2024-12-28 44:11

vol.106 デザイナーが山伏(やまぶし)に? -PC前から山へ ダークパターンを考える- 山本 円郁さん(デザイナー/ 行者・山伏)

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💎Summary fm 要約

この会話は、デザインやビジネスのエキスパートが、デザインの本質とダークパターンについて対話しています。山口氏は自身のデザイン活動を宗教と位置付け、日本の宗教的な歴史や文化について探求しています。山岳信仰や自然崇拝に触れながら、デザインと宗教の関係性が焦点となっています。また、ダークパターンとは何か、それがビジネスやデザインにどのような影響を与えているのかについても論じられています。ビジネスロジックや消費者の心理に影響を与えるダークパターンについて深く探求し、倫理的な視点からビジネスやデザインのあり方を考察しています。デザインとビジネスの複雑な関係に興味がある方にとって、このエピソードは洞察に満ちた価値のある対話となっています。是非、この対話を通じて新たな視点や知識を得てみてください。


⏰ Summary fmタイムスタンプ 修行と資格取得の過程 山節の存在と普段の生活 ヤマブシの宗派と行事 修行と人助けについて 修行の目的と方法 神様への近づき方と祈願 考える癖をなくすのに苦労 デザインに行き詰まりと目的を捉えず 歴史の重要性とテクノロジーの文化 デザインと文脈 ウェブサービスと社会需要 過去の歴史と未来への影響 クライアントワークと次の時代の想像 デザインの役割の変化 認知心理学と行動経済学を活用した課題解決 宗教と信仰の違い 日本の宗教性 ダークパターンの影響と問題 ダークパターン 法律とビジネス メッセージング通知音と脳の反応


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サマリー

山本円郁さんはデザイナーとして活動しながら、山伏としても修行を行っています。その活動を通じて、伝統的な文化と現代のデザイン思考を融合させる試みをしています。このエピソードでは、山伏の修行から得られる気づきがデザインやマーケティングに与える影響を探求しています。山の神々との関わりや歴史の重要性を認識しながら、現代のデザインの枠組みを超えた考察を行っています。また、山本円郁さんは山伏の活動を通じてデザインと宗教的価値観の関連性にも焦点を当てており、特にダークパターンというビジネス手法に対抗するために過去の歴史を尊重する重要性を語っています。さらに、山本円郁さんはダークパターンと呼ばれるデザイン手法についても触れ、全体性やビジネスとの関係性、自然との付き合い方から新しい視点を探ることを目指しています。

山本円郁の紹介
自然と生きるを考える 自然資本論〜
この番組は森で働くことを愛する高橋&奥田が、マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、高橋です。
はい、奥田です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
だいぶ冬になってきましたね。
もう雪降ってないですか、まだ、さすがに。
いや、でももう平地も何回か降りましたよ。
え、そんなの?
ちゃんと車の屋根っていうか、頭に雪詰まるくらいは1回ガッツリ下の方まで降ったんで。
え、すごいっすね、やっぱり。
やっぱり越後湯沢ね、寒い。すごく寒い。
まだ12月頭ですけど、すご。
そうですね、でも今週の冬からはもう1週間ずっと雪まく。
もうスタッドレスが確実に働いてやばいやつですね。
なるほど。
いやー、長野も寒いですけど、こんなに違いがあるんだ。びっくり。
いやー、やっぱり豪雪地帯なんでね、日本は流出が早いですよ。
季節感じる、季節感じるな。今年も終わりますしね。
そうですね、もう。
はい、多分今日が2024年最後の収録になると思いますが。
おー、そうか、そうか、そうですね、はい。
あっという間の年でしたね。
そうですね、あっという間のいろいろありましたけど、年でした。
高橋さんは転職して地元帰って。
今ようやく、今日出社3日目なんで。
あ、そうじゃん。
まだ仕事いかがでしょうか。
いやいやいや、仕事始まってばっかりでね。
まず状況把握したりとかするのに手一杯って感じなんだけど。
そうですよね。
地域事業者さんといろいろ交信させてもらったりとかはすでにあったりで、
やっぱり帰ってきたな感はすごいありますね。
いいですね。その話も深く聞きたいなと思うんですけど。
またタイミングを改めてその辺はやりましょうか。
そうですね。
いや、転職1日目とかすごいよな。
何やっていくかわかんないですけど、まずは。
そうそうそう、わかんない。
本当にね、ちょっと久しぶりで反復。
どうしようみたいな感じで。
素晴らしい。はい、わかりました。
今日はですね、またゲストの方にお越しいただいておりまして、
特殊なというか、僕が住んでいる稲野大人駅層で、
デザイナーをされながら山節でもあるという山本文也さんに来ていただいております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ改めてなんですけど、僕も文也さんとは割といろんなシーンで、
