1. 1年後の自分を楽にするラジオ
  2. 「その目的は?」とツッコミを..
2024-08-30 11:54

「その目的は?」とツッコミを入れられない場所がコミュニティ。

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おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを1日1つ、瀬戸内海の島から有効お届けしております。
はい、絶賛台風の風が強くてですね、小民家のあの、なんていうの、ガラスとかガタガタガタガタっていうのと、あと雨漏りがパサッパサッとね、そういう家に住んでおりました。
あの、雑談なんですけど、今コワーキングスペース立てて、立ててるじゃないですか。
で、あっちはこう、まあ、いわゆるその新築の物件で、あの、壁とかもしっかりしてるし、あの、まずペアガラス、サッシも入ってるし、もう小民家サッシじゃないんですよ、そもそもね。
で、なんか家にいて結構風強くて、外うるさいなあと思って、で、LLCハウス様子見に行って中入ったら、めっちゃ静かなんですよ。
こんな違うんだと思って、最近の家。なんか僕も小民家、いいな、いいなって思ってたけど、いやいいんですよ、好きだけど、
いやもう、じゃあもう1回どっちでも住めますよって言われたら、新築住むなと思いました。
やっぱね、新しい家はね、あの断熱だったりとかさ、うん、なんかやっぱ快適ですよね。虫とかも入ってこないしさ。
はい、という話でございます。はい、で、今日の話は何かというと、まあ、あの、まあ目的に、こう、過度に縛られないようにしないとねっていう話です。
あの、まあ目的が大事だっていうのはね、僕もよく話すし、まあ何かこう、SNSでマネタイズしたいんですって言われたら、まあ目的ってどうですかとかゴールのイメージとかね、あの1年後どうしてたいですかとか僕は聞くようにしてるので、
もちろんそういった意味ではね、目的ってすごく大事だと思うんですよ。ただ、一方で僕らって結構こう、目的市場主義に陥りやすい、えー、なんか社会環境だなとも思ってしまうんです。
うーん、例えばさ、これ多分3段階ぐらいあると思うんですよ、これ。なんか目的に対してね。例えばAIの使い方がわかんない。AI何していいかわかんないって、まあよくあるじゃん。これも目的によるよねっていうので一発で解決できるわけですよ。
要するにいろんなAIがあるから、あなたがAIで何がしたいかっていうその目的があって、そこに対する手段としてAIがあると。
いわゆるその旅行で言うと札幌に行きたいっていう目的地があるから新幹線なのか飛行機なのか船なのかバスなのかって決まってくると。でも、なんかどっか行きたいんだよねって言った瞬間にはそれはわからないわけですよね。だからAIもざっくりとしてるからどんなAIを使っていいかわからないみたいな話し方ができるじゃないですか。
やっぱ目的って大事だってなるんですよ。これ間違ってない。これファーストステップぐらいだと思います。で、その次に何が起こるかというと目的ってどうやって持ったらいいんだろうと思うわけですよね。
要するにその札幌に行きたいって思えたらいいけど、別にでも行きたいとこないんですよねみたいな。いやでも何でもいいからどっか行きたい場所言えばいいじゃん。いやでも別にいいみたいなっていう人もいるわけ。
AIはじゃあ目的が大事だって言われて、いやでもAI使って目的、いやそうですね。なんか画像作りますとか収入増やしたいんですよね。ここまで来たらまださ、じゃあ画像作って売ろうとか納品しようとかいろいろあるかもしれない。
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だからこの目的を持つ、いわゆるしたいこととかやりたいことを見つけるっていうことが難しくなったりするわけですよ。何が言いたいかというと、この目的がないとダメだっていうふうに過度に重いすぎてしまうと身動きが取れなくなるんですよ。
だからその、今言ったファーストステップ目的があるとスッキリする、セカンドステップ目それでもなんか目的が分かんない、見つかるの、見つけ方が分かんなくなる。目的の見つけ方が分かんないみたいな。モヤモヤしちゃう。じゃあ三段階目、サードステップって何かというと、目的関係なく動けるってことだと思うんですよ。
