特にゆーちゃんのやつは、英語ができるから海外の事情とかにも分かるじゃないですか。
僕、特に好きであったやつが、ゲノム編集とかコオロギファーム、放射線育種のやつとかで、
淡々と事実をまず語った上で、最後に自分の意見をちゃんと言うスタイルが僕はすごい好きでですね。
勉強になるなと思いながら。
ありがとうございます。
なかなかちょっとセンシティブというか、やっぱり持論は言いたいなと思うんですけど、
ファクトベースというかね、分かっていることはせめてちゃんと理解してから話したいなと思って。
須藤さん、有機でやってらっしゃるじゃないですか。
そこら辺で、多分僕も有機農業だし、いろいろ共感するところあるんじゃないかなと思ったんですけども。
須藤さん、もともとあれですよね、4Hの会長をやってらっしゃるんですよね。
そうです。令和元年、令和二年と4Hの全国の会長をさせていただきました。
その時僕ちょうど、ポッドキャスト始めたばっかりだったかな。始める前か。
だったんですけども、クレイジーアグレチャー版のガスヤですね。
ガスヤと深夜に電話してた時に、
電話。
なんか突然電話して話したんです。
その時に、4H入ったらいいじゃないですか、みたいな話になって。
いやいや、有機の弱小の農家なんて4Hとか全然入れないでしょ。
僕全然知らなかったんで、そういうもんだと思わなかったら。
いやいや、今だったかその前だったかな。
会長は、有機というか自然栽培の米農家だよって言われて、えーって。
その時に須藤さんのことは僕知ってて。
ありがとうございます。
すごい人がいるなと思ったんですけど。
珍しいんじゃないですか、4Hの会長。
はい、珍しいと思います。
その時、当時日本農業法人協会の副会長が金沢大臣の井村さんだって。
井村さんと会った時に、とうとう有機の人が会長をするような時代が来たのかっていう風に言われたのが結構印象的やったですね。
確かに、後にも先にもあんまおらんのじゃないかなと。
うーん、そうですよね。井村さんって巨人がいますね、確かに。
そうか。
2年間、会長をやってらっしゃるんですか。
やりました、はい。
えー、そうか。
そんなので、僕もすごい人がいるなと思ったら、まさか聞いてるって言われて。
いやいや、ありがとうございます。
僕ね、今日はもうちょっと舞い上がってます。大好きなラジオに出られて。
僕もいろいろ収録するにあたってですね、初めからいろいろ調べたというか、ネットでいろいろ記事拾ったりしたんですけど。
あれ、マイナビ農業だったかな。
あとYouTubeとかを見たんですけども、今は山口の方でやってらっしゃいますけど、
その前は愛媛の方でやってたっていう。
そうですね。
そこら辺のお話を改めて聞かせてもらいたいんですけど。
僕、もともと愛媛県西条市というところの生まれで、代々農家の12代目の長男として生まれたんですけど、
収納するきっかけが、親父の利納。
親父がもう体が悪くなって農業できませんというので、もう辞めますということで。
結構若かったんじゃないですかね。
そうですね、60、何歳だったかな。診断が68やけん、その3年前65か。65でもう農業やめますということで。
結構若くして亡くなられたんですね。
その理由が農薬の薬害による体調不良ということで、その姿を見てるから、
同じことをしとったら、自分が親父の年齢になったら、同じ姿になるんかなというふうに思ったら、同じことはできないなというふうに思って、
自分の代から、自分の代からというのもおかしな話なんですけど、観光栽培って結局自分らの親父とじいちゃんらの世代しかやってないっていう。
ああ、そうか。その前は当然のようにいわゆる今の友人みたいな栽培だったってことですね。
