人と知り合うということ
前回からの続き。
やりとりみたいな。だから相手の状況を考えるとかっていう、ちょっと複雑なタスクを自分に課さないと、なんかいちいち覚醒しないな。ようやく最近分かってきたんで。
うーん。
恐ろしいこと。それに気づかず30年以上生きてきたっていうのが恐ろしいことだなと思います。
いやいやいやいや。
確かにね、年齢は考えるけど。
100人以上と多分顔を合わせて。
で、あれなんですよね。恐ろしいのが、申し訳ないんですけども、名前と顔はもう一致できないんですよ。
いや、それはそれは。申し訳なくない。それは無理ですよ。
だからこの場は借りたいですけど、失礼働いたらごめんなさいっていう。
人と知り合うって何だろうなって思いました。
人と知り合うって何なのかなっていうのはすごい考えました。
知り合う。
知り合う。
なるほど。面白い。
知り合うって言いますけど。
自分考えたのは、知り合った人を他の人に紹介する時にどういうラベル付けをするか結構難しいんですよね。
あー、なるほど。
知り合いですっていうのか、友人ですっていうのか。
友人でも連れて表現するのか。
昔から友達とは幼馴染っていうべきかみたいな。
同級生っていうべきかとか。
確かに。
でもそういうのって意識しずに普通に人と付き合ってると思うんですけど、
例えば同僚でもほとんど友人みたいな人もいますし、
いわゆる同級生でよく顔合わせてると全然話せないみたいなやつもいたじゃないですか。
同じグループにいたけど、こいつは友達じゃないなっていう意識のやつがいたりする中で。
まあまあ、いましたね。
そうですね、いますよね。
でもこれって別に変な話じゃなくて、
それを僕は同級生で見なしてたら、
ある時そいつからとんでもなく深刻な相談を受けて、
え、こいつって俺のことどう思ったの?みたいなことを申し訳なくなりました。
ことだったりとか。
知って何だろうなって思いました。
今回その100人以上の方かな。
顔合わせて女の名前とかは聞いて、完全にパンクしたっていう。
少なくとも少しの言葉は顔合わせたわけで。
向こうはこっちのことをある程度知ってくれてるとか、
名前を言えばわかってくれる状況を持ってる。
なんていうのも知り合うっていうか、
自分の関係の窓の中に入ってくるっていう。
でも逆もあるわけですよ。
こっちは知らなくても相手が違法的に知ってるパターンもあるわけです。
逆思ってしまうんですけど。
でもそれで間接的にコミュニケーションとってんだからあるわけじゃないですか。
たとえば本当にここでしか通じないやりとりかもしれないですよ。
議地の完全人間などで、しゅうさんのことを知らない人はまずありえないんですよね。
いやいやいや、お一人それっぽい人がいたんですよ。
あの場でも。
それはちょっと例外として。
しゅうさんのことをみんな知っててない。
しゅうさんに関する話題を出してて、第三者同士でしゅうさんのことを話して、
しゅうさんのことを知ってるし、しゅうさんのことを聞き出したりするんだけど、
でもしゅうさん本人は会ったことないみたいな人って。
それこそ大阪オフ会のときそういう方が多かったと思うんですよね。
あのしゅうさん。
たとえば議地のお二人もそうだったと思うんですけど。
でも議地のお二人はやっぱりパーソナリティー立場があったような気がして。
ちょっとまた話が別じゃないですか。
表に出るってことで。
でもそんなになくても相手がこっちのことを知ってて、
こっちが逆に相手のことを知ってて、
向こうはこっちのことを認知してるようなのがあるわけ。
人の話ってこれどう見たらいいかわかんないし、
絶対にコントロールできないなっていうふうに思いました。
おもしろー。
無理ーってなった。
人間関係の本質
知り合うで知り合いってことかなって。
こっちが知ってる相手だけが知ってるじゃなくて、
何をもって知り合ったっていうか、
知り合いからまたちょっと深い関係性に踏み込んでいくのって、
何がきっかけになったのかなってすごい思いました。
確かになー。
これ感覚的には、あの場ではほんとにちょっとしか喋れなくて、
でもその後、
リチの完全人間ランドで言うとオープンチャットで、
でも一瞬会ったから他の人より親近感が上がってるんですよね、
その喋った相手は。
で、さらにポッドキャストとかでお互いに名前が出たりすると、
もっとまた親密になるみたいにして、
知り合いとしてのレベルが上がっていくというか、
そういう感覚があるから、
でもどっからっていう線引きは難しいですね。
そうなんですよ。
その線があるっていう考え方もなんかあれ、
なんか勘違いなんだろうなと思うんですけど。
でもやっぱりそこでちょっとどうかなと思ったら、
さっき話した第3者に紹介するときの言い方。
はーって。
しゅうさんのことを知り合いっていうのか、
友人のしゅうさんですって紹介するのか、
あのこの人有名な配信者の方ですって。
そこ3つ目は違いました。
