1. シソフレ
  2. 48 公共の場における人々の空..
2024-02-27 14:28

48 公共の場における人々の空間認知について(前編)

spotify apple_podcasts
00:02
こんにちは、上水優輝です。
永里優輝です。
さて、今日は、公共の場における人々の空間認知についてお話ししたいと思います。
もう、タイトルからして堅苦しいじゃないですか。今年有力育って言ったのに。
全然有力ないよ。これもう、行政みたいな、論文とかもう、行政の文書みたいな書かれてるような言葉ですけど。
そんな堅苦しい内容じゃないんですよ。
あ、そうなんですか。
これも、なんかちょっと疑問に思ったことなんですよね。
先日、コーヒーショップに行ったんですね。
で、座ってコーヒーを飲んでたんですよ。本を読みながら。
で、隣の席が空いててですね、若い女性が、たぶん10代、20代前半ぐらいの女性の方が、隣の席に座ってですね、座ったんですよ。
コーヒーもオーダーせずに。
あの、ただ座ったってこと?
ただ座ったんですよ。で、座ってですね、何をするのかと思いきや、携帯、iPhoneでですね、Spotifyかなんかを開いて、音楽をかけ始めたんですよ。
スピーカーで?
はい。
はい。
オープンスピーカーで。で、結構な音ですよ。
店でも音楽が流れるじゃないですか、だいたいコーヒーショップって。
で、お店でも流れてるし、それよりもちょっと大きい感じの音で音楽をかけ始めて。
で、まあ結構他にもお客さんがいて、そのお客さんたちは普通にピタピタ喋ってるんで、誰も気になってない様子だったんですよ。
でも私はものすごく気になって。
はい。
スピーカーフォンで音楽をかけるんだ、コーヒーショップでって思いながら、ずっと見てて。
で、しばらくたってもずっとその音量で音楽を聞いてるんですよ、ヘッドホンもせず。
で、なんか私も本に集中できなくなってきて。
で、そしたら、その女の子が、今度は、ジュアリンゴってわかりますか?
英語の、外国語の勉強アプリみたいなやつ?
はい。外国語学習アプリみたいなのが携帯にあるじゃないですか。で、ジュアリンゴをやり始めたんですよ。
相当な大きい音量で。
そのスマホがなんか言ってるわけでしょ?その問題文とか。
そうです。
でも、たぶん10分ぐらいジュアリンゴをやって、
で、コーヒーもオーダーせず、結局そのまま立ち上がって去っていったんですよ。
で、なんだったんだろう、この女の子と思って考えてたんですよ。
彼女はその公共の場において、空間っていうものを認知できていなかったのか。
03:01
それとも、ああいうそのような行為をすることが彼女にとっては別に普通だったのか。
で、それが人に迷惑をかけるとは全然思っていなかったのかとか、いろいろ考えたんですよ。
でも、ちょっと答えがわからなかったんですよ。
どうなんですかね。
これについてちょっと考えてみます。
ちょっと考えていきましょう。
まず、あれですよね。YouTuberとかじゃないですよね。
全然違います。
みんながどういうリアクションするかやってるとか、そういうことではないという理解でいいですよね。
プライベートで本当にそれをやってると。
そういう感じなんだろう。
びっくりしちゃって、本当に。
たまにですね、福岡のスタバとかにもいるんですよ。
あ、いるんですね。
でも、爆音、全開みたいな感じではない。
でも、ある程度隣の人にも店中にも聞こえるぐらいの音量みたいな感じですよね。
スピーカーで動画見てるとかはあるから、マジかと思うことはあるんですよ。
だから、なんなんだろうって。
その空間には自分以外の生き物は存在していないみたいな感覚なのか、私にはそう思えちゃったんですよ。
そうですね。これどうです?
