1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2022-03-12 09:38

#424 言語の柔軟性(慣用表現) from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

00:05
キリンです。今回はお便りを頂いているので、そちらをご紹介したいと思います。
こちら、mctabさんから頂きました。
ポッドキャスト、星5評価しました。これからも応援しています。
はい、ありがとうございます。
ポッドキャストのレビューを書いて頂いたりとか、結構それハードル高いので、
その星の評価付けて頂けるだけでも非常にありがたいので、ぜひまだやってない方はよろしくお願いします。
これがね、なかなか増えないんですね。
さて、シャープ421に同じ人名が国や文化を超えて使われるというような話がありました。
同じことは慣用表現にも言えると思います。
例えば、挨拶として直訳すれば、
良い日となるような言語や、謝罪として許しをくださいという言語がいくつかあります。
こういった国や文化を超えた表現についてお話を聞きたいです。
一方でアラビア語だと、あなたの上に平和がありますように、
たぶんアッサラムアライクムのことだと思うんですけど、
日本語では早い、おはようございますの早いが挨拶となるように独特の表現も面白いですね。
私も本でしか学べないという意見に同感です。
いつも文献紹介ありがとうございますということで。
マクタブさんお便りありがとうございます。
ちなみにこのマクタブっていうのはアラビア語で学校とかそういった意味ですね。
アラビア語でフトゥブっていうKとTとBで書くような神話、書く行為とか書くみたいな意味なんですよね。
マクタブにもそういった意味が含まれているし、
アラビア語で本っていうのはキターブって言うんですけど、
まさにこのキターブっていうのもクートゥブというシーンが入っています。
このキターブっていうのはスワヒリ語にも釈用されてて、そっちはそっちで面白いんですけど、
アラビア語の話は関連トークを聞いていただくとして、
シャープ421の話は、
例えばピーターとかペーターとかピョートルとかこういった名前は全部聖書に出てくるペテロに由来してて、
まあ早い話が言語は違ってもその元となった由来というか語源っていうのが同じっていう話でしたね。
でお便りにある関与表現のは、こういった人名の話と同じなのかなぁとちょっと思います。
03:08
今言ったようにキリスト教圏の人名っていうのは、
同じ語源の名前が各言語で見られるっていう話だったんですけど、
挨拶表現みたいなものは語源は違うけど直訳してみれば意味が同じになるっていうことなので、
ちょっと当てはまんないんじゃないかなと個人的には思います。
もちろん挨拶表現で語源が同じものもあるんですよね。
英語のサンキュのサンクとドイツ語のダンケシェンのダンケっていうのは語源が一緒なので、
こういった場合はペテロからピーターとペーターが派生しているっていうのと平行的に考えられると思うんですけど、
まあいずれにせよ似たような表現が挨拶や関与表現として定着しているっていうのは面白いことですよね。
挨拶も関与表現に含めるとして、その関与表現っていうのは、
その構成要素のメンバーからは全体の意味が予測できないものっていうふうに言うことができると思います。
なのである意味丸暗記するしかないような表現なんですよね。
で、そういった関与表現っていうのは文法から逸脱しているようなものもたくさんあります。
例えばさっきの英語のサンキュとかだとサンクっていうのは動詞なので、
動詞の原形で始まっているってことは普通命令として解釈されるんですけど、
サンキューの場合は別にそれ自体で固定化された表現となっています。
日本語のおはようとかありがとうっていうのも、これはお早くとかありがたくっていう、
もともと形容詞の連用形なわけですけど、いわゆる現代日本語の共通語だと観察されないような
うおんびんっていうのが起こってるんですよね。
で、こういううおんびんっていうのはどちらかというと西日本的な特徴で、
まあ西日本ではよしとかおそうなったとかっていうふうに形容詞の連用形でうーの音が出てくるんですけど、
そういう普段は見られないような特徴が関与表現では出てくるっていうことはよくあることです。
で、僕個人としてはそういう挨拶表現の由来とか語源みたいなのは結構どうでもよくて、
06:01
おはようっていうのが早いの連用形、しかも西日本の方言に由来してるみたいな事実は確かにありますけど、
まあそれが朝の挨拶として機能してるんだったらまあそれはそれでおしまいなんですよね。
歴史は歴史、それはそれとして、その言語形式っていうのが一つの言語という体系の中でどういう位置を占めてるかっていうかね、
機能してるかっていう方がまあ僕個人としては興味のあることなんですよね。
確かに語源を見るのはいろんなことがわかって面白いんですけど、
それって和社にとっては結構どうでもいいことなんですよね。
ありがとうっていうのはありがたしから来てるわけですけど、あることが難しいっていうことですよね。
で、そのことを和社はどれだけ意識してるかっていうとほぼ意識していないと思います。
ただお礼を伝えるという機能しかありがとうっていうのは持っていないってことですよね。
まあでも雑学的な意味ではそういう挨拶とか寛容表現の由来っていうのを知るのも面白いと思います。
さっきもちょろっと言ったように寛容表現っていうのは丸暗記するしかないようなものなんですよね。
その構成メンバーからは全体の意味っていうのが予測できないので、
まあ単純な足し算にはなってないということです。
例えば骨が折れるっていう寛容表現はもちろん比喩が元になっているわけですけど、
骨が折れる全体で大変だみたいな意味になってるわけですよね。
だから就職要素を付け足して骨がバキバキに折れるとか、
骨が真っ二つに折れるとか、
小指の骨が折れるっていう言い方はその寛容的な意味では大変だっていう意味では使えませんよね。
なので寛容表現っていうのはある意味で融通が効かない言語表現と言えるかもしれません。
まあだからこそ丸暗記するしかないんですけど、
一方で寛容表現っていうのは言語の柔軟性っていうのをよく表していると思うんですよね。
骨が折れるっていうのが文字通りの意味以上のものを表しているっていう点では、
言語の柔軟性とか創造性っていうものをよく反映してるんじゃないかなとも思いますね。
冒頭のマクタブさんのお便りにもあったように、
寛容表現みたいなものを各言語で比べてみても面白いかもしれません。
09:04
当然ね、そこには文化的な社会的な要因っていうのももちろん絡んでいると思います。
日本語の湯水のごとく使うみたいなのは日本語だからこそ成立する表現でしょうね、おそらくね。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はしがじゅうごでした。
またねー。
09:38

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