もう動くことが目的みたいになるみたいな。僕ももちろん答えみたいなの見つかってないんですよ。その時に、過度に目的がないといけない、目的がないと動いちゃいけないみたいになって、何も動けなくなってしまってるっていうのを僕は避けたほうがいいなと思っていて、目的を捨てるわけではなくてね。
で、その時に大事なことって何だろうかって思ったんですよ。目的外に行けるための条件って何だろう。過度に目的に縛られないためにはどうしたらいいんだろうっていうことの答えは、答えというか仮説ですよ。僕はなんとなく見つかっていて、それがコミュニティだと思うんですよね。コミュニティ。
例えば大学の時とかのサークルとか思い出してください。高校とか中学の文化祭とか何か運動会頑張るとかでもいいんだけど、あの時って僕もサッカーサークル立ち上げたんですよ。大学の時にね。別に僕サッカー経験者ではなかったんだけど、他にもサッカーサークルっていっぱいあるしサッカー部もあるから別にそこ入ればいいんだけど、なぜか作ろうってことになったと。
じゃあサッカーサークルの目的って何ってことですよ。なかったね。自分たちのチームを作りたいみたいな。でもそれ本当に目的かっていうことなんだよね。サッカーがしたかったら別に他のやり方もあるわけで。
じゃあなんでそういうふうなサッカーサークル作ろうってなったかっていうと、サッカー好きがいたんだよね。まあ上入れとか含めてちょっとボール蹴りに行こうとかサッカーの試合見に行こうとかサッカー好きが結構集まってたんですよたまたま。4,5人?もうちょっと6人?7人?じゃあこれなんか11人ぐらいになりそうだねっていうのももちろんあった。じゃあサークル作っちゃうみたいな。サークルも簡単に作れるらしいよみたいな。
で、僕も鶴文化大学って山梨の大学だったんですけど、鶴信用金庫だったっけ信用組合行ってサークルの通知を作りましたね。クラックっていうサッカーサークルだった。今あるのかな?なんか僕らが卒業した後も一応何年か続いてたと思うんですよ。今あるかどうかわかんないんだけど。そう通知を作るに行ったのを覚えてます。
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で、じゃあその時にすごいなんか、いわゆるそのビジョンとかミッションとか目的みたいなものはあったかっていうとないんだよね。みんなでサッカーをしよう。じゃあそうなった理由、そういうふうに目的なく動けた理由は、それは人といたからなんだよね。サークルの前の友達、要するにコミュニティーがあったから。10人ぐらい。
うん、なんですよ。で、何が言いたいかというと目的に縛られるのは決して悪いわけじゃないんだけど、僕らって結構今さミッションビジョンが大事だって僕も言ってるけど、でもそこだけに縛られてしまうといやビジョンがないからじゃあやっちゃいけないのかミッションがないからやっちゃいけないのかっていうそのなんかこう交渉なことみたいになっちゃうんです。
たとえ、決してミッションビジョンがただただ交渉っていう話じゃなくて、そっち側になんか行っちゃうみたいな。いやでもさ、僕もブログとかSNS始めた理由なんか別に交渉な理由ない。なんかブログで借金返していきたいからっていうことぐらいなんですよ。
って考えたら、それで動けるかどうかも結構大事だったんですよ。目的がなくても動けるかどうかみたいな。子供とかそうじゃん。目的とかないじゃん。鬼ごっこしようって言った時に、え、ちょっと鬼ごっこなんだしたいの?なんかその体動かして鬼を追いかけることによってその二項対立を自分の体の中に染み込ませたいからみたいな。ないでしょ。何言うとんねんってことじゃないですか。
そう、鬼ごっこしようって。いいよでいいわけ。誰が鬼やるってこっちねって。それでいいわけ。それでスタートして楽しかったでいいわけなんですよ。ついつい僕ら大人になったりとか、変に賢くなったり知識をつけると、頭が僕ね、結構凝り固まってる気がするんですよ。その目的、過度な目的主義みたいなもの。
本来さ、人間生きてくる中でそんなめっちゃ目的あったわけじゃないと思うんだよね。集団でいた。いるからなんかしようってなった。それってつまりコミュニティが先なんですよ。人同士が集まっていることが先なんですよ。目的があったわけじゃないんですよ。何ならコルクの里島さんの言葉を借りると、コミュニティそのものが目的なんですよね。
