そうだよね、いいとこ取りしてる感じ。
悔しいみたいな。
柵とかを覆ったりしてガードしても、なかなかその時は良かったりしても、動物も学習するので、いろんな方法で突破してくるじゃないですか。
そうですよ、本当。動物も生きるために必死だから。
下を抜けたり、上を飛んだり。
ちなみに長野県だと山と里を分かつために防護柵を設置しているんですけど、
結構皆さんも多分山に行くと強固な柵みたいなのを見ることがあると思うんですけど、
あれ長野県で1000キロぐらいあるんですよ。
1000キロもあるんだ。
それぐらい里と山をゾーニングして分けていっても、結局その時作るはいいんですけど、
やっぱり倒木だったりとか、動物が飛び越えたりとか、穴を掘って破壊したものを、
結局治す忍則と体力と器用がないっていう問題もあるんですよね。
1000キロメンテできないですもんね。
いやー、無理だな。
そうなんですよ。
しかも山の縁。
確かにそこまで行くのも大変なんですよね。
ちょっとした大雨とか風で枝が落ちてきて、それでガシャンって壊れたりして、
もうそのまんまだったりしますしね。
それをいちいち直したらまた次の風で落ちてくるみたいなこともあって。
確かにやってもやってもキリがない状態です。
それはやっぱり大変だなと思います。
結局電柵とかネットとかもそういう草、生い茂る草とかで機能しなくなったりとか絡まっちゃって、
むしろ整備するのが大変だったりとかするっていう。
結構その辺の設計が重要というか難しいなとすごく思いますよね。
根本的な解決策な感じは全くしないじゃないですか。
そうですね。
バータリー的というか対処療法的な感じにしかやっぱり見えないというか、
しょうがないんだけどね。
今はそうせざるを得ないから、一旦それでっていう形なんでしょうけど。
それこそ平成元年から8倍、多分8倍どころじゃないぐらい増えてる可能性もあると思うんですけど、
それは何でそうなっちゃったんだろうっていうのを考えると、どういうふうに言われてます?
そうですね。やっぱり一つは狩猟者が減っていったっていう部分が一つですね。
今まで漁師としてやっていた人がどんどんやめていって減っていったっていうのと、
大きなところは人が里山を使わなくなっていったっていうところかなというふうに思っていまして、
今まで山の恵みを得て生活していってた人がどんどん町場に移動するにあたって山に入らなくなってしまったがゆえに、
林業の方以外が入ることがなくなった。少なくなってしまって、農物の楽園になってしまったんじゃないかみたいな話があって。
農業をたくさんやってた時期からすると農業の人も減っていったわけじゃないですか。
そうすることによって今まで使われてた農地が使われなくなって荒れ果てることによって草が生えて、
山と畑を分かつゾーニングがなされないことによって動物が野菜とか作物を食べやすくなって、
どんどんどんどん栄養をとって増えていったんじゃないかなというふうな、いろんな理由があるかなというふうに。
そうですよね。1個で産んだってことでは全くないと思うんですけど。
やっぱり聞くのは人間の無意識的餌付けによる鹿たちの健康状態が良いっていう。
美味しい栄養価の高い野菜が近くにあるところにあるからね。
細金の自然写真家の宮崎学さんとか、まなぶさんか宮崎学さんの本とかで読むと、
結構エンカル、雪溶かすエンカルを鹿がめっちゃ舐めにくるみたいなのがあって、
そういう山の餌、山の中に生えてる餌、食料が減ってるっていうのもよく言われるっちゃ言われるけど、
それ以上に人間界にアクセスがしやすくなって、それこそ人に出会わずに山から降りれる状態になるし、
そこで採れる野菜とか果樹とかの栄養価高いものが採れて、しかも冬がそこまでめっちゃ寒くないというか、
雪が厳しくて、子育て中の鹿がなくなるリスクも減ってるみたいなところで、
たくさん産む環境だし天敵も減っている、人間という天敵も減ってるし、
栄養価の高いものをたくさん食べれて、たくさん子供を産めるっていう、そういうのが絡み合って爆増したみたいなのを聞くと、
どこをどう捨てばっていう感じです。
なんかさ、8倍とかってなるとさ、普通に里山に人が暮らしていようが関係ないぐらい、
そうですね。
降りてきそうな感じもするもんね。
そうですね。
前見た映像というか、知り合いの山で自転車走っている人がFacebookでアップしてたやつで、本当になんか鹿牧場みたいになってるんですよね。
普通の山を見ると、そこにいっぱい鹿がいるってことでしょ。
そうそう、それも本当に牧場なんですけど、元牧場跡地に、
鹿がいっぱいいるんですよ。
鹿が、もう、え、これ飼ってんの?みたいな感じ。
たぶん、したくさんポインパイン入ってて、日当たりも良くて、半数して日向牧場にはちょうどいい場所なんじゃないですか。
それが本当に数百で済まないぐらい、たぶんいるような感じだったんですけど、これはもう、そのまま飼ってしまいたい。
確かにね。
鹿牧場として。
繁殖力がめっちゃ高いんですよね。
