1. しゅらシュシュシュ
  2. 怒りでしたっけ?#4~寄り添う..
2024-02-18 35:48

怒りでしたっけ?#4~寄り添うということ~横の席に座る…

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前回の最後に出た、一緒に居るということについての話から

「見て見て!」って言うのは、子供は見ているということ

それは子供にも限らず、傾聴の大事さみたいな話にも繋がり…


収録日:12月12日


#しゅらシュシュシュ

#樋口塾


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サマリー

前回からの続きを聴き、物理的に一緒にいるだけでなく、一緒に居ることの大切さを感じます。子供や奥さんの話に向き合うことや、オーダーメイドのコミュニケーションが必要だと思います。隣に座ることで寄り添うことを期待していましたが、相手に彼氏がいることが発覚し、リアルシュラバーニーになってしまった話です。役割やこだわりによってコミュニケーションが変わることが大切だという話や、子供に対する役割を使い分けることの難しさについても言及されています。大人との関係だけでなく、様々な人と触れ合うことが重要です。

一緒にいることの大切さ
前回からの続き
今、なづくろさんの話を聞いてて思ったのは、
俺は不正を発揮するとか不正が大事って最初から言ってましたけど、結局大事なのは一緒にいるっていうことなんじゃねえかなと思ったんですよ。
物理的にいるっていうのももちろん大事なんですけど、今、私単身不妊してるんで、物理的に離れてて、
俺は物理的に離れてる父親が何を言ってんだみたいなところがありますけど、
やっぱり物理的に近くにいるっていうのは重要なんですけど、
物理的に近くにいても、例えば子供の話を携帯を見ながら、子供や奥さんの話、旦那さんの話かもしれないけど、携帯見ながら、
半分返事みたいな感じで話を聞いてるとか、そういうのって一番傷つくと思うんですよね。
カウンセリングの学び合った時にそれは一番傷つくんですよね。近くにいるのにいない感じがして。
やっぱり子供って、さっきチラッと見るっていう話をしたんですけど、よく見てって言ってくるんですよ。
いいことなんですけど、うちの子供とかも、見て見てって言ってくるんで、見てるんですよね。
言ったことを学ぶんじゃなくて、見たことをすべて学んでるんで。
だから、なんでもいいんですよね。別に不正とか尊敬されるようなことをやりましょうっていうわけではなくて、
さっきしゅーさんが言ったように、その人だけが、その人自身が発揮できる本当に面白いこととかワクワクすることをやってる姿を一緒にやってればいいと思うんですよ。
別にそれぞれのやり方で。だけどあまりにも一緒にいるっていうのが、物理的に一緒にいるじゃんっていう。
女性だと割とそういうの敏感なんで、分かる人は多いんですけど、男性だとカウンセリングとかの学びをやってても、それが分かんない方が結構いらっしゃったりして、いやいやいるじゃん、話聞いてるじゃん、目は見てないけど話は聞いてるよ、いやいやいや、全然聞いてる感じしないですけどみたいな。
あるな、ある。
だから、一緒にいるっていうことがいかに大事かっていう。物理的にはもちろんそうなんですけど、物理的なものを越えて一緒にいる。
これ、慶長の話も混ざってる感覚だったんですけど、僕ね、その、よそ見してるとかじゃなくて、まっすぐ目を見て力強く頷いてる人であっても、頭の中で全部その人の話に変換して帰ってくるっていう人がいて、すっごい嫌だってことがあったんですよ。
こっちの話を本当に聞いてはいないみたいに思っちゃったことあるんですよね。だから、目を見るかどうかですらないし、みたいにね、ちゃんと思いながら、ちゃんと見てみてーって子供が言う気分と同じなのが、聞いて聞いてーみたいな慶長で言うところの、それを求める気分っていうのがあるなーって思いました。
子供に限らずですね、これはね。
だからその、本当に1日で、本当数分とかでもいいと思うんですよ、その一緒にいる時間が。
ずーっとそのスイッチ入れてるのはしんどいので。
そりゃそうっすね。
しんどいことやってると、やっぱ無理、無理、無理をして疲れてたんで。
だったらなんか、もうここはもう、ほんと5分は一緒にこう思いっきり遊ぶとか、話をしっかり聞くみたいな。
反抗期の娘、息子だったら話はしてくれないけど、とりあえずまあ、うざがられないように一緒にいる感じを醸し出すみたいな。
それでもいいと思うんですけど。
なんかまあそういうのが、俺は必要だと思っていて、それに向けてなんか頑張ろうと思ってるのかなってちょっと、
なのびさんに話を聞いてもらいながら思ったかなーって。
ちょっと長くなりましたけど。
いや全然全然。
いやーそうですねー。
寄り添う姿勢
僕も離れて暮らしてるもんで、なんかいろいろと刺さる部分が、勝手に刺さる部分があるんですけど。
刺してたかもしれない。
いやいやいや勝手にです。勝手になんですけどね。
本当に物理的に一緒にいれた時期にずいぶん僕やっぱり押しつけてたなと思うんですよ。
そうなんですか?
