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2026-01-18 16:35

#1|「構造主義」で「空」に補助線を引く

この番組は、ついつい斜に構えてしまう僕が、日々の学びを通して、まっすぐ生きて行くためのヒントを探していこうという思考の整理ラジオです。
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サマリー

今回のエピソードでは、構造主義と仏教哲学の空の思想の関連性について探求しています。構造主義は物の本質ではなく、関係性によって成立する価値を語ります。その一方で、空の思想は実体を持たないことを示すことで、両者の理解が深まります。このエピソードでは、構造主義の観点から世界の理解方法や仏教の苦の思想について掘り下げています。特に、意味や価値の関係性を通じて自己理解を深める重要性が語られています。

社族日記の始まり
社族日記
どうも、しらいです。
今日も斜めに来てますか?
というわけで始まりました、社族日記です。
この番組は、ついつい社に構えてしまう僕がですね、
日々の学びを通して、まっすぐ生きていくためのヒントを探していこうという思考の整理ラジオです。
よろしくお願いします。
はい、というわけでね、天神から始まりました、社族日記です。
前回は、自己紹介になっているのかどうかもわからないエピソード0をね、公開したので、
今回から、しっかりと、しっかりとはしてないですが、内容、学びを発信していけたらなと思っております。
というわけで早速、最近の学び、気づきをちょっと話していこうかなと思います。
今日話す内容はですね、構造主義で空に補助線を引けるのではないかという気づきがあったので、
それをね、頑張って話してみます。
もうこの時点で、私には全然関係ないわ、なんそれっていう話だなと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
ちょっと待ってください。
そうなんですけど、絶対ほとんどの人に関係ない話なんですけど、
こういうのも、普段聞き慣れないことをインプットとして入れるのも、
違う刺激が脳に入っていいんじゃなかろうかというところで聞いていってください。
ちなみに話がそれますが、一応これはSpotifyを中心にいろんなポッドキャストに流していて、
スタンドFMにも、スタンドFMだけ、RSSのあれで別でもう一回やらないといけないんでめんどくさいなと思いながら、
スタンドFMにも流してるって感じです。
ではでは、本題に入りましょう。
構造主義の理解
今回はですね、構造主義で、やっぱこの仏教哲学の空の思想にね、補助線引けるんじゃないかっていう気づきが得られたので、
それを何とか無理やり頑張って伝わるように話していけたらなと思っております。
ただね、この構造主義も仏教の空の思想もですね、学問体系としてがっつりあるものですが、
そういうのを全く専攻していない僕がですね、話すのは大変おこがましいんですし、
間違ってることも多々あるとは思いますが、一旦話してみようかなって思っています。
まずは、なぜこの今回のタイトルにもなっている構造主義で空の思想に補助線引けるんじゃないかと思ったかというとですね、
どちらもですね、このコテンラジオというすごい超有名な日本一のポッドキャスト番組がありまして、
そちらでつい最近の最新のエピソードでね、仏教思想について語られている回があるんですが、
それを聞いていて、過去のコテンラジオの構造主義ですね、レビストロースの構造主義回の内容がすごくリンクしたので、
そのリンクの部分をですね、紐解いていって、今回のタイトルのような形と相になりましたって感じです。
まずは、この構造主義とは何ぞやっていう話なんですけど、これはね、無理ですね。
構造主義を一言で表したりっていうのは不可能なので、
本当に誤解を恐れず、間違いを恐れずに、あえて踏み込みすぎずに、間違えてるなって思いながら話しますんで、その理解でいてください。
で、もし気になった方はですね、八爪大三郎先生だったかな、初めての構造主義っていうすごくいい本があるので、それをぜひ読んでください。