っていう感じで。
言うのかみたいな。
当然紹介する相手にもよるんでしょうけど。
意外といろいろつらつら話したんですけど、
思ったのは意外と僕らって、
その辺の関係性って明確に規定せずに、
人付き合ってしてるように。
逆にそれを規定せずに付き合うこと自体が、
人間関係なのかな。
人間関係の本質なのかなっていう。
存在の消失と記憶
組織とかにいたりとか、
なんかの集まりだったりとか、
いうふうに属してると、
そこでの肩書きだったり役職ってのが変わってくるんですけど、
そうじゃなくて人ってそんなに明確に、
この人はこうだからこうだ、
役割みたいなふうに規定してるわけじゃなくて、
もっとその人といる時間とか、
その人と話せる話題だったりとか、
その人と共有してるのは、もしくは共有できてないものでもいいんですけど、
その辺をそもそも意識にして、
あとはその人とどのような時間を過ごしたかとかですよね。
特に幼馴染とか、小中学校の同級生だったりすると、
今知り合ったら絶対こいつらなくなってたらならないよって、
付き合いが続いたりするわけじゃないですかね。
だからさっきのしゅうさんが、
僕が入る直前、戻ってくる直前のお話でしてたような、
今ちょっと役割違うところです。
頑張ってる人たちとかもそうだと思いますし、
なんかその、明確にこうっていうわけじゃなくて、
あの時はそうだったよねみたいな。
あの時は一番だったけど、一回ちょっとしてまた戻ってくるかもしれないしみたいな。
ビリヤードってどっかで見つかるかもしれないぐらい。
そうですね。
ちょっと話の種類変わっちゃうかもしれないけど、
僕今の話で思い出したのが、
大学の時の友達の女の子を、
Facebookで見つけたんですね。
それが、でももう10年ぐらい前かな。
まあ知り合ってた頃から20年ぐらい経ってたかもしれないみたいな。
でも僕の中では、思いっきり友達だったから、
冗談みたいにしてそのメッセージで、
しゅうっていう友達がその昔いたのを覚えてらっしゃいますか?笑いみたいなメッセージを送ったんですよ。
そしたらマジで覚えてなくて。
いっぱい書きましたね。
ありそうだね。
で、え〜うそ〜みたいな感じだったんですけど、
その子に関しては、病気かわかんないけど、
その子が、僕が何回かラリーというかやりとりして、
本当に覚えてないのはちょっと信じられなくて、
何回かやりとりしたら、向こうがちょっとムッとし始めて、
失礼じゃないですか?みたいな感じの返答が聞き始めたんですね。
で、それは私、長期記憶って無理なんですよみたいな表現が書かれてたんですね。
だからそういう病気なのかとか、その辺はちょっとわかんないんですけど、
まあでもそう捉えられるような感じで、
ちょっと僕、なんてうかつな話しかけ方しちゃったんだみたいに思って。
で、なんかでも不思議な気持ちだったんですよね。
僕の中では、ほんのその話しかける直前までは、
くっきり友達っていう認識だったのが、
なんかガラガラと崩れ落ちるような感覚っていうか、
もう少なくとも彼女の中では消えてたんだ、だいぶ前からみたいな。
なんか、おごそおしい話です。
なんかね、うまく言えないんですけど、
しばらく前、自分はもう死んでたんだ、自分のうちは死んでたんだ。
そうそうそうそう。
ずいぶん前から彼女の中でからの僕は消えてたんだみたいな。
消えてたって。
っていうのをちょっと思い出しちゃいました、さっきの話で。
でも、これってね、要は親がその認知症になってしまって、
息子の自分のことすら認知できなくなったとか、
そういうこととある意味で一緒だったりもするかなとか。
まあそうですね、うちのおばあちゃんが今そんな状況なんで。
どなた?って言われたんだけど。
へこみますよね。
まあへこむ、そうですね。
へこむ、まあ確かにへこむんですけど、
でもその毎回のそれがまずあって、
ゆうすけだよって言って、
ああ、ゆうちゃんかみたいな話になって、
で、その隣は、みたいな。
で、必ず奥さんと子供と一緒に行くんで、
奥さんと子供だよって言ったら、
お、子供が生まれたんかみたいな、毎回。
覚えてるタイプと忘れられていくタイプ
毎回笑顔になるんで、
ああ、幸せなんだろうなって。
そっか、何回も味わえるわけですよ。
何回も味わえるから、
新しいことになるかもみたいですけど。
確かにでも、それがね、
全く思い出せなくなる、
どなた?って言って、ゆうすけですって、
ってなっちゃうのもあり得るんで、
それは確かに悲しいですよね。
全く思い出せなくなると。
うちは両方のおばあちゃんで両方献金しました。
ギリギリ思い出せる時期があったりとか、
完全に忘れられた時期があったりとか、
全部似たようなのをやったんで、
やっぱり完全に思い出すのが不可能になった時は
へこみましたよね。
なんかそういう時って、
やたらすごい昔の話とか、
あとなんか、
どこと喋ってんだろう?みたいなことないですか?