僕はそうですね、今このなるべくお金を使わない暮らしに入っていき始め、特に最初の頃とかは、ある意味正しいと思ってやってたんで僕。
だから、物理的に一緒にいる時間長かったですし、外に働きに出にあんまり行かずに、ちょっとだけしか行かずにいたんで、いる時間は長かったけど、
だから田んぼとかにかける時間が長くて、それをやっぱり子供たちは、極力手伝うべきだみたいな気分があって、手伝わせてたりしたんですよね。
でもそういうのが一緒にいるってことじゃ、さっきしゅらさんの言われた一緒にいることじゃないよなって、そういうのを勝手に自分に刺さるみたいに思って聞いてたんですけど、
その結果が今離れる風になったのはそれも一つあるだろうなとか、
どっちかっていうと、やっぱり上さんとの関係性のほうですけど、子供たちの間にもそういうのがあったから、上さんのほうに選んでついていったわけですか、子供たちも。
みたいなところを受け止めなきゃなと思いつつ。
結局詰まるところの話なんですけど、今の聞いてもらってる聞いてもらってないみたいなこととかって、
全然親子関係だけの話じゃないですよね。
そうですね。
もっと一般化して、人対人の関係性みたいなことにつながると思うんですよ。
それこそ、毎日顔合わせてる同僚よりも、
Zoomだったりスペースで話してるひぐち塾界隈の人たちのほうがよっぽど聞いてもらってるし、向き合ってもらってるなって思うんですよね。
なんなら、修羅さんなんて僕一回もタイミングでお会いしたことないじゃないですか。
なんなら、顔も知らないけど声だけで、僕ツイッターのスペースでよく話してるんですけど、
声だけしか知らない人結構いるわけじゃないですか。
でも、仕事関係とかの現実世界との関係性がないからゆえにいろいろ話せるとかは絶対あると思うんですけど、
そういう人たちに対して向き合ってくる人たちがいるってこと?
そういう実感だけでもすごい楽になるじゃないですか。
わかりますわかります。
どう言ったらいいのかな。
向き合うとまた違うんですよね。
これまたご縁招くとあれなんですけど、
修羅さんさっきスマホを見ながらながらギキされても聞かれてる感じがしないって言われてる一方で、
スペースとかだとむしろ相手が普通にスマホを見ながら話してるわけで、
でも声しか聞こえないからそれわかんないけど。
これまたちょっと別の番組の話になっちゃうんですけど、
キキカイカイってあるじゃないですか。
あー、名前だけ。
キキカイカイって、キキカイカイとメイカイジテンが、まあその辺はいいんですけど、
バンドマンとナッパーが2人でやってる番組なんですけど、
その2人が言ってたのは、収録のときに対面じゃなくて横並びで撮るらしいんですけどね。
そばにいるんだけど、相手の目線とかは目の端にはあるけど、向き合ってないから、
なんとなくのとき、それが一番話が乗るんだって話をしてて。
おー、面白い。
オーダーメイドのコミュニケーション
でもこれはね、スペースとかの話で聞いてもらってる感じがすごいつながるなと思ってて。
こういうズームで対面で話をして、技術的に目を合わせながら話をするっていうのもすごい重要だと思うんですけど、
結構深刻な話って対面だと話せないんだけどあると思うんですよね。
いつの話だったかなんですけど、学校帰りに友達と横並びで陶芸講をしながら話したことっていうのはあると思うんですよね。
これって、向き合うとは全く違うじゃないですか。
寄り添うに近いのかなって思うんですけど。
だから子供に限らず、人と人がコミュニケーションと出てきて、
体温が必要なわけではなくて、ぬくもりが必要だと思うんですよね。
物理的に、体温が必要なときもあるんですけど、ぬくもりが必要だと思ってて、
ぬくもりの与え方も相手に向き合うだけじゃなくて、許し合ったようなものになる。
それが、どちらが合うとか合わない人もいると思うし、