オーディブルでも聞けます、Amazonのオーディブックサービスですね。
僕はオーディブルで聞きました。
で、まずこの構造主義が何ぞやっていう話なんですが、これがね、難しいんですが、世界を理解する枠組みというか、そんな感じです。
そんな感じです。
短く言うと、意味とか価値っていうのは、物の中身、本質ではなく、他との関係のパターン、構造で決まるんだぞっていうことを言っています。
物に実体があるのではなく、関係によってそれが形作られてるんだぞっていうような理解ですね。
これは合ってるはず。
で、例えば、じゃんけん、じゃんけんを考えてください。
グー、チョキ、パーのじゃんけんです。
で、このグー、チョキ、パーっていうのは、それぞれに固有の強さみたいなのはないんですよね。
その単体に強さはないと。
グーはチョキに勝つとか、グーはパーに負ける、チョキはパーに勝つっていう、この関係っていうので、それぞれの強さが決まっている。
これがこの構造主義の原型であると。
つまり、物の力ではなく関係の型っていうのが世界を作ってるのだっていうイメージですね。
で、あとね、犬っていう言葉、犬ですね。
これはソシュールっていうスイスの言語学者のあれなんですけど、そこまで踏み込んでいくとすごい複雑になってわけわかんなくなるんで、
一旦構造主義の中身として話しますが、犬っていうのは、その犬に、犬の意味っていうのがですね、犬の中に犬を構成する要素、犬エッセンスっていうのが入ってるから犬を、犬たらしめてるのではなく、
この構造主義ではですね、犬をどう表現するかっていうと、この差分なんですよね。
犬ではないもの、犬ではないもの、ではないものが犬っていう風に位置をしている。
何言ったらいいか全然わかんないと思うんですけど、犬ではないものっていうのが、例えば猫とか机、パソコンですよね、石ころとかいろんなもの、それが犬ではないもの。
それらではないものが犬であるという風にしています。
わかりますかね?犬から離れてもう一回犬に戻ってきてる感じなんですけど、つまりこういうそれぞれの事物同士の関係性っていうので意味が生じているよっていうことなんですね。
わかりましたかね?
で、構造主義は何をしたかったかというと、この本質主義みたいなのを壊したいみたいな感じらしいんですよね。
ここの理解がちょっと不十分ですけど、なんかこう僕たちは無意識に犬には犬らしさがその中にあるとか、
男女、それぞれにはその男なら男、女には女、それぞれの本質があるとか、成功とか失敗っていうのはそのそれぞれに内在した本質があるみたいなことを思いがちなんだが、
構造主義はですね、それは中身じゃなくて、その社会の関係性でそう見えているだけですよっていう風なことを言いたいんだそうです。
うん、そういう自分もそういう理解をしております。
これ伝わってるかな?伝わってる気がしないんですが。
ま、でも犬の例えはそうですよね。だって狼も言ってしまえば犬っぽいですけど、犬のエッセンスめちゃくちゃ入ってますけど、でも狼と犬はね、それぞれ区別されてますし。
っていうところで、これ以上深入りはしませんが、何かを何かたらしめているのはそのものが持つ本質ではなく、関係性の中でそれがその存在が立ち現れているんだぞっていうことをまずは構造主義で言っています。
空の思想の探求
ここまでは大丈夫そうですかね。もうすでに大丈夫じゃない気がプンプンしてるんですが、続けます。
はい、そして空ですね。空の思想ですね。
これは、これこそ普通に古典ラジオさんの最新回と1個前かな?今時点で言うと。
聞いていただけると丸投げせずに頑張って説明はしてみますが、空ですよね。空の概念。空と書いて空ですね。
これ中眼って言うらしいんですけど、中を見ると中眼ですね。
あらゆるものはそれ自体で成り立つ本質を持たないというところで、それ単体で固定的に存在しない。
だからそここそ変化するだったり関係で立ち上がるっていうことを、
ナーガルジュナさんっていうブッダが亡くなってから500年後ぐらいに生まれたっていう感じのことをおっしゃってましたけど、
その方が考えたブッダはこういうことを言いたかったんじゃないかっていうところですよね。
このコテンラジオの中でもですね、ペットボトルを例にしてペットボトルにペットボトルをたらしめているのはペットボトルではないものではないものがペットボトルっていう風な、