いろんな肩書きでお会いすることがあって、
どんな人かっていうのは割といろんなことをやってるなと思うんですが、
改めてちょっと自己紹介をいただいてもいいでしょうか。
はい、山本文也と言います。
基礎でデザインですね。
いわゆる人間中心デザインみたいなところから、
いろんな企業のコンサルティングとかを手掛けるって仕事を中心にしています。
たださっきご紹介にあった通り、
山岳進歩、主原道の山節業者としても活動していて、
基礎でいうと御滝山という山で修行させていただいたりとか、
あとは京都とかなどのいろんな日本各地の霊山と言われるところで、
修行させていただいております。
よろしくお願いします。
山伏になるきっかけ
はい、お願いします。
今の聞いてね、分かる人も少ないのかなと思うんですけど。
そうですね。
どこから聞いていくのがいいのかなと思うんですけど。
僕そもそも山節どうやってなんのみたいなところ全然よく分かんない。
一旦そこを片付けないと先に進む。
そうそう。
存在はもちろん知ってはいるものの、
山節になりましたという知り合いが一人もいないので、
どういうふうにして山節だったりとか、
そもそも山節になろうかなって思われてたのかとか。
実際にですか。
その話をちょっと一回してもらいたいなって思います。
ありがとうございます。
そうですね、山節のやり方というか、
すごい簡単に言うと本当にご縁でしかなくて、
やっぱり別にインターネットで山節募集とかしてるわけではないので。
面白い。
そういうわけではない。
スマウトとかに。
そうですね、そういうわけではないので。
本当に僕の場合は、たまたま元々東京に住んでたんですけど、
基礎に移住してきて、古い町なんですね。
元々江戸時代とかそれ以前に三角信号があった町で、
今もかなり弱くはなってしまってるんですけど、
そういった文化が少し残っていると。
僕が暮らしてる町に山節、今行者をやられてる方が住んでたんですね。
本当に少ないんですけど、もう数人だけなんですけど、
そういった文化に興味があったので、
その方に話しかけて、話し合いになって、
この地域の文化とか、そういった三角信号について教えてもらえませんかっていう話を、
その方にし始めたのがきっかけで、
そこからその方の紹介で、
神社とかお寺とか教会とかにご縁いただいて顔を出すようになって、
そういったところから少しずつ行事だったりとか、
修行に参加するように、混ぜてもらうようになったんですね。
それで数年経ったぐらいに、
一応行者とか山節っていうのは資格があるんですけど、
資格があるんですか?
そうですね。いろんな資格があるんですけど、
その資格がないと付けられない所属とかがあるんです。
山節の資格とか位によって、
けさって言われるものの色が変わったりとかするので、
それは資格がないと付けてはいけないものに許可が必要なんですね。
なのでそういった資格をいただくようになって、
そこから正式に行者というか山節として活動をするようになったという感じですね。
なので本当にたまたまのご縁で、
良い行者との出会いがあったっていうのが入り口になるかと思います。
修行の目的
それはもう、今いらっしゃる奈良江塾の町の中で
いらっしゃる方の存在を知ってて話しかけたみたいな形ってことでしょうか?
そうです。奈良江塾の中に、
奈良江塾だともう2人ぐらいですかね、行者。
普段山節っていうのは半生半俗って言って、
半分神様、仏様に使える存在ですけど、
半分は俗、存在なので、
普通に仕事をしている人ばかりなんですね。
仕事をして夜とか土日とか休みの日に
行神参加したり山に登ったりするんですけど、
普段山節の格好でいるわけじゃないんですよね。
だから全くその辺にいたらわからなくて、
ただたまたま町の中で神事みたいなものがあって、
その山節の方が所属を来ていらっしゃったんですね。
なるほど。
それで気づいて話しかけてみたっていうのがきっかけですね。
面白い。
神事っていうものが残ってるんですよね。
法作をお祈りする祭りとかそういうのじゃなくってことですよね、神事。
でも難しいものはあると思います。
やはり僕が住んでる町って、
土地は狭いし寒いし、
あまり農作物とかは見抜いた土地じゃないので、
あまり法作を願う神事はないんですけど、
一方で山に囲まれて山に守られている地域なので、
毎年一部の人だけなんですけど、
山の神様にご挨拶に行くっていう、
本当に村の中だけの小さな行事があるんですね。
そこでその方が所属を来ていたと。
なるほど。
山節はお勤めがあるんですもんね。
そうですね。
もちろん山節って一言に言っても、
僕は尾崎さんをホームにしてますけど、
日本各地、奈良県だと尾峰さんだったりとか、
京都でも大吾さんとか四国だと石渕とか、
山形に行けば出馬さんさんとか、
いろんな宗派があって、
宗派によってやることは少し違うんですけど、
僕らも定期的に神様、仏様にお祈りをするっていう行事があるので、
それは定期的な行事として参加しつつ、
他にも例えばお寺が主催する五間崎という、
斎藤五間って言ったりするんですけど、
大きな火を焚いて祈願するっていう行事があったりするので、
そういったものをお手伝いに行ったりとか、
いろんなそういう行事のお手伝いがあったりしますね。
毎月録画つく日は言ってませんでした?