むしろ距離があるからこそ、そういうことに踏み込める人もいると思いますし、
でもその場合によってそれを使い分けない。
使い分けてはいけないってちょっとあれですけど、場合に応じて使い分けられたほうがいいじゃないですか。
それには相手のことをちゃんと見てあげて、
この人にはこういう方法がいいんじゃないかなみたいなこととか、
この人はこういうことを求めるんじゃないかなみたいなことを想像してあげる。
そういうスキルって言い方があれですけど、
そういう思いやりっていうんですかね、
おもんばかり方みたいなのがすごい大事なんじゃないかなってちょっと思ってたんですよね。
それを変えてしまうと、どんなにこっちがやってあげても届かないとか響かない。
で、こっちもこっちで、「なんでわかんねえんだ!」みたいな感じになっちゃって。
こんなにやってないのに、みたいな感じになっちゃって、
お互いによくない方向に行っちゃうようなことがあると思うんですよ。
ごめんなさい、なんか発散しすぎましたね。
いやいやいや。
僕の格の傘とかよりは全然ぶっ飛んでないです。
ほんとすみません。
一言言うと、やっぱり人と人の間にオーダーメイドのコミュニケーションが必要だよねっていうことなんですね。
うーん、そうですね。
いや、ほんとそうですね。
僕も大体そんな感じかな。
なんかその、なんづくべさんのすごい良い話、
その横に対面向き合うんじゃなくて寄り添うみたいな感じで、
っていう話を聞いたときに、すごいくだらないことを思い出してしまったんですけど。
同じ話か。
あの、社会人になって、
社会人になって長野に赴任したんですけど、
長野に赴任したときに初めてデートに行った人がいるんですね。
10個上の人だったんですけど、
やるー。
俺が23のとき、33かな。
で、その人がご飯食べに行ったら、
普通、前の席とか横の席に座るじゃないですか。
前の席って書いてあるから、対面かその真正面かちょっと斜めの席かに座るんですけど、
隣に座ったんですよ。
あー、横並び、へー。
で、すごい話が盛り上がったなー。
あのとき楽しかったなーっていうのを思い出して、
俺はバカだなーって思いましたね。
いやいや、バカってことはないけど。
何を食べに行ったんですか?
バカってことは言わないですけど。
えー、でも居酒屋だったんですよ。
え、そこ座る?みたいな。
まあ、え?みたいな感じでびっくりして、
いや、大人の女性ってなんか違うんだなーって思って。
そういう意味で。
座ることと寄り添うこと
いや、びっくりしたんですよね。
で、結局なんかこううまくあしらわれて終わったんですけど。
あしらわれた?
なんかね、彼氏がいたんすよ。
あー、そういうことか。
おいおいみたいな、おいおいみたいな。
なんだよ、みたいな感じで。
大人の女性ってことだね。
そうそう、純粋なシュラ君は。
まだまだ大学卒業したてのシュラ君は。
大人の女性です。
なんだよ、みたいな感じで。
なんかでも不思議な感じですね。
あしらうために横並びにしたんすかね?
いや、でも普通そんな座んないっすよね。
隣に座るってないっすよ。
4人座れるテーブルで、隣に座るってないっすよ。
ないっすね、僕も経験はない。
ないっすよね。
しかもなんかその、確か、なんかどっちか、ソファーとかだったらわかるじゃないですか。
あー、はいはいはい。
どっちも椅子だったんすよね。
あー、なるほどね。座り心地とかも問題じゃなくて。
そう、座り心地の問題じゃなくて。
で、周りもそんな人いないじゃないですか。
2人で座ってたら誰か来るのかなと思って、開けてんのかなと思って。
でも全然誰も来ないみたいな。
個室居酒屋だったんですか?
え?
個室居酒屋だったんですか?
いや、個室じゃなかったんですよ。
個室じゃないの?開放的なの?
それでもその場で、しゅらさんも何でとか言わないかったんですね?
