言語学と仏教の思想
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。北風小僧のかんたろうです。
以前のエピソード、シャープ711とシャープ712で、言語学と仏教っていうのが思想としては近いようなところがあるというか、似ているところがあるっていうようなお話をしました。
簡単に言えば、生の世界っていうのは本当はカオスで、言語がそれを切り分けているんだ。
言語以前に何か物事があるのではなくて、名付けることによって世界を分裂しているんだっていうのが、言語学と仏教の共通しているとこだみたいなお話をしました。
詳しい話はそっちを聞いていただけたらと思うんですが、
その中で、具体的にはシャープ712の中で、こんなことを僕は言っております。
BGM一旦止まれい。
こういうふうに考えると、言語がもしなかったとしたら、何もかも一緒くたになっちゃうというか、境界がない、区切りがない世界になってしまうんじゃないかという気もしてきます。
混沌というかカオスということですが、これは仏教でもそういう考え方はおそらくあるし、
中国だと宗師とかね、老師と言われる人たちがそのような考え方をしていました。
BGMかかれい。
今聞いていただいたようにですね、仏教だけではなくて、中国の老師や宗師も似たような思想を持っていたそうです。
これについてね、僕はちょっと勉強しました。軽くですけどね。調べてみました。
老師も宗師も共通しているのは無為自然とかね、無知無欲とか、自然が一番っていうかね、この自然という単語の使い方もね、いろいろあると思うんですが、いずれにせよありのままっていうのを前面に押し出しているような思想です。
この老師と宗師の思想を合わせて老宗思想と言われることがあって、後に道教というのにつながっていきます。
ただ、老師にしろ宗師にしろ、彼らが道教というのを打ち立てたわけではないです。
後にね、そこが結びつけられたっていう歴史的な経緯はあるんですが、いずれにせよ老師と宗師は思想的にはすごく似ているようです。
違うところといえば、老師の方がやや政治の問題に関心があって、宗師の方は人生哲学的な、人生をどうやって生きたらいいかっていうようなところに重点が置かれていたようです。
特に老師の方は孔子に対する、つまり儒教に対するアンチテーゼみたいなところがあるという考え方もあるそうです。
その老師・宗師の思想が言語学にどう通じているか、あるいは仏教とどう似ているかというとですね、
宗師の方だと万物正道という思想があります。
すべてのものが一緒だということで、これは四季促絶句とかなり近いようなところがあるんじゃないかなと思います。
万物正道。この世のものはすべて同じだっていうかね。要は対立の世界でしか我々は物事を認識していません。相対的な世界です。言語学でもそのように考えます。
例えば今日、todayという単語は、今日使っているから今日なのであって、明日にとっての今日は昨日であるし、昨日にとっての今日は明日なんですよね。
そういうふうに時間的に位置づけられた相対的な関係の中で決まってきます。
あるいは、あなたとか私っていうのもそうで、私は私が私って言ってるから私ですけど、あなたが私って言ったときに、あなたにとって私は私ですけど、私にとってあなたはあなたであって私ではないとかね。
ヘリクスに聞こえるかもしれませんが、そういうふうに言語っていうのは相対的で、その場面によって意味、機能が差すものが変わるっていうのはよくあることだし、
こういうことを突き詰めれば、美しいとは何か、醜いとは何か、良いとは何か、悪いとは何か、当然こういうのはより哲学的になってますけど、人間が定めているものです。
そういう対立を取っ払ったのが、創始のいう万物制度ということで、生と死とかもそうですよね。
生きてるっていうことに対して死があるのであって、死に対立して生というのがあります。
どっちがなくなったら、そういうのがなくなっちゃうというわけですが、このような段階になってくるとかなり人生哲学的ですよね。
こういった老子や創始の思想っていうのは、老僧思想っていうのは、さっきもちょっと言いましたけど仏教とかなり近いものがあります。
仏教でいうところの空っていうのは、老僧の無っていうのとかなり似通ってるんですよね。
実際仏教が中国に入ってきたときに、老僧思想を通じて仏教の用語っていうのが理解されていたという、そういった時代もありました。
中国の思想と仏教の受容
そういった仏教を格義仏教と言います。
ある意味仏教の思想とか用語っていうのを老僧思想にとっかえて、それで理解していたということです。
それだけ両者が似ていたということです。
実際漢が、特に五漢ですけど、漢が滅んだ後は老僧思想っていうのが力をつけてきたんですよね。
漢っていうのは儒教を重んじていた国家で、ある意味その反動で老僧思想っていうのが広まっていました。
さっき言ったように格義仏教という形で、中国は異国の宗教ですよね。仏教を受け入れたわけですが、
その後、熊羅寿なんかが仏典を翻訳して、より直接的に老僧を介さずに仏教を受け入れることになるんですが、
この中国が仏教を受け入れるその過程っていうのもなかなか面白くて、
もともと中国側としては、特に漢の時代の中国は仏教を受け入れるのにそんな乗り気ではなかったようです。
それは一つは、儒教という確立された宗教が、これを宗教と見るかどうかは議論あるかもしれませんが、
政治を主導するための儒教というものがすでにあったので、仏教を特に受け入れなくてもよかったんですよね。
儒教っていうのは政治に関わるものなので、国をどうやって運営していくかっていうようなね、
そういったことに関心があったので、人はどうやって生きていくべきかみたいな、
そういった哲学的な方面には関心がなかったというのが一つあります。
もう一つは中華思想というのがあって、自分たちが中心で、その周辺民族っていうのは異的であると、
そういう異的の宗教である仏教を受け入れることへの抵抗感というのがあったようです。
今お話ししたこの2つの障害っていうのが、五感が滅んでから取り除かれて、
官僚中心だった官の国家からより貴族が中心となるような国家へと変わっていって、
義親南北朝時代という時代ですが、そうなるとより実践的な儒教を離れて、文学芸術哲学宗教みたいな方に傾いていったと。
さらにもう一つ、義親南北朝の秦ですねが、中国の北半分を北方の異民族に奪われるということがありました。
これを栄華の乱と言って、秦は南に逃げて、東秦という、南だけど東と書いて東秦という王朝を再建したんですが、
中国の北半分はその異敵の領土となってしまったんですね。
その異敵、異民族が中国の北半分を支配した時から、だんだん仏教も受け入れられるようになり、
それがもともとあった老僧思想と結びつきというようなね、それで儒教、道教、仏教と中国の思想の流れというのが出来上がっていったということです。
現代言語学との関係
いずれにせよ、老僧思想というのは仏教と相通じるところがあり、さらにそれは現代の言語学的な見方とも似ているところがあるんじゃないかなと。
そういったお話でございました。
過去の関連エピソードもぜひ聞いていただけたらと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
またねー。