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2024-08-19 12:01

トーク216[歴史]歴史を学ぶとは from Radiotalk

#歴史

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こんにちは。歴史トークをしますね。
歴史を学ぶということはどういうことかな、ということをちょっと考えてみたいと思います。
合わせて、なんとなく歴史仲間が見つかればいいかなと思ってやります。
歴史を学ぶということはですね、まずは一つは知識を増やすということですね。
知識を増やす、知識を増やす、知識を増やす、これは大きいですね。
僕たちの悩みというか、知識がないことで起きるんですよね。
同時に知識があるがためにできなくなるようなこともあってですね、これが矛盾するところですよね。
僕は自分に言ってるんですけど、自分が知っていることは全て疑うくらいの気持ちでいいと思うんですね。
自分が今思っていることは全て間違いだと。間違いだじゃないな、間違いだと思ってもいいんだけど。
間違いかも。だから自分が今考えていることは全て間違いかもということですね。
そういうことを思う必要があるのかなとは思うのですが、ただ知識は大いに越したことはないと思うんですね。
例えば今、AIで調べりゃいいじゃんとか、Googleでググりゃいいじゃんとか、GPTで調べりゃいいじゃん、
だけどですね、調べ方が知識がある人とないでは全く違ってくるわけなんですよね。
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知識を増やすのは歴史を勉強するにはいいと思いますね。
これからの僕たちの時代というのは絶対的な価値観というか基準がない時代なんですよね、きっとね。
基準がない。何がいいか悪いか、人それぞれなんですよ。
ところがですね、やっぱり一つの価値観にしようとするような人たちがいてですね、
例えばオリンピックとかそうですよね、一つの価値観ですね、1位金メダルを取る。
一つの価値観がいいように思わすような仕組みはいっぱいあるんですけど、でも実際は多様な価値観でいいわけじゃないですか。
今までは資本主義という