ゲスト:首藤元嘉さん(株式会社維里)
4H会長/農家を継ぐか?/お父さんの農薬被害から自然栽培を始める/周りの農家からの反対/4ha→1ha/「不理解」/有機の農協を作る/中小企業同友会/ビジョン・ミッション作り/オーガニックが当たり前の未来に/水を守るのが使命?/本当のミッション/楽天農業/移住は縁/オーガニックビレッジ宣言/地域に恩返ししたい→次代に繋いでくれればいい/地力のない田んぼ/自然栽培→有機栽培/資源を循環する農業/魅力的な里山作り
稲作の始まり/命の根=イネ/稲は明日の私/稲が育つ環境は私になる/この世の全ては「私」/風土を守ることが地域を残すこと
維里ファーム
サマリー
首藤元嘉さんは自身の有機農業の経験を語り、愛媛県での自然栽培に関する背景や挑戦を共有します。また、有機農業を通じた農業の未来についても考察しています。このエピソードでは、須藤元嘉さんが愛媛県から山口県長戸市へ移住することについて話し、オーガニック農業の重要性や地元の農業協定にも触れています。彼は自然栽培の理念を持ち、地域の水質問題を解決する使命を見出し、移住を通じて新たな挑戦を続けています。さらに、首藤元嘉さんは永戸での農業体験や地域の特徴、土壌の状態について語り、シアカー町との比較を通じて農地の運営や地域の発展への考え方についても触れられています。また、有機農業の重要性や、稲が未来や健康に与える影響について語り、自然環境の保護やミネラル循環の視点から持続可能な農業のあり方を模索する姿が描かれています。首藤元嘉さんは地域の農業の重要性や有機農業の価値について語り、持続可能な農業の実践を通じてコミュニティの結束を促進する方法を探求しています。
首藤元嘉の紹介
おいしい野菜と勇気を君に
はい、どうも。有機農業系ポッドキャスト、小農ラジオです。
2025年明けましておめでとうございます。
はい、新年一発目ということでですね、
今日は早速、ゲストが来てくださってますので、ゲストの方を呼びしたいと思います。
首藤元嘉さんです。
はい、よろしくお願いします。こんばんは。
よろしくお願いします。
光栄です。新年一発目。
いや、光栄ですって言われるのもあるんですけども。
はい、首藤さん、簡単に自己紹介してください。
私は今、山口県の長戸市で、株式会社伊里、野後は伊里ファームという名前で、全補助有機栽培で営業しております。
工作面積は今、12ヘクタールぐらいですかね。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
首藤さん、前からツイッターの方で、結構、小農ラジオを聞いているという話があったんですけど。
はい、僕は小農ラジオの大ファンでですね。
大好きです。
今日の日を楽しみにしていてですね。
普段、スイートがメインなんで、仕事中、半冒険になると機械に乗っていることが多いからあまりラジオは聞けないんですけど、
冬場の間でやったりとか、諸準備している間に、ポッドキャストをまとめて聞くということをしていて。
愛媛での農業の挑戦
特にゆーちゃんのやつは、英語ができるから海外の事情とかにも分かるじゃないですか。
僕、特に好きであったやつが、ゲノム編集とかコオロギファーム、放射線育種のやつとかで、
淡々と事実をまず語った上で、最後に自分の意見をちゃんと言うスタイルが僕はすごい好きでですね。
勉強になるなと思いながら。
ありがとうございます。
なかなかちょっとセンシティブというか、やっぱり持論は言いたいなと思うんですけど、
ファクトベースというかね、分かっていることはせめてちゃんと理解してから話したいなと思って。
須藤さん、有機でやってらっしゃるじゃないですか。
そこら辺で、多分僕も有機農業だし、いろいろ共感するところあるんじゃないかなと思ったんですけども。
須藤さん、もともとあれですよね、4Hの会長をやってらっしゃるんですよね。
そうです。令和元年、令和二年と4Hの全国の会長をさせていただきました。
その時僕ちょうど、ポッドキャスト始めたばっかりだったかな。始める前か。
だったんですけども、クレイジーアグレチャー版のガスヤですね。
ガスヤと深夜に電話してた時に、
電話。
なんか突然電話して話したんです。
その時に、4H入ったらいいじゃないですか、みたいな話になって。
いやいや、有機の弱小の農家なんて4Hとか全然入れないでしょ。
僕全然知らなかったんで、そういうもんだと思わなかったら。
いやいや、今だったかその前だったかな。
会長は、有機というか自然栽培の米農家だよって言われて、えーって。
その時に須藤さんのことは僕知ってて。
ありがとうございます。
すごい人がいるなと思ったんですけど。
珍しいんじゃないですか、4Hの会長。
はい、珍しいと思います。
その時、当時日本農業法人協会の副会長が金沢大臣の井村さんだって。
井村さんと会った時に、とうとう有機の人が会長をするような時代が来たのかっていう風に言われたのが結構印象的やったですね。
確かに、後にも先にもあんまおらんのじゃないかなと。
うーん、そうですよね。井村さんって巨人がいますね、確かに。
そうか。
2年間、会長をやってらっしゃるんですか。
やりました、はい。
えー、そうか。
そんなので、僕もすごい人がいるなと思ったら、まさか聞いてるって言われて。
いやいや、ありがとうございます。
僕ね、今日はもうちょっと舞い上がってます。大好きなラジオに出られて。
僕もいろいろ収録するにあたってですね、初めからいろいろ調べたというか、ネットでいろいろ記事拾ったりしたんですけど。
