最終段の問い
【徒然草ミニッツ】さあ始まりました、【徒然草ミニッツ】。この番組は、1日8分で600年分の知恵をポケットに、をコンセプトに、吉田健康の【徒然草】を1日1段ずつサクッと味わい、
通勤・家事の隙間時間で5点チャージしていこうという教養ショートラジオです。よろしくお願いします。さて今回は、第243段。
これが、確か、確かというか、えーと、【徒然草】の最終段で、
で、一番最後に中名言、三浦さんっていう人が、最後に後書きみたいなのを書いているので、それを明日読むとして、
たぶん、【徒然草】としては243段、これが最終段なんじゃないかなと思います。
はい、それでは、現代語訳です。
8歳の時、父に聞いた。
仏とはどんな存在か。
父は、人が仏になるのだ。
そして、じゃあ人はどうやって仏になるのか。
仏の教えによって仏になるのである。
その仏は誰に教えられたのか。
先の仏の教えである。
じゃあ最初の仏は何なのか。
空から降ったか、土から湧いたか。
かっこ笑い。
質問詰めにあって、最後は答えきれず、みんなで笑った。
はい、いいですね。
おもろ。
えーと、要点3つ。
原因を問う。
無限交代に、私たちは割とすぐに到達する。
人はどこかで前提を借り置きしないと説明は閉じない。
だからこそ、問う力と引き輪のバランスが知恵。
現代の示唆&使い方。
無限交代に築くレーダー。
なぜをたどっていくと、いつか最初の最初にぶつかる。
宗教だけでなく、企業理念、家族ルール、科学の公理。
プロダクト方針でも同じ。
説明不能点を見つけたら、焦ってごまかさず、ここは前提と明示するのが誠実。
これはあれですよね、なぜなぜ分析とか、なぜを誤解とかっていう手法にもありますよね。
なぜを誤解言うと根本原因にたどり着けるとかあったりするので、意外と大事な気はしてます。
そして、問いの威力は深さ×ユーモア。
少年のしつこい連続質問は洞察の推進力。
そして、父の空から降ったか土から湧いたかという軽さが場の緊張を解き、思考を続けられる空気を作る。
厳密さプラス遊び心がセットだと議論は長持ちする。
少年の頃の、こういう子供の頃の好奇心というのはね、結構意外と本質的だったりするので、この好奇心は常に持ち続けていたいなって思いますね。
はい、というわけで、今日はこれぐらいですかね。
今日はというか、明日も一応あるので。
つれつれ草、つれつれ草はおそらく243弾でおしまいで、つれつれ草ミニッツが、明日が最終回って感じですかね。
はい、というわけで、明日が最後です。
また明日お会いしましょう。さよなら。