みんながそれをしたら、すごい状況になるじゃないですか。
何も逆に聞こえない、ただのノイズになるみたいな。
自分だけがやってるとか、少数だから、自分は聞き取れているみたいな話で。
これってよくないと思うんですよ。
その人は得してるけど、他の人は、例えば本を読みたい人は本を読みづらいとか、自分が聞きたいものが聞きづらくなっちゃうみたいな感じで。
周りに負荷をかけてしまいながらも、自分だけ得してる。
しかも、イヤホンをするとか、解決策があるにもかかわらずってやつですね。
そう。そうです。
なんかこれはね、よくないなと思いつつ、よくないなと思いつつですよ。
ちょっと昔みたいに、注意するみたいなのも、人の自由みたいなものを侵害してるみたいな感じで、注意しづらい世の中になったのかなっていう気がしますよね。
注意はできなかったですよね。その人の自由だし、お店のルールに別にそういうのないしとか。
注意じゃないにしても、例えば、ちょっと本を読みたいから気になっちゃうんだけど、みたいなコミュニケーションみたいなのも含めて注意ですね。説教じゃなくてね。
06:01
うん。
でも言いづらいよね。
言いづらいです。めちゃくちゃ言いづらかったです。
そうなよね。僕はなんか言えないな。
言えないですよね。だからその女の子の斜め後ろに、すっごい大音量で誰かと電話してる黒人の女性の人がいたんですよ。
はいはい。
そっちもむしろ気になったんですよ。
声でけえなみたいな。
もう店中で自分の声の音量がわからないんですよね。
はいはいはい。
そういうパターンとかもあったりとかして、もうカオスなコーヒーショップだったんです、結局。
でもね、その女性、その電話の女性の気持ちはちょっとわかるんで、確かに言われないとわかんないね。
わかんないですよね。
声でかいから、結構たぶん、昔居酒屋で言われましたね、友達から。
酒飲んでると声でかいんだけどって言ってくれたからよかったけど、声でかいと思ってなかったから。
マジか!隣の席の人見てたよ!マジか!みたいな。
いや、見ちゃいますよね。見ないようにしようと思ってたんですけど、でもやっぱり見ちゃうんですよね。
なんか見ることによって気づかせてあげるみたいな、注意するかわりに。
そうだね。たぶん本人気づいてないわ、これ。
それか、私が敏感なだけなのか。とか。
私も敏感なんでちょっと。自分がうるさいくせに、人のそれにはやっぱり敏感みたいなのがあるんで。
こういう時とかもどうすればいいんだろうって、結局そうなってくると自分がするしかないのかなってなっちゃうじゃないですか。
お店側もでも、あれですよね。その辺をどれくらい許容するかっていう感じなんじゃないかな。
お店が注意せずにお客さん同士でなんかやり合うのって結構ハードル高い気がするな。
高いですよね。それかお店の人に言うかですよね。
ああ、あの人うるさいんだけどみたいな。確かに確かに。そうかも。
じゃないとやっぱりトラブルになる可能性が大きいですよね、今の世の中だと。
そうですね。お店の人もたまったもんじゃないけど、でもお店の人の責任ではありますよね。
お客さんが快適に過ごせる。ある種何を快適とするかはお店の基準だと思うんで、
そこはお店の判断でいいんけど、私は今うるさいと思っているんだってことを伝えるっていうことで、
どう対応するかっていう。お店側が頑張らないといけなくなっちゃう感じですね。
でもお店もそこまで把握っていうか、そこまで目を配ってないよ。お店だったんで。
仕方ないじゃ仕方ない。お店に入っちゃった自分が悪いのかなとかね。
だからお店側がそれを意図してたらいいけど、そうやってもうそういう人は来なくていいですよっていう、
09:02
例えばお客さん、今中瀬さんが言ったみたいに、私はお客さんじゃないかもなみたいなので、
なんて欲しいと思うとお店側が言ってるんだったらいいけど、そうじゃなかったらやっぱり難しいよね。
不本意な形で、うるさいお客さんのせいでお客さんを失ったみたいなことがあるから。
お店側の責任じゃない?空間側の。
人のせいじゃない。人にも問題あるじゃないですか。