あれ、マイナビ農業だったかな。
あとYouTubeとかを見たんですけども、今は山口の方でやってらっしゃいますけど、
その前は愛媛の方でやってたっていう。
そうですね。
そこら辺のお話を改めて聞かせてもらいたいんですけど。
僕、もともと愛媛県西条市というところの生まれで、代々農家の12代目の長男として生まれたんですけど、
収納するきっかけが、親父の利納。
親父がもう体が悪くなって農業できませんというので、もう辞めますということで。
結構若かったんじゃないですかね。
そうですね、60、何歳だったかな。診断が68やけん、その3年前65か。65でもう農業やめますということで。
結構若くして亡くなられたんですね。
その理由が農薬の薬害による体調不良ということで、その姿を見てるから、
同じことをしとったら、自分が親父の年齢になったら、同じ姿になるんかなというふうに思ったら、同じことはできないなというふうに思って、
自分の代から、自分の代からというのもおかしな話なんですけど、観光栽培って結局自分らの親父とじいちゃんらの世代しかやってないっていう。
ああ、そうか。その前は当然のようにいわゆる今の友人みたいな栽培だったってことですね。
自分の代から、最初は自然栽培。
その話も知りたかったんですよ。自然栽培。
自然栽培という定義でいうと、化学農薬、化学肥料はもちろん、肥料的なものは一切入れない。
一切やらなかったですね。無肥料、無堆肥、無農薬というのでやりました。
最初ですね、さっきの親父の話に戻るんですけど、親父の姿を見とって温度仕事ができるということで、親父に対するアンチテーゼから観光栽培でない農業をしようというふうに思ったときに、
有機農業というものしか知らなかったんですよ、当時の僕は。
それで自分がいざやろうと始めたときに、同じ愛媛県の大河で福岡正信さんがおるということで、
そのわら一方の革命という本があるぞということで知り合いに教えてもらって読んで、
もう何もせんでええんやったらええやないかというので、最初は横縞な気持ちで、こういう自然のというのがあるんやということを知りました。
その後、当時って、僕は2012年で収納してるんですけど、当時って今では信じられないんですけど、そんなにインターネットが発達してなかったんですよね。
SNSもなかったし、誰かがHTMLで売ったホームページから情報を集めてきて、いろいろその無農薬界隈の情報を集めてたと。
自然農だと放置栽培やから、自分でも最初ちょっとやってみたんやけどうまいこといかんかったなっていう印象があって、その後、自然栽培というのがあるぞと。
そこの自然農と自然栽培の違いは好奇心するかしないかということですか。
まあ管理するかしないかということだと思います。
僕は管理する方の自然栽培という方が割と少々に当てたというので、自然栽培の方をそれからやってきたという感じですね。
じゃあお父さんが引退した後に、当時どれくらいの面積やっていたんですか。
今にして思うと全然なんですよ。愛媛県って、北四国の北側って松山から香川県の高松まで東西100キロ以上に渡ってずっと平野が続くんですよね。
工業地帯で、愛媛県って戦後政治的にすごい弱かった。
愛媛県ってもともと政治的にすごい弱い県なんです。総理大臣が一人も出たことがない。
山口はだいぶ違いますね。
母親戦争の時も徳川の審判が多いにもかかわらず、旧徳川に就くか明治新政府に就くか決められないまま母親戦争が終わっている藩が多いんですよ。
日和みが過ぎて全部終わってしまうという県民制で。
気づくと、戦後農地改革があったときに、1県あたりの農家の分け前がすごく少ないと。
よく三担百勝という言い方をするんです。
1県あたりの農家の分け前が三担しかなかった。
ほぼ自給農の人が多かったんだけど、工業地帯で市街化空気に入っている土地ばかりだったので、
農地は宅地に変えて売りたい人ばかりに近代になったというので、農業が全然やったと。
みかんぐらいしかイメージないですか。
農業に対する考え
みかんは愛媛県で3ブロックに分かれていて、
西が南予、真ん中が中予、東が東予というブロックに分かれているんですけど、
みかんが有名なのは南予ブロックのほうで、
東のほうは何でもあるという感じだけど、
みかんはそれほどでもないという感じだったんです。
そういうような感じだったから、全然農地って打ちなかったんですよ。
6担ぐらい。
そうなんですね。そんなに大きくはやってなかったんですか。
親父から引き継いだのが6担ぐらいで、
今にして思ったら、後掴んでもよかったという目的だったんですけど。
だけど、須藤少年は農家の長男に生まれると、
農家の長男が後掴んでどうするぞというような言われ方をして育つわけですよ。
そういう環境だから、農業なんかしてどうするぞとも2つ言われるんです。
両方違うことを言われるわけですよ。
それで僕は結構アイデンティティの形成で悩んでいた時期が長くて、
大人になって勤めに行っていても、
何をしてもどこか手に足がつかないという気持ちがずっと強かったですね。
親父が体を壊して後継いで家に入ったんですけど、
農業が面白かったから、
こんなに面白いならもっと早くやっておけばよかったなと思った反面、
このくらいの規模でよくこれだけの圧力をかけてきたなと同時に思いました。
確かに。
今にして思えば全然違う人生もあって、
よかったんじゃないかなとは思うんだけど、
幸いにして楽しく農業ができているのでよかったなと。
借りた土地で愛媛県で一番多かったときに5ヘクタールぐらいまで増えました。