自分の代から、最初は自然栽培。
その話も知りたかったんですよ。自然栽培。
自然栽培という定義でいうと、化学農薬、化学肥料はもちろん、肥料的なものは一切入れない。
一切やらなかったですね。無肥料、無堆肥、無農薬というのでやりました。
最初ですね、さっきの親父の話に戻るんですけど、親父の姿を見とって温度仕事ができるということで、親父に対するアンチテーゼから観光栽培でない農業をしようというふうに思ったときに、
有機農業というものしか知らなかったんですよ、当時の僕は。
それで自分がいざやろうと始めたときに、同じ愛媛県の大河で福岡正信さんがおるということで、
そのわら一方の革命という本があるぞということで知り合いに教えてもらって読んで、
もう何もせんでええんやったらええやないかというので、最初は横縞な気持ちで、こういう自然のというのがあるんやということを知りました。
その後、当時って、僕は2012年で収納してるんですけど、当時って今では信じられないんですけど、そんなにインターネットが発達してなかったんですよね。
SNSもなかったし、誰かがHTMLで売ったホームページから情報を集めてきて、いろいろその無農薬界隈の情報を集めてたと。
自然農だと放置栽培やから、自分でも最初ちょっとやってみたんやけどうまいこといかんかったなっていう印象があって、その後、自然栽培というのがあるぞと。
そこの自然農と自然栽培の違いは好奇心するかしないかということですか。
まあ管理するかしないかということだと思います。
僕は管理する方の自然栽培という方が割と少々に当てたというので、自然栽培の方をそれからやってきたという感じですね。
じゃあお父さんが引退した後に、当時どれくらいの面積やっていたんですか。
今にして思うと全然なんですよ。愛媛県って、北四国の北側って松山から香川県の高松まで東西100キロ以上に渡ってずっと平野が続くんですよね。
工業地帯で、愛媛県って戦後政治的にすごい弱かった。
愛媛県ってもともと政治的にすごい弱い県なんです。総理大臣が一人も出たことがない。
山口はだいぶ違いますね。
母親戦争の時も徳川の審判が多いにもかかわらず、旧徳川に就くか明治新政府に就くか決められないまま母親戦争が終わっている藩が多いんですよ。
日和みが過ぎて全部終わってしまうという県民制で。
気づくと、戦後農地改革があったときに、1県あたりの農家の分け前がすごく少ないと。
よく三担百勝という言い方をするんです。
1県あたりの農家の分け前が三担しかなかった。
ほぼ自給農の人が多かったんだけど、工業地帯で市街化空気に入っている土地ばかりだったので、
農地は宅地に変えて売りたい人ばかりに近代になったというので、農業が全然やったと。
みかんぐらいしかイメージないですか。
県というか地域によってそういうのってすごくありますね。
あります。
僕の地域は元々地元の人が勇気で30年ぐらい前に始めて、
そこに若い開担者が来てるんで、
意外と何とも思われないというか、
結構仲良くはやってる感じなんですけど、
場所によってはなかなかやりづらい場所も結構あるって聞きますね。
ちゃんとその辺もラジオで聞いてます。
流域でちゃんとつないでいって名古屋の方に出荷していくっておっしゃってましたよね。
それが第一世代の人たちの考え方で、
消費者でそういうことをすごくやりたいっていう人が名古屋の方にいたんですよね。
白川の人がそれにすごく共鳴して何か始まったっていうので、
すごくいい始まり方だなっていう。
そんなで愛知から、愛知じゃない、愛媛から山口県の長戸市の方に。
これ移住したのは何年前ですか?
これが2022年の春、3月末日ですね。
次の春で丸3年。
そうなんですか。
じゃあまだ今で3作?
3作終わりました。
2022年の春に来て、22年、23年、24年と。
長戸って牛肉、長戸牛って。
僕の母の実家が山口県の萩なんですよ。
そうなんですか。
年末になると、お世話に長戸牛を毎年送ってくれるから。
長戸ってなんか、須藤さんじゃんと思って。
行きましたよ、おじいちゃんおばあちゃんの家に行った時。
車で出かけた時に長戸もちらっと寄った記憶がありますね。
ぜひまた来てください。
調べてたら須藤さんのところ一回見たいなって。
俺ちょっと夢があってですね。
悠ちゃんが大秘のワークショップ全国どこでも行くよっていうの前言うとって、
これいつか呼びたいなって思って。
やりましょう。
もう22年の3月に。
これはどっちから、須藤さんはもうどっかに移住したいなって話してたんですか。
それともどういうきっかけで。
全然そんなこと思ってなくてですね。
農業って土地に縛られた仕事じゃないですか。
農業って土地に縛られた仕事じゃないですか。
全然もう移住するなんかもこれっぽっちも考えてなくて。
地元でおるって圧力があることって人と違うことをやってるからしょうがないなという風にも思っとったんですよね。
やけど、僕愛媛県におるときは中小企業家導入会に入ってまして、
導入会の一丁目一番地っていう成分化セミナーっていうのがあるんですけど、
自分ところの会社の理念とビジョンとミッションを言葉にしましょうと。
よく会社でうちの会社のビジョンはこれです、ミッションはこれですっていう風に言うんですけど。
うちがオーガニックが当たり前の未来にっていうこのビジョンっていうのはそこで作ったものなんですけど、
そのミッションっていうことを考えたときに、愛媛県の西条市っていうのがすごく水がきれいな町なんです。
水がきれいで豊かな町なんですけど、石津市産っていう西日本一高い山を抱えてて、
そこからの伏流水で水が豊富っていうのが町の誇りなんですよ。
それが実は調べてみると、小山大地層線で結構地下水が飲めなくなる寸前まで汚染が進んでるというのが明る日に出て、
僕はそれを解決するのが自分の使命だと思ってたんです。
自然栽培をやってると無肥料でやってるから、小山大地層線でも稼肥料のやりすぎでそうなってるから、
自然栽培を広げていくとこれが解決できるはずだというふうに訴えてたんですよ。
同友会のセミナーで、「あなたの使命は何ですか?」というふうに聞かれた時に、
僕はそれが自分の使命だと思ってたから、そうだというふうに答えたら、
セミナーの先生から、「それって求められてやってるんですか?」というふうに聞かれて、
それでもハッとなって、「いや、求められてない。」と。
さっき言ったように、無農薬のやつにやめさせとけというような環境下で、
市役所のほうも市頭がいらないことを言ってもらっていると、
小山大地層線をばらしてもらっているというような扱いやったから、
いや、これ全然求められてないやんかと。そこでハッとなって、
「じゃあ、あなたの使命は何なんですか?」というのは、
あなたのお米を買ってくれるお客様に滞りなくお米を届けることですよというふうに言われた。
お客様に滞りなく、地帯なくサービスを与えることというふうに言われた時に、
これ愛媛じゃなくていいんじゃないかとその時に思った。
自分が何言っても受け入れられない。
土地は一生懸命拡大しても急に無くなったりする。そんなことばっかりが多くて、
いくら広告を出しても農地耕作を受けたまりますみたいな広告を結構出しまくったんですよ。
広報紙、回覧版とか。でも全うちには来んかったですね。
お客様というと、うちの耕作面積が少なくて、
米で最終の年で2.5ヘクタールぐらいだったりする。
年の途中でお米がなくなるんですよ。
次の収穫まで、夏ぐらいに米がなくなって秋までお届けできませんというのが改善できんかった。
これだったら自分のミッションに従うと、愛媛じゃなくていいんじゃないかというふうに
強くそうかと思った時があるんです。
ちょうどさっき有機の専門農機を作ろうという話をしよったんですけど、
その出荷先が楽天農業ということで話を立て付けよったんです。
楽天の本社は愛媛県なんですよ。楽天農業の。
当時の社長、楽天農業の創業社長の方、
遠藤さんという方と、その話で結構婚姻にしとって密にやり取りをしよったんです。
その時に楽天農業と永戸市が農業協定を結ぶというので、
遠藤さんが頻繁に永戸に通い寄ったんですよ。
楽天農業も天下の楽天が愛媛で全然農地が集まらないんですよ。
やっぱ県民性がそうなんだ。
本礼というのがあって、永戸は耕作放置基地がすごく多くて、
それの課題解決のために何をしようと。オーガニックだと思ったらしくて。
オーガニックビレッジ宣言というのをするために楽天を読んだというところがあるんですけど。
楽天の方がきっかけで永戸と繋がって。
そうなんです。
永戸さんが協定を結ぶために永戸に通い寄って、
須藤くん永戸ええよっていう話を聞き寄ったんですよ。
俺もちょうどその時、さっき言ったとおり愛媛じゃなくていいんじゃないかと思いかけとった年だから。
気づいた時にそういう話が。
須藤くんと一緒に殺人荒野ということで。それで永戸に行き来たと。
ちょうど今僕が住んでいる集落が、一番最初に楽天に農地を取りまとめて提供するというので取りまとめた集落だったそうなんです。
だけど、うちの集落は農地が30ヘクタールあって、そのうちの20ヘクタールが耕作放棄地になっていると。
そのうち10ヘクタールを当時6人か7人の農家がやり寄って、みんな後継者がおらんという状況なんです。
どこか来てくれたらそれでいいというふうに思って一番最初に取りまとめた。
そこを楽天農業が見に来たときに、楽天農業は有機野菜を作っている会社だから乾いた年が欲しいんですよ。
なるほど。肌にしたいから。
見に来たこの集落が湿地ばかりあって、そこで遠藤さんがここに首都圏が来たらいいのにって言ったところから話が始まって。
もともと20つ目予定だったけど意外とあれだったんですね。僕土壌インベントリーでも見たんですけど思いっきり田んぼですよね。
灰色低地だというか、グライドみたいな感じの地域だなと思って。
じゃあもうあれじゃないですか、遠藤さんの思いつこで。
その縁があって、2022年の11月に一緒に見に来て、見に来たときに集落の一番上にある水源地から集落のいじり口まで空いてる土地全部できますよ、20ヘクタールぐらいあると。
お礼姫で2.5ヘクタールしか田んぼないから。その場で来ますってすぐ返事して。
その次の春ですよね。半年ないんですよ。4ヶ月ぐらいで準備して。
寒すからだな。急いで種まいて、好奇してみたいな。
それがご縁ですね。言われとっても自分が愛媛でやらないかと思ったらこうはなってなかったと思うんですよ。
その成分化セミナー受けてなかったら愛媛にしがみついとったかもしれないし。
本当にタイミングがピタピタに全部良かったっていうのは。
僕なんかは新規就農で、日本全国、日本じゃなくてもいいんですけど、世界でもいいんですけど、どこで始めても良かったんですけど。
あんまり深く考えずにというか、岐阜がいいなと思ってここに来て始めたんですけども。
一藤さんの場合は12代とか続いてた農家で、そこから離れるというか、その農地今はもう手放したってことですか?
タイミングは良かったんだけどね。弟も農業したいって言い出して。
でも実家は兄貴がおるから無理やろうというふうに思って、近所、うちの周りで農地を探しておったんだけど、毎回決め手にかけるんですよ。
毎回決まりそうでポシャルとか結構繰り返して、時に俺が永戸に出て行くっていうのが決まったから弟が代わりにスポットに入ったという状況になって。
素晴らしいですね。全道に見かれてますね。
これも弟がどこかで決めとったらそうはならんかった。
すごいタイミングが良かったです。
ちなみに弟さんは観光栽培でやってる?
観光です。やっけ今まで兄貴が10年無農薬ずっとやるよったら農薬ぶちまいてやったぞみたいな言い方しますね。
そんな言い方しなくても。
そこに対しての何ていうのかな。続いてきたものを手放すっていうことではなくて、一応引き継いで弟がやってくれたっていう。
すごいですね。持ってますね。
永戸の方に来て。実際これ僕移住してる人に色々よく聞くんですけど、そこだっていう決め手みたいなのって何かあります?
選択肢としては別に無限にあったわけじゃないですか。
その中でも縁があって人が入っているからそのご縁ではあると思うんですけど、なんか俺はもうここでやってくんだみたいに決めた。
何でしょうね。何やろう決めて。もうね、永戸に来る前にその話が出てきた時にですよ。僕はもう本当に規模を拡大したかったんですよ。
オーガニックが当たり前の未来にっていうのをどうやって当たり前にするかというと、いっぱい作っていっぱい市場に供給したいんですよ。
普通のスーパーで有機農産物が買えるぐらいにいっぱい作りたいっていう。だから自分が規模拡大していっぱい供給したいんだっていう夢があったんです。
あとは単純にやってて楽しいというのがあって、もっともっとやりたいっていうのがあってですね。規模拡大したいっていうのが自分の夢であったんです。
なので規模拡大できるならどこでもいいというような気持ち。
条件的にも永戸さんという方もいるし、いろいろとなかなかないご縁ですよね。奇跡みたいなものですよね。
タイミングが良かった、ご縁があった、チャンスがあったっていうのが自分にとってすごく得意だったなと思うんですけど。