あ、言わない、あ、と、何でとは言わなかったけど、
あ、こ、こっち?みたいな。
いや、どうなったかな、もう。
覚えてない。
何年前?
何年前ですからね。
そうっすよね。
思い出すところも思い出そうですからね。
なるほどな。
カットしないといけないかもしれないですよ。
え?
わかんないですけど、
互いのボディタッチのハードルを下げたみたいな。
お!新しい案だ。
あー。
いやー、それ、それねー。
いやでもその純粋なしゅらくんだったんで、
役割とコミュニケーション
今度は、
純粋なしゅらくんは、
しゅらくんじゃなかったんですよ。
あ、しゅらくんじゃなかったんですよ。
いやいや、しゅらは、
え?だってそれ、相手方の狙いとしてってことでしょ?
なずくさんが言われたの。
相手方が手を伸ばしたかっていうのが、
伸ばしてほしかったのかみたいなこと。
あー、そういうことか。
もしかして、もしかしてってことだよね。
伸ばしてほしかったのかみたいなのは、
後になって思いました。
そこで働いてたかもしれない。
あー、だから俺なんか支えられた。
そうそう、でも、
そういうことをするっていうか、
そういうふうに、
隣に座ったんだったら、
そういうスキンシップみたいなことを、
望んでたんじゃないの?みたいなのを、
その人、看護師だったんですけど、
一緒にデート行った人は。
で、その同じ職場で働いてる、
看護師の友達がいたんすね、私。
だからどうだった?みたいなのを、
聞いたんすよ、その後。
なんか、全然音沙汰なくなっちゃったんだけど、
どうなってんの?みたいなのを、
相談したりしてて。
シュラさんがその、友達の看護師さんに。
そうそうそうそう、一緒の職場でしょ?みたいな。
様子をちょっと教えてよ、みたいなことを言ってて。
で、さすがにさ、その隣に座ったらさ、
やっぱそういうことを期待してんじゃないの?みたいな。
お姉さんらしいみたいな。
で、あー、そっかー、みたいな。
あー、なるほど。
で、そんなこと言ってたら、
なんか彼氏がいるっていうのが発覚して、
なんだよ、彼氏いるんかよ、みたいな。
なんなんだよ、みたいなので。
じゃあ、よかった話ですね、手出さないほうが。
あー、よかったですよかったですよかったです。
リアルシュラバーニーにあるとこったんですよ。
隣のテーブルに相手方の彼氏が来てるね。
いやでも、要注意なんだなー、隣に座られたら。
まあそんなことはないんだけど、ほぼ。
要注意なんて話してないよ。
え?
違う違う。
違う?
要注意だよ。
え?要注意でしょ、だって。
隣に座る。
え?
寄り添った方が、寄り添うべき時はあるよねっていい話したら、
なんで要注意なんだよ。
いやいや、彼氏がいたらね、大変なことになるから、みたいな。
そもそも彼氏がいなければいいのか。
そうですそうです。
うーん、何にしてきたっていうかね。
確かになー。
怖いなー。
寄り添う。
変な方向に。
いやいやいやいや。
カウンターとかだったら横並びだよなーとか思ったんですけど、
それってね、マスターとかがいますもんね、前にね。
ラーメン屋とか、ラーメン屋も店長がいますもんね。
ラーメン屋これね、一覧とか行くとね、仕切りがもとからあるから、
なんで出てくるのかわからないしね。
何か見えないから、階段待つと多分大丈夫な感じかなっていうのがわからないしね。
もう見ちゃだめ。
天使が通りまくりますね。
天使が通りまくりますね。
だいぶ大群でしたね、今ね。
7つだと思った。
え、7つ?
