日本語の動詞の区別
日本語の動詞には、「非過去」と「過去」の区別があります。
「食べる」みたいなのが「非過去形」、「食べた」の方が「過去形」で、
「食べる」の方は「現在形」じゃないかと思われるかもしれませんが、
言語学では、「非過去」という言い方をするんですね。過去ではない、non-past という言い方をします。
というのが、「食べる」とか、「る」以外にも、「読む」とか、「書く」とか、
いわゆる終止形の形は、確かに現在を表すこともあるんですけど、
未来を表すことも多いんですよね。 明日食べるとか、
来週書くとか、 もちろん現在を表すこともあります。
特に存在動詞、いるあるみたいなのは、 本棚に本があるとかは、その終止形で現在を表しています。
いわゆる普通の動詞でも、毎日食べるとか、 習慣的な意味を表すことがあって、それを現在というかどうかは別にして、
このようにですね、いわゆる終止形、辞書に載っている形、 「食べる」の「る」が出てくる形っていうのは、
現在も未来もそれなりに表しますので、非過去形という言い方をするんですね。
で、他の方は過去形と、大雑把にそのように言われるんですが、 一概にそうとも言えないっていうのがね、今日のお話です。
従属説の考察
特に、 従属説、文の中に文が入っているような、そういった場合に、
この過去とか未来とか現在とか、いわゆる時勢、点数というのが、 日本語ではちょっとよく考えるとおかしなことになります。
BGMです。 始まりました4月15日のツボ、超エキサイティングバトルドームです。
従属説っていうのはいくつか種類がありますが、 まずは副詞説から考えていこうと思います。
副詞説だ、なんだーとかね、 専門用語でめんどくさいなーっていう感じですが、
ちょっと例をね、挙げて考えていこうと思います。 例えばこのような例です。
家を出る時、電話がかかってきた。 当然これは日本語として自然で、皆さん何の違和感もね、
日本語母語話であれば、何の違和感も覚えないと思います。
思いますが、家を出る時電話がかかってきた。 電話がかかってきたのは過去ですよね。
だからかかってきたという言い方をしているわけですけど、 だったら家を出る時っていう、この家を出るっていうのも過去形じゃないと、
おかしいんじゃないかという気がします。 家を出た時電話がかかってきた。
当然この言い方も日本語では許容されますが、 家を出る時電話がかかってきたと、
家を出た時電話がかかってきたでは、 意味が違いますよね。
家を出る時という時は、家はまだ出ていませんよね。 それに対して、家を出た時電話がかかってきた、
両方ターのつく、過去形にした場合は、 もうドアを開けて家を出てしまっています。
ですので意味が変わってくるんですね。 このようにですね、日本語の従属説あるいは副文、
いくつかの文が組み合わさって一つの文になっているような構造では、 その自体が
過去だからといって、一括で全部過去形にしちゃおうというわけにはいかないんですね。 ここがなかなか面白いところで、専門的には
こういった現象を相対点数と言います。 相対ってことは絶対ではないってことですけど、
相対っていうのは何に対して相対かというと、この場合は 家を出るっていうのと電話がかかるっていうこの2つの事態の
相対的な時間関係ということですね。 つまり、
家を出る時電話がかかってきたといった場合は、電話がかかる方が先で、家を出る方が後だということですね。
そういった場合は非過去形が使われて、家を出る時と言います。
逆に、家を出てから電話がかかるっていう、そういう順番の場合は両方過去形が使われるということです。
今のは、事態としては過去なんだけど 非過去形が使われている。
つまり、家を出る時っていう言い方になっているという例でしたが、逆に事態としては非過去なんだけど、
もっと言うと未来なんだけど、 従属説で過去形が使われているという例もあります。
今の逆っていうことですが、これもちょっと例を挙げて考えてみると、 次にドアを開けた人に渡しましょう、みたいな例です。
次にドアを開けた人に渡しましょう。 何を渡すかは置いといて、
渡すという動作はまだ起こっていないので、これは未来です。 渡しましょうという提案みたいになっています。
ですので、事態全体としては非過去の話をしているんですが、 ドアを開けた人というふうに、ここで開けたというふうに過去形が使われています。
この場合の従属説は連体説というか関係説で、 さっきの副詞説とはタイプが違いますが、同じ従属説という、従属説の一種です。
ここでもさっきと同じような説明ができて、 要は相対的な時間関係なので、
ドアを開けるという動作と渡すという動作が、 前者の方が早いので、先行するので、ドアを開けた人というふうにここで過去形が使われるんですね。
さっきと同様に、次ドアを開ける人に渡しましょうということがもうできますけど、 その場合はドアをまだ開けてはいないという解釈になります。
つまり渡すという動作の方が先行することになりますよね。
相対点数の説明
家を出るとき、電話がかかってきた。 次ドアを開けた人に渡しましょう。
これらの例からわかることは、 事態が過去だったらもう過去形にしましょう。
非過去だったら非過去形にしましょうという、 その一括で全部形を揃えましょうということではなくて、
その事態の中の複数の動作の相対的な時間関係に合わせて、 相対的に非過去形とか過去形というのが決まってくるということです。
過去形の他というのは、過去ではなくて完了を表しているという説もあります。
他自体に複数の機能があって、確かに過去を表すこともあるけど、 完了を表すこともあるというような説があって、
確かに歴史的にも過去形の他というのは助動詞の他理に由来するので、 これは完了の助動詞なので、
他は完了を表すというのはそれなりに筋は通っているんですよね。
この相対点数の説明の仕方として、 その話者の視点が時間軸上で移動してるんだっていうね、 そういう説明の仕方もあります。
点数っていうのは普通、発話時が基準点となるんですよね。 発話時を基準に、
発話時と一緒だったら現在で、前だったら過去、 後だったら未来というふうに振り分けているわけですよね。
そういう発話時基準の点数の考え方だと、 家を出るとき電話がかかってきたみたいなものがうまく説明できないんですよね。
繰り返しですけど、家を出るっていうのは過去の時代なのに非過去形が使われていると。
これは発話時が基準になっているからちょっと妙なのであって、 発話時が基準になっているんじゃなくて、
話者の視点が、ワープじゃないですけど移動して、 つまりこの場合だと
時間軸上に、まず電話がかかるというのがあって、 その後話者の視点があって、
未来に家を出るという事態が3つ並んでいると。
そういうふうに考えれば、家を出るとき電話がかかってきたっていう このルートターの使い分けもすんなり説明できるんですね。
数学みたいに数直線とか書けばわかると思うんですけど、
発話時の視点からそれぞれの動作をそれぞれ過去として見てるんではなくて、
その事態の中に話者がありめ入り込んじゃって、 その中で非過去形とか過去形を使い分けているということですね。
なかなか面白い説明の仕方ですよね。 ただよくよく考えると結構めんどくさいことをやってます。
過去なんだから、全部過去にしてしまった方がある意味楽ですよね。
この辺は英語と違って、英語はむしろ時勢の一致みたいなのが要求されるので、
日本語で、彼は怒っていると思った。 これは全然平気なんですけど、英語だったら
I thought he was angry っていうふうに、 be 動詞も was にしなきゃいけないんですよね。
これはこれで理にかなってるというか、 もう過去の話なんだから、過去形にしちゃいましょうっていうことですよね。
英語の話はひとまず置いといて、今日の話は相対点数ですね。 日本語の相対点数についてのお話でございました。
過去に似たような話をしているものがあるので、 ぜひそちらもあわせて聞いていただけたらと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。 番組フォローも忘れずよろしくお願いいたします。
お相手はシガジュウゴでした。
またねー。