そうですね。
僕が所属しているところが、
これも所属している教会とかによって違うんですけど、
僕のところは毎月3のつく日と8のつく日っていう日は何かしら。
結構多いですよね。
そうですね。
月に最低6回ぐらいはありますね。
それ以外にも歓迎するお寺だったりとか、
ご縁のあるお寺のお手伝いに行ったり、
京都とか滋賀の方に行ったりするので、
大体月に10回ぐらいなんじゃないかしら。
すごい。忙しいね。
参加しているのかなと思います。
そうですね。結構忙しいかもしれないです。
その話じゃないですけど、
反省・反続っていうのがすごく面白いなと思ったんですけど、
例えばお寺の住職さんとかは、
どっぷりと神事に使えるっていう感じだと思うんですけど、
その行者の考え方とお寺さんとの考え方の違いって何か根本的にあるんですか?
そうですね。やはり行者は反省・反続っていうのが本当に重要視されていて、
やはり神社の新職だったり、お寺のお坊さん、住職の方だったりとかは、
今おっしゃったように、基本的にはそれ一本なんですね。
もちろん他の仕事をしている方もいらっしゃるんですけど、
基本的にはそれが中心になっている。
でも行者っていうのは、もともと1300年ぐらい前に
縁の行者さんって言われる、修玄堂を開いた人がいるんですけど、
その方がもともと在家・僧侶でも出家している方じゃないんですよね。
もともと一般人のまま修行をしていた人、簡単に言えばそうですね。
なので、修玄堂の歴史の始まりがそもそもそういったところにあるっていうのもあって、
神様・仏様に仕えて、そういった修行を積んでいくっていうことを半分大事にしつつも、
俗の世界にもちゃんと身を置いて、俗世間の人たちの苦しみを学ばせてもらうとか、
学ばせてもらうことで神秘に御祈祷できるようになったりとか、
ということを目指すので、同じことをする行といって同時行って言ったりするんですけど、
なので、仏様は神様に仕える意味でありつつ、
俗世間にもちゃんと身を置いて、苦しみとか悩みを一緒に味わうっていうのが、
行者としての在り方って言われてますね。
おもろいっすね。
どのぐらいのテンションでこの話をしているのかがいつもドキドキしちゃう。
ドキドキしちゃうんですかね。
全然大丈夫です。普通に何でも聞いてます。
ちょっと聞いていいですか?もうちょっとだけ。
修行をするという行為の目的っていうか、
目的っていう言い方楽しいのかわからないですけど、
よくある煩悩をなくしていくとか、そういうのはあったりするんですけど、
そういうのって山口の方はどういう考えのもとで修行をされるんですか?
そうですね。僕らは菩薩道の修行と言うんですけど、
やはりそれこそ欲とか煩悩をなくしていくとか、
あとは自分の中の穢れを取っていくっていうのは一つ大事になることではあるんですね。
そのために木の上を歩くこともあれば滝に打たれることもありますし、
山に入ることもあるんですけど、
基本的には人助けっていうものが中心にあると思っていて、
やはり困っている方々が育って来られる方も多いんですよね。
こういった悩みを抱えていてどうしたらいいかわからない。
そういった時に僕らは御祈祷したりとかおかじとかを払いをしたりするんですけど、
そういった困っている人を助けるっていうのがやはり一番身近な目的としてはあって、
ただその時にいろんな悩みに対して応えるために、
山伏と御祈祷の目的
やはり山節とか行者がそれなりの力を持っていないと、
もちろんお祓いすることなんてできないと。
いろんな悩みがありますけど、
駅業が取り継いでいるとか、ご先祖様がいろいろとか、
悩みは人それぞれなんですけど、
そういった悩みに寄り添って、
ちゃんと少しでも前を向いていけるように力をつけて御祈祷お祓いをする。
そのためにやはり僕らって山に入ったりとか、
修行をして法力を身につけていかなければいけないというのがあるのかなとは考えますね。
なるほど。そういう目的があるんですね。
そうですね。
よく言うのは僕らって山に入って、
小族をまとって心身綺麗にして山に入り、神様に近づいていくことで、
降りてくる頃には少し神様の力をいただいている状態になっている。
なので荒人神という言い方をしますけど、
少し神様の力を宿した状態で降りてくる。
その状態でやはり御祈祷とかするから、
願いが叶っていくとか言われているので、