それを自然栽培でやってたんですか。
そうです。ほとんど釈地ですね。
けどあまりうまくいかなかったというような。
そうですね。栽培に関しては全然うまくいってたんですよ。
それは後で詳しく聞きたいです。
愛媛県って右にならえっていう保守的な県民性で、
無農薬の安いなんかやらせなということで、近隣の農家が知見者のところにあいつは辞めさせろと言うので、
言っていかれるっていうことが結構あって、
一番大変だったときは、
そのときが4ヘク卿ぐらいの耕作があって、
せっかく愛媛県という耕作があって、
そこで一番大変だったのは、
そのときが4ヘク卿ぐらいの耕作があって、
せっかく愛媛県というコンバインも新しく買って、
近隣の農家が知見者のところに行って、辞めさせろと。
途中を3ヘクタールぐらいいっぺんに亡くなって、
1ヘクのうちの3ヘクがなくなって、どうしよう、
支払いどうしようと。
本当ですよね。
数年かけて返す予定だったはずなのに、
一気に1ヘクタールって。
ということがあって、
他で結局こっちやってっていうのがあって、
なんとかその年は2ヘクですよ。
それでも米で2ヘクですよ。
少ないですよね。
それじゃあ生計立たないですよね。
周りの人はどういう理由で無農薬というか、
そういう栽培に反対だったんですか。
例えば病気が出る原因になるとか。
ただただ不理解っていうことでしょうね。
愛媛って某大手農協がすごく強いので、
無農薬なんかとんでもないと。
そういう感じなんだ。
ということで、ほとんどが農協出荷者なので、
全然やったんですね。
全然理解してもらえなかったと。
愛媛から移住への経緯
周りとも一緒になって勇気でやろうとか、
そういう人たちも全然出てこなかったんですか。
なかったですね。
最後の方は愛媛県でポツポツおるんですよ。
無農薬でやってる人、
勇気栽培でやってる人、
自然栽培でやってる人っていう人らがおって、
その人たちを点々としておるから、
それをちゃんと線でつないで、
勇気の専門農機を作ろうとしてました。
なるほど。
それが愛媛でやってた一番最後の活動だったんですね。
そこはどうなってるんですか、今は。
今はそれは僕が愛媛離れたことで立ち消えたんです。
そうか。
オーガニック農業と地域との関係
県というか地域によってそういうのってすごくありますね。
あります。
僕の地域は元々地元の人が勇気で30年ぐらい前に始めて、
そこに若い開担者が来てるんで、
意外と何とも思われないというか、
結構仲良くはやってる感じなんですけど、
場所によってはなかなかやりづらい場所も結構あるって聞きますね。
ちゃんとその辺もラジオで聞いてます。
流域でちゃんとつないでいって名古屋の方に出荷していくっておっしゃってましたよね。
それが第一世代の人たちの考え方で、
消費者でそういうことをすごくやりたいっていう人が名古屋の方にいたんですよね。
白川の人がそれにすごく共鳴して何か始まったっていうので、
すごくいい始まり方だなっていう。
そんなで愛知から、愛知じゃない、愛媛から山口県の長戸市の方に。
これ移住したのは何年前ですか?
これが2022年の春、3月末日ですね。
次の春で丸3年。
そうなんですか。
じゃあまだ今で3作?
3作終わりました。
2022年の春に来て、22年、23年、24年と。
長戸って牛肉、長戸牛って。
僕の母の実家が山口県の萩なんですよ。
そうなんですか。
年末になると、お世話に長戸牛を毎年送ってくれるから。
長戸ってなんか、須藤さんじゃんと思って。
行きましたよ、おじいちゃんおばあちゃんの家に行った時。
車で出かけた時に長戸もちらっと寄った記憶がありますね。
ぜひまた来てください。
調べてたら須藤さんのところ一回見たいなって。
俺ちょっと夢があってですね。
悠ちゃんが大秘のワークショップ全国どこでも行くよっていうの前言うとって、
これいつか呼びたいなって思って。
やりましょう。
もう22年の3月に。
これはどっちから、須藤さんはもうどっかに移住したいなって話してたんですか。
それともどういうきっかけで。
全然そんなこと思ってなくてですね。
農業って土地に縛られた仕事じゃないですか。
農業って土地に縛られた仕事じゃないですか。
全然もう移住するなんかもこれっぽっちも考えてなくて。
地元でおるって圧力があることって人と違うことをやってるからしょうがないなという風にも思っとったんですよね。
やけど、僕愛媛県におるときは中小企業家導入会に入ってまして、
導入会の一丁目一番地っていう成分化セミナーっていうのがあるんですけど、
自分ところの会社の理念とビジョンとミッションを言葉にしましょうと。
よく会社でうちの会社のビジョンはこれです、ミッションはこれですっていう風に言うんですけど。
うちがオーガニックが当たり前の未来にっていうこのビジョンっていうのはそこで作ったものなんですけど、
そのミッションっていうことを考えたときに、愛媛県の西条市っていうのがすごく水がきれいな町なんです。
水がきれいで豊かな町なんですけど、石津市産っていう西日本一高い山を抱えてて、
そこからの伏流水で水が豊富っていうのが町の誇りなんですよ。
それが実は調べてみると、小山大地層線で結構地下水が飲めなくなる寸前まで汚染が進んでるというのが明る日に出て、
僕はそれを解決するのが自分の使命だと思ってたんです。
自然栽培をやってると無肥料でやってるから、小山大地層線でも稼肥料のやりすぎでそうなってるから、
自然栽培を広げていくとこれが解決できるはずだというふうに訴えてたんですよ。
同友会のセミナーで、「あなたの使命は何ですか?」というふうに聞かれた時に、
僕はそれが自分の使命だと思ってたから、そうだというふうに答えたら、
セミナーの先生から、「それって求められてやってるんですか?」というふうに聞かれて、
それでもハッとなって、「いや、求められてない。」と。
さっき言ったように、無農薬のやつにやめさせとけというような環境下で、
市役所のほうも市頭がいらないことを言ってもらっていると、
小山大地層線をばらしてもらっているというような扱いやったから、
いや、これ全然求められてないやんかと。そこでハッとなって、
「じゃあ、あなたの使命は何なんですか?」というのは、
あなたのお米を買ってくれるお客様に滞りなくお米を届けることですよというふうに言われた。
お客様に滞りなく、地帯なくサービスを与えることというふうに言われた時に、
これ愛媛じゃなくていいんじゃないかとその時に思った。
自分が何言っても受け入れられない。
土地は一生懸命拡大しても急に無くなったりする。そんなことばっかりが多くて、
いくら広告を出しても農地耕作を受けたまりますみたいな広告を結構出しまくったんですよ。
広報紙、回覧版とか。でも全うちには来んかったですね。
お客様というと、うちの耕作面積が少なくて、
米で最終の年で2.5ヘクタールぐらいだったりする。
年の途中でお米がなくなるんですよ。
次の収穫まで、夏ぐらいに米がなくなって秋までお届けできませんというのが改善できんかった。
これだったら自分のミッションに従うと、愛媛じゃなくていいんじゃないかというふうに
強くそうかと思った時があるんです。
ちょうどさっき有機の専門農機を作ろうという話をしよったんですけど、
その出荷先が楽天農業ということで話を立て付けよったんです。
楽天の本社は愛媛県なんですよ。楽天農業の。
当時の社長、楽天農業の創業社長の方、
遠藤さんという方と、その話で結構婚姻にしとって密にやり取りをしよったんです。
その時に楽天農業と永戸市が農業協定を結ぶというので、
夢と使命の再確認
遠藤さんが頻繁に永戸に通い寄ったんですよ。
楽天農業も天下の楽天が愛媛で全然農地が集まらないんですよ。
やっぱ県民性がそうなんだ。
本礼というのがあって、永戸は耕作放置基地がすごく多くて、
それの課題解決のために何をしようと。オーガニックだと思ったらしくて。
オーガニックビレッジ宣言というのをするために楽天を読んだというところがあるんですけど。
楽天の方がきっかけで永戸と繋がって。
そうなんです。
永戸さんが協定を結ぶために永戸に通い寄って、
須藤くん永戸ええよっていう話を聞き寄ったんですよ。
俺もちょうどその時、さっき言ったとおり愛媛じゃなくていいんじゃないかと思いかけとった年だから。
気づいた時にそういう話が。
須藤くんと一緒に殺人荒野ということで。それで永戸に行き来たと。
ちょうど今僕が住んでいる集落が、一番最初に楽天に農地を取りまとめて提供するというので取りまとめた集落だったそうなんです。
だけど、うちの集落は農地が30ヘクタールあって、そのうちの20ヘクタールが耕作放棄地になっていると。
そのうち10ヘクタールを当時6人か7人の農家がやり寄って、みんな後継者がおらんという状況なんです。
どこか来てくれたらそれでいいというふうに思って一番最初に取りまとめた。
そこを楽天農業が見に来たときに、楽天農業は有機野菜を作っている会社だから乾いた年が欲しいんですよ。
なるほど。肌にしたいから。
見に来たこの集落が湿地ばかりあって、そこで遠藤さんがここに首都圏が来たらいいのにって言ったところから話が始まって。
もともと20つ目予定だったけど意外とあれだったんですね。僕土壌インベントリーでも見たんですけど思いっきり田んぼですよね。
灰色低地だというか、グライドみたいな感じの地域だなと思って。
じゃあもうあれじゃないですか、遠藤さんの思いつこで。
その縁があって、2022年の11月に一緒に見に来て、見に来たときに集落の一番上にある水源地から集落のいじり口まで空いてる土地全部できますよ、20ヘクタールぐらいあると。
お礼姫で2.5ヘクタールしか田んぼないから。その場で来ますってすぐ返事して。
その次の春ですよね。半年ないんですよ。4ヶ月ぐらいで準備して。
寒すからだな。急いで種まいて、好奇してみたいな。
それがご縁ですね。言われとっても自分が愛媛でやらないかと思ったらこうはなってなかったと思うんですよ。
その成分化セミナー受けてなかったら愛媛にしがみついとったかもしれないし。
本当にタイミングがピタピタに全部良かったっていうのは。
僕なんかは新規就農で、日本全国、日本じゃなくてもいいんですけど、世界でもいいんですけど、どこで始めても良かったんですけど。
あんまり深く考えずにというか、岐阜がいいなと思ってここに来て始めたんですけども。
一藤さんの場合は12代とか続いてた農家で、そこから離れるというか、その農地今はもう手放したってことですか?
タイミングは良かったんだけどね。弟も農業したいって言い出して。
でも実家は兄貴がおるから無理やろうというふうに思って、近所、うちの周りで農地を探しておったんだけど、毎回決め手にかけるんですよ。
毎回決まりそうでポシャルとか結構繰り返して、時に俺が永戸に出て行くっていうのが決まったから弟が代わりにスポットに入ったという状況になって。
素晴らしいですね。全道に見かれてますね。
これも弟がどこかで決めとったらそうはならんかった。
すごいタイミングが良かったです。
ちなみに弟さんは観光栽培でやってる?
観光です。やっけ今まで兄貴が10年無農薬ずっとやるよったら農薬ぶちまいてやったぞみたいな言い方しますね。
そんな言い方しなくても。
そこに対しての何ていうのかな。続いてきたものを手放すっていうことではなくて、一応引き継いで弟がやってくれたっていう。
すごいですね。持ってますね。
永戸の方に来て。実際これ僕移住してる人に色々よく聞くんですけど、そこだっていう決め手みたいなのって何かあります?
選択肢としては別に無限にあったわけじゃないですか。
その中でも縁があって人が入っているからそのご縁ではあると思うんですけど、なんか俺はもうここでやってくんだみたいに決めた。
何でしょうね。何やろう決めて。もうね、永戸に来る前にその話が出てきた時にですよ。僕はもう本当に規模を拡大したかったんですよ。
オーガニックが当たり前の未来にっていうのをどうやって当たり前にするかというと、いっぱい作っていっぱい市場に供給したいんですよ。
普通のスーパーで有機農産物が買えるぐらいにいっぱい作りたいっていう。だから自分が規模拡大していっぱい供給したいんだっていう夢があったんです。
あとは単純にやってて楽しいというのがあって、もっともっとやりたいっていうのがあってですね。規模拡大したいっていうのが自分の夢であったんです。
永戸の農業体験
なので規模拡大できるならどこでもいいというような気持ち。
条件的にも永戸さんという方もいるし、いろいろとなかなかないご縁ですよね。奇跡みたいなものですよね。
タイミングが良かった、ご縁があった、チャンスがあったっていうのが自分にとってすごく得意だったなと思うんですけど。
ただでもその話が出てきたときに、毎晩永戸の地図見てました。
永戸の地図見て、農地ナビの空き地見て、農地ナビから空き地引っ張り出してきて。
永戸の場合が人のうちプランの実質化がすごい早かったんですよ。それをホームページで公開してるんです。
その貸付用房地っていうのを一覧にして出し取るんですよ。
それがあったんで、地域の担い手がどんだけおるか、法人名まで出しておいて。
今現在何ヘクタール、5年後に何ヘクタールに規模拡大要望したいというのが取りまとめしてる。
その上で空き地が地域にこんだけあってっていうのが全部出てるから、地盤まで出てるから。
それを調べて農地ナビから引っ張って、ここが空いたのかっていうのをずっと眺めてました。
永戸に初めて来た時は結構土地感があったっていう。
いきなりね。
この道が主要道路やとか結構調べた状態で来ましたね。
来た時にはその場で決めたっていう言い方をよくするんですけど、決めるだけの材料はちゃんと揃えて来てたんです。
あとはもう現地見てその雰囲気というか空気感見て、これで行けるなら行こうっていう。
で来ましたね。
シアカー町もオーガニックビレッジ宣言してるんですけど、結構ボトムアップ型とトップダウン型があると思ってるんですよ。
シアカー町は思いっきりボトムアップ型で、どっちかというと行政はあんまり興味ないんですよ。
逆にすごい残念なんだけど。
下が頑張りすぎるから全部そっちでやってみたいな感じなんですけど。
永戸の場合はどういう雰囲気なんですか。
トップダウンです。
前線なんですよ。
トップダウンの方が実はバーンと進む感じはするんですよ。
結局だから行政としてここやるんだと決めたら、ある程度もう行政の方で説得してくれるというか、いろいろ手回してくれるから。
で入ったところは旗地区でしたっけ。
そこまで調べてくれてる。
全部調べましたよ。
めっちゃ見たんですよ。
30ヘクタールのうち、もう20ヘクタールが工作放棄地とかっていうのは、
じゃあ地元の人たちも、どうしようもねえなみたいな感じだった。
だったですね。
それはやっぱり、占業農家の人たぶんそこにはいないか、もう高齢でみんな引退したような状態ですか。
一人だけが兼業農家で、あと全員占業なんですけど、一人が本当にずっと占業の人。
あと全員は定年機能。ほとんどが公務員という状況の中で。
じゃあもう地域の農地が廃れていくのを見るのは、結構嫌だけどどうしようもないなみたいな。何も手が打てないなみたいな。
でもそれでも他の人が来てからでも何とかしてくれたらいいと思ったのはすごいことだなと思うんですよ。
すごいですね。
しかも取りまとめてますからね。
この取りまとめたっていうのが本当にすごいことだと思って。
僕が行ったときは、もう半個ついたらええだけにしてくれてる。
いやーすごいですね。
本当にすごい。
そういう人の登場を待ってて。
本当にすごかったですよ。
最初は自分の思いだけですよね。いっぱいやりたいという思いだけで来たけど、来たらここまでしてくれるんやっていうのはすごくありがたかった。
いつしかこの地域に恩返ししたいっていうのがだんだん自分の思いになっていったんですよね。
それでそういうことを言うと、情けは人のためならず。別にストークのためにやり寄るわけじゃないんだと。
この地域がずっと何とかなってくれたらいいからっていうので、恩を返すとか俺らに言わんと、ちゃんと次の人につないでいてほしいっていうことはいつも言ってくれる。
いやーすごいですね。
本当にありがたいです。
こういう心持ちというのがなかなかないなと思うんですよね。
普通田舎ってわりと閉鎖的で、人には来てほしいけど入ってきてほしくないみたいなとこあるじゃないですか。
どっかのせがれとかが帰ってきてやるかもしれないとか、そういうのありもしないことに期待しているのか。
若い人は絶対来ないような地域って。
でも結構無策なんですよね。
多分そうやって消えていく集落っていうのは結構あるだろうなと思うんですけど。
でもすごいですね、永戸はそういう人を待ってたっていうかね。
土壌の課題
しかし3月に移住して、その年から米づくりって、しかも交際広報基地だったってことで大変じゃなかったですか?
いや大変やったんですよ。全然できんやったんですよ。
最初ね、僕ADHKのいい移住っていう番組に。
あ、見ました見ました。
なんか再放送だったかな。
あれがね、本当にひどい話でですね。ひどい話っていうのもあれや。全然できてなかったでしょ。
いや、どうだったかな。そこはわからなかったですけど。
俺が愛媛におったときに、無肥料、無対比で5票半ぐらい取ってたんですよ、米。
で、中取りに来たら、面積増えてるのに収量差が、一旦あたり、短週が1票なかったんです、最初に取ると。
やっぱ草ですか?雑草ですか?
いや、地力が全然ないと。
土質もね、豊かではないっていう。
作土層も浅い。
で、CECも低い。低層。
痩せてる。
痩せてます。で、痩せてる原因が、中産艦の溜息支払いで、電面だけ綺麗にね、モアで綺麗にずっと刈り続けてるんですよ。
だからもう、歳の中に腐食がないと。
ということで、それで20年近く、豪作多くてずっとやるから、土も二十歳化しとる。
で、腐食もない。
そこにいきなり水入れて米作っても、米が米の姿にならん。
竹が伸びん、穂がつかん、生理不良を起こしとるという。
こんな米の姿初めて見ました。
それが一年目。
一年目。
すぎる。
で、NHKの人にも、ちょっとぐらいええとこ取ってくださいって言ったら、いやいやそういうわけじゃない。
ええが取れたって言ってホクホクして帰って行ってました。
僕は一回、報道特集っていう取材で結構密着みたいになったんだけど、本当にひどい。
トマトがもう結構ひどいところに入ってきて。
でもね、映像で見るとあんまり悪く見えなくて、プロはすごいなと思って。
多分ハウスだと狭いから、ちょっとボケたりして、結構ごもかしが効いたんだけど。
田んぼだと、見る人見ればわかりますよね。
これは偶然かな。
でもなんか大変やけど頑張ってるっていう風な構成になって。
結構応援のメッセージをいただけて、ありがたかったはありがたかったんですけど。
農家としては恥ずかしい姿を見せたなっていう。
今は、それでも自然栽培でやってるんですか?
そうです。だんだんと土地が田んぼの感じっていうのに戻ってきてます。
じゃあ自然栽培のスタイルは変えてないんですか?
変えました。変えましたっていうのは、自然栽培から雪栽培に変えていこうと。
大秘ぐらいは、みたいな。
はい。っていうのは思います。
理由が2つあって、1個は自然栽培っていうのが言葉遊びやなっていうのをちょっと前から思うようになってて。
結構自然栽培仲間とかでもそういう話をしたりするんですよね。
なんかよく言うのが、肥料をやるのはいかんけど、おぎないとしてやるのはいいと。
何やねん、それって。結局ナタヌアオブラカスとかやってて、そういう言い方しながらやるっていうの。
結局、セヒやん。
セヒやんって。
あとは大秘ですよね。草大秘、草木大秘なんかは割とやっとる人が多いっていうのがあって。
無肥料栽培っていう言い方はするけど、無大秘ではないっていう。
そういうことか。
そういうことか。
そういうことか。
そういうことか。
そういうことか。
結構そこは曖昧なんですよね。人によっては割とちょっと違ってて。
明確な定義っていうかルールは一応ないですもんね。
JASみたいな感じのルールとかっていうのは。
それが結構言葉遊びやなっていうところが、感じるところが、やっぱ生産者サイドでも思ったりするんですけど、
消費者側にいたっては、自然栽培っていうものを売ってる人が、自然栽培っていう思想を売ってて、
自分が農業をやってないから、結構…
自分が農業をやってる人が自然栽培っていう思想を売ってて、自分が農業をやってないから、
から、なんかこう、結構
突拍子もないことを言う
で、その絵を
お客さんも農業やってないから
どんどんカルト化していく
っていう様を
割と
見受けられるので
なんか、それがちょっと窮屈に
思うように
窮屈っていうのはすごくよく分かります
なったっていうのが
あって、でもね
愛媛の時はね、それでもね
無比量、無対比で
5票取れてたんですよ
やっぱ土って
土も良かった
ずっと作ってたから、ある程度
地力が溜まったっていうのもあるんですよね
毎年そんだけの稲腹が
あと
昔、四国山脈が
昔火山にあって、オウムオウム大工の
昔火山にあったんで
割と土質も
良かったと
いうところもあって
結構、粘土質で
作土層も深いっていうのがあって
割と良かった
やけにそんだけになった
長渡行ったら
昭和の時の基盤整備が本当に
ボロやった
っていうのを結構感じてるんです
良くない工事やって
それが原因かどうか分からんけど
全然
自然栽培だときついなと
いうのが
あります
地域の関係性
似てるのかもしれないなと思って
土壌インベントリーの
見たりして
ここもすごい作土浅くて
田んぼの作り方が
すごく浅いんですよ
で、もう下は
赤土と岩で
ガチガチに打ってるんで
転換がほぼできないような
田んぼなんですけど
結構似てるんじゃないかなと思いましたね
もう一つは
長渡って海が近いんですよ
すぐ海が近くて
海って
山水に
人の母って書くじゃないですか
私たちって
海から来てるんですよ
土壌にも
ミネラルって返すじゃないですか
長渡に
塩屋さんがあってですね
天平で作ってる
塩屋さんがあって
そこの人が言ったんだけど
昔って
塩の味って
何の味だと思うっていう
塩の味って何の味?