っていうふうに考えていったら、非常にこれからコミュニティが大事だって言われているのは、このことが裏にあるんじゃないかなっていうふうに思ったんですよ。要するにみんな目的から離れたがってる。なんかSNSでこれやろう、あれやろうとか会社でこれやろうって言った時にビジョン、ミッションは目的はとかさ、なんかその計画はとかって言われるじゃん。それはしょうがない。資本主義とかビジネス置いてお金出す側とかさ、いろいろあるから。
でもさ、いやわかるよ。それがすっごい大事なのもわかるんだけども、でもなんかこれやりたいと思ったからやるとかでいいんだよ。コミュニティだとそれ成立しちゃうじゃないですか。なんかみんな飲み会しないとかオフ会しないとか、なんか目的はというか、目的とかオフ会の目的なんかないよ。オフ会をやることなんだよってことじゃないですか。
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でもさ、そこから何かメンバーが集まって、いやここのメンバーいたらこんなことできるかもしれないよね。じゃあこれもちょっと試してみようみたいな。で、その話が大きくなってきた時に、いやちょっと大概的にもっとわかりやすいように目的とかミッションとかビジョンとかちょっと整理していこうよっていう形でいいんじゃないかなって思うんですよね。それが多分バランスを取ることだと思います。
だから僕らついつい、なんか外から見られた時にちゃんとこれをやってる理由はこうですってきっちりかっちり説明できないと格好悪いとか頭が悪いとか恥ずかしいとかなんか勝手に思い込んでるのかもしれない。そこをぶち破った方がいいんですよ。だからリブライカキャットって猫のように生きるってことなんですけど猫とかも目的ないんですよ。ないじゃん。もう瀬戸さん、うちの猫とかはとにかく毎日心地よく過ごすことなんですよ。
なんか危険なこととか怖いこととかしたくない。お腹も過度に減らしたくないんですよ。一日のほとんど寝たいんです。で、あと起きてる時グルーミングしたいんです。で、なんかヤモリとか虫がいたら追いかけたいんです。目的とかないわけよ。だから僕らある意味そういう目的市場主義みたいなのを一部ぶち破っていくっていうかバランスを取らないというか距離を置いた方がいいかもしれない。会社とかいるとそうじゃん。プロジェクトに入るとね。だからコミュニティなんだと。
ここはなんかある意味目的なく何かできて楽だなっていう居心地がいいなっていう。それは決して僕は傷の舐め合いとかではないと思うんですよね。だってそもそも人が集まっているっていうこと自体が目的だから。っていうようなことが僕は今後すごく重要になってきてコミュニティの価値がより高まる。相対的に固まる。
だから変に目的を過度に求めるコミュニティがうまくいかないのは僕はそうなのかなっていう。このコミュニティはこういうことの目的で目的で目的でって。もう目的ですみたいな。集まってるってところでそれで成立してるんですよ。それもOKなの。もう完全体なんですよ。それでね。その上で集まってるからこういうことしようかっていうことが出てくると。
ある意味何か自然みたいなものなのかもね。そこはコミュニティっていうのは山とか川とか海とか土とか土壌とかそこからニョキニョキ何か出てくる。それは何でかっていうと因縁消去ですよ。そこにそういうものが出てくる。ある意味縁起があったからっていうことだよね。だから縁起発生マシーンなのかもねコミュニティは。そうやって言うとコミュニティの目的になっちゃうからちょっと違うんだけど。そういう見方をしていてもいいんじゃないかなと僕は個人的に思ったので。
よかったら皆さんついつい目的に縛られてしまう人とか目的気にしちゃう人とか大概的に気にしちゃう。僕そういうタイプなんですけど。そういう時はコミュニティでいいということです。そんな話でございました。今日も聞いていただいてありがとうございます。この後も心地良い時間をお過ごしください。バイバイ。
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