そういった状態を目指すために修行をしているというのが一つの目的です。
なるほど。やっぱりちょっと勘違いしてましたね。
神様に伝えるために穢れを払うのが目的なのかなと思ったんですけど、
やっぱりその先があったんですね。人助けっていうところの。
そうですね。人助けだったりとかもちろん後は天下大計とか国土安納とか、
いろんなことを願いながら昇るので、
そういう大きな祈願をしつつ、もちろん
縋ってくる方々の悩みにも寄り添えつつっていうのが、
行者の役割なのかなと思います。
デザイナーとしての役割
めっちゃよくわかりました。ありがとうございます。
すごいちょっと回想があった。
ありがとうございます。
すごいですよね。
それを聞くと名音のことすごいなって思いますね。
やっぱり山って、
二人ともかなり山とか森とかに関わられてるからあれですけど、
どんな山にも小さな祠があったりとか、
鳥居があって神社があったりとか、
日本ってあらゆる山に神様が住んでいる。
結構特殊な国だなと思うんですけど、
やっぱり神様っていうのは祈られなくなると、
力を発揮できなくなっちゃうんですよね。
やはりなので、
僕らが意向倍増とか言い方をするんですけど、
神様たちの力をちゃんと発揮できるように、
お参りに行くっていうのも一つ目的としてはあります。
そうですね。前にもおっしゃってましたよね。
その山開きでしたっけ。
山の神様が眠っているところを起こしに行くような。
そうですね。そういったことは。
そういう目的なんですね。山開き。
誰にも祈られなくなった山。
信仰の対象じゃなくなった山の神様を、
起こしに行くっていうのが正しいのか分からないですけど。
そうですね。ちょっと時間がなくて、
なかなかできていない部分でもあるんですけど、
やっぱり日本全国そういった山がたくさんあると思うので、
有名な霊山ではなくても、
神様が祀られている山ってたくさんあると思うんですよね。
なので、本当は無限に時間があれば、
一つ一つ山を巡って、
一つ一つ神様にご挨拶して回りたいなって思うんですけど。
そういう山の、山というか自然との向き合い方をされながら、
もともとはデザインとか、
デザイナーとして活動されているっていうところの、
なかなか聞かない組み合わせだとは思うんですけど、
ふみやさんならではの視点というか、
自然と向き合うこととデザインみたいな話を、
自然史本論的に聞いていけるといいのか。
めちゃ面白そうです。
思うので。
まずはデザイナーといったときに、
ふみやさんは何のデザインをされているというふうに言っているんですか。
僕はですね、
いわゆる具体的なグラフィックデザインをするってことはあまりなくて、
全体の企画だったりとか、
インターフェースの基本設計みたいなのは、
例えばウェブサービスとかですね。
の基本設計を手掛けることはありますけど、
基本的にはそのあたりですね。
もともとユーザビリティとか情報アーキテクチャっていう、
どうすれば情報が分かりやすく伝わるかとか、
使いやすいサービスになるかっていうのをずっとやっていたので、
そこから始まったんですけど、
ただいくら使いやすいものになったとしても、
そもそもの企画だったりとかがいいものではないと、
なかなか意味がないってことから、
企画とかに入るようになって。
なるほど。
それは結構ありますよね。
そうですね。逆もあるんですけど。
上流にいかないと。
そうですね。上流にいかないとできないことがやはり、
かなりあったので。
なので、最近だと経営層とかと話して、
デザイン、戦略として全体の方針を決めるとか、
そういったお手伝いをさせてもらってます。
そうっすよね。
マーケターの人も結局、
ブランディングとかコンセプトがないと、
できないみたいになってて。
そうですね。
上流に。
一部だけ切り取っても、なかなか難しいってところがあるよね。
苦しくなりますよね。
そう、苦しくなる。
どうしたらいいんだろうみたいなところからスタートだなって。
いいですね。
なので、今日はデザインとかマーケティングとかに近いメンバーなので、
しっかりそんな話をしていけたら楽しいのかなと思うんですけど。
山節になられてから見る、
自然の中にどっぷり体験を通して入っていく中で、
UXデザインとか、
そもそものデザインみたいなことに、
考えうる中で変化とかって、
していくもんですか?
