、いわゆる心得違いのために思わぬ咎を犯した人であった。
ありふれた例を挙げてみれば、当時愛大使といった上司をはかって、相手の女を殺して自分だけ生き残った男というような類である。
そういう財人を乗せて入合の金の鳴るところに漕ぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って鴨川を横切って下るのであった。
この船の中で財人とその親類の者とは夜通し身の上を語り合う。
いつもいつも悔やんでもかえらぬ繰りごとである。
御相の役をする同心は、そばでそれを聞いて、財人を出した親戚県賊の悲惨な境遇を細かに知ることができた。
所詮町武行の知らずで、表向きの公共を聞いたり、役所の机の上で口書きを読んだりする役人の夢にも伺うことのできぬ境遇である。
同心を務める人にもいろいろな性質があるから、この時ただうるさいと思って耳を覆いたく思う冷淡な同心があるかと思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、
役柄ゆえ景色には見せぬながら、無言のうちにひそかに胸を痛める同心もあった。
場合によって非常に悲惨な境遇に陥った財人とその親類等、特に心弱い涙もろい同心が再寮してゆくことになると、その同心は不覚の涙を禁じえぬのであった。
そこで高瀬船の御相は町部行書の同心仲間で、不快な職務として嫌われていた。
いつの頃であったか、たぶん江戸で白河楽王公が征兵をとっていた関西の頃ででもあっただろう。
03:03
千恩院の桜が入合の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない珍しい財人が高瀬船に乗せられた。
それは直喜助といって三十歳ばかりになる住所不上の男であり、もとより老屋敷に呼び出されるような親類はないので、船にもただ一人で乗った。
御相を命ぜられて一緒に船に乗り込んだ同心羽田勝兵衛は、ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。
さて老屋敷から桟橋まで連れて来る間、この痩せじ氏の色の青白い気づけの様子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公義の役人として敬って、何事につけても逆らわぬようにしている。
しかもそれが罪人の間に往々見受けるような恩順を装って献成にこびる態度ではない。
勝兵衛は不思議に思った。そして船に乗ってからも、単に役目の表で見張っているばかりでなく、絶えず喜助の挙動に細かい注意をしていた。
その日は暮れ方から風が止んで、空一面を覆った薄い雲が月の輪郭をかすませ、ようよう近寄ってくる夏の暖かさが、両岸の土からも川床の土からも、靄になって立ち上るかと思われるようであった。
下郷の町を離れて、鴨川を横切った頃からは、辺りがひっそりとして、ただ辺先に咲かれる水のささやきを聞くのみである。
夜船で寝ることは罪人にも許されているのに喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って光の増したり減したりする月を仰いで黙っている。
その額は晴れやかで目には微かな輝きがある。
勝兵衛はまともには見ているが、始終喜助の顔から目を離さずにいる。
そして不思議な不思議だと心の内で繰り返している。
それは喜助の顔が縦から見ても横から見てもいかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、口笛を吹き始めるとか鼻歌を歌いだすとかしそうに思われたからである。
勝兵衛は心の内に思った。
これまでこの高瀬船の裁量をしたことはいく度だか知れない。
しかし乗せて行く罪人はいつもほとんど同じように目も当てられぬ気の毒な様子をしていた。
それにこの男はどうしたのだろう。
輸産船にでも乗ったような顔をしている。
罪は弟を殺したのだそうだが、よしやその弟が悪いやつで、それをどんな行き係になって殺したにせよ、人の情としていい心持ちはせぬはずである。
06:00
この色の青い痩せた男が、その人の情というものが全く欠けているほどの、世にも稀な悪人であろうか。
どうもそうは思われない。
ひょっと気でも狂っているのではあるまいか。
いやいや、それにしては何一つ辻褄の合わぬ言葉や挙動がない。
この男はどうしたのだろう。
勝兵衛が為には気づけの態度が考えれば考えるほどわからなくなるのである。