収録場はさすがに適当なぐらいに切って通った、だーって想像してもらうことにしようかなとか思ってますけどね。
今日の話は時間的にもそろそろまとめかなと思うんですけど、
やっぱり役割ってものがすごい観点として大事だなと。
不正・母性というところから話が始まったところであるんですけど、
役割ってものをどう担ぐか、逆にそこからどう離れるか、
場合外にどう使い分けるかみたいな話だと思うんですよね。
僕だけ子供いないんであれなんですけど、
子供の前では、優しいお父さんと厳しいお父さんを使い分けないといけない。
ほとんどにあると思うんですよね。
怒ってなくても叱らないといけないとか。
逆もあるわけですよね。
怒ってるけど、ここは叱っちゃいけないみたいなことです。
患者との逆の役割を果たさないといけない。
それを強制されるということはあれですけど、
強いられることもあると思うんですよね。
それをあえてしないという選択肢もあると思うんですけど。
それを選択肢でその場で実践的に使い分けるかというと、
親も人間なんで、そうもいかないといけない。
結局ラベリングされた役割とか、
お互いにラベリングしあっている関係性みたいなもの。
動いてる人間関係とかコミュニケーションってものが、
あるとき通用しなくなってるとか、
ある場面ではそれじゃいられなくなったときに、
どうやって振る舞えばいいんだろうみたいなことを。
あとその準備っていうんですかね。
その訓練をどれだけ子どもに施してあげられるのかなみたいなのは、
親とか家庭でしかできないというまではちょっと言い過ぎかもしれないですけど、
そこの関係でやっぱり子どもが誓っていかざるを得ないんじゃないかなと。
子供との関係
家族の中でのコミュニケーションっていうのは基礎になってくるんでね。
そこでしかできないこともあまりありますよね。
単純に子どもにとっては分量が圧倒的に多いですからね。
コミュニケーションの総理の中でね。
役割って言うんですかね。
他のを体験するってことができないじゃないですか。
そうですよね。
子どももですし親もですけど、
他の家の場合はどうなんだろうっていうのを聞いたりすることはできますけど、
体験することは難しいじゃないですか。
アメリカの夫婦セラピー、夫婦のカウンセリングとかでは、
パートナーをシャッフルして、
いつもと違うパートナーとキャンプとか、
その食事、生活ですよね。
生活を送って見てまた戻るみたいなのがあるらしいんですね。
ちょっと危険だなとか思っちゃった。ごめんなさい。
ちょっと危険だと思うんですけど、
でも日本でそれやれって言われても、
なんか面白そうだけど、
例えばリアリティショーみたいなので、
リアリティショー知らないかも。
テレビの企画あるじゃないですか。
例えば恋愛リアリティショーみたいなバチェラーとか、
なんか婚活バラエティーみたいな、
そういうなんか演出込みのテレビの企画としてはやられるかもしれないけど、
本当にそのカウンセリングとかセラピーっていう意味で、
夫婦を交換して生活を送ってみるっていうのは、
なかなかむずいですよね。
それ見たわ、リアリティショーで。
世界丸見えでやってましたわ、子供の時に見た見た。
えー。
敵殺親父の家庭とめっちゃ上品な家庭が、
お母さんとお兄さんでそれぞれ交換しあったみたいなのやってましたもん。
あー。
やってそうですよね。
世界丸見えでやってたわ。
それ思い出した、見たのかも。
はいはいはいはい。
でも確かに一種のショック療法ですね。
全く異なる、
えーと、
全く異なるプロトコルで動いてるものを一回導入して、
自分が今の常識だと思ったものが常識じゃなかったっていう結論するっていう。
うんうんうんうん。
あー。
うーん。
どうやって破壊するかってこと?
破壊っていうかね、何かしらの。
まあ生活っていう、生活までは難しいかもしれないですけど、
なんかキャンプで料理をするのを、
違うパートナーとやってみるっていうとかはね、できるかもしれないですね。
料理だけとかだったらね。
うんうんうん。
まあでもそれもね、なんかこう。
まあでも何かしら感じる部分はね。
うーん。
あるかもしんないんでね。
うーん。
いやでもなんか手っ取り早く考えるとやっぱ、なんていうんすかね、その、
人間関係の大切さ
関係を家族の中でだけに閉じないみたいなことがやっぱ一番単純で大事なんだよね。
まあそうですね。
本当に。
そうそうそう。
結局のところ、特定の大人としか話さないとか、
特定の価値観を持った人としか話さないっていうのが一番危険なんだよね。
なんかやべえやつと話すのもどうかと思うんですけど、
正論しか言わないやつと話しててもしょうがないよねって思うことがある。
子供なんていくらでも吸収はしちゃうんですけど、
でも全く違うことを言ってる人がいるなってことを認識するだけっていうのが全然、
子供にとっての価値だと思うんですよね。
それがその役割みたいなのに囚われずに振る舞っている。
家族の概念の広がり
一番最初のステップは、本当にいろんな人いるなってことを知るっていう。
かくゆうまつきさんも、自分の子は難しいっていうことをおっしゃってて、
いやいや、むずいで、みたいなこと言ってて。
ネイティブアメリカンの言葉で、拡大家族っていう言葉があるんですね。
ティオシパイエっていう。
学内?