そうですね。
もともとデザイン業界にいたときに、
これからどうしていけばもっといいデザインができるのかなって、
悩んでしまった時期があったんですよね。
それで、助けを求めるように山に入っていった。
マジですか。
できすぎる。
素敵やな。
あるんですけど。
やっぱり、僕が作ってたものは特にウェブサービスだったりとか、
そういうテクノロジーの消費が激しいもの、
移り変わりが激しくて、
せっかく作ったものがすぐなくなってしまったりとか、
消えてしまったりとか、
10年前に作ったものがもう見ることすらできないとか、
そういったわりと耐久性の低いものを作っていたっていうこともあって、
自分が作っているものって一体何なんだろうなと思った時期があったんですよね。
ただ今は山に入るようになって、
1300年とか大きな歴史の中に自分の山節としての活動があって、
やはり歴史に貢献するっていうことがすごい大事だなっていうのは思うようになったんですね。
面白い。
そういった観点で、
たとえインターネットのサービスだとしても、
ちゃんと歴史性を大事にしたようなものづくりだったりとか、
歴史に貢献するようなサービスづくりとかデザインができないかなっていうのは今、
歴史との関わり
考えているところではあります。
山節の修行が体験主義で、
まずは考えずにやれみたいなのを言われるっていう話。
そうなんだ。
そうです。
これすごく最初の頃悩んだところであって、
やっぱりロジカルシンキングだったりとかシステムシンキング的に、
うざいなと相性悪い。
そうなんです。
構造だと分解して仕組みを考えちゃう癖ができてたんですよね。
それを山節の世界に持っていったら、
いやそんなことはしてはいけないと、
ロジカルさんに言うと。
まず山に入って、疑うなというか、
そういった放てはいけないみたいな時があって、
だからついつい頭で考える癖がついちゃってたんだなって、
それが正しいと思い込んでたんですけど、
それはやっぱり一つの側面でしかなくて、
山節とか山の世界に行ったら、
そんなことよりまず山に入るんだ、先に入るんだっていう世界があったので、
もちろんそれが全てではないんですけど、
そういった側面も持ってたので、
ついつい頭で考えちゃうという癖を無くすのに苦労しましたね、最初。
とりあえずやってみて、なぜやるかを考えずにやってみなさいって教えはすごく大事だなって僕も最近思うんですけど、
それでやってるとなんだかんだ感じるというか、
意味が再発見されるみたいなことが起こってくるんですか、修行の中では。
そうですね、まさに本当にそうで、
いまだにやっぱりどういう仕組みなんだろうとか、
やっぱり問うことはしてないので、
答えが別に見つかっているわけではないですけど、
やっぱり何回も何回も山に入っていくと、
それ自体が目的になっていくというか、
別に答えを問わないようになっていくというか、
っていう自分の思考の変化はあるかもしれないですね。
今はもう仕組みとかを問おうと思っていないというか。
それがさっきのデザインでむしろ仕組みとか、
目的と方法を分けて考えるとかっていうことが、
割と重要な視点だったりする中で、
デザインに行き詰まりと、
そういう目的を捉えずに体感するっていうことから見える、
歴史に貢献することの重要性みたいなことが、
繋がっていくのかなみたいなのを聞いてて感じるんですけど。
ですね、やっぱり自分の頭で考えられることしかやっていなかったなとは思ったんですよね。
パソコンに向かって画面に向かって本を読んだ知識で、
あくまでも人間の世界の枠組みで全てを考えていたなっていうか。
しかも現代の人間ですよね。
でも少し外に出て山に入ったらそんなことはなくて、
山口は全員1300年の歴史を背負って、
その先端のところで今も同じことを続けていてずっと。
1300年前と同じことを続けて同じ道を歩いてみたいな。
例えば疫病だったりとか、
先祖の供養だったりとか、
そういった人間世界とか社会を超えた悩みを抱えている人とかもたくさんいて、
自分がデザインという枠組みに見ていた世界があまりにも小さすぎたなっていうのがすごく思うところではありますね。
だからすごく近視眼的になっていたというか、
全部仕組みで文化が生きると思ってしまっていたし、
テクノロジーの業界ってそもそも歴史が浅いっていうのもあって、
あんまり過去の歴史を尊重する文化っていうのはなかったなと思うんですよね。
別にテクノロジーに1000年の歴史があるわけでもないので。
その1300年の歴史、歴史性に貢献するって話があったときに、
これは基本的に過去方向になるんですか?歴史に貢献するっていうのは、
これまでの歴史に恥じぬとか、
これまでの歴史がこれからも続いていくための、
地続きの現在としての位置づけを考えるみたいな話と、
もしくは未来方向も歴史ってあると思うんですけど、
未来に貢献するみたいなこともあり得るなと思ったり。
そうですね。
文脈的にはどっちがどっちも。
はい、それでいうとやっぱりどっちもですね。
テクノロジー単体として見たときには、
そこまでの長い歴史がなかったとしても、
もちろん失われるロストテクノロジーみたいなものは置いておいて、
なかったとしても、でも、
