百人一首の概要
おはようございます。トークの600回目です。8月8日。
ちょっと百人一首のお話をしてみたいと思います。
最近ですね、百人一首を勉強してましたね。
勉強っていうか、和歌、和歌、和歌、和歌とか
単歌とかをちょっと勉強してみようかなという気になってですね。
なんか面白いなと思ったわけですよ。
どうやって勉強しようかなと思ったらですね、百人一首かなと思って。
百人一首って、要は
そういうベスト、ベスト、ベストバン、ベストバンじゃねえな。
ベストバンは一人のアーティストのいい曲を録っただけがベストバンじゃねえな。
そういうのじゃなくて、何人かのコラボレーションなのかな。
コラボレーション。だからいい曲だけを集めたようなアルバムがあるじゃないですか。
ないか。あんまりないか。
音楽はレコード関係の兼ね合いとかってあんまりそういうのないよな。
でも自分でプレイリスト作るじゃないですか。
自分でプレイリスト。そんな感じですね、百人一首っていうのは。
だから、百人のアーティストで一つずつ単歌を集めたら百人一首になるんですよ。
いろんな百人一首があるみたいなんですけど、今僕たちが知ってる百人一首、小倉百人一首っていう、
自分でも百人一首作れるわけですけどね。
でもそういうことじゃなくて、一応今ある小倉百人一首っていうのを勉強している過程です。
なぜ小倉百人一首かというとですね、
何でもよかったんですけど、一番簡単そうになったって100ですからね。
あとですね、小倉百人一首って歴史の勉強にもなるわけですよ。
一番歌から百番歌まであって、一番から古い順。
一番古い誰かというと、秋野太郎、刈穂の岩野、唐荒美、我が衣手は中央に寝つつ。
これ一番、天地天皇か。
そうなれば天地天皇って、そもそもどういう人から始めないといけないわけなんですよね。
そっから始めるんかい、なんだけど。
百人一首が作られたのが、藤原の定家さん。
まあどちらでもいいと思うんですけど。
定家さんだと思うんですけど。
えっと
こう
読み方を変えたらていかになるじゃないですか
伊藤博文さんを伊藤博文さんという人もいますね
どちらでもいいと思うんですけどね
まぁそんな感じで
で一般的にていかって
藤原ていかさんと呼ばれてるみたいですね
でいつの時代に
鎌倉です鎌倉
だから
天地天皇
中野大江戸の王子と呼ばれましたね
で何をした人かというと大化の改新です
で
大化の改新で俺何?っていうことを
調べたらですねちょっとちょっと
ちょっといろいろあるみたいですね
そこから調べないといけなくてですね
いけないわけでもないけど
まぁせっかくだから
そうやって百人一首を勉強している
ところであります
歴史的背景の考察
で
で
だからあの
奈良時代でしょ奈良時代
で奈良時代から鎌倉まで
だから時代がね長いわけですよ
百人一首書かれた時代がね
だからなんか
ちょっと
学ぶにはいいかな
百人一首あの賛否両論があって
なんでこの歌が選ばれたんだろうみたいな
歌も結構あるみたいですけどねとは言え
まぁまぁまぁ
いいかな
で天地天皇から始めないといけない
わけですよ
でですね
しかもですね
秋の歌の
我が心もては
中人でつつ
秋の田んぼは稲刈りするわけですよ
稲刈りした稲をですね
小屋に入れるんですって
でも盗まれたら嫌だから
そこを
警備するみたいな必要があってね
でも仮に作ったとこだから
そんな良い作りでもなく
そこの中入ったら私の
服は濡れちゃったよみたいな
そんな感じの歌でね
お百姓さんの苦労に
寄り添う
そういう感じの歌のように
捉えられていますが
が
が
でもこれはいろんな説があって
いろんな説っていうか
いろんな説っていうかおそらくそうだろうという
説はこれ別に天地天皇さん読んでないよね
読んでないと思うんですよね
天皇さんがね
天皇さんがそんなとこ行きませんわ
行きませんわ
お百姓さんのとこ行きませんわ
今の政治家を見てください
行かないじゃないですか
現場の苦労なんて何も知らないじゃないですか
そんなとはいえ
とはいえ
ポーズをとる必要があるわけですよ
そういう歌じゃないかなっていうのが
大きな説ですね
で天地天皇って何をした人かというと
結構激しい人で
そがしか
そがしっていう
当時は天皇と
豪族っていう
二代
生発があったわけですよ
今風に言えば
県議会
県議会と
市長の関係かな
大統領と議員の関係
違うかな
だから
天皇陛下強いことには間違いないけど
豪族っていうのがいてですね
お互い牽制しつつ
そういう関係だったわけですよ
その豪族の代表が
蘇賀さんですね
蘇賀のイルカさんか
天皇がちょっとやっつけたわけですよ
こいつら天皇を
ない場所に仕上がってる
で
多少激しいことをして
で
これはですね
勝てば官軍
勝てば官軍だけど
勝てば官軍で
あったかもいいことをやったかのように
言われてますけどね
果たしてそれがいいことかどうか
わかんないんですよね
一応天皇
そこから先は天皇中心
豪族から天皇の時代になったわけです
とはいえ
蘇賀と言われると
貴族というのが出てくるわけで
貴族というのがね
藤原氏に代表されるような貴族
藤原氏の貴族は
今の世にもつながってますからね
長くつながりましたね
先日か
先日じゃないなちょっと前に
日本の総理大臣になった
細川さんとも藤原氏の
子孫だと
言われてますよね
だから
とはいえ
そういう時代から
鎌倉時代
鎌倉時代というのは
天皇
その貴族
から
武家社会に移ったタイミング
鎌倉時代
鎌倉時代から室町江戸時代
武家の時代が続くわけですね
天皇陛下というのは
日本はずっといたわけですよ
これはなんか不思議ですよね
海外の人から見たら
すごい不思議みたいです
僕たち日本人が考えても
ちょっとなんか不思議だなという
感覚はあるんですけど
だから戻すと
百人一首というのは
大化の改新
天地天皇さんの時代から
鎌倉時代
貴族から
藤原定家さんは貴族ですからね
に変わるこの長い時代の
移り変わりが
分かるかなと
そういう感じではありますね