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BGM、かかれい。始まりました志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。スティーブン・スピルバーグです。
本日のテーマは、ムードとモダリティ。これでやっていこうと思います。
ムード。ムードがあるとかね、そういう風な使われ方もすることありますが、ムードにしろモダリティにしろ言語学の用語なんですよね。
このムードとモダリティというのが同じものを指しているのか、別個のものなのか、これが研究者によって結構使い方が異なるので、一旦その辺を整理しておこうというような試みになっております。
まずモダリティから話そうと思いますけど、このモダリティというのも、日本語の研究とそれ以外とでちょっと違うなという感じがするんですよね。
特に日本語の研究において、モダリティっていうのはムードと言われることもあるんですね。
なのでムードとモダリティというのは、日本語の研究においては同一のものを指しているということがよくあります。
ここで言うモダリティないしムードっていうのは、和社の親的態度、命題に対する和社の主観的態度とよく言われます。
文というか発話っていうのは、命題だけではなくて、和社の親的態度っていうのも含まれていると考えるんですね。
よく例に挙げられるというか、過去のエピソードでも似たような話をしているので、その日本語のモダリティについてですね。
ですのでそちらも併せて聞いていただけたらと思いますが、多分似たようなことを言っています。
例えば、雨が降るらしいねと言った場合、雨が降るというのが、これが命題です。ある意味客観的な事実みたいなもので、
その後にらしいねと来るのが、これがモダリティだということです。
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さらにこのらしいとねっていうふうに分けることができて、らしいの方は命題に対する和社の親的な態度を表している。
対事的ムードということがあります。対事っていうのは対することですね。対事的ムード、命題に対する和社の態度。
それに対してらしいの後に現れてるねっていうのは、これも和社の親的態度ですが、命題に対する態度ではなくて、聞き手に対する態度ということで、こちらは対人的ムードということもあります。
なので、雨が降るらしいねと言った場合、雨が降るという命題、その後に対事的モダリティ、その後に対人的モダリティ。
日本語のその順番としてはこの順番で出てくると言われてるんですね。
特にその術語の構成順ですね。対人的モダリティの方がより外側に現れるということで、
らしいのような対事的モダリティっていうのは他に、雨が降るそうだとか、雨が降るみたいだとか、こういったものがあるわけですが、
こういったものは命題に対する和社の親的態度で対事的モダリティで、ねとか、あるいはよとか、
こういう一般に衆女子と言われるものは聞き手に対する対人的モダリティです。
で、これらがムードと言われることもあって、それだと対事的ムード、対人的ムードということもあるんですね。
さて、日本語ではこのようにモダリティとムードっていうのは和社の親的態度ということで、
同一のものを指している2つの用語って感じなんですが、このムードとモダリティというのを厳密に区別することもあります。
そういった場合、ムードというのはよく文法的範疇であると言われます。
それに対してモダリティっていうのは意味論的な範疇であると言われるんですね。文法的範疇、あるいは文法範疇。
まあ、こう言われてもよくわかんないと思いますが、文法範疇といったときに典型的には屈折で表されるようなもののことをムードと呼ぶんですね。
ここで屈折というのもまた言語学の用語ですけど、要は活用ですね、活用。
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動詞の変化形と言ってもいいと思いますが、それで義務的に必ず表されなければいけない形のことをムードと言います。
ヨーロッパの言語だとこういったものがあって、直接法とか接続法とか、あるいは命令法とか寄給法と言われるものがあったりもします。
寄給っていうのは希望の起因に求めるですが、いろいろこのなんとか法っていうのがあって、この法のことをムードと言います。
直接法だとインディカティブムードで、接続法だとサブジャンクティブムードとか言ったりします。
ヨーロッパの言語だと直接法は現実のことを表して、接続法は非現実のことを表すっていう風に、この現実非現実の対立を特に指してムードということもあるんですよね。
なのでこういう風に、ムードとモダリティだけじゃなくて、ムードの中身、モダリティの中身も結構研究者とか派閥によってまちまちなんですよね。
学校で習う英語、英文法でも家庭法というのがありますけど、あれ法ってついてますからあれもムードなんですよね。
なので英語にも法というのがあって、英語の家庭法っていうのは動詞の形も変わりますけど、というよりは助動詞の助けを借りて、ある意味その現実非現実、この場合非現実ですけどの事態をこう表していると言えるんですよね。
なので英語のムードっていうのは、ある意味典型的ではないっていうかね、動詞の活用ではないので、それに対して日本語っていうのは活用があって、例えば書くに対して書けって言えばこれ命令で、書こうってなったら意思とか勧誘みたいなことになるわけですけど、
これはまさに動詞の活用で非現実の事態を表しているとも言えるので、美容によっては日本語にもムードはあると言えるかもしれません。
ただし日本語でムードと言った場合は、普通はモダリティと同じような使われ方をして、つまり話者の親的態度を表すものなので、らしいとかね、あるいはねとかよとかそういった終助詞のことをムードということの方が印象としては多いかなと思います。
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ラテン語とかね、そういう古典語には直接法とか接続法とかそういう法っていうのがあって、動詞の変化形としてそういうのがあるんですよね。
まあそういったことでムードって言った場合はあくまで形の話で、モダリティっていうのは意味的な話をしているっていうような区別があるんですが、繰り返しですけどこの2つをあまり区別せずにね使っているということもよくあるんですよね。
ではヨーロッパの言語ではムードっていうのは使うけどモダリティっていうのは使わないかというとそうではないです。モダリティっていうのは例えば英語の研究でも使われてます。
それは助動詞が表す意味で、例えばmayっていうのはかもしれないっていうその事態に対する確からしさみたいなのを表すこともあるし、何々しても良いっていう許可を表すこともありますよね。
特に英語ですかね、ではモダリティといった場合この助動詞の研究のことを指して英語の助動詞にはこういう2つの側面を持っているものがたくさんあります。
今言ったmayもそうだしcanとかmustとか。mustはしなければならないっていう義務も表せば、はずだみたいなその事態の確からしさを表すこともあって、それを研究するのが英語で言うモダリティです。
で、これはさっきの日本語の対時的対人的モダリティとはかぶる部分もあるけどまた微妙に違うかなということで、今回のテーマのムードとモダリティっていうのは用語がね、その使われ方っていうのが統一されてるとはちょっと言えないし、それぞれの言語の研究で使われ方も違うんですよね。
というわけで今回はやや込み入ったというかね、専門的っちゃ専門的な話でした。ある意味メタ的な話でしたけど、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー。