スマホ時代の哲学
おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、瀬戸内赤嶺から毎日流行をお届けしております。
昨日、YouTubeと同時に収録してみたりしたんですが、やっぱりね、YouTubeにはYouTube用のやつがいいかなって、何回繰り返してるんだろうね、これね。
やっぱ、ポッドキャストはポッドキャストのね、コンテンツの良さがあるから、これ難しいね、本当にね。
ということは、これが表の放送で、裏の放送で、月額980円でプレミアム放送、限定放送をやってますので、
表の放送の後書きみたいな感じで毎回話してますので、今日はプレミアムではそっちの話をしようかなというふうに思います。
気になる方がいたら、ボイシーで課金すると聞けますので、よかったら聞いてみてください。
で、今日はですね、最近読んでよかった本、スマホ時代の哲学、これオーディブルで聞きましたので、これをちょっと紹介したいと思います。
で、少し前に紹介した人生のレールを外れる衝動の見つけ方っていうね、これ同じ著者で谷川さん同じ著者の方です。
で、スマホ時代の哲学の方が先に出てるんですけど、セットで読むといいかもしれない。
この本ね、めちゃくちゃよかったです。
で、まさに今日のタイトルにある通り、人生がしんどい時に聞く答えを急がない力、ネガティブケイパビリティっていうものですね。
この本で何を言ってるかというと、僕らってすごく今、スマホで常時接続状態じゃないですか。
もうマルチタスク、それこそポッドキャスト聞きながらAmazonの商品探したり、LINEが来てそれに返したり、SNSで推しのやつにいいねをしたりとかさ、情報収集でインスタのまたリールを見たりとか、マルチデバイスでもあるし、今だいたい1人3台ぐらいデバイスを抱えてるらしいですね。
すごいよね、スマホとパソコンとタブレットと、あとApple Watchとかいろいろありますけど。
それで本当2つデバイスとか、マルチタスクで常時接続で、常にLINEが誰かと繋がれてとか、SNS見ててみたいな、こういうふうな状態になってると。
こうなってくると何が起こってるかというと、しっかりと自分とある意味向き合えてないんですよね。
それ、向き合えてるっていうのは簡単な話ではなくて、この本の中では孤独に慣れてないと、孤立とか孤独というものが失われていると、常時接続してるんだから、結局何だろうね、他人の答えというか他人のコンテンツとか、あとは誰かが誰かに怒られてたりとかさ、ドッキリとかさ、
そういう刺激的なものだけで、すごく簡単に空白を埋めてしまいやすいよね、今ってね。
で、それが結局別の問題を引き起こしている。
僕はまさにお盆の期間とか、もうずっとコンテンツ見てだるいなとか、自分は何のために存在してるのかなとか、よくわからない方向にいてたんですけど、
自己との向き合い
やっぱりこれって結局他の人のコンテンツ見すぎて、自分と会話ができてない、自分との時間が取れてないんだと思うんですよね。
これは本を読んで自分が感じたことなんですけど、自分のことがまさに書かれているような本でした。
で、その中で言われているのが、シンプルなメッセージでいうと、ネガティブ・ケイパビリティというものなんですよ。
僕もあんまり詳しい、知ってる概念ではないんですが、いわゆる答えを急がないっていうことなんですよね。
もっと言うと、モヤモヤを抱えたままっていうのを大切にすると。
今って本当に答えがすぐ出るじゃん。
一問一答みたいな感じで、もう人生とは選択の連続ですみたいな、ちょっと違うかもしれないけど、みんながみんなそれぞれの立場でいろいろ答えたりとかしてて、
答えがすごく急がれる。答えが出せないのであれば、コンテンツとして成立しないみたいな。
すごくショート動画とかの文脈で言うと、早く答えがわかる、早く結論がわかるから伸びるんですよね。
そういうことか、わかるみたいなもの。
そんな簡単なものじゃないじゃないですか。
画面の中はすごく簡単な情報とか結論でありふれてるけど、いざ自分の人生を見つめてみたときには、難しいことばっかりじゃない?
例えば人間関係、家族と、例えば自分の親と自分のパートナーとの関係とか、またはギリの何たらかんたらとか、
みんなは多分複雑なもの、答えが出せないもの、抱えてるはずなんですよ。
会社の同僚との関係とか、仕事仲間との関係とか、あるじゃないですか。
それが一瞬でスマホ見たら解決するわけないよね。AIに聞いたら解決するわけないよね。
モヤモヤしてるじゃないですか。でもそのモヤモヤを感じたくなくて、割と空いた時間、隙間時間とか、ぼーっとしてるときにスマホいじったりとか。
この本の中で詳しい事例として、すごい腑に落ちるというか、自分自身もそうだなと思ったのが、
誰かのお葬式のときに本来はスマホ見ちゃいけないよね。
退屈な瞬間ってあるじゃないですか。どれぐらいの近い人かにもよるかもしれないけど、
やっぱりちょっと長かったりとか、待たないといけないとかあるじゃないですか。
それを退屈と言ってはいけないんだけども、でもスマホを見たいとか、テレビのある場所に行っておきたいとかって思うよね。
この時間他のことできたらなとかって思っちゃうときってあるじゃないですか。そのお葬式以外でもね。
で、そのときにスマホを触ってしまうっていうのは、たぶんその例えば個人の人とちゃんと向き合えてるかっていうと、たぶんそうじゃないよね。
僕自身、父親が8年前に亡くなったときにまさに同じことが起こって、僕ね、元気だったんですよ。
親父が亡くなった後、泣かなかったんですね。全然。
というのも、姉とおばさんが帰ってきてて、いろいろバタバタするじゃないですか。
