問いの重要性
どうも、しらいです。今日も本の話をしていきますが、ちょうど今日、進化を超える進化っていう本を読んでて、読み終わったんですけど、
いろいろまだまだハイライトをした部分もあるので、見ていきたいと思います。今は読み終わって、次が
えーっとね、問い…なんだっけ、この本はなんだっけ、問いこそが答えだか。
問いこそが答えだ。正しく問う力が、仕事と人生の、仕事と人生の
視界を開くっていう本ですね。を読み始めました。著者の春グレガーセンさん。
すごい名前ですね。春、まあ春か。小山さんみたいな。グレガーセンっていうのが苗字なのか、ファミリーネームですね。
この方はMIT、マサチューセッツ工学大学の先生ですね。大学の先生です。
の、えー、書いた本ですね。2020年3月30日初版発行。
で、問いの重要性を書いている本で、
読み始めたばっかりですけど、面白いですね。やっぱこの問いっていうのがすごい大事ですよね。
軽く見ると、
正しい答えを見つけることはさほど重要ではないと。正しい問いを見つけることこそが重要なんだと。
誤った問いへ正しい、誤った問いへの正しい答えほど虚しいものはないと。虚しいもの、危険ではないにしても終わらない。
とか、あらゆるブレイクスルーの背後には良い問いがある。とかね、いろいろ。
あとこれね、結構実践的な、具体的にこういう問いをすべきだとかいうのはあんま書いてないっていうふうには最初の方に言ってたんですけど、
その問いへの理解ですよね。理解度を上げていって、
っていうのが、
そういう本なのかな。
文化の影響
なんかブレインストーミングの、問いのブレインストーミングみたいなところもすごく面白かったので、後で詳しく見ていきたいなと思います。
類書で言うと、多分、あたかわさんのイシューから始めようが、類書に当たるのかなっていうふうには思ってますね。
で、それで言うと、あの、
深井さんとケンスさんの幻会議ですよね。
あれで、多分、この喋ってる時点で聞けると思うんですけど、
そこで、
深井さんが、
日本人、
考える前に、
頑張りすぎだからっていうところ、
考える前に頑張りすぎ、考えなさすぎ、考えずに頑張りすぎ、みたいなことを、そういったニュアンスのことを言ってたんですけど、
個人的な理解としては、どういうふうに理解したかというと、
正しい問いを立てずに、いきなり頑張りすぎっていうようなことをおっしゃってたんじゃないかなっていう理解をしました。
で、
それはね、こう、あたかかずとさんのイシューから始めようですね。
本にも、なんか同じようなことが書かれていて、
このイシューから始めようがどういう話かっていうと、またこれ詳しく言い始めるとあれなんですけど、
こう、バリューのある仕事というのは、こう、イシュードが高くて、
解の質が高いものを言うっていう、
だから今回、問いが、
質のいい問いですよね。質のいい問い、課題を解くことが重要なんだっていうことを、
このイシューから始めようって言っていて、
これすごいこう、深井さんが言ってたこととマッチする部分があって、
で、ただただ、頑張る。一心不乱に、こう、引用すると、一心不乱に大量の仕事をして、
こう、
やっていくっていうのは犬の道だっていうふうには、このイシューから始めようでは言っていて、
この犬の道っていうのも、解の質とイシュードの図になってるんですけど、
またこれは、見ていくとちょっとあれなんで、また後で話そうかなとは思いつつ、
一心不乱に大量の仕事をして右上に行こうとするっていうこの図のね、
イシュードが高くて解の質が高い、解くべきバリューのある仕事を
するために一心不乱に働くのって、無理ですよっていう、
労働量によって上に行こうとするのって、このアプローチ、
マジ意味ないっすからねっていう、 そんなんじゃ一生かかっても無理ですよっていう、
こんな強い言い方してないですけど、って言ってて、なんかいやまさに、まさにじゃんって思いましたね。
深井さんがおっしゃってて、こう、
年配、あれそんなこと言ったっけな、年配のビジネスパーソン、
高市さんの、
え、違う、えーと、なんだっけ、ライフバランス、違う、
ワークライフバランスを無視するみたいな感じで、こうして、そうだそうだみたいなこと言ってた。
で、いやもう考えずに頑張りすぎだから、考えなきゃダメだよみたいなこと言ってたのを、