例えばそのサービスが開発される背景だったりとか、
その土地の文脈みたいなものは、
必ずウェブサービスだろうがなんだろうが、
まとわりついているものだと思うんですね。
新潟でサービスだったら新潟の文脈が必ずついてくるし、
デザインと歴史の関連性
であれば、そういったところから歴史性を紐解いていって、
サービスのコンセプトに落とし込んでいくっていうのは、
必ずできることだと思いましたし、
現代社会の課題だったりとか文脈と合わせることで、
今の現代に必要とされているものっていうものを作ることで、
もちろん未来のためになるものが作れるんじゃないかなと思ったので、
そういった、もちろんどんなウェブサービスを作るにしろ、
10年あるかどうかっていうと怪しいんですけど、
でも、その中でも強度が高いというか、
強度の高い哲学を持ったサービスとかデザインっていうのは、
歴史を大事にすることでできるんじゃないかなとは考えてますね。
山節の世界とかにいると、
1300名の歴史を守り続けて、
多分それはきっとこれから山節になられるであろう方々も、
形を変えてないじゃないですか、おそらく。
そうですね。
デザイナーとしてやるときって、
たぶんその歴史性を大事にしながら、
価値の最低位をしていくみたいなところを、
たぶん結構考えられ始めていることは多いだろうなっていうふうに思うんですけど、
山節をやることによって、
その辺の、なんていうんだろうな、
過去の方に重きを置く方が重要とか、
思うこととかってあったりするんですかね。
そうですね。
角となる部分はやっぱり守らないといけないけど、
気候じゃない部分は、
結構ガラッと現代の社会に合うように変えていくっていうふうなことが、
結構ほとんどだと思ってるんですけど、今は。
その辺りの感覚って、
どういうふうに捉えてるんだろうなと思って。
そうですね。
それで言うと、デザインみたいな世界だと、
時代に合わせていかないといけない部分が多いものがデザインだろうなとは思いますね。
一方で、やっぱり山節の世界にいると、
その大きな歴史の中にいさせてもらえることが、
自体がすごくありがたい。
そもそもそれだけで感動できるというか、
なぁと思ってるので、
変えずにやることっていうのを大事にしているっていうのは山節の世界ではありますね。
だからどちらの観点も持っているということになるかもしれないんですけど、
どちらかというと、やはり僕は過去の歴史みたいな方に若干比重はあるのかなと思います。
というのも山節の業者のやることで、
専属用とかそういったことがかなり中心としてあるんですね。
やはり僕らってご先祖様がいるわけで生まれていて今がある。
ご先祖様は亡くなって、仏様になっていくわけですけど、
専属用として成仏していくことで、
今の僕らを見守ってくれるようになる。
で、僕らの未来が良くなっていくので、
過去を大事にしないと未来を良くできないっていう方向性はあるのかなと思ってます。
課題解決とデザインの本質
僕らとしては。
記事を読ませていただいた時も、
デザインに必要なのが問題解決という束縛から解放されるポーズだ、
みたいなことを書かれていたので、
そういうところにつながっているんだろうなとは思ってたんですけど。
そうですね。やはりデザインをやっている時にずっと課題に思っていたのが、
デザインは問題解決だっていう言論が中心に当時あったので、
そうやって言ってしまうと、デザインって問題解決しかできないものになってしまうなと。
なるほど。
それってやっぱりビジネスに貢献するための道具としてのデザインだなと思ったんですね。
でも僕の中ではデザインってビジネスより上の存在だと思っていたというか、
別にビジネスのお役に立てて光栄ですみたいなものではなくて、
もっといいビジネスを作れるみたいな。
ビジネス自体を良い方向に導くのがデザインだと思っていたので、
そういう意味で問題解決っていう言い方をしてしまうと、
かなりデザインの可能性が小さくなるなと思っていたのがあります。
資本主義に隷属しているみたいな、そういう感覚なんですかね。
そうですね。課題解決ってそうだなと思ってしまいました。
確かにそう言われるとめっちゃそんな感じしますね。
すごいな、重要な視点。
最近僕もめちゃくちゃそれを感じるというか、
デザイン、クライアントワークになりすぎたっていうのが多分結構あって、
クライアントワークから次の時代を想像するようなことっていうのは結構難しそうで、
現状のビジネスの枠組みの中でいかにそれを拡張したりするかっていうようなことだなって考えたときに、
それこそちょうどここ数日でいろんな人と話をする機会があって、
ある人が今40代以下のデザイナーといえばこの人みたいな人が全然出てきていないみたいな話をしていて、
フミヤさんと一緒に滝尾をしたプラットスタジオの石井さんの話をしているときも、
40代以下の単独映画を作るアニメーター監督はいないみたいな話をしてたんですけど、
どちらも多分クライアントワーク、デザイナーもアニメーターもクライアントワークになりすぎた結果、
何かを想像して作り出すってことから、
誰かの課題を解決するためのものとしての位置づけが強くなりすぎて、
自己表現がなくなったみたいな感じってこと?