ほぼ3歳以上で、ほぼ全てのメスが繁殖できるようになって、毎年一頭ずつ産んでいくっていう。
なるほど、若い段階で産めるんだ。
結構そうなんですよね。
どんどん売買ゲームのように増えていくっていうのも一個あって、
捕獲していかないと、どんどん増えていっちゃうなっていうような課題がありますね。
生態系のバランス的にめっちゃ崩れてるって、本とかネットとかの記事とかでも読んだことはあるんですけど、
日本だと狼が絶滅してしまって、天敵が人間以外いなくなって、頂点の捕食者がいなくなってしまったが故に爆増しているっていう理由も1個考えられるんだろうなと。
狼がいなくなったのはもうだいぶ前だと思うんですけど。
アメリカだと30年くらい前かな、多分イエローストーン国立公園ってところも同じような状況になっていて、向こうは多分ヘラジカだと思うんですけど、
それがやっぱり生態系を崩しているっていうふうなところから、狼を再度放ち直してというか。
狼再導入論ですね。
そうそうそう、狼再導入論。
で、やっぱり狼が捕食するというか、あとはヘラジカとかが結局逃げないといけないからエリアが分散したりとかで、生態系が元に戻りつつあるみたいな話とかも。
雑誌とかでも読んだことはあるんですけど、かといって日本で狼もう1回放ってたんで、現実的かというとそうではないと思うんですけど。
食べるものの顔まで見ることってあまりないじゃないですか。野菜は収穫はそうなんですけど、結構言語化するのは難しいんですが、
食べるものをちゃんと顔まで見るって意外に大事なんだな感覚なんですけどね。
美味しいかまずいかの二言論で考えられなくなったんですよ。
じゃあこの最後を見取ったというか、手を自分で出した地下に対して美味しくないって簡単に言えないんですよね。
どうにかして美味しく食べようっていう気になるというか、それは結果食事をすごく大事にすることになって、
その食事を大事にすることは自分自身だったり家族だったり仲間の諸君を通じてその人たちの命も大事にすることだなっていうふうに思っていて、
すごくそれは大事な知見を得たなっていうふうに思います。
そうですよね。結局目のついた生き物を殺す経験って結構印象的だと思うんですけど、魚釣りですらやっぱり占めるって結構勇気がいるじゃないですか。
ニワトリでもそうだし、お肉も含めて、そこの命をもらう瞬間っていうのは結構みんなやらないというか、やれないしやらないようにしてますよね。
見ない、そうだね。見なくていいから見ないようにしちゃってるっていう感じなのかな。
気にしてないっていうだけなのかもしれないけど。
そうですね。でもそれこそ経験するとかやろうとしてみるっていうのは結構やってほしいなって思いますよね。
僕も鹿とか捕撮とかをしたことはないけど、怪胎まではしてるけど。
なんかすごい外部化して誰かにそれをやってもらってるけど、何となく命というかそういう例えば量的なもの、漁師さんとか魚もそうだけど、
に対する想像力っていうのは働かない状態っていうのはやっぱりしんどいなっていうのは感じるので。
しかもなんかちょっと隠されてる感じはするよね、ここの部分って。
そうですね。
産業としてもすごく。
分業することによってその罪悪感とか気持ちなくお肉を得ることができるようになったっていうすごくいいことの反面、
何かを失ってしまったような気がして。
いやー本当そうですね。
別に知らなくてもいいことでもあるかもしれない。それは幸せなことなんですけど。
知ったほうがいいことだと思いますね。
知りすぎて食べれなくなるっていうパターンも絶対出てくると思うんですけど。
でもそれも選択の一つだなというふうに思っています。
その経験を通じてやっぱり助けるっていうことに重きを置くっていうのも一つの選択だと思うし、感謝して食べるっていうのも大事だと思う。
何も考えずにおいしくないから捨てちゃおうっていうのが僕は一番嫌ですね。
3年前、4年前くらいに生田たけしさんって読み方間違ってないと思うんですけど、
命への礼儀っていう本、書籍がそれを2019年くらいに発行されている本なんですけど、
今まで僕が読んだ中で一番衝撃的だった本で、
それが人間と動物の歴史、ペットと畜産動物とかの間違いだったりとか、
本当に動物捕殺っていうのがどういうふうに行われて、どういう環境で育ったものを加工している、
それを口にしているとかっていうのがかなりセキュララに書かれている本になるんですけど、
たぶん読む人が読んだら本当にお肉食べられなくなる人が書いてるんだろうなって思うくらいの本で、
でもすごい一回みんなに読んでほしい。コンテンバって500ページくらいってすごい厚みもある本なんですけど、
これ本当にちょっとでも興味ある人がいたら一回読んでほしいです。
僕も漁師さんのところに4日間くらいお世話になって、鹿の解体作業とかをさせていただいて、
自分の手でしたこともあるのももちろん経験値としてはあるんですけど、やっぱりその知識として何も知らなすぎたなっていうのが、
その本を通してすごく感じて、その命に対しての向き合い方みたいなのって本当に何が正しいんだっけみたいなのが、
