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フェスティナ連邸!
この放送は、SWC スロースウィズクリエイターズコミュニティメンバーのしらいがお送りします。よろしくお願いします。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
先日7月2日、火曜日の12時からプリン・ロケスタ君本体、通称プリスタ君の販売が開始されましたね。
皆さんすでにゲットされたことと思いますが、
僕も自分でフリーミントしたものと、わーぱぱCTOさんからプレゼントしていただいたものがあります。
ありがたいですね。
まだまだプレゼントを募集していますので、皆さんどしどし送ってみてください。よろしくお願いします。
それと、抽選応募ですね。
もちろん応募しまして、第1希望がミルク、第2希望がレトロ、そして第3希望がイチゴとなっています。
皆さんは第1希望から第3希望、どんな感じですかね?
今、SWCの質問部屋の方で涼太郎さんが質問投げているので、ぜひ皆さんの選んだプリンたちも教えてください。
はい、というわけで今日なんですが、
少し前にみんなの学びの方でプリンについて書いた回があったので、それを見ながら話していきたいと思います。
ケンスーさんと小原さんの対談の時のことですね。
それを元に書いていったやつを今回は見ていきたいと思います。
この記事を今見ているんですが、全部で3924字ありますね。
引用とかしまくったらめちゃくちゃ長くなりました。
ところで、SWCラジオ部っていうのができたみたいです。
あれはまだ概要とか見てないんですけど、自分のスタイフの音源を送る形なんですかね。
BGMとかってどうなるのかは気になりますね。
あれですかね、タッタッタラタラターの音楽に乗せて皆さんが一人しゃべりするんですかね。
ちょっとそれも楽しみです。
しばらく静観してみたいかなって思うんですが、
僕が話すとしたら、やっぱりみんなの学びで投稿したものとかになるんですかね。
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それこそ今回話すプリンのことだったり、
ちょっと前に話したベアブリックとコラボ本体の共通性だったりということになるのかなっていう感じで、
皆さん何話されるんでしょう、ちょっと気になるところですが。
前置きはこれくらいにして、みんなの学びに投稿した感想を見ながら
ちょっとそこにツッコミを入れつつ見ていきたいなと思います。
僕が対談のアーカイブを視聴して、ケンスさんと小原さんの対談ですね。
ケンスさんがプリンを出した理由を完全に理解したので、それについて書いてみます。
この記事自体、ギャグというかジョークで書いたので、そこを最初に言い分けさせてもらいます。
4000文字近く書いて、完全にジョークとして書いたので、ちょっと気楽に聞いてください。
ケンスさんがプリンを出した理由を完全に理解したので、それについて書いてみますということですね。
完全に理解したというのはチュートリアル終わったという感じですね。
一言で言ってしまうと、物語資本主義者、ストーリーキャピタリストから金融資本主義社会への提言です。
は?
何言ってもわからないですね、こいつ。
順を追って説明していきます。お願いします。
まずは物語資本主義、ストーリーキャピタリズムについてです。
まず小原さんの話の中で、みんなが言っている資本主義って金融資本主義だよね、というのがありました。
資本というのは貯めておけるものであり、金融資本主義においてはお金であると。
資本主義には人的資本主義や物語資本主義、キャラクター資本主義なんていうのもあるというお話でした。
ここで物語を貯めるってどういうこと?と当然の疑問が湧いてきます。
これは資本というのは貯めておけるものということからの物語を貯めるってどういうこと?ということですね。
そこで物語をいかのように考えてみましょう。
物語というのはストーリーであり、ストーリーというのはライフストーリーです。
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ライフストーリーというのは人生のことです。
物語というのは私たちの人生のことを指しています。
そして人生が何によって形作られているかというと、記憶や思い出です。
つまり物語、記憶や思い出は貯めておける資本なんです。
なるほど。物語を貯めるっていうのは記憶や思い出を貯めるっていうことなんですね。
小原さんはいかのようにも言っていました。
資本主義というのは資本を中心にゲームをやったらゲームで一番勝てるんじゃないですかっていうのを信じていること。
資本主義というのは資本を使って資本を生み出せば再循環されているから何もしなくても儲かっていくんですよというイズム、主義のことですねと。
この部分になぞらえて物語資本主義を考えていくと、物語資本主義というのは物語を中心に人生ゲームをやったら人生ゲームで一番勝てるんじゃないですか?
っていうのを信じることですと。
物語資本主義というのは物語を使って物語を生み出せば再循環されて幸せになれるよというイズム、主義のことですと。
注意書きでケンスさんは物語思考の中で人生で目指すべきことは自分が幸せな状態であることと定義しています。
なのでモーカルの部分を幸せになることとしました。
また資本主義の資本の投資において忘れてはいけないものがあります。
それは配当です。配当金とかの配当ですね。
金融資本主義の場合は、保有株式の数に応じて分配されるお金などがこれにあたります。
物語資本主義における配当とは何でしょうか?