それもあるしと思います。
多分昔はもうちょっと大らかで予算もついた時代のデザイナーの応募書が、
こうやったら面白いやんけっていうことに対して、
じゃあそれやってみましょうかみたいな話が通ったけど、
金銭的にも余裕があるという。
なのかもしれないんですけど、今はむしろ会社の中の階層があるから、
上の人を通すためにこれは無理かもなっていうのをみんなが忖度しまくるみたいなことで、
その忖度を読み込んだデザインができる人たちが、
むしろいいデザイナーになっていっちゃったみたいなのがあるのかもしれないっていう。
中では結構デザインの役割が文屋さんに言われるような、
賄賞化するとか小さくまとまり始めるみたいなのが。
確かにね。企画を通すために余計な枠をはみ出た部分だけ削がれて行きそうな感じするもんね、そういうの。
そうです。それを通せる人がいいデザイナーになっていっちゃうと、
そうだね、クライアントベースなものが増えすぎると、
ちょっとルールが変わるなっていうのは思うんで、
そこはちょっと破壊が必要な気はしますよね。
そうですね。
さっきの悩み、デザインについて悩んだみたいなところは、
やまぶしを通して切り開けたというか、悩みは解決されたんですか?
いや、全く解決はできてないんですけど、
でもこういう形だったらもっといいデザインできるかもなっていう、
ちょっと糸口は見え始めてはいて、
それこそ今の話につながるんですけど、
課題解決のために認知心理学とか行動経済学を駆使して、
人々をナッチによって動かして数字を上げるみたいなものが、
精度されてきてしまったんですよね、ここ10年ぐらい。
それでやっぱり数字が上がっていくので、
つまりデザイナーの存在自体も企業のPGCNの中に組み込まれていくみたいになっていて、
結果本当に良かったんだっけみたいなビジネスとか、
最近の言葉で言うとダークパターンって言われる、
人々を誘導してしまう、強引に意図しない方に誘導してしまうようなデザインだったりとかによって、
売上を上げるとかっていうものが増えてきていたと。
それがやっぱり悩みだったというか、
デザインでそうじゃダメだよなと思っていて、
山の方に助けを求めたっていうのがあったので、
僕が今山節としてやっていることっていうのは、
誤解を恐れずに言うと宗教なんですよね。
日本で言うとやっぱりいろいろ宗教化による問題とかがいろいろあったので、
宗教って言うと嫌悪されたりするんですけど、
でもやはりこう…
ごめんなさい、ちょっと信仰とは違うんですか?
山岳信仰とか自然崇拝的なところの方が近くて、
それって宗教とはまたちょっと違うのかなって勝手に思ってたんですけど。
そうですね、精神性としてはやはり日本古来の山岳信仰だと思いますね。
インドから仏教が中国に渡って、中国で道教と混ざって、
それが日本に来て神道と混ざり、
なのでいろんなインド、中国、日本の信仰がミックスされて、
日本独自の山の信仰ですよね。
なので信仰って言い方も全然できます。
ただやっぱりそれを運営している母体が宗教法人だったりはするので、
そういう意味では宗教でもある。
日本ってやっぱりものすごくお土産より多い数の神社だったりとか、
山に行けば祠、お土産、鳥居があったりとか、
ものすごく宗教性の高い国だなっていうのに改めて気づいたんですよね。
自覚がないだけで。
そうですよね。めちゃめちゃそうだと思います。
めちゃくちゃそうですよね。本当にそうですよね。
例えばありがとうとか、ごちそうさまっていう言葉だったりとか、
おかげさまとか、あらゆるところに全部仏教が由来の言葉なんですけど、
自然に宗教性が組み込まれていて、自覚していないだけで、
ものすごく宗教性の高い国だなと思っているんですね。
それに改めて気づいたことで、やっぱりビジネスのロジックだけでいくと、
いや、こうした方が売り上げ上がるよって話、絶対になってしまう。
こうやって人を誘導した方がいい。邪魔な広告出しておいた方がいいみたいな。
こじるボタンは押しにくくしておいた方がいいみたいな。
っていうことになっちゃうんですけど、
でもそういうビジネスで本当にいいんだろうかって、
企業の担当者だったりとか経営者だったりとか、やっぱり立ち止まることが大事だと思うんですよね。
それってやっぱり法律で制御できなくて、ビジネスのことだけ考えても、
どうしてもこっちに行ってしまう。
やっぱり本当にそれでいいんだっけって、ちょっと足を止めるきっかけっていうのは、
自分自身の中から生まれる倫理的な話。
新人というか。
新人だったりとか、おテント様が見てるんじゃないかとか、
ダークパターンの理解
そういった宗教じゃないですけど、かなり宗教性を帯びた思考だと思うので、
そういったものをもう一回再起動できないかなっていうのは考えてるところですね。