読むだけでも相当考えさせられる本だと思うんですよね。
いまだに僕も動物を目指して最後自分で手を下す時は、漁師でもあるし、必要なことだと思ってやったりはするんですけれど、
ちょっとした何か心にキャッシュみたいなのが溜まっていくなというふうに思ってまして、
それは多分人により気になるんですよね。
10しかない人がそれをやってもうダメだってなる人もいれば、1でも最初から無理な人もいれば、
漁師はそこら辺の適性が多少あって器が大きいんですけど、絶対みんなちょっとずつ何かが溜まっていっていると思うんですよね。
僕は少なくともそうなんですよ。
命を取るわけですから、どんだけシステマチックに機械的に必要なことみたいな自分をやっても、
何かが溜まっていってて、それをどう解消していくかっていうものが自分の中で課題だったりするんですけど、
そもそもそれは強として受け入れるべきなのか、何も考えずに馴染んでいくのかみたいな、
必要なことだとかいただきますのためにと思いながらも、いまだにちょっとモヤモヤしたりとか、
1つエピソードとして年明けぐらいから捕獲した動物のメスのお腹に赤ちゃんがいる状態で捕獲することがあって、
捕獲しているって解体、生育している時はもう1つ感情を切り分けてやっているので、
何も考えずにではないんですけど、やっぱりいつもよりか手を合わせる回数が多かったなぐらいな気持ちでやっていたんですね。
生育を。で、次の日それを他の人に喋っていくうち、
昨日こういうことがあってお腹の中に胎児がいてっていう話をしているうちに涙が止まらなくなっちゃって、
悲しいとかではなくて、喋ってるうちになんか分からないですけどずっと涙止まらなくて、
なんでかなと思って掘り下げてみると、僕はその母とこの死を通じて、僕にも子供がいて、
その子供の死っていうものを感じてしまったんだなと思って。
もう、胎児を見ることによって。
ただなんかこう、そこを掘り下げないと自分で気づかなかった理由として、
やっぱりその自分のこの死みたいなきつい体験が僕の中でキャパオーバーをしてて、
それ以上頭が働かないんですよ。
だからこう、ただただ涙が出るみたいなことがあって、
強引にそれをこう自分の中で考えると、
動物の親子の死を通じて人の死を感じることがあったんですね。
なんかそれってすごくリアリティのある話、体験だなっていうふうに思って、
生きている、すぐ隣に死があるっていう部分もしっかり受け入れて、
人は生きていくべきだなっていうふうに思ったっていう体験があって、
今までずっとやっている狩猟体験の中ですごく印象に残っていることですね。
それは結構最近なんですか?初めの方?
実はここ最近ですね。
そっかそっか、年明けって言ってました。めっちゃ最近ですね。
今の話も聞いてても、言葉にできないこととか言語化しづらい感情みたいなのが、
やっぱり僕らの中にきっとあって、
なんかそれとどう付き合う、向き合っていくのかみたいなのは、
なんかありますね。なんかすごい今の話聞いてても、
その感情がどういうものだったのかっていうのは、
僕も想像はできそうな気はするし、
なんか教訓めいた言葉に変えちゃうこともできそうなんですけど、
なんかそうじゃない気がしますね。今の話聞いてて。
本当にそうですね。
なんか動物の命使って命の授業はしたくなくて。
でも本当そうなんだな。
それって本当にリアルに、ちゃんとその後に食べるっていうことがあるから、
多分キャパオーバーにはギリギリならない気もしてるんですよね。
僕は理学部の生物学科だから、
実験動物を使った実験とかもやっぱりやったことあるんですよね。
それこそアフリカツメガエルとかヒヨコとか、
あとはラッドマウスみたいなものを実験として、
本当に授業の中で殺さないといけないシーンっていうのを体験したことはあるんですけど、
個人的にはやっぱりそれがちょっとあまりにも耐えられなくて、
そっち側の方向にはいけなくて、やっぱり植物の研究の方に行ったんですけど、
動物実験はどう頑張っても僕はできないと思って。
だけど、やっぱりそれ結構見えないことってすごい多いんだなと思ってて、
やっぱりその人が使ってる薬とか一つ取っても全部多分動物実験。
確かに。
大量にやった上で使えてる状態が作られてるっていうのは、
事実として多分あって、今動物実験すごく減ってる方向に多分進んではいると思うんですけど、
でもやっぱり食べる方だけじゃないところでも命と関わってるというか、
そっちは結構本当に結局食べるわけでもないから、
より僕は心が痛みすぎてちょっともう無理だったっていう感じだった。
言ってしまうと進歩の過程みたいな。
そうそう、それで結局人の都合だって思ってしまうので、
多分その上で長生きができる環境だって思ったりとかしてるのは事実だと思うんですけど、
いやーでもそれを仕事としてやられてる方々がやっぱり、
前の会社も動物実験は途中から禁止になってなくなりましたけど、
なんかすごい難しい問題だなってずっと思ってて、それは。
そうですね。