で、そのときも姉とおばさんが泣いたりとか悲しむっていうことをするけど、僕はもう普通にいて淡々と終わらせていって。
で、その後、ぽつんと一人になったときもブログをわーってやったりとか、ブログを始めたんですよ、その後にね。
どんどんどんどん動いて。その後、行き屋さんのとこバーって会いに行ったりとかして、そうやって行動してて。
なんかこう、親父との死について、明らかに僕避けた行動をしてたんですよね。全然元気ですみたいな。
で、そっから半年ぐらいしたときに、もうふと、なんだろう、急に涙が出てくるというか。
多分、ちゃんとその親父が亡くなったっていうことに僕は向き合えなかったんですよ。
だってそれって、僕、子供の4歳ぐらいのときから親父、慢性腎不全で、もういつ死ぬか分からなかったんですよね。
いつもニュータイン繰り返してたりとか、高血圧だったりとか、ぶち切れやすい性格だったりとかしてて。
で、僕も子供の頃に、あえてその親父が死ぬみたいなことなんか考えられないじゃん。
考えられない。どうしたらいいんだろうって思うよね、お父さんが死ぬっていうのは。もう想像もできないから、もう怖すぎて。
逆に、もう、お父さんは来年の5月に死ぬけんって、タイツリーが5月なんですけど、タイツリーとか行けんよ、来年は死ぬけん、お父さんは死ぬけんって、何の根拠ももちろんないのに言ってたんですよね。
で、そういうふうに言ってたら、2017年の5月か、僕が27歳か8歳ぐらいでしたけど、本当に5月に亡くなったんですよね。
まあそれは別に、僕が5月とか言ったわけではもちろんないんだけど。
もやもやとの向き合い方
で、なんかね、それがこう自分の中でずっと親父が死ぬ死ぬ死ぬって思ってきて、生きてきて、本当にいざ死んだときになんかこう、自分の中で本当によくわかんない。
なんか感情がなんかわかんないんだ、本当に。
で、そうだからこそ多分、空いた時間とか全然そんなことも考えず、なるべく考えないようにしてたし、で、ブログも書いて、自分は新しい人生だと思ったときにブログも書き慣れてさ。
まあ途中そのももちろんアクセスもそんなないし、うまくいってないから、ふと時間があったときに、なんかツーって涙が出てきて、親父とよく言って海とか行ってもね、一人で本当泣いてたね、海見てね。
で、そう亡くなった後よりも半年とかしてから本当に辛くなって、全然乗り越えられてなかったんですよ。
それをなんかね、すごいこの本を読んで思い出したんですよ。
で、それどういうことかっていうと、まさに常時接続でちゃんと自分と向き合う時間みたいなのが取れてなかったってことなんですよね。
そのもやもやお葬式のときに個人との、個人の知り合いの皆さんと話したりとか、そこ一緒にお弁当食べたりとかする時間が多分大事で、
それをしないっていうことは多分何か大きな欠落が起こってるはずなんですよね。
これ多分社会全体そうだと思う。
それが多分今メンタルヘルスとかにもしかしたらつながってるのかもしれない。
この本は本当にそういったことを丁寧に丁寧に書いてくれてるので、ぜひ読んでほしいんだけど、
まさにこの本の中で言ってる通り、もやもやのまま。
何だろうこれって、多分僕は親父が亡くなったときにやるべきことだったことは、
多分それを簡単に、ブログに書くってのは決して悪いことではないんだけど、
簡単に処理しようとしたっていうのは良くなかっただろうし、
例えば夫婦関係でもいろいろあるじゃないですか。
生きてるとね、その友人関係でも。
それに対して知恵袋とかで調べて、
こんな同じような人もいる、じゃあいいやとかって簡単に結論出すとか、
そういうことで悩んでるんだ、わかったわかった、じゃあこうすればいいねみたいな。
男の人はよくやりがちだけど。
そうじゃなくて、解決できないままでいいものってのはあるわけですよ。
それ別に解決するなってことじゃなくて、もやもやを抱えたままで、
例えば別のことをするとか、本を読んでみるとか、
ゆっくりじっくりそれと向き合うみたいな。
早急な解決を急がないっていうのが、すごくこの時代に必要。
それは今ものすごく求められてるというか、難易度が難しくなってるよね。
体力がいるよね。もやもやを抱え続ける体力。
孤独な時間の価値
簡単に面白いものが手に入るからこそ、
簡単ではないじゃん。もやもやと向き合い続けるっていうのは。
それが非常に難しいし、大人が難しいんだったら多分、
子どもたちはもっとより難しいと思うんですよね。
だからそういう意味で、一人の時間、孤独な時間。
孤独って決して悪いものではなくて、
この本の中では自分とのもやもやとちゃんと向き合う時間。
っていうのが言われてて、すごいそれは思いました。僕自身もね。
この本の中で趣味を持とうと。
こんな簡単な一言で終わるわけじゃないから、もちろん読んでほしいんだけど、
でも自分の中でも何の役に立つかもちろんわからないんだけど、
それ自体を作ることとか制作することで楽しいって思うとか、
それが逆に難しいって思うとか、
そういう趣味みたいな時間とか機会を自分でも取らないといけない。
これは教養とかっていうとまたちょっと変わってくるのかもしれないけどね。
だから暇と退屈の倫理学にもつながるようなそんな話だったので、
ぜひそのあたりの本読んで面白かったとか、ちょっと考えたいとか、
ちょっと哲学勉強したいなという方がいたらぜひ手に取ってみてください。
関連書籍もたくさん紹介してくれてるので、
僕もまた色々読み続ける、読み広めていきたいなというふうに思います。
ということで今日はリンク付けておきますので、気になる方はよかったら書籍見てみてください。
スマホ時代の哲学ですね。
ということで今日も聞いていただいてありがとうございました。
この後も心地よい時間をお過ごしください。バイバイ。