涙もろくなる老い
前回からの続き。
ちっちゃい頃はもう集中しちゃって、もうその他のことは全く意識の外だったけど、
なんか途中で他に気が散っちゃって、止めちゃって、他のことやっちゃうとかいうのが多くなってる気がしますね。
わかります。
精神的なところですもんね。
よく聞く、僕はまあまあわかんないけど涙もろくなってるとかいうのを聞きますけど、若干それもあるのかなあ。
なんて言うか、涙もろくというか、その泣けるものが、コテコテのもので泣けてしまうときに、
なんかこうパターン化しちゃってるみたいな、それも老いの一つかなみたいに思ったりしたことはありますね。
昔ながらのシンプルな、お涙ちょうだいものみたいなもので、うるっときちゃったりすると、
こんなに使い古されたやつでみたいに、うかつにもみたいに思っちゃったりすることあるかもしれない。
そっちの面で言うと老いって必ずしも悪いことでもないんじゃないかなとか思っちゃうんですよね。
まあまあまあ、もちろん全部悪いとは大して思ってないんですけど。
老いってどうしても悪いものとして語られがちなの。特に身体面で言うと、悪いものとして語りがちな気がするんですよ。
精神面とか感情面で言うと、いろいろ蓄積したが言えぬって感じな気がする。
さっき僕は老害が一歩手前って言いましたけど、新しいの聞けなくなってるのも、
いろいろ聞いてきてるからこその、自分の中で知ってるものの平均で出さなくなってて、ってことかもしれないなと思うようになってますよね。
だからフラットに評価できなくなってるってこともあると思うんですけど。
それって言い方がいいですけど、若い頃にどれだけ寮を聞いてても、生きてない領域みたいなのは絶対あると思ってて。
年齢を重ねて、経験を重ねて、
経験もその寮っていうよりも質だったり幅ってものはある程度年数をかけないとわかんないと思う。
それからできることみたいなのに多分目を向けるのが一番、身体的なところのほうですけど。
年取ったからこそ逆立ち
わかんないですけど、しゅうさんもこれまで逆立ちをやってこなかったんですけど、
この年齢になってこういう繋がりができたからこそ初めて逆立ちやろうって思ったわけで。
これは、決して若い頃のほうが身体的にはできたかもしれないですけど、
やってなかったわけじゃないですか。
ってことは、しゅうさんの人生全体で見たときに、それはやることができなかったって見える。
若い頃はやることができなかった。
でもこういうふうにいろんな人と繋がりを持って、
まさかの逆立ちみたいな感じ。
それができるようになったとも見ることができますね。
それはしゅうさんが培ってきた関係性があってのものだと思うんで。
なんか新しく始めるとか、なんか変化を自分に起こすみたいなことが、
もっと早くやっとけばよかったみたいなのは当然ありますし、
そこらじゅうにもっとなじみに取り組んでいけばよかったなみたいなのはあると思うんですけど、
やっぱりこうならないとやらなかったなってこともあると思うんですよね。
でもそこで年取ってからやって後悔するんではなくて、
今じゃあこれができるようになったんだなっていうふうに捉え直すことで、
それこそ今やってることを。
でもそこで年取ってとか思っちゃうと、やっぱり自分を納得でないと取り組まなくなっちゃったりとか、
やっぱり若い子と比べてひけ目を感じて辞めちゃったりとか思うんですけど。
今やること、どうだったの?