それは記憶の配当です。
記憶の配当について少し説明します。
以下、DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルールより引用しますと。
心理学の研究でも、人は物ではなく経験に金を使う方が幸せになれることを示している。
物は買った瞬間の喜びは大きいが、次第にその喜びは減っていく。
だが、経験から得られる価値は時間の経過とともに高まっていく。
私はこれを記憶の配当と呼んでいる。
人生は経験の合計だ。
あなたが誰であるかは、毎日、毎週、毎月、毎年、
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さらにさらには、一生に一度の経験の合計によって決まる。
最後に振り返った時、その合計された経験の豊かさがどれだけ充実した人生を送ったかを測るものさしになる。
とても楽しかった休暇旅行のことを思い出してほしい。
その旅行についてあなたは友人に話したり、自分一人で旅の回想をしたり、
一緒に旅した人との思い出話にふけったり、
同じような旅行の計画を立てている誰かにアドバイスをしたりするはずだ。
こんなふうに、元の経験から副次的に生まれる経験は、まさに記憶の配当だと言える。
その経験は積み重なっていく。
忘れがたい旅を振り返ることで、どれくらい多く豊かな時間を過ごせるだろうか。
繰り返し思い出すことで、元の経験よりも多くの喜びが得られることだってある。
ということで引用終わりです。
このように物語資本主義では、物語による記憶の配当が得られると言えます。
ここまで物語資本主義、ストーリーキャピタリズムというものについて説明してきました。
まだよくわからないなぁと思うかもしれませんが、全体をなんとなく理解するだけで大丈夫です。
って言ってるんですけど、これを書いてる僕自身もあんまり理解できてないですね。
これはまだよくわからないなぁって自分で思って書いてる段階ですね。
で、戻りますと、余談ですがケンスさんは樽を知るというものを大切にしています。
樽を知るとは、何事に対しても満足するという意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていけるということを表しています。
京都の龍安寺には樽を知るをモチーフに作られた筒梅というものがあります。
ケンスさんは一時期この筒梅のアクセサリーを持ち歩いていたことがあるんです。
このことからも彼が幸せに趣を置いていることが伺えますね、書いてあります。
これはある開発室で言ってたことだと思います。
僕はこういうちっちゃいことをよく覚えてますね。
余談の余談になってしまうんですが、本筋と全然関係ないこういったことが結構記憶に残っています。
なんでなんですかね。
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そこはまた後で深掘りたいところですが、この話は本人が言っていたので事実だったと思います。
はい、戻りますね。
次になぜプリンなのかについて見ていきましょう。
はじめにプリンは人生という物語のメタファーになっているということをお伝えしておきます。
ちょっとよくわからないですね。
プリンは人生という物語のメタファーになっている。
なるほど。
そしてこのプリンは物語資本主義、ストーリーキャピタリズムの象徴になっています。
どういうこと?と思われる方もいらっしゃると思うので説明していきます。
これを書いた本人である僕が今どういうこと?ってなってますね。
ちょっと説明してもらいましょう。
対談の中でケンスさんからレンマという言葉が出てきました。
懐かしい言葉ですね。レンマ、確かにありましたね。
小原さんによると全体が部分を産んで部分が全体を産むという創発性があるということでしたが、
抽象的なのでわかりにくいですよね。
これを人生に落とし込んでみていきましょう。
なぜ人生に落とし込むのかがさらにわからないんですが、
人生に落とし込んでみてみましょうって言われたので見てみましょう。
人生という物語は子供から大人へと時間の経過とともにライフステージが変化していきます。
これが人生の全体像です。
そしてこのライフステージの変化がその時々の選択を左右します。
それが全体が部分を産むということですね。
また一方で、人生はその時々の行動や決断によって形作られており、
それこそが人生という物語を作っています。
これが部分が全体を産むということです。
これらがレンマの創発性です。
全体が部分を産んで部分が全体を産むという創発性ですね。
このことからケンスーさんは人生をプリンに固くし、物語資本主義の象徴的役割を付与していることがわかります。
難しい言葉を使ってケグに巻いてる感じがしますね、この一文。
ケンスーさんは人生をプリンに固くし、仮に託してってことですね。
物語資本主義の象徴的役割を付与していることがわかります。わからないですけど。
もう少し見ていきましょう。もう少し細かく見ていきましょうということで。
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すみません、続いてきてください。
プリンというのは無限に近い形でバリエーションが生まれていく。