どこと誰と喋ってんだろう?
それはないかも、僕は。
時代設定が、チューニングが狂っちゃってるんだよな。
何が狂った?
時代設定のチューニングが狂っちゃってる。
チューニングね。
僕は片方の祖母が同じような状況だったんですけど、
施設入ってて妊娠症になっちゃってて、
だいたい僕を別のいとこと取り違えるんですよ。
なるほど。
そうすると、そのいとこがその年、
僕のいとこは結構年上で10ぐらい離れたのかな。
そのいとこが僕と同じくらい年頃だった時の
時系列に戻っちゃって会話し始めちゃうみたいな。
そういうことがあったんだから、
その辺がもうままらなくなっちゃうんだなっていうのは感じたことがあります。
三つ子だよ。
三つ子、こんな大きく…ごめんなさいね。ごめんなさい。
名前を言うと、「こんな大きかったっけ?」って感じのことになるんで、
生きてる時系列がずれちゃってるんだなって。
記憶の中に戻っちゃってるんだ。
寂しいと思う。そうかそういうことかっていうふうに、
なんかちょっと関心じゃないですけど、
そうなってるのねっていうのを理解して覚えられますね。
時代設定、バグるのは僕自身はちょっと経験ないんですけど、
とにかく昔のことだけはやたらくっきり覚えてるで、
何回もそんな話をするっていうのは聞いてきましたね。
さっきのしゅうさんの話もそうですけど、
関係性…しゅうさんの話も、しゅうさん同級生、大学の同級生の方と同じ。
関係性が知らないうちに消えてるってめっちゃ怖いなって思いますね。
どうも僕はむしろそれをくっきり覚えてるタイプみたいで、
比較的いいですけど、ジャンルにもよるんでしょうけど、
最近も関西オフ会の道中で、
この話一回したっけな?したかもしれない。
してたらごめんなさい。
12の頃に一緒にアメリカにホームステイに行った友達のところに泊まったきっかけで、
またなんか今つながってる連中だけでも集まる機会あったらいいねみたいな話になったから、
Facebookで一応喋ることのできる女の子が2人いて、
その子たちに連絡するのも6、7年ぶりみたいな感じで、
ゆうじっていう友達と僕が会ったから、ゆうじと会ったんだよって言うので久々に連絡して、
しばらくは2人ともその女の子たちとも会話があったんですけど、
その時に僕がちょっと中2の頃のことを覚えすぎでしょ、あんたみたいに言われたんですよ。
めちゃくちゃ覚えてるねって言われて、
僕的にはみんなそうかなと思ってたんですけど、
どうも僕だけが覚えてるみたいで、
エピソードによるんですけどもちろん、彼女たちだけが覚えてるエピソードもあるけど、
数が異常に多いらしくて僕が。
関係性の固定化
すごいその気持ちわかります。
わかります?
俺もすごい覚えてる本なんで。
死ぬこと忘れてるタイプです。
本当に申し訳ないような。
そう、しゅうさんと同じで、みんな覚えてるでしょ、今回みたいな感じで話しかけちゃうんで、
なんでそんな覚えてるのみたいな。
同じだ、ここにいた仲間が。
結構なりますね、俺。
そっか。
なりますね。
なるほど。
やっぱちょっとへこむまでいかないけど、そうなんだみたいになりません?