なんとなくそうですね、年取ったからこそみたいな感覚的にそのふうなものを受け取ったんですけど、
もう一つそれに別切り口で重ねられるとしたら、
この全体としては衰えていってるっていうのを常にもう30代から感じているけど、
それこそ黒柳さんの喋るっていう一点に特化したら90になっても喋り続けてらっしゃる。
体とか見てるとね、他の体の部位があんまり動いてないなとか思ったりするんですよ。
それ言う必要なかったかな。
要は他を切り捨ててそこに集中したら、多分逆立ちだけはいけるかなみたいな感覚僕持ってて、
なんか若い頃とか小っちゃい頃、いつかこれができるかなって思ってたことがいくつかあったなと思って、
僕バック転とかいつかできると思ってたんですけど、未だにできないんですよ。
でもバック転はこれからやる気にもならないし、
なんかそういう選ぶというか、それに関してはいいかみたいなので、逆立ちぐらいだったらいけそうだなと思って、
若くもないけど今になって始めてるっていうとこがあるのかな。
自分を揺さぶることの重要性
あとはロレッツも粘りたいですけどね、極力。
それ1個か2個ぐらいだったらゲイやしないか。
でもポッドキャストやってそれに気づいたっていうことはあると思うんですけど、
でもポッドキャストやってるからこそ、喋る機会が増えてる、いろんなことを。
だからある意味ね、ロレッツに関してはいい方向の行動をしてるわけで、
普通の仕事とかしてるんだったら仕事によって喋ることとか偏ってくるじゃないですか。
でもポッドキャストでいろんなことを喋ることによっていろんなワードを発したりするので、
それはある意味良い、ロレッツが回らないっていうふうに気づいたのがちょっと嫌な感じはするかもしれないですけど、
裏をかわせば良いことかもしれませんね。
フワッとですけど、最初の方でなぞぐるさんが言われた人生っていうんですか、狂人の陣の。
さっきはその一点集中みたいなこと言っちゃって、やる種類が逆立ちとかそういう一向に絞ったみたいな表現もしましたけど、
なんか逆立ちって本当になんかいろんなことに応用というとちょっと違うかな。
根本的なところに結構通ずる、自分の柔軟性みたいなものを高めるものっていう気がしていて、
常に自分を揺さぶっていて、それでもぶれない何かみたいなのを作るのに良いんじゃないかな、そう意識して始めたわけじゃないけど、今はそう思ってて、
それはそれこそこの時代に対応できるようにいつでも考え方なり自分の姿勢を変えられるみたいな、そういう意味での人生みたいなところにも繋がる、繋がり得ることの一つかなって思いましたね。
喋ることと逆立ち、両方なんかそれに使えそうだなとか思いました。
基本はそういう感じかな。柔らかく常にどんな状況にも対応できる、限界はあるにしても自分の中でのそういう柔らかさの一番良いところに居続けたいなぁとは思いますね。
そうね。
そうじゃないかね。
柔らかくあろうっていう意識があれば、老害的になることは少ないんじゃないかなとか勝手に思ったんですけどね。
凝り固まってるみたいなイメージなんですよね、老害っていう言葉に。
老害って年は関係ないですよね。
ああ、そうかも。
30、40でもその域に達する人はいるんで。
いますよね。
域に達することは名前寄せして言いたいことじゃないんだよ。
確かに。
いやでもなんか今の人たちにとっては、老害って言葉を使わないといけないと思うんですよ。
老害って言葉を使わないといけないと思うんですよ。
域に達することは名前寄せして言いたいことじゃないんだよ。
確かに。
今のしゅうさんの話とかしゅらさんの話を聞いて思ったらやっぱり、強制的に自分を揺さぶるものみたいなのを、精神面でも肉体面でも入れておかないといけないんだろうなって思うんですよね。
それがたぶんしゅうさんの話だと、ポッドキャストと旗立ちという代表的なことで。
しゅらさんの場合だと、ポッドキャストもそうだと思うんですけど、
慶長だったりとか、ヨガだったりとか、そういうセッションに取り組まれることだと思うんですけど、
それって自分が取り組んでるようで、いろんなフィードバックを常に、しかも全く予想しないものとか。
予想できないものですからね。予想できないものだったりとか。
自分とは全く一致なものを常にぶつけられるわけで。
で、そこで自分の限界だったりとか。意外と自分ってこうだったじゃん。自分の輪郭がわかってくるみたいなところがあると思うんで。
そういうことをしてないと、自分じゃないものがどんどん上塗りされていって、盛り固まって、
結局パターン化した行動しかできなくなってしまって、
それを自分じゃないんですけども、自分より思うってなって変えられなくなるんで、いわゆる同外的な行動になってしまう。