拡大?
拡大。
拡大家族。
家がつながってなくても、一緒にスウェットロッチとか、一緒に関わった人はみんな家族だみたいな。
何かしら関わった人はみんな家族みたいな考え方もあって、
そういう中でいろんな人に触れ合っていく。
縦と横だけじゃなくて、斜めみたいな関係性を持つのはすごい大事みたいな。
それは別に大人でも子供でも大事みたいなこと言ってたりとか。
まさに樋口塾とか、そういうのが斜めの関係なんて、大事だなと思います。
ずっとそうですね。
家族っていうワードも出ましたもんね、こないだ3周年オフ会でね。
出ましたね。
樋口塾を家族みたいにして捉えてるみたいな話がありましたね。
ほんと極端な話、僕もそう思ってるんですけど、もっと言うと、
全部家族にっていう方向で考えてるかもしんないです、僕。
一家族がお父さんお母さん子供っていうのが本当?みたいな話途中で挟みましたけど、
その根っこは、あれ全部家族じゃないの?みたいな気分があるんですね。
なんかしょうもないというか小さいことですけど、
お店とかで賞味期限が古くないものから取る風に僕育ってたんですけど、
最近は前の商品から取りましょうみたいなのが陳列棚に書いてたりしますけど、
家族だったら当たり前なんですよね、古いものから食べるって。
でも予想家族だって思ってないから、自分は新しいもの食おうとしちゃうわけじゃないですか、とか思ってて。
だから、全部家族だって思ったら、そう必要ないよなーみたいなのが僕の根っこにはあって。
それだから僕の気分としては、さっきの何かを無理やりルールとして決めちゃって、
言い方極端すぎますけど、角の傘みたいなそういう脅しがなくても、
うまく回っていくようにならないかなーみたいに考えてて。
それが今の生き方にまでぶっ飛んじゃってるのが僕なんですけど。
だから、そういうのも本当は守るみたいなのが、守られるばっかりじゃないよ、この世の中はっていうのは。
不正じゃないと教えられないというか、教えると言うとあれだけど、不正みたいなのが効果を発揮する場面があるからこそ、ないとまずいよねって思うわけじゃないですか。
しゅらさんとかも。
ずーっと守ってたら、本当に社会に出た時に対応できない人間になっちゃうよとか、そういうことなんだと思うんですよね。
だから全部をそういうふうに広げて、いろんな人と接する機会を設けるのもそうだし、って思いますね。
ふわっとした、ぶっ飛んだ割にふわっとした話なんですけど。
大丈夫ですか?
僕は止まってるかな?
聞こえました聞こえました。
ああ、大丈夫ですか?
はい、大丈夫です。
あまりにもぶっ飛んだこと言っちゃったから、固まっちゃったのかと思って。
俺も不安定。
あ、不安定になりました。3人ともですか、今日。
不安定だし、天使は飛ぶし、みたいな感じになってましたね。
ずっと言ってるしね。
ああ、そうですよね。
そんなふうに思いましたね、僕は。
でも楽しみですね、本当にチョラさんのコミュニティ的な、どうなるかは全然わからないけど。
どうなるかはわかりませんけどね。
でもその奥さんも同じような感覚だっていうのがすごく素敵だなーって思いました。
僕なんかも置いてきぼりにしちゃったから、この結果になってるんで。
僕一人で突っ走っちゃったんで。
ぜひ一緒に。
まあわかんないですよ、俺も突っ走る可能性はありますけど。
まあまあまあまあ。
俺だけ置いてきぼりにならないといけない。
じゃあ今日はこんな感じにしときますかね。
そうですね。
特にこれ話し忘れたとかがなければ。
大丈夫ですか、ななずくるさん。
ななずくるさんどうですか。
大丈夫です、なんか結構話したなって。
ですか。
人間関係の話なんていくら話しても足りないよなっていう。
そうですね。
大丈夫ですかね。
大丈夫です。
本日の企画としてはここら辺で終わりたいと思います。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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