ただでもその話が出てきたときに、毎晩永戸の地図見てました。
永戸の地図見て、農地ナビの空き地見て、農地ナビから空き地引っ張り出してきて。
永戸の場合が人のうちプランの実質化がすごい早かったんですよ。それをホームページで公開してるんです。
その貸付用房地っていうのを一覧にして出し取るんですよ。
それがあったんで、地域の担い手がどんだけおるか、法人名まで出しておいて。
今現在何ヘクタール、5年後に何ヘクタールに規模拡大要望したいというのが取りまとめしてる。
その上で空き地が地域にこんだけあってっていうのが全部出てるから、地盤まで出てるから。
それを調べて農地ナビから引っ張って、ここが空いたのかっていうのをずっと眺めてました。
永戸に初めて来た時は結構土地感があったっていう。
いきなりね。
この道が主要道路やとか結構調べた状態で来ましたね。
来た時にはその場で決めたっていう言い方をよくするんですけど、決めるだけの材料はちゃんと揃えて来てたんです。
あとはもう現地見てその雰囲気というか空気感見て、これで行けるなら行こうっていう。
で来ましたね。
シアカー町もオーガニックビレッジ宣言してるんですけど、結構ボトムアップ型とトップダウン型があると思ってるんですよ。
シアカー町は思いっきりボトムアップ型で、どっちかというと行政はあんまり興味ないんですよ。
逆にすごい残念なんだけど。
下が頑張りすぎるから全部そっちでやってみたいな感じなんですけど。
永戸の場合はどういう雰囲気なんですか。
トップダウンです。
前線なんですよ。
トップダウンの方が実はバーンと進む感じはするんですよ。
結局だから行政としてここやるんだと決めたら、ある程度もう行政の方で説得してくれるというか、いろいろ手回してくれるから。
で入ったところは旗地区でしたっけ。
そこまで調べてくれてる。
全部調べましたよ。
めっちゃ見たんですよ。
30ヘクタールのうち、もう20ヘクタールが工作放棄地とかっていうのは、
じゃあ地元の人たちも、どうしようもねえなみたいな感じだった。
だったですね。
それはやっぱり、占業農家の人たぶんそこにはいないか、もう高齢でみんな引退したような状態ですか。
一人だけが兼業農家で、あと全員占業なんですけど、一人が本当にずっと占業の人。
あと全員は定年機能。ほとんどが公務員という状況の中で。
じゃあもう地域の農地が廃れていくのを見るのは、結構嫌だけどどうしようもないなみたいな。何も手が打てないなみたいな。
でもそれでも他の人が来てからでも何とかしてくれたらいいと思ったのはすごいことだなと思うんですよ。
すごいですね。
しかも取りまとめてますからね。
この取りまとめたっていうのが本当にすごいことだと思って。
僕が行ったときは、もう半個ついたらええだけにしてくれてる。
いやーすごいですね。
本当にすごい。
そういう人の登場を待ってて。
本当にすごかったですよ。
最初は自分の思いだけですよね。いっぱいやりたいという思いだけで来たけど、来たらここまでしてくれるんやっていうのはすごくありがたかった。
いつしかこの地域に恩返ししたいっていうのがだんだん自分の思いになっていったんですよね。
それでそういうことを言うと、情けは人のためならず。別にストークのためにやり寄るわけじゃないんだと。
この地域がずっと何とかなってくれたらいいからっていうので、恩を返すとか俺らに言わんと、ちゃんと次の人につないでいてほしいっていうことはいつも言ってくれる。
いやーすごいですね。
本当にありがたいです。
こういう心持ちというのがなかなかないなと思うんですよね。
普通田舎ってわりと閉鎖的で、人には来てほしいけど入ってきてほしくないみたいなとこあるじゃないですか。
どっかのせがれとかが帰ってきてやるかもしれないとか、そういうのありもしないことに期待しているのか。
若い人は絶対来ないような地域って。
でも結構無策なんですよね。
多分そうやって消えていく集落っていうのは結構あるだろうなと思うんですけど。
でもすごいですね、永戸はそういう人を待ってたっていうかね。
しかし3月に移住して、その年から米づくりって、しかも交際広報基地だったってことで大変じゃなかったですか?
いや大変やったんですよ。全然できんやったんですよ。
最初ね、僕ADHKのいい移住っていう番組に。
あ、見ました見ました。
なんか再放送だったかな。
あれがね、本当にひどい話でですね。ひどい話っていうのもあれや。全然できてなかったでしょ。
いや、どうだったかな。そこはわからなかったですけど。
俺が愛媛におったときに、無肥料、無対比で5票半ぐらい取ってたんですよ、米。
で、中取りに来たら、面積増えてるのに収量差が、一旦あたり、短週が1票なかったんです、最初に取ると。
やっぱ草ですか?雑草ですか?
