1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #458 母には二回会うけど、父..
2022-07-09 09:53

#458 母には二回会うけど、父には一回も会わないものってな〜んだ? from Radiotalk

主要参考文献
『日本語要説』 (工藤浩ほか、ひつじ書房)

Twitter▶︎https://twitter.com/sigajugo
Instagram▶︎https://bit.ly/3oxGTiK
LINEオープンチャット▶︎https://bit.ly/3rzB6eJ
オリジナルグッズ▶︎https://suzuri.jp/sigajugo
おたより▶︎https://bit.ly/33brsWk
BGM・効果音: MusMus▶︎http://musmus.main.jp/

#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:06
始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
ペパーミントパティです。
今回は、謎々から始めようと思います。
タイトルがね、まさにその謎々なんですが、
母には二回会うけど、父とは一度も会わないものってな〜んだ。
もしよかったらね、みなさん一度停止ボタンを押して考えてみていただいてもいいんですけど、
これはね、考えたからといって分かる謎々じゃないんですね。
というか、現代人にはね、通用しない謎々なんですね。
実はこの謎々は、室町時代の謎々で、
日本最古の謎々の一つと言われています。
原文は、母には二度、再び会いたれども、父には一度も会わずということになってるんですね。
ま、いっか。答え言っちゃうか。
この答えは唇なんですね。
母には二回会うけど、父には一度も会わないものは唇。
ま、なんのこっちゃっていう感じだと思うんですけど、
ま、当時のね、日本語母語話者だったら、
あ〜なるほどね〜となってると思います。
これは日本語史上かなり重要な謎々で、
ま、こういう風にね、文字資料が残ってるっていうのは非常にありがたいっていうかね、
その日本語の歴史を知る上でかなり重要なんですよね。
どういうことかというと、
これは母っていうこの単語の発音が、
唇を二回使う発音だったということを表してるんですね。
具体的に言うと、ファファというような、
唇、両唇で摩擦を作るような音だったと、
その証拠であるっていう風に考えられてるんですね。
一方、父っていうのは唇を使わないので、
一度も会わないということになります。
どうでもいいけど、もしこの問題というか謎々が英語圏にあったとしたら、
パパもママも唇を使うからな、両方二回ずつ会うっていうことですね。
03:00
この謎々自体は室町時代のものなんですけど、
平安時代、源氏物語とかあの辺の日本語の派行の発音も、
すでにファフィフフェフォという発音だったと考えられています。
まあ現代日本語はファフィフフェフォっていう風に、
フっていう発音だけ両唇の摩擦音なんですけど、
平安時代あるいは室町時代の派行の発音は、
すべて両唇を使うファフィフフェフォという発音だったと。
だからこそ先ほどの謎々が成立してたんですよね。
実はこの謎々以外にも、日本語の派行の音が、
ファフィフフェフォっていうFに近いような音だったっていうことを示すものがあって、
それはキリシタン資料と言われるものです。
日本にも宣教師がやってきて布教に勤めたわけですけど、
そういった人たちが、当時の日本語の形っていうのを記録してるんですね。
でそれを見ると、春とか人っていう単語が、
FARUとかFITOっていう風に派行の音をFで書き表してるんですね。
まあこのことからも、当時の日本語の派行の音は、
唇を使う摩擦音であったっていう風に考えられています。
この派行の音は、さらに古い時代になると、
ファフィフフェフォっていうPの音だったと考えられているんですね。
残念ながらこのことを示す文字資料っていうのはないんですけど、
理屈で考えるとそうであったと考えられています。
なんでかっていうと、声音と濁音っていうのを比べたときに、
例えばね、カっていう音とガっていう音を比べたときに、
これは発音する位置は同じなんですね。
上あごの奥の方というか、
専門的には南郊外と言われるとこで発音しています。
あるいはタとダっていうのも、
同じ歯茎を使う歯茎音と言われるものです。
ただ、現代日本語のハとバっていうのを比べると、
全然違うんですよね。
ハっていうのは一番喉の奥の正門というとこを摩擦させる音で、
一方、バっていうのは両唇を使う破裂音なんですね。
こういうふうに考えると、
06:02
その言語の対照性っていうかな、体系的に考えると、
美しいのは南郊外の声音と濁音カガ、
歯茎の声音と濁音タダと同じように、
両唇の声音と濁音パーバ、
こういうふうなペアになった方が美しいんですね。
なのでこの歯茎の歴史っていうのは、
もともとパーという両唇を使う破裂音で、
それからファーという両唇を使う摩擦音になって、
つまり唇を閉じなくなったっていうことですね。
現代語の段階になると、
さらにもう唇を使うことすらなくなって、
専門摩擦音、ハーという音になったということです。
他にも沖縄で話されている琉球の言語の中には、
花のことをパナと言ったり、
人のことをピトゥと言ったり、
こういうふうにいわゆる共通語の歯行の音が、
パピプペポの音に対応しているものがあるんですね。
つまり琉球のそういった言語では、
パーがファーになって、
ハーになるっていうような音変化は起こらなかったと、
そういうふうに考えられています。
こういうふうに現代日本語の歯行っていうのは、
割と波乱の歴史を歩んできたんですね。
結構大がかりな変化と言えるかもしれません。
もう一つ歯行音には、歯行転向音と言われる現象があったんですね。
これは我々も古文で習った歴史的仮名遣いで、
アハレと書いてアワレと読みなさいとか、
イフと書いてイウと読むみたいに、
その語中語尾っていうんですかね。
単語の頭以外の歯行の音は、
ワイウエオの音になるっていうアレですね。
現代日本語では主題を表す俺はの助詞はですね、
あるいは方向を表すどこどこへのえみたいに、
かなり化石的に残っているだけですけど、
もともとはあれも、
昔はファフィフフェフォっていう唇を使う摩擦音だったんですね。
ただ、語中や語尾に来るっていうことは、
必然的に母音に挟まれることになります。
日本語の発音上そういうことになるんですよね。
母音っていうのは有声音って言って、
09:02
声帯を震えさせる発音なんですが、
ファフィフフェフォっていう音は、
声帯の振動を一回止めなきゃいけないんですね。
それが面倒だからっていうことで、
声帯を震えさせたまんま発音することで、
あわれとか言うっていうような発音になりました。
で、現代日本語ではもう発音にも書き言葉にも、
そういったことは残っていないということになっています。
というわけで今回は、
波行の歴史ということでお話ししました。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
お相手は志賀十五でした。
またねー。
09:53

コメント

スクロール