この構造主義と同じような似たようなことを言っていたのでそこがリンクするなーっていうところで今回の配信につながっております。
空の思想を割と理解できた気も…いや、分かんないな、後だろうな。
その中で言われていたのが、コテンラジオの中で言われていたのが、
右、右っていうのはそれ単体では存在せず、
左があって初めて右っていうことが言えますよねと。
すなわち関係性で成り立っていますよねっていうところを確かおっしゃっていて、
あとは洗面台に張った水からスポイトで水を少し取って上からポチョンって落としたときに水滴が洗面台に落ちていくと。
その落ちていく水滴っていうのを、
この意味の輪郭っていうような表現してましたけど、
を見るには水滴ではないものではないものっていうところで水滴を理解して、
意味の輪郭を捉えるっていうようなことを言っていたんですが、
全然うまく説明できている気がしませんが、
ここがすごく構造主義とリンクするなあって個人的に感じたんですよね。
仏教と苦の思想
この構造主義の部分、
ただ重要な点としては構造主義イコールクではないということですね。
構造主義っていうのは基本的に我々が世界をどう切り分けて理解しているかっていうのを扱う言語だったり文化だったり分類のことを言っていて、
仏教の苦っていうのは苦しみを作る、
バックヨラクっていう言い方をされてましたけど、
その切り分け自体が実体に見える錯覚っていうのを生んでしまって苦を確定させてしまう苦しいの苦ですね。
を作ってしまうのでその苦を抜くにはどうすればいいかっていう、
この苦の思想の方が射程が長いというか、そんなイメージで今のところいます。
ずっと何を聞かされてるんだっていう話だと思うんですけど、
安心してほしいんですけど、ずっと何を言ってるんだって自分でも思ってるので、
それが正解です。ずっと何を聞かされてるんだっていう理解が正確です。
構造で苦の思想に補助線引けるのかっていうところで、構造主義は意味だったり価値が関係でできているっていうのを教えてくれるものでして、
苦っていうのはそこから存在そのものの関係でできているっていうところにスムーズに進めるんじゃないかっていうところで補助線引けるんじゃないかなっていう、
構造主義っていうのは理解のための道具、苦っていうのは執着を手放す道具まで含むっていう違いがあるんじゃなかろうかっていう一端、そういう感じですね。
どういう感じですか?
これなー、説明が、自分でも理解、そこまでちゃんとバチッと理解できていないんで、うまく説明ができている気は全くしませんが、なんとなくわかっていただけましたかね。
構造主義っていうのは世界の説明モデルですと、どうやって意味が生まれるのか、どうやって分類が成立するのか、文化がどう働くのかっていうところを説明していて、
仏教は苦からの脱却ですよね。苦の解除装置と、実体があるっていう錯覚を解く、執着が軽くなるっていうところまでいくというところですね。
今回は全く結論はないです。結論はないですが、最近あった気づきを頑張って話してみましたが、いかがだったでしょうか。
斜め、社族もそうですよ。斜に構えてしまう時の…甘噛み過ぎしてますけど。
斜に構えてしまうというの、その社もですね、斜めに構えてしまうっていうのもね、真っ直ぐがあって、その真っ直ぐとの関係性の中で斜めが生じているので、
こういった世界の見方を知るっていうだけでもね、少し真っ直ぐ生きるためのヒントになるんじゃなかろうかという今回のお話でした。
というわけで、全くうまく話せた気が1ミリもしませんが、何か皆さんの気づきに慣れたのであれば、これほど嬉しいことはありません。
というわけで、今回はここまでです。
今日はあれですね、今日はめちゃくちゃ何かわかりづらい話をしてしまった気がしますが、飽きずにどうぞ聞いていただければ、
明日以降はZootopia2とか見たんで、その話とかをするので、いろいろ話していくので、ぜひぜひお時間あるときに聞いてみてください。
というわけで終わります。ありがとうございました。
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