1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2022-07-16 08:45

#460 と!ば!たら!なら! from Radiotalk

主要参考文献
『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』 (庵功雄ほか、スリーエーネットワーク)
『日本人のための日本語文法入門』 (原沢伊都夫、講談社)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
田岡もいちです。
今回は日本語の条件説っていうのをテーマにお話ししていこうと思います。
僕はね、この条件説というか、もっと言うと副文っていうのが結構苦手なんですよね。
一つの文が複数の文、より正確には説と言われるものから成り立つようなもので、
一般的にはその従属説と主説っていうものから成り立ってて、
そうなると必然的に考えなきゃいけないことが増えるんですよね。
そういった意味でもめんどくさいなと思うのと、
あとはね、僕の個人的には反省しづらいとこなんですよね。
母語っていうのは無意識に使いこなしているものなので、
言われて初めてああそういうことだったんだって気づくこともあれば、
言われてもピンとこないっていうものもあったりするんですよね。
僕の場合、副文っていうのが言われてもいまいちピンとこないなっていうことが多いです。
多いですけど、今回扱う条件説っていうのは面白いところがいっぱいあるので、
それをお話ししていくということにしようと思います。
今回扱う日本語の条件説の形として、
とうばあたらならというのがあるんですね。
食べると、食べれば、食べたら、食べるなら。
全部条件を表すっていう意味では共通してるし、
それぞれの形式を皆さんどういうふうに使い分けてるかっていうのは全く知らないと思います。
ただ形が違えば表す意味も当然変わってくるんですよね。
もし同じ意味を表してるんだったら、そんなにいくつも形があったって仕方がないので、
やっぱりそれぞれの形にそれぞれの役割っていうかね意味っていうのがございます。
まずとっていうのから見ると、これは反復的な因果関係を表すと言われています。
こういう条件だと、毎回こういうことになるみたいなことで、
春になると桜の花が咲く。
こういうのと非常にマッチするんですよね。
一方ばっていうのは、一般的な家庭条件を表すと言われています。
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雨が降れば遠足は中止だみたいに。
これは等だとちょっとおかしいんですね。雨が降ると遠足は中止だ。
やっぱりこれは毎回遠足が中止になるっていう反復的な意味を帯びてくると思います。
それに対してたらっていうのは、ばと比べて個別的な家庭条件を表すと言われています。
宝くじが当たったら家を買いたいみたいに。
より個別的な家庭を表すんですね。
こういうふうに等ばたらっていうのは表す意味が微妙に違うんですけど、
この中でも等っていうのが一番使用範囲が狭いです。
反復的な因果関係にしか使えなくて、春になると桜の花が咲く。
こういった時にしか使えないんですが、
同じ意味はばとたらでもカバーできるんですね。
春になれば桜の花が咲く。春になったら桜の花が咲く。
それと一般的家庭条件。雨が降れば遠足は中止だ。
こういったものはたらでも言うことができます。
雨が降ったら遠足は中止だ。言えるんですね。
ということはどういうことかっていうと、
使用範囲が一番狭いのは等で、次に狭いのがばで、一番広いのがたらっていうことで、
言い方を変えれば等が使えるところはばでもたらでも言えて、
ばが言えるところはたらでも言えるっていうふうに守備範囲が結構違うんですよね。
3つの中ではたらっていうのが最も守備範囲が広いです。
特に関西地方の方はこのたらっていうのを非常に多用するというふうに言われています。
結構個人差、地域差が大きく現れるとこだそうです。
以上、日本語の条件説の等ばたらをお話ししたんですが、
もう一つならっていうのもあるんですね。
これは今お話しした等ばたらと微妙に違って、
一つは形の面で違うんですね。
旅行に行くならとも言えるし、旅行に行ったならとも言えるということで、
このならの前の述語の形を変えることができるんですね。
この特徴は等ばたらにはないものです。
さらには、行くのならとか、行ったのならっていうふうにのっていうのが入ることもありますけど、
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いずれにせよ、行く、行ったみたいに述語の形を変えることができます。
その結果、条件説と主説の順番が入れ替えることができるんですね。
さっきの等ばたらの例だと、
春になると桜の花が咲く、雨が降れば遠足は中止だ、宝くじが当たったら家を買いたいっていうふうに、
必ずAと来たらBという順番しか許されないんですけど、
ならの場合は、確かに旅行に行ったんなら写真を見せてくださいっていうふうにA、Bの順番もありますけど、
旅行に行くなら下調べをしなさいみたいに、条件説と主説の順番が等ばたらと違って逆転することができるんですね。
そういった意味でならっていうのは特別です。
さらに言うと、このならの後に出てくる主説っていうのは話し手の判断とか態度っていうのを表します。
旅行に行くなら下調べをしなさいとか、そういう命令とか依頼っていうのもあるし、
君が行くなら僕も行くみたいに意思みたいな場合もあります。
まあこういった点でならっていうのは等ばたらとはちょっと違うんですね。
以上、日本語の条件説等ばたらならについて簡単にお話ししました。
ただまあ、母語話者にとってはね、この辺の使い分けっていうのは無意識にやってることなので、
まあいいんですけど、日本語学習者にとってはちょっとめんどくさいところかもしれません。
さっき言ったようにたらっていうのが一番使用範囲が広いので、迷ったらたらを使っておけばいいのかなっていう感じはしますよね。
もし皆さんが今後ね、日本語の条件説の説明を迫られた場合は、今回のお話をね参考にしていただけたらと思います。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ぜひ番組フォローもお願いいたします。
ではまた次回お会いいたしましょう。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー。
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