なんか聞いてて、このイシューから始めようの、犬の道みんな行っちゃってんなーっていうのは、
思いましたね。 イシンフライに大量の仕事をして、
なんか貝の質上げようとしてる。 無理だからっていうのを、あたかさんは言っていて、この本ね、めっちゃ売れてるんですけど、
発売10年ロングセラー、何万部、何十万部売れてるんですけど、なかなかやっぱ難しいんでしょうね。
自分もできてる感じはしないですけど、 なので、今読んでる問いこそが答えだ、
を読んで、さらにイシューから始めようも軽くちょっと見つつ、 質の高い問いっていうのをですね、
こう見極めてやっていきたいなと思う、今日この頃ですね。 結構、問いこそが答えだの、
MITの先生ですね、言ってたんですけど、海外ですら結構、問い、
7代の管理責任
小学、小学校なのか、 子供の頃から、
試験に受かる勉強をして、 好奇心のから出る問いを結構封じ込められがちだって言ってたんで、
イオワンや日本親というか、日本だったらなおさらそうだろうな、みたいなことは、
思ったりはしましたね。 なので、そこをちゃんと見つつ、
アウトプットしつつ、質の高い問いを見つけられるように、
やっていきたいですね、つっても結構いい時間になったんですけど、 どうしようかな、この進化を超える進化、
そしたらじゃあ、 この進化を超える進化の著者の主張みたいなところだけ言って、今日は終わりますね。
最後の部分ですね、著者の主張としては、
主張というか、勝手にそう思ったところなんですけど、
中略しながら読んでいくと、今日でもニュースは、
部族主義や個人の利益と集団の利益との果てしない緊張関係など、
人間が何千年にも経って戦ってきた社会問題を報じている。
中略して、多文化で大規模な社会が平和で生産的な共存をさせるために必要な規範が崩壊しつつある。
グループ同士が平等でないことは、各グループの利益が必ずしも一致しないことを意味する。
彼らは同じ部族に属しているとは考えず、協力ではなく対立を引き起こす。
テクノロジーは洗練されてきたが、人間の文化のアルゴリズムには欠陥があるかのように、
私たちは同じ社会的過ちを何度も繰り返さずにはいられないようだ。
確かに悲観し絶望する理由はあるが、その多くは見方の問題だ。
私たちは自らの時代を生きるしかないため、社会や政治の些細な出来事を壮大なドラマのように感じる。
しかし、人間の文化の進化の観点に立てば、私たちの小さな生活は広大な海のほんの一滴に過ぎない。
人種的不平等の暗黒時代に少し後戻りしたとしても、全体は人権の向上に向かっているようだ。
これはなんか古典ラジオのところでも話されてましたね。あれ?これはもうまだあれかな?
林間編かな?
人権、3歩進んで2歩下がっても後退したことがないって言ってたところとリンクしますね。
これらの波立ちは大きな潮流の一部に過ぎず、人間はより広大で素晴らしい場所に向かっていると思う。
希望を失いそうになったら、短い期間に社会を大きく進歩させた人々の優しさや勇気を思い出そう。
奴隷制度の廃止、女性の権利、国民会保険制度などはすべて、かつては考えられないことだったが、少数の人々が先頭に立って多くの人々の生活を変えた。
中略して、人間は今、諸としてかつてないレベルの遺伝的・文化的・環境的な力を備え、実質的に地球上のすべての人と繋がっている。
一人一人は限られた時を生きる個人だが、ネットワーク化されたデータストリーム・メモリー・インフルエンサーであり、より大きな人間社会の一部でもある。
ご個人が影響を下す決定は、広い範囲に影響を及ぼす。
したがって、私たちは良き祖先となり、長期的な視野に立ち、未来にタイムトラベルをして、現在自分が作っている社会に暮らすことになる数十億の人々の幸福を想像しなければならない。
何世紀も前に、北米の先住民族であるイロコイ族のリーダーたちは、7代にわたる管理責任という概念を暗筆し、何かを決める際には、それらが7代先の子供に及ぼす影響について考えなければならないと諭した。
血族の繋がりと祖先
地球が自分たちのものである貴重な数十年の間、私たちは祖先が木々を植えた庭を楽しんでいるが、その心地よい木陰を子孫から奪ってはならない。
はい、ということですね。これが、著者の主張ですね。おそらく、勝手にそうそう言いたく言ってます。ただ、他の部分で言ってたのが、これね、面白かったのが、