そして人生というのは人の数だけ無限に近い形で物語のバリエーションが生まれていく。
プリンというのは誰もが新しいプリンを作れる。
プリンというのは誰もが新しいプリンを作れる。
人生というのは誰もが唯一無二の物語を生きていく。
このように一つ一つ細かく見ていっても密接にプリンと人生がリンクしているというのがわかりますね。
工事付けですね。完全に工事付けです。無理やりやってますね、ここ。
今度はプリンの味に焦点を当ててみましょう。
プリンの味は言葉そのものの意味もあります。
しかしそれだけにとどまらず多層化された意味を含んでいます。
たくさんの層があるっていうことですね。
対談中のケンスさんの発言。
プリンは味を変えるだけでベースは一緒でも別物になる。
ここは大事なポイントです。
例えば焼きプリンイコールノスタルジック。
カスタードプリンイコールクラシカル。
抹茶プリンイコール善のような性質。
といったようにプリンの味というのは物語思考でいうところのキャラクター的な側面を持っています。
物語思考ではキャラクターを変えるだけで同じ人でも物語かっこ人生は別物になると言っています。
この部分がプリンは味を変えるだけでベースは一緒でも別物になる。
どうですかね、こじつけな気がしますが。
まあ見事に符号しているとこの時の白井が思っていたのならそうなんでしょう。
それだけではありません。
私はプリンの味を変えるだけでベースは一緒でも別物になると言っています。
私はプリンの味を変えるだけでベースは一緒でも別物になると言っています。
この時の白井が思っていたのならそうなんでしょう。
それだけではありません。
プリンの味は思い出的側面も併せ持っています。
例えば、運動会の帰りに母と寄った昔ながらの喫茶店。
そこで食べた固い焼きプリン。
いつも食べるプリンと違う少し苦い大人の味を今でも鮮明に覚えている。
あるいは、プッチンプリンはいつでも3つで1セット。
兄と妹の私、2人では1つ余ってしまう。
でも兄はいつも私にプリンをくれた。それが思い出として残っている。
あるいは、中学生時代の修学旅行。
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せっかく京都に来たのだからと京都らしいものを食べようとみんなでなった。
そこで食べたのが抹茶プリン、思い出の味。
このようになぜそのプリンを選んだのかを深掘っていくと
複数の物語が同時多発的に生まれていることに気づくはずです。
これはちょっとありそうじゃないですか。
そういえば、両太郎さんがプリンの話をされていて
なんかこの辺、ちょっとこの辺とリンクする部分がありそうですね。
話を戻すと、現代の金融資本主義は
西洋的な一神教的な因果論が強い世界になっています。
Aという原因がBという結果を生みますという単純化されたロジックです。
シンプルな因果で考えようとするのは
それで投資家を納得させることができるからという面があります。
しかし実際は世界は複雑であり、それをシンプルにしてしまうと
一番最初にあった物事の複雑性を理解できず
色々なものを排除してしまう結果につながってしまいます。
その複雑性を複雑のまま理解しようとする試みがプリンだったりもします。
昨今、どんなにお金を稼いでもそれだけでは幸せになれない
という金融資本主義の限界が少しずつ認知されてきました。
考えてみれば簡単にわかることです。
例えば思い出を監禁する装置があったとして、金銭のためにそれを使いますか?
甘酸っぱい初恋の思い出、子供が生まれた時の感動
大きなリスクを取って挑戦した時の達成感や喜び
それら素晴らしい思い出の数々を監禁し
記憶から消し去ったとして、それは幸せだと言えるのでしょうか?
もちろん金銭的には豊かになれるでしょう。
でも果たしてその人生に意味を見出すことは可能なのでしょうか?
私たちが経験する物語は監禁できない大きな資産です。
金融資本主義社会に対してプリンは提言します。
幸せになるために物語という資本を中心に
かけがえのない人生を作り上げてみませんか?
というわけでプリンについて書いてみました。
対談のすべてがプリンに修練していく要素に鳥肌が立ちましたね。
脳みそがプリンになったのではないかという錯覚を覚えたほどです。
皆さんもぜひプリンについて考えてみてください。
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というふうにこの白井のプリンについての考察が締められています。
どうですかね。再三言ってますが、結構ジョークで書いたんですが、
この時のリアクションどうだったかな。
なんかかんばしくなかったですね。あんまり。あんまりあんまりでした。
まあまあ滑った感じはありましたが、
改めてそれを見ながらちょっと考えてみましたが、
どうでしょうか。皆さんもぜひプリンについて考えてみてくださいということですかね。
というわけでもう20分も話しているので、このあたりで失礼したいと思います。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
それではスローで終わりたいと思います。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
それではそろそろスローです。