それで不幸だと思いますけど、だから大人が自分で揺さぶったりして、そういうものを一回落としてみるとか。
落としたものを一回並べてみて、これは捨てないといけないけどこれは持っておいてもいいよねみたいな感じで、選んだりとかする気もしてないんだよね。
これは個人単位でも組織単位でも、組織って言うと、さっきのおもめの選択のほうに誰かと話をしなきゃいけないね。
なるほど。
でもそう思いますね。
でもそこで揺さぶるみたいなのがあんまり自分の身の手に合ってなかったりとか、
不健全なやり方だと、いい方向に向かわないとも確かだと思うんだよね。
そうですね。確かに。
よくわかんないのにマラソンに参加しちゃうとか。
トレーニングするにマラソンとか、結構難易度高い登山に参加しちゃうとか。
あとは、よくわかんないのにかにたくさん参加しちゃうとか。
意味のわかんない情報詳細を買って、いろんなセミナーにハマっちゃうとか。いろいろ幅あると思うんですけど。
確かにな。身の丈はほんと大事ですね。
難しいですけどね。
会う会わないとか、そのレベルみたいなのをかなり、その個人個人で手にさばめてると思うんで。
いろいろ試さないといけない、試さないとわからないこともあるでしょうが、
試すだけの時間がないみたいな。他にも時間がないみたいな。
なんかちょっと問題だけ発散させて。
いやいやいや。
途中でシュラさん言われてたみたいに、身の丈が大事って僕がさっき言いましたけど、とはいえ見間違えることもよくあるんで。
それで要は逆立ち失敗みたいな感じで、転んじゃったり失敗しても全然、それはそれでまたそこから軌道修正すりゃいいだけなんで。
死にさえしなければぐらいな感じですけどね。大きい側も避けたいは避けたいけど、そこは。
ヨガのポーズの関連性と体の制御の重要性
なんかそのヨガをやってると、ヨガのポーズって全部繋がってるんで。
だから結局その、他のポーズが上手くなってくると逆立ちにも応用が効くようになってきたり、立ち方とか柔軟もそうなんですけど。
で、逆立ちに関係あるのはやっぱりブリッジなんですよ。
ブリッジができてると逆立ちもやりやすいし、何だったら逆立ち練習したときに倒れるときにブリッジで降りれば怪我しないよって言われて。
怪我しにくいよって言われて。
確かに見たことありますけど。
そうそう見たことあるけど、できねえよって思ってたんですけど。
でも最近ちょっと近づいてきて、もうちょっとじゃないかな。もう結構あるんですけど。
でもあれって相当、ごめんなさい、僕も全くできないんで。
素人質問で恐縮ですがってやつになるんですけど。
要は逆立ちからブリッジに移行するってことは、体を下ろすタイミングもそうですけど、速度をかなり制御しないといけないと思うんですよね。
一気にバタンっていったら、足とかしか体重を受け止めきれないですし、
あとは体をしっかりアーチで描くように持っていかないと、柔軟性も必要ですし、次第にアーチに移行するみたいな体の制御ができないと、
どっかで受け止めた衝撃とかがどっかで止まっちゃって、結局ブリッジに移行できずに沈むみたいなことが起きると思うんですよね。
そうですね。
しおださんがちょっとその感覚がわかってきたっていうのは、着陸の仕方みたいなのがちょっとイメージ的になってきたって感じなんですかね。
ブリッジが高く高くできてきたんで、ヨガのクラスとか行って、このブリッジができるなら多分、
当立からブリッジも大丈夫だよみたいなことを言ってもらったんで、チャレンジをしてるんですけど、
ブリッジしてるとき、当立からブリッジに行くってことは反らなきゃいけないじゃないですか、当立は反ってないから、
それを反るっていう感覚がまだちょっとわかんなくて、そこがあと一歩とは言えないかなっていうのがそこなんですよ。
当立はできて、ブリッジもできると、それぞれ点同士で見ればできるようになってるんですけど、そこの間を繋ぐ線がまだ見出せない。
ブリッジの重要性とヨガの総合性
そうですね。まだ見出せないんですけど。
ただやっぱり、ブリッジをやるためには体の柔軟性、上半身とか肩の柔軟性を高めたほうがやりやすくなるとか、他のポーズをもうちょっと練習したほうがとか、そういうのが全部ヨガが繋がってたりとか。
そこが面白いですよね。
今は当立とブリッジのことしか話題に出してないですけど、結局他のパラメータを全部伸ばすことで引っ張られて、最終的に当立からブリッジにできるようになるみたいな。
そうそうそうそう。そうなんですよ。
ヨガの面白いところは、いいところは、必ず誰でもコツコツやってれば誰でもそうなるんですよ。
そうなるっていうのは?