いや、地力が全然ないと。
土質もね、豊かではないっていう。
作土層も浅い。
で、CECも低い。低層。
痩せてる。
痩せてます。で、痩せてる原因が、中産艦の溜息支払いで、電面だけ綺麗にね、モアで綺麗にずっと刈り続けてるんですよ。
だからもう、歳の中に腐食がないと。
ということで、それで20年近く、豪作多くてずっとやるから、土も二十歳化しとる。
で、腐食もない。
そこにいきなり水入れて米作っても、米が米の姿にならん。
竹が伸びん、穂がつかん、生理不良を起こしとるという。
こんな米の姿初めて見ました。
それが一年目。
一年目。
すぎる。
で、NHKの人にも、ちょっとぐらいええとこ取ってくださいって言ったら、いやいやそういうわけじゃない。
ええが取れたって言ってホクホクして帰って行ってました。
僕は一回、報道特集っていう取材で結構密着みたいになったんだけど、本当にひどい。
トマトがもう結構ひどいところに入ってきて。
でもね、映像で見るとあんまり悪く見えなくて、プロはすごいなと思って。
多分ハウスだと狭いから、ちょっとボケたりして、結構ごもかしが効いたんだけど。
田んぼだと、見る人見ればわかりますよね。
これは偶然かな。
でもなんか大変やけど頑張ってるっていう風な構成になって。
結構応援のメッセージをいただけて、ありがたかったはありがたかったんですけど。
農家としては恥ずかしい姿を見せたなっていう。
今は、それでも自然栽培でやってるんですか?
そうです。だんだんと土地が田んぼの感じっていうのに戻ってきてます。
じゃあ自然栽培のスタイルは変えてないんですか?
変えました。変えましたっていうのは、自然栽培から雪栽培に変えていこうと。
大秘ぐらいは、みたいな。
はい。っていうのは思います。
理由が2つあって、1個は自然栽培っていうのが言葉遊びやなっていうのをちょっと前から思うようになってて。
結構自然栽培仲間とかでもそういう話をしたりするんですよね。
なんかよく言うのが、肥料をやるのはいかんけど、おぎないとしてやるのはいいと。
何やねん、それって。結局ナタヌアオブラカスとかやってて、そういう言い方しながらやるっていうの。
結局、セヒやん。
セヒやんって。
あとは大秘ですよね。草大秘、草木大秘なんかは割とやっとる人が多いっていうのがあって。
無肥料栽培っていう言い方はするけど、無大秘ではないっていう。
そういうことか。
そういうことか。
そういうことか。
そういうことか。
そういうことか。
結構そこは曖昧なんですよね。人によっては割とちょっと違ってて。
明確な定義っていうかルールは一応ないですもんね。
JASみたいな感じのルールとかっていうのは。
それが結構言葉遊びやなっていうところが、感じるところが、やっぱ生産者サイドでも思ったりするんですけど、
消費者側にいたっては、自然栽培っていうものを売ってる人が、自然栽培っていう思想を売ってて、
自分が農業をやってないから、結構…
自分が農業をやってる人が自然栽培っていう思想を売ってて、自分が農業をやってないから、
から、なんかこう、結構
突拍子もないことを言う
で、その絵を
お客さんも農業やってないから
どんどんカルト化していく
っていう様を
割と
見受けられるので
なんか、それがちょっと窮屈に
思うように
窮屈っていうのはすごくよく分かります
なったっていうのが
あって、でもね
愛媛の時はね、それでもね
無比量、無対比で
5票取れてたんですよ
やっぱ土って
土も良かった
ずっと作ってたから、ある程度
地力が溜まったっていうのもあるんですよね
毎年そんだけの稲腹が
あと
昔、四国山脈が
昔火山にあって、オウムオウム大工の
昔火山にあったんで
割と土質も
良かったと
いうところもあって
結構、粘土質で
作土層も深いっていうのがあって
割と良かった
やけにそんだけになった
長渡行ったら
昭和の時の基盤整備が本当に
ボロやった
っていうのを結構感じてるんです
良くない工事やって
それが原因かどうか分からんけど
全然
自然栽培だときついなと
いうのが
あります