山の味なの
山の落ち葉の味なの
ミネラルが
海に流れてる
そうです
海に流れて
それが
海の塩の味になるから
塩を取るところによって
全部味が違うと
長州の場合は
魚がつく林って書いて
魚つき林っていうのがあって
塩場か
漁場とか
塩場を豊かにするために
きちんと森を守ってた
藩の政策で
有機農業の重要性
海が豊かやったと
いうことを言ってるんです
紅葉樹とかの落ち葉が
堆積して
それがちゃんと
不要となって不眠とか
いろいろなものが海に流れてきて
栄養になっていく
それを今度山に返す役割がおって
それが
鮭やったと言うんですよ
鮭って魚に土二つって書くじゃないですか
魚の鮭
生まれた
川で生まれて
海に行って
海でミネラルを蓄えてきて
生まれた故郷に帰って
そこで朽ちて
ミネラルを放出すると
っていう役目を担った
と言うんです
それが今も
ダムができ川を護岸され
ということで
鮭が蘇生せんくなったから
ミネラルを返すものがなくなったと
人間の手で戻した方が
いいよねっていうことを言って
それすごいなるほどなと思うようになったんですよ
長人と海が近いから
海洋残砂っていうのが結構
豊富なんで
それを対比化して
人間が
田んぼに戻してやったら
ミネラルの循環が
人間の手で補ってやれるんじゃないか
というふうに
思って
自然栽培よりも
長人の場合は
有機栽培の方がいいんじゃないかと
いうようになりました
いいですね
僕も結局
資源循環が
したいというか
人さんのあれにもあったけど
結局海外から
輸入したものがないと
農業が成り立たない
っていうことが
僕なんか
危ないとかじゃなくて
農業と
人の生活っていうのが全然
結びつかなくなっちゃうじゃないですか
それがないと成り立たない
農業だと
そういうんじゃない農業がしたいなと思って
有機栽培だったら
資源が回せるっていうのは
すごく本質的な農業ができるなと思って
僕はやってるんですけど
まさしくそんな感じですね
はい
いいですね
じゃあ今は
こういった海洋残砂とかを
使ったような堆肥を
使っているんですか
まだ学び中なんですよ
これからなんだ
材料はめっちゃありそうですね
材料はあって
それを仕入れてる
人が
おるんですよ
その人が
すごい営業に来るんですよ
それを
活かしたいな
いいですね
いろいろありそうだな
海近いと本当
海が近くにあれば
もうちょっとそういうものを
使いたいなと思うんだけど
そういうのはないから
逆にゆうちゃんのところみたいに
山の中だと
どうやってミネラルの補給するんですか
やっぱり
結局紅葉樹が
もう今ないんですよ
全然こっちの方は
完全にヒノキの産地で
結構その時代に
山全部
植え替えてるんで
そういう意味でもミネラルも非常に
水の中にも少ないと思うんですよね
そこはね
難しいです
結構課題だなと思ってて
今のところ普通に
石灰とか国内で
手に入るような資材を
使って
とりあえずちゃんと
遠気フォワードとか
そこら辺はきちっと合わせていこう
なんかそこら辺も
ローカルな資材でやりたいですよね
そうですね
今は
12ヘクタール
12ヘクタールが
管理
管理面積
工作法基地を
開墾しながら
やっとるので
借り受けは
12ヘクタールなんです
だけど
開墾が終わったのが
8.5ヘクタール
実際借りた時点で
開墾する前って
どういう感じですか
木も生えたりしてますか
今まではなかったです
中3館の授業できちっと
管理していたので
それでもやっぱり
そんなにすぐ
開墾した年に
そのまますぐ田んぼってことは
無理なんですか
課題は鳥獣害なんです
動物が出るから
柵を
防獣柵を設置せんと
耕作はできんと
言いましたよ
それも
イノシシと鹿が出ると
猿が出ることだけが救い
同じです
イノシシと鹿が出るんですよ
猿が来たら
おしまい
大変だなと思って
今のところなんとかしのいでるけど
僕の地域は
周り7キロぐらいを
4年ぐらいかけてフェンスで全部囲ったんですよ
中3館の
補助金で
広域のやつで
それが
ようやく終わって
イノシシ本当に出なくなったんですけど
3年4年目か
ちょっと出てきちゃってまた
やっぱどっか破れてる
結構メンテナンス
ちゃんと一回張ったら
終わりってわけでもないんですよね
広域のやつがないから
補助のすぐ横に
立ててるんですよね
何してもやりにくい
景観も悪いし
機械も入りにくいし
入ったら入ったで
ターンしにくいし
回すとき近いと邪魔ですよね
草刈りのときも邪魔ですよね
大変です
バリケードの外と裏で
分けているんです
草刈り
何してもやりにくいですね
この面積は花火ですね
そうですね
ここは長寿害に対しては
抜本的な何か
対策が必要やなっていう
まだこれから開墾して
やるところが結構あるんですね
はい
あとは集落内で4ヘクタール
4ヘクタール
そこらへんを
実際
どう回してるのかみたいな
技術論とか
そこらへんの話は
別で聞かせてもらうとして
マインドマップみたいなやつを
youtubeみたいなやつ
チャット見たんですけど
そんなのしとったっけ
マインドマップじゃないな
共有しますよ
どこで見たんですか
リスナーの人が
確かにyoutubeで
お話ししているときに
こういうのがあるんですよ
