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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。風の中のスバルです。
お便りいただいております。しのさんからギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
勉強になりました。子供の頃、ヒエログリフで自分の名前のハンコを粘土、乾くと固まるやつで作ったことを思い出しました。
ということで、これは前回、ヒエログリフの話をしたんですよね。ロゼッタストーンとヒエログリフとシャンポリオンとみたいな話をしたエピソードについてのご感想ですね。
ヒエログリフはね、スマホのポントになってるんで、今ではね、
そういうふうに粘土で作るっていうのもまた楽しいし、より手軽にヒエログリフを使うことができるようになってますね。
機種によるかもしれないけど、多分ね、そういうサイトがあるはずです。
日本語なり、カナですよね。カナなり、ローマ字で何か打ち込めばヒエログリフに変換してくれるみたいなサイトがあるはずあったと思うんですよね。
ですので、興味のある方、ヒエログリフ変換とかでね、調べたらおそらく出てくるんではないかなと思います。
こういうふうにヒエログリフを使える、現代でも使えるっていうのは、前回のエピソードで話したように、それが表音文字だからっていうことですよね。
一応アルファベットに対応させることができるので、
例えばね、日本人の名前だろうとなんだろうと、ヒエログリフで機械的に対応させれば、置き換えればいいだけということになってるんですね。
そういうふうに意味のある文字列を作る名前みたいにね、そういうのも楽しいと思うし、
それ自体で文字だけでかなり神秘的っていうかね、デザイン性が高いというとあれですけど、
そういうふうにデザインを重視してヒエログリフで遊んでみるっていうのもいいかもしれません。
時々ね、海外の方がやってる訳のわかんない日本語のタトゥーみたいなね、そんな感じになるかもしれませんけど、
ヒエログリフは今使っている人間がね、母語として使っている人間はいませんのでね、そういった使い方もありかもしれません。
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というわけでシノスさんお便りどうもありがとうございました。
生の短さについてっていうね、著作本があるんですね。
これはセネカという古代ローマ、ローマ帝国の哲学者でいいのかな、あるいは政治家でございます。
皇帝ネロの家庭挙手をしてたっていうことでも有名だそうでございます。
このセネカの生の短さについて、あるいは人生の短さについて、
こちらはね日本語で読めます。
いわなみ文庫で出てます。自慢じゃないですが、僕は読んだことがございませんが、
今回はこの生の短さについてというこのタイトルですね。
特に短さ、当然これは人生が短いということを表しているわけなんですが、
えっとね何が言いたいかというと、長さっていうのに比べて短さっていうのはちょっと含みがあるんですね。
ちょっと別の例で考えてみると、例えば広さと狭さっていうのはこれ対義語になってるわけですよね。
でこの部屋広さどれぐらいっていうのはかなりニュートラルな、あるいは無表と言ったりするんですけど、
無表な表現、特に含みのない聞き方なんですけど、この部屋狭さどれくらいと聞いたら、
もう狭いこと前提みたいになっちゃってるんですよね。
それと同様に生の短さについてっていうのは、短いことがもうすでに前提となっています。
これがもし生の長さについてだったら、かなりニュートラルだから、
別に長くても短くてもどうでもいいというかそこはあんまり気を使ってないんですよね。
でこういったペアっていうのはたくさんあって、形容詞を考えればいいわけですけど、今言った長さ短さ、
広さ狭さ、あとは速さ遅さ、重さ軽さ、明るさ暗さ、
こういったものがそういったペアで、でそのペアのうちの後者ですね、の方が、
なんていうかな含みがある言い方になっちゃうんですよね、どうしてもね。
これもいくらでも例は考えられますけど、このビルの高さは10メートルだとかいうのは普通の表現なんですけど、
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このビルの低さはといった途端に、低いことが繰り返しですけど前提になってんですよね。
これが当てはまるのは日本語だけじゃなくて、英語でも同様のことが言えると思います。
例えば身長を聞くときにHow tall?って聞けば、単純にその高さを聞いてるだけなんですけど、
もしこれがHow short?っていう風に聞けば、やっぱり背の低いっていうのが前提となってしまうんですね。
これは何でかっていうのはちょっと難しいですね。何ででしょうね。
いろいろ説明はできるかもしれないんですけど、
この対義語のペアになっているうちの程度が大きい方というか高い方というか、
ここで大きい高いって言い方するとあれですけど、そっちの方が無表、ニュートラルな表現で使われてますよね。
まさに大きさとか高さ、さっき言った広さとか、このことは多分漢語にも当てはめることができて、
速度とか高さの高度、深さの深度、こういったものは全部程度が大きいもの、高いものが入ってますけど、
表現としてはニュートラルですよね。
というわけで背の短さについてといった場合、これはニュートラルな表現ではなくて、
含みのある表現になっているというわけなんですが、
セネカがこれを書いたのはラテン語のはずですが、
ラテン語原文のタイトルがでブレビターテビタエで、
このブレビターテっていうのが短いとかだと思うな。
英語のbriefとね、簡潔なっていうのと語源は一緒だと思います。
でビタエっていうのが人生ですね。
これは英語のvitalとかと語源は一緒で、各変化してますけど、
いずれにせよやっぱり短さっていうか短いっていうのが入ってますね。
英語のタイトルはon the shortness of lifeだからやっぱショートネスっていう言い方になっているので、
lengthじゃないので、
おそらくあらゆる言語でこういう程度の低い方は何か含みがあるっていうのが、
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共通してあるんではないかなと思います。
なかなか面白いですよね。
これは何でかっていう説明はね、さっきも言ったけどよくわかんないと言えばわかんないですが、
誰かしらどっかしらで言ってはいると思いますね。
もしかしたら人間の認知能力と何か結びつけてね、説明してたりもするかもしれません。
この程度が大きいっていうのもどうなんだろうな。
それでそういう言い方でいいのかっていうのもあるんですが、
ひとまず、少なくともね、日本語の形容詞のペアは、
程度の高い方が無評というかね、ニュートラルだっていうことで、
おそらくいろんな言語で共通するという話でございました。
それではまた次回お会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。