人間を大陸別に分けると、個人間の遺伝的変異のおよそ90%は大陸内で見られ、大陸間では10%しか見られない。
その理由の一つは、人間すべてが血縁関係にあることだ。しかもそれは、遠い祖先の時代においてではなく、比較的最近のことである。
共通の祖先を見つけるために家系図を延々と遡る必要はない。親は2人、祖父母は4人、相祖父母は8人、後祖父母は16人と、祖先が続くことを考えてみよう。
こうして40世代およそ1000年前に遡ると、私たち一人一人に約1兆人の祖先がいることになる。計算してみればそうなります。
その数は、今日までに地球に生きた人間の数を遥かに上回る。
上回るため、祖先の重複を計算に入れなければ辻褄が合わない。
例えば、あなたの母方の祖父母の姉妹が父方の祖父母のいとこで、あなたの配偶者の祖父母のいとこでもある、というように祖先が重なっているのだと。
統計学者の女性夫ちゃんは、すべての家系図が数世代、およそ6世代以内で互いと繋がっていることを明らかにした。
というなれば、時を遡っての6次の隔たりだと。
6次の隔たりを知らない方は調べてくださいって感じなんですけど。
これを聞いているあなたとも、僕は6世代以内で繋がっているんでしょうね。
日本人ならなおさらそうな気がしますけど、どうなんでしょう。
ヨーロッパに祖先を持つ人はみんなカール大帝の子孫だ。
実際、1000年前にヨーロッパで生きていた人で、その子孫が現在も生きている人、全体の80%程度は、今日生きているすべての人の祖先だ。
そして3000年前に遡ると、現在地球上で生きているすべての人の共通の祖先にたどり着く。
つまり、私はムハンマドの子孫であり、地球上のほぼすべての人と同じく、コーシア・エジプトの王妃・ネフィル・ティティの子孫でもあるのだ。
って言ってます。
計算していくとそうなるんでしょうね。
これはめちゃくちゃ確かになって思いましたね。
面白いですよね。
人類みんな兄弟っていう深い古された言葉がありますけど、マジでそうなんだっていうところで、
どこまでそこの身内、私たちと感覚を広げていけるかだなって思いましたね。
これを聞いている人はマジで遠い親戚なんですよね。
そこだなあ、そこの感覚をどう持てるかっていうのが結構大事になってくるんじゃないかなっていうのがなんとなくのぼんやりとしたものであります。
7代の管理責任
続けるんですけど、子孫でもあるのだ。
逆に言えば、私の子供に子供が生まれ、その孫が生まれというように子孫が続けば、数千年後には私は地球上のすべての人の祖先になる。
これもほんとその通りで、数千年後ですけど。
だからどこまで認知の枠組みをどれだけ広げていけるか問題。
そこの部分が著者の主張につながっているんじゃないかなというところはありましたね。
いろこい族の7代にわたる管理責任を持ち出して、引いて、
7世代、先の子供に及ぼす影響について考えなきゃいけないよということを言ってますね。
というのが著者の主張なのかなというところで。
時間が経っちゃったのでこの辺で終わりますが、
まだまだこの本はめちゃくちゃ面白い部分があったので、
言語の部分もめちゃくちゃ面白かったですね。美の部分も美は美しいっていうですね。
だから人間は美をめっちゃ大事にしてきたっていうのは、
貝殻とかでね首飾りとか作ってたって言って、
普通に皆さんもそういうの聞いたことあると思うんですけど、
当時作ってた時って言われてみてハッとしたんですけど、
起きてる時間の9割を狩猟採集、木の実採ったり狩りしてたりっていう時間に当てていた、
その時間のない中で装飾品を作っていたっていう、
めちゃくちゃ多大なリソースをそこに割いていたっていうことなんで、
めちゃくちゃそこに重きを置いてたんだなっていうのが書いてあって、
ハッとさせられましたね。今の感覚で装飾品作ってるって言って、
狩猟みたいな感じで隙間時間に作ってたみたいな感じで思っちゃいがちですけど、
当時マジで本当にクーモンないと死ぬっていう、
クーモン見つけないとやばいみたいな時に、時ですら作っていたんで、
そこにホモサピエンスの、ホモサピエンスじゃないかな?
ホモサピエンスではあったけど、ホモエレクトス、わかんない、その辺。
そこに労力をかけていた、リソース割いていたっていうのが面白い気づきとしてありましたね。
というわけで、話してると長くなりそうなんで、別の機会に話します。
終わりです。バイバイプー。