なりますね。
みんなの中からもう消えてるんだみたいな。
羨ましいときは別に逆に。
忘れられていいなみたいな。
辛い記憶とかだとってことですか。
辛いこととかも覚えてるので、割とそっちの方が覚えてるかな。
そうっすね、そうっすね。
そうかもしれない。
逆に言うとこっちの何気ない恨みをずっと覚えられてるかもしれないってことですよ。
そう考えたら恐ろしいです。
そうっすね。
でもそうかも。
自分が覚えてる嫌なこととか、多分相手にとっては本当に大したことなかった。
普通に勘違いだったりするかもしれないし、
逆もまたしっかりとこっちの何気ない人事が実は相手にすごい影響を与えてるみたいな。
さっきちょっとぼんやり考えてたのは、
しゅうさんはいろんなもの手放してますけど、
しゅうさんは関係性を手放すことができるのかってちょっと頭の中で考えてたんですよ。
関係的に一番執着で一番実は強いものじゃないかな。
でもだから自分側からは手放しはしないですよ。
意図的に自分から手放そうとするっていうむしろ不自然な感じがするからしないけど、
結果的にもうだからさっきの話のいろんな話で、
なんていうの?向こうの記憶からもう消えてるんだからこっちも諦めるしかないかなみたいな。
手放すみたいな。
そんな感覚かな。
そういう意味では手放して、手放すことはできるってことですね。
関係性を結ばずに人が存在できるのかね。
もう少し広い話で言うと関係性を結ばずに人って生きていけるんだ。
だからしゅうさんがさっきずっとおっしゃってた船から降りることができないって感覚はいい。
船と深部ってことですよね。
船っていう同じものに乗ってて、そこで嫌顔がなしに結ばれる関係だったりとか。
そういうものからは絶対に逃れられないんだから、船からは降りれないってことかなと思って。
船から降りるって選択肢があるとかないとかって話じゃなくて、
仕組み上降りるってことができないんだって話かなって思いながら聞いてます。
そうですね、そんな感覚ですね。
最大で一番根っこのところが根本なのが関係なのかなと思うんですね。
関係を捨て去ることができない。
狼の群れの動き
そうですね。
わかんないですけど。
さっきのしゅうさんの同級生の話ばっかり言ったってあれですけど、
大学の友人の方がもしかしたらしゅうさんと話して、何なのこの人って思ってたとしても、
それをきっかけに忘れた記憶が蘇ったりとかってこともあり得るわけじゃないですか。
忘れてるとか言える。
ないとは言い切れないですね。
一度結んだ関係とかって絶対に消し去ることができないから、
こっちが執着してるしてないに関わらずずっと残っちゃう。
逆に言うと、こっちが固定化した関係とかに執着しすぎちゃうといろいろと問題を引き起こすかもしれない。
その最大のものが地上のもつれだと思うんですけど。
相手の役割と自分の役割を固定化してそのまま保とうとしたときに、本質が変わっちゃってるのに。
本質が変わっちゃってるのに、特定の枠組みを維持しようとして、いろいろおかしくなってるってことだと思うんで。
差別とかもそこにつながる気がしてて。
話が違いすぎてますけど。
そんな気はしますね。
逆に前回の収録のときに修羅さんがお話したような、狼の群れの役割。
群れとして動いてるのはすごく明確ですけど、結構流動的じゃないですか。
ハルカーとベータが出かわったり、力関係、弱いほうが負けて追い出されてるとか。
専門書とかじゃないですけど、狼が新しい、オスは確か追い出されるんですよね。若いオスは。
追い出されて、一人旅して、どっかで迎え入れてくれる群れを探すみたいな。
めっちゃ遠くから何番も遠吠えして、群れが答えてくれたら、そこで何番かまた過ごすというか、
コミュニケーション取り合って、ようやく群れで使用期間みたいなのがあって、
それを減ると一番下っ端からスタートみたいな。
関係性を結ぶって言いますか、同じ群れっていうすごい強固な結びつきのものでもあっても、
そういうふうに、完全に固定化できるわけじゃないじゃないですか。
死んだりとか、子供生まれたりとかで。
狼ってその辺を何て言うんですかね、人間でいうとこの複雑な言葉を使わずにやってるって何なんだろうなって思いました。
いやー、アイコンタクトとかで。
狩りはアイコンタクトでやってるし、不思議ですよね。
狩りの成功率は4割らしいんで。
4割もあるんですかね。
4割。確かに4割もありますよね。
確かに。
松木さんも野球選手で3割を打ったらトップ選手だから4割はすごいって話をしてましたけど。
で、狼の体重がだいたい60キロぐらい。60から70とか。
こんなにあるんだ。
で、でかいですけど、獲物で狙う、鹿とかは100倍ぐらいですかね。100から200、エルクとか。
で、アメリカバイソン、バッファローとかは2トン。
2トン!?
