1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #438 絶対的な時間と相対的な..
2022-04-30 10:27

#438 絶対的な時間と相対的な時間(テンス) from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/589633

主要参考文献
『日本語のアスペクト・テンス・ムード体系』 (工藤真由美、ひつじ書房)

Twitter▶︎https://bit.ly/3Gu2SNW
Instagram▶︎https://bit.ly/3oxGTiK
LINEオープンチャット▶︎https://bit.ly/3rzB6eJ
オリジナルグッズ▶︎https://bit.ly/3GyrvsL
おたより▶︎https://bit.ly/33brsWk
BGM: MusMus▶︎http://musmus.main.jp/

#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:05
始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。パラソル編米です。
今回お便りいただいてますんで、そちらお答えしていこうと思います。
KJさんからいただきました。ギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
志賀さんこんにちは。日本語面白いですね。
そうですね。
過去に配信されているかはわかりませんが、旅館に泊まっていた時地震があったと、旅館に泊まっている時地震があった。何か違いはありますか?というお便りです。
KJさんどうもありがとうございます。
これは前回のエピソードで、こういう風に旅館に泊まっていた時みたいにているっていう形を使うと、同時性を表すんですよね。
つまり、泊まっているっていうことと地震があるっていうことが同時に起こったことを表すと。
一方、泊まるとか泊まったっていうような、するしたっていう形を使うと、景気性って言ってその出来事が連続して起こったようなことを表すと。
例えば、旅館に泊まった、翌朝山に登ったみたいなね、そういう言い方をすると、旅館に泊まるということと山に登るということが連続して起こっていることを表すと。
そういうお話を前回したんですよね。
で、それに関連するお便りで、もう一回言っておきますね。
旅館に泊まっていた時地震があったと旅館に泊まっている時地震があった。
つまり、泊まっていた時と泊まっている時で、いわゆる過去形と現在形みたいに形がなってるわけですよね。
これはなかなか面白い指摘だと思います。
で、端的に言えば違いはないんじゃないかなと思います。
泊まっていた、泊まっている、この場合は過去形でも現在形でもそんなに意味の違いは出ないと思います。
前回のエピソードの話はアスペクトって言われるね、専門的にはそういう分野の話だったんですけど、
今回は点数というね、日本語だと時勢と言われるものですが、その辺の話をやっていこうと思います。
03:07
日本語の点数っていうのは相対点数であるっていうふうに言われます。
相対点数があるっていうことは絶対点数というのがあるんですけど、どういうことかというと、
文の途中に動詞が出てきた時、
例えば、泊まっていた時とか泊まっている時みたいに、
いわゆる従属説の動詞の時勢、つまり現在だか過去だかとか、そういったことっていうのは最後の動詞によって決定されるというふうに考えられるんですね。
例えば、帰国する時泣いてしまったといった場合、
帰国するっていうふうに、するっていう形が使われている過去形じゃないわけですけど、
この文の発話時点では帰国し終わってますよね、つまり過去の出来事だけど帰国するという言い方になっています。
で、これは泣いてしまったっていう主説の方の動詞が過去形なので、途中に出てくる動詞も含めて過去の出来事だっていうことになっています。
一方、帰国した時泣いてしまったっていう言い方もできます。
で、この2つ、つまり帰国する時泣いてしまったっていうのと、帰国した時泣いてしまったっていうのは、
意味が違うっていうのは日本語母語話者だとすぐわかると思うんですね。
帰国する時泣いてしまっただったら、海外の空港で見送ってくれたとかね、そういう状況が思い浮かぶと思います。
つまり泣いた時点ではまだ日本に着いていません。
一方、帰国した時泣いてしまったというと、日本に着いてから泣いたっていうふうに解釈されると思います。
こういうふうに従属説のするとかしたっていう形は、最後に出てくる動詞に対してその前後関係を表しているということになります。
するっていう形を使うと、その主説の動詞、この場合だと泣くっていう動作よりも後に起こっているということを表して、
したっていう形を使うと、主説の動詞よりも先に起こったというふうに解釈されるんですね。
つまり従属説に出てくる動詞のするとかしたっていう形は、発話時点における現在過去とかを表しているんじゃなくて、
06:07
最後に出てくる動詞の前か後かっていうことを表すっていうことで、そういった意味で相対点数という言い方をされるんですね。
これについては関連エピソードがあるので合わせて聞いていただけたらと思います。
英語なんかはあんまりこういうことはないんじゃないかなと思います。
過去の出来事だったら、従属説だろうがなんだろうが一貫して過去形にするんじゃないかなと思います。
さてここでお便りに戻ってですね、旅館に泊まっていた時地震があった、旅館に泊まっている時地震があった、
ここもしたとするっていうのがどちらも言えるっていうことなんですけど、
こういうふうに同時性を表す場合は、日本語でも絶対点数が観察されるんですね。
さっきの帰国する時、帰国した時っていうのは、
同時じゃなくて契機ですよね。
出来事が順番に起こっていくっていうことだったんですけど、
しているしていたっていうのは同時性を表して、
この場合は相対点数で旅館に泊まっている時地震があったというふうにね、いうこともできるし、
絶対点数でつまり従属説の中も過去の出来事だからということで過去形にして、
旅館に泊まっていた時地震があったというふうに言ってもいいんですね。
まあある意味過去の出来事だから全部過去形にするっていう絶対点数を使っているので、
英語的な表現ということもできるかもしれません。
ただ繰り返しになりますけど、こういう絶対点数が観察されるのは同時性の時だけで、契機の場合はダメなんですよね。
で時っていうのはね、主説の動詞に対する前でも後でもどちらでも表すことができるんですけど、
まさにね、前とか後っていうのを使うとこの辺の違いがかなり出てくるんですね。
さっきと同じように考えると帰国する前に泣いてしまったと帰国した後に泣いてしまった。
こういうふうに前にっていうものの前にはするっていう形しか出てこれなくて、
だからした前にとか言えないんですよね。で逆に後にっていうものの前にはしたっていう形しか出てこれません。
する後にとかは言えないということになっています。でこれも繰り返しですけど、
09:02
この前にとか後にの前に出てきているするとかしたっていう形は、
発話時を基準にした現在や過去を表しているわけじゃなくて、主説に対して前か後かというのを表してるんですね。
こういうふうに日本語は相対点数を巧みに使う言語なんですけど、
しているしていたっていうね、その同時性を表すときには絶対点数も許されるというね、そういうお話でした。
同じような例はね、例えば京都に滞在している間ずっと雨だったとも言えるし、
京都に滞在していた間ずっと雨だったっていう風に絶対点数を使っても意味は変わらないんですね。
この辺が日本語の面白いとこだなと思います。
というわけで今回のお話はここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ぜひ関連エピソードと前回のエピソードもね、合わせて聞いていただけたらより理解が深まるんじゃないかなと思います。
それではまた次回お会いいたしましょう。お相手はしがじゅうごでした。
またねー。
10:27

コメント

スクロール