なんかダークパターンのパターンについてちょっと触れたいというか、
どういうことを指すんだろうっていうのを共有していきたいなと思うんですけど。
ダークパターンはいくつかのパターンに分類されてはいるんですけど、
まだまだその分類も精度がすごく高いものではなくて、もっと整理があった方がより必要なんですけど、
例えばすごい分かりやすい例で言うと、今これを何人が見ていますっていう、
ちょっと焦らせるような表示だったりとか。
ヤドとかのURLサイト。
あとは時間、タイムリミットみたいなのが。
セールとかね。アマゾンとかでもありますよね。
セールとかだ。
正常な選択をさせないっていうための。
焦るわね。
そうですよね、焦りますよね。あと何ペアとかも。
あれがやっぱり冷静な選択を阻害しているというか、
自律的な選択を阻害しているという意味で、ダークパターンの例になってますね。
より厄介なのは、例えばECサイトのプラットフォームとかだと、
プラグインでタイムリミットを出すみたいなプラグインが用意されていたりして、
ダークパターンが推奨されているみたいな。
プラットフォーム側が用意してしまっていたりとか。
あとは、日本だけではないんですけど、
やっぱり、旧民ユーザーがたくさんいると儲かるみたいな構造になっているビジネスも多いですよね。
課金だけして使ってない。
わからない状態で課金は解けてないという。
課金法とか、はい、そうです。
ダークパターンの影響
それはもう、最たるものが携帯キャリアじゃないですか。
やったら色々オプションが出てそうですよね。
それも、知らないうちに何かがカードに入っているみたいなものもダークパターンって言われてますし。
あれもやらしいですよね。
1回付けるとかないとセールじゃない。
1ヶ月後には解けるって言われるやつね。
あれはなんか極悪ですよね。
そうですね。
でもやっぱり法律では制御できなくて、
ビジネスとしてはそれが儲かるからまかり通ってしまっているみたいな。
確かに。
なんか電話、というか営業電話も、
それこそ携帯とかWi-Fiを契約したタイミングからやたら来る
営業電話とかあるんですけど、
あれはダークパターン以前に、
本当に誰が幸せになるんだろうって。
出会う人の方も辛いし。
そうですよね。
受けてる方はイライラしちゃうしね。
そうそう。
きっとあれも多分契約するときに細いどっかに書いてあるんですよね。
なるほど。
提供する可能性がありますみたいな。
でも読めないんですよね、利用契約とかって。
それはダークですね。
ああいう読めない利用契約とかもまだパターンに当たりますね。
逆に言うと読める利用契約見たことない。
見たことないですね。
見たことないです。
基本的には全部スクロールしてみたいになっちゃいますし、
他にも退回しづらいとか、
退場しづらいメールマガとかも当たりますけど。
そういう仕組みだけじゃなくて、
例えば脳が反応するような、
例えばメッセンジャーの通知音とかって結構特徴的というか、
ビキンみたいな音するじゃないですか。
全部僕はマナーモードというか音消してるんですけど、
やたら鳴る人がいると脳みそが持っていかれる。
なんか来てる。
確かに。
連発で来るときめっちゃ来るもんね。
そうそう。
あれもちょっと詳しくはないですけど、
もしかしたら企業によっては結構人間が反応しやすいような周波数とか、
音を作っている可能性もありますよね。
結構ありそう。
ありそうもんね。
そうですかね。
脳みそ持っていかれながら負けないぞっていう気持ちですもんね。
ほんとそういうのあるよね。
使い方とかでもやっぱり視認性を上げるために黄色に赤を混ぜるみたいなのとかよくあるけど、
やっぱり目痛い。
確かにですよね。
それがやっぱりビジネスのロジックの中にまかり通ってるんですよね、今までの。
強引な売り方みたいなものがあって、
やっぱり厄介なのは使ってる側が気づけないことなんですよね。
実はボードを操作されているってことに自覚することもできないみたいなことがあって、
なので気づかないうちに意図しない選択を迫られているみたいな状態がやっぱり良くないとされてますかね。
デザインの在り方
いや、めちゃめちゃ面白い。
時間も結構経っているので、
全体性とダークパターンによるビジネスとデザインの関係みたいな話が前半だったと思うんですけど、
後半は、じゃあそこから脱していくには、さっきのお店頭様みたいな話もありましたけど、
デザインの在り方とか、自然と付き合うことで見えてくる世界観みたいな話をできたらいいなと思うので、
前半はこの辺で終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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