パッと映って
すげえなと思って
これもやりたいことと一緒じゃん
これね
やりたいことを全部ひも付けて
やってるっていう
言葉で解説すると
真ん中に伊里という会社が
あり
狩猟があったり畑のカフェがあったり
エネルギーの自給とか
農業があり
畜産がありとか
やりたいことが
めっちゃ広がってる感じなんですけど
すんごいいっぱいありますね
いっぱいありますね
いっぱいあるですね
今本でやりてるのが
農業の分野の
米と大豆のところぐらいしか
できてない
ここら辺ですね
全然できてない
地域商社
農業やること
地域商社というのは
妻が事業で
立ち上げました
うちが
農業をやって
加工をやって
販売をやって
6時間までやってたんですけど
販売は
事業を分けようと
うちのものだけではなくて地域のものを
取り扱っていくようなことを
やれたらいいねということで
地域商社を作ろう
ということを言ってたんですけど
これを最近
やっと形になりました
ほんと田舎って
僕もやりたいこと
かぶってるところたくさんあるんですよ
カフェとか
宿やりたいとか林業もやらなきゃ
できれば畜産もしたいし
修業も
そうすると解体所がいるし
やることいっぱい
あるありますよね
自分たちでやらなきゃいけないんですよね
そうしないと
この地域が
面白くならないし
面白くならないと人は来ないし
ただ米だけ作ってると
そこまで
面白いところにならないから
畜産館地っていうのは
魅力的な
畜産館地にはたぶんならない
里山にはならないだろうな
なんて忙しいんだろう
なかなか
理解はされにくいんですよね
農家で
やってたら
目の前のことだけやってるのが美徳と
それはね
草をいかに
刈ってるかとかそこら辺
ばっかり見られても
他にもいっぱいやりたいこと
あるんだけどな
やっぱり夢は
あるじゃないですか
いろいろ私たち
それを形に
していきたいなと
いいですね
マップはほんとすごい
やっぱり書くの大事だなと思って
似たようなのを
今ちょうど書いてたところだった
それがいいですね
すごく
俺も頑張ろうって
マップ書いてさらに
タスクを再分化していけば
それが具体的な
ステップになるんで
そうやって一回見えるような形に
するってすごい大事だなと
あと僕
いつも
言ってることがあって
私たちは
お米を
日本人ってお米とともに
歩んできた民族で
そもそも神話が
天照大神が
仁義の御事に
稲穂を渡して
地上で作ることで
地上が繁栄すると
あなたたちは人間界を豊かになるんだよ
ということで私たちの稲作が
始まったじゃないですか
神様から借り受けた
命の根っこだから稲
っていう言い方を
するでしょ
僕たちの体って
自分の食べたもので
できてるじゃないですか
稲も
ということは
稲は
明日の私
あの稲が
明日の私の体になるから
あの稲は
明日の私なんですよ
その稲が育つ環境
稲が
土壌環境とか
川が
山から
川で水を運んでくるじゃないですか
その環境も
私
稲を通して私になるはずなんですよね
この世の全ては
私なんですよ
っていうのを
すごい最近思うようになって
だからその
有機農業って大事
有機農業って
全部が有機的にきちんと繋がってる
そうなんですよね
全部が繋がって
初めて成り立つ
っていう風に思って
だから僕は
この有機農業ってやり方は
大事だなっていう風に
思ってます
稲と私たちの関係
よく近年
農業生産人口が減るから
効率化とか
生産性とか言うけど
それ以上のものが農業にはあって
この風土
風に土の風土ですよね
この自然環境は
風土を守っていくのも
私たち
農家の役目
であるという風に思っているので
この地域
それぞれの地域がきちんと残っていくような
手段の一つとして
有機農業が
有機農業の大切さ
あったらいいなっていう風に
僕は思います
僕も全く同じで
今
自分のテーマは
農を人の手に
取り戻すっていう
言い方をするんですけど
多分言ってることは同じで
なんかこう
外部環境に頼らないとできなくなっちゃった
農業を
なんとか回すと
地域のもので回す
それがなんかこう
昔はだって
みんなそういう風にしてやってた
わけじゃないですか
外は言うに日本って
資源があまりにもない国で
人口がこれだけ増えてしまったから
それだけなら成り立たないんだけど
やっぱそういう農業を残していきたいな
と思うし
こういう地域が
残っていくには
そういう有機みたいなのが
すごくいい方法じゃないかな
と思って今取り組んでるんで
なんかいいですね
すごい励みになります
ゆーちゃんの裏声にはいつも励まされてます
恐縮です
ありがとうございます
はいということで
いろいろと
結構近い
思想を持ってる
二人が話したなという感じでしたけど
はい
どうもありがとうございました
また
似たような環境というか
ところでやってる
農家として
これからもいろいろと
交流をしていければなと思います
ぜひよろしくお願いします
今日はどうもありがとうございました
ありがとうございました
イサットファームの
須藤本義さんでした
またお願いします
ありがとうございました
01:06:46
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