上手くなるんですよ。
上手くなるというか、ポーズができるようになってるんですよ。ヨガっていうのが。
なるほど。
と思うんですよ。
それって、ナーラヨガじゃないんですよね?今言ってるヨガっていうのは。
今のは、そうですね。ナーラヨガも含むヨガ。
で、ナーラヨガではないですね。当立とかはやらないんで、ナーラヨガでは。
全部繋がってるっていう風に証言されたヨガって何ヨガって言うんだろうなっていうのが気になって。
ヨガもいろんな種類があるんで。
今しゅらさんがやられてて繋がってるって感じられるのは、ちなみに。
はたヨガですかね。
はたヨガ。一番メジャーって言われてるやつですよね。
そうですかね、たぶんね。
なるほど。
やっぱ聞いてるとやりたくなっちゃうタイプなんですね。
でもだいぶナーラヨガでも、ナーラヨガで基礎作ったような感じですよね、体の。
そっかそっか。
体を意識するとか。
星座かなー。
まあ星座、そうですね。星座もそうですね。星座は確かにそうですね。
でも、体をさすったりとか。
特に背中とか腰をさすって、その背中と腰の意識がだいぶできるようになっているので。
それが違うかもしれない。
そっかそっか。
じゃあちょっと、前にしゅらさん教えていただいたときに僕レコーディングさせていただいてたんで、もう一回見てみます、ナーラヨガを。
ちょっとね、星座が苦手すぎて、もうあの時以来見てなかったんですけど。
もう一回見てみます。
まあさするとかでいいんじゃないですかね、全然。
そっかそっか。
さすってあげて、で、等立の練習した後って結構背中が張るので。
張りますねー。
そう。だから必ず背中側を伸ばしてあげるから、ヨガのポーズで言えばチャイルドポーズっていう、おでこをつけて丸々よくポーズとか。
あと、膝を抱えてあげてゴロゴロするみたいな感じで、背中側を伸ばしてあげないと。
なるほど。
一日とか二日だったらいいんですけど、等立。
でも毎日コツコツやっていくと、そういうケアもちゃんとしていかないと変なバランスになっちゃうんで。
おー、いいこと聞いた。
そうそう。
だからそういうことをやってると、だんだんだんだんいろんなことをやりたくなって時間が長くなってくる。
確かに。
ヨガの時間が。
確かに確かに。
やりたいなみたいな。
なりそう。
じゃあ、もうヨガやりながらマイクで撮れるようにならないとダメですね。
そしたら大丈夫かな。
手放さないですね。
いやいやいや。
珍しく。
確かに確かに。今のはそうでしたね。
確かに。
そうでしたね。
すみません。
いやいや、いいじゃないですか。
いやいや、こういうしょうもない状態がちょうど時間的にはいい感じなんで。
そうですね。
もししゃべり残したこととかがなければ、今日はこのぐらいにしておきますか。
はい。
そうですね。
はい。
じゃあ、ちょっと若干今回の、今月はというか、今回の4回は短めになってるかもしれないですけど、
はい。
面白い話が今日も聞けてよかったです。
ありがとうございます。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
じゃあ、失礼します。
失礼します。
はーい。