その個人でしょ。やってる個人の。でもそれが問題かどうかは場が決めるみたいな。
そうですね。
正しさみたいなものはその場が決めると思うけど、もちろんそこにいる人々にも正しさみたいな自分の価値基準みたいなのがあるから、
そんな場でそんな音を鳴らすのはありえないだろうって思うとかはあると思う。
僕は嫌だから、そういう人がいると店で出るんですよ。
出ちゃいますよね。
嫌だなと思って。なんで来たんだろうとかって思ってしまう。
家にいればよかったとかって思ってしまう。
そうなりますよね。
でもね、カフェで本読みたいなと思って来たから、読めねえじゃんって。
しかも歩いて行ったんですよ。車を使わずに。
なるほどね。
ちょっと散歩しながら行きたいなと思って。
せっかく歩いて来たのに。
と思いまたすぐ出て帰りましたけど。
嫌だね。
そうなってくるとどんどんやっぱり家に曇りたくなるんですよね。
そうですね。
外の世界がそうなってきちゃってると。
なんかちょっと一昔前はそんなことなかったなって思うんですよね。
これがアメリカだからなのか、新しく住んでるこのヒューストンっていう街がそうなのかってのはちょっとわかんないんですけど。
そうね。
なんかもっとTPOちゃんとしてたなって思ったんですよね。人々は。
福岡はどうかな。でも変わってきた気がしますけどね。
人々の質。
質っていうよりはあれだじゃないですか。個人の負荷。
なんか多少周りに負荷をかけてるみたいな人の、そういう個人も尊重されがちみたいなやつじゃないですか。
それはありますね。
結局その人たちが得するような社会になってっちゃうじゃないですか。
そうなんですよ。ほんとそうなんですよ。
どうします?そうなんですよ。
なんかそれはムカつきますね。
ねえねえ。マジでそれはありますよ。
やっぱあちらを立てればこちらが立つじゃないけど、あるべきだみたいなべき論で縛って個人の自由が奪われていた。
それがちょっと緩くなって、もうちょっと個人個人好きにしていいんじゃってなったら、
12:01
その時に個人の自由によって他の人に負荷をかけて他の人の自由を奪うみたいなことが起こるみたいなさ。
起こりますよね。簡単に。
どうしようって思いますね。
どうしたらいいんだろうな。
賢いっていうか、最も摩擦がないのは逃げるってやつですけど、その場から逃げるとか、その場に行かないになっていくんだと思うけど、
それって別に個人的解決であり社会の解決ではないですよね。
ならないですよね、そこは。
それをすると結局ルールとしてではなくて、空気として同じように、規律を守れない人はハブられるみたいな現象が起こり、
そういう人たちの行き場が、結果多分ね、長い時間かけたら行き場がなくなると思うんですよ、そういう人たちの行き場が。
お店側がコントロールしないといけないみたいなのが強くなる。要はマナーみたいなのがなくなるから、
お店側が設定した私たちの基準はこうですみたいなのを結構徹底しないといけなくなるから、
お店がお断りみたいなのを多分しだすんじゃないかなとか、そういううるさい場所ですよみたいな感じのコンセプトでやるとかって感じで、
かなり細分化されるけど商売にならないから、やっぱりそういう人って少数だと思うし。
少数のマイノリティがどんどん力をつけてきて、それが大多数になっていくというか、
その強さが社会を支配していっているように感じるんですよね。
これはこれだけのことじゃなくて他のことにも見えると思うんですけど。
尊重されるべきであるからというので、大多数の人からすると、大多数というか少数の人以外の人からすると、
ちょっとどうなのって思うこととかがまかり通ることもあるってやつですよね。
あるっていう。そうです。
難しいね。難しいですね。
いや難しいなんですよこれ。生きるのがどんどん難しくなってくるんですよ。人と関わりながら。
そうですね。
いやーでも。
人と関わってどうやって生きたらいいんだろうって。
そうだよね。
やっぱりひっそりと暮らしていくみたいな感じになっていくのかな。
14:28

コメント

スクロール