2トンです。
そんなでかいんだ。
2トンでスピードが時速40キロぐらいですかね。40から50ぐらい。
すごい。
車ですよね。
キャッチボールと関係性
それがアメリカの台地に2万頭ぐらいいて、群れで。
そのうちの1頭を狩り、引き剥がして。
それがすごい。
すっげー。
それはすごいな。ちょっとすごすぎて、関係性…
それを可能にする関係性ってなんだろうって思いますよ。
それを可能にする関係性って何なのかって思うんですよ。
さっきも話したように、人間でいうところに言語は使えないわけで。
コミュニケーションを取る方法があるにしても。
それをアイコンタクトのわけで。
それをね、グループキャンプの中でやっていくんですけど。
まず、種明かしにするみたいなのがあるんですけど。
種明かしっていうか、やることはあるんですけど。
ネタバレ注意ですか、これ。
ネタバレ…バレても別にいいんですけど。
冗談、冗談です。
コミュニケーションはキャッチボールってよく言うじゃないですか。
言われますね。
だから実際、かしかしてやってみるんですよ。
ボールを持って。
で、そのボールを、たとえばシューさんって言ったらシューさんにボンってボールを投げて。
キャッチして。
で、シューさんがこれにシュラさんって言って返す。
これがキャッチボールです。
言って返ってくるのね。
基本が。
スポーツ選手の関係性
で、これが基本だよねっていう話をして。
で、たとえばボールを変えてって、たわしを投げてみたいな。
ちょっと意外がしたもの。
こういう気持ちを投げたいときあるよね。
あとはデリケートなものをちょっと投げてみるときはどういう投げ方になるとか言いたいとか。
あと受けてもこういうふうにキャッチしてくれる感じがあったら投げやすいけど、
時計見ながら早く早く早くとか言われたら投げにくいよねみたいな。
どんな気持ちになる?みたいなのをやっていくんですよ。
まず。
で、それはボールがあるから見えやすいですけど、
コミュニケーションの中でボールないし、
私たちはボール投げてそこら辺に落ちてるかもしれないよみたいな。
でもそういうことって人間社会でよくあるよねみたいな。
で、そういう状態だとやっぱりワークもうまくいかないんですよ。
与えられた課題がうまくいかなくて、しっかり受け止めてあげる。
ただ全部形どおりに優しく受け止めるだけじゃなくて、
時には思いっきり強速球を投げたやつもいるわけじゃない。
じゃあ強速球投げるならやってやるよみたいな感じで受け止めてあげたりとか。
そういう強速球を投げられて受けてみて、
すごい受けたけど嫌な気分になった、
私は受けられないみたいなのをしっかり返してあげるとかをやっていくと、
青髪みたいなチームにちょっとは慣れるのかなみたいな。
実際ラグビーの代表とかもそういう研修やるみたいですよ。
キャッチボールの。
落とすって言ってました。
そういう代表選手でも。
そういうことか。
そうなっていく安心感というか、
それがベースでそういう関係性になっていくんじゃないかなと思うんですけど。
スポーツ選手とかってその感覚に近いんだろうなって思いました。
特にチームスポーツより。
僕がついと知ることはなかったんですけど、
一応バスケ部だったんですよね。
ずっとベンジだった。
レギュラーメンバーの意気な相方とか。
いわゆるバスケ部能力パスとか平気でやるんですけど。
次年の打ち合わせとかやってる場合もあるんですよ。
セットプレイっていって、
僕がこう動いたらこう動くから、あなたはこう動いてねって決めて、
それを暗号化してやることもあるんですけど、
本当にアドリブの絶対にこれ誰も見えてないだろうってパスを平気で取ったりするようなことがあったりすると、
なんなんだろうなって思いますし、これには敵わないなって。
そこの輪に入れない感じがありました。
いい意味や悪い意味。
これにはいいけど、無理だわって思いました。
ちょっと前に僕がサッカーとかの話したときにもそんな感じのことをおっしゃってましたよね。
ポジション取りだけは僕できるっていう話して、絶対無理みたいにおっしゃってましたもんね。
ポジションの役割と、役割を理解できるのに役割を果たすのってやっぱ違うんだなって。
それはそうですね。
別のスキルがいるし。
役割を理解してないもんを役割を果たしてる人もいるでしょうしねって思いましたね。
それが所属してる集団だったりとかその場のグループによって変わることもありますし。
ゲートなんだろう。
このタイミングで2時間くらい経ってるタイミングでこんな袋工事に入り込むと死ぬんで。
袋工事入りそうだったんですか。
僕が入り込み始めたんで。
そうだったんだ。
時間的には大体いいかなぐらいな時間になってますね。
一旦収録としてはここで切りましょうか。
ということで、たぶん1月3週目だと思いますけど、みなさん今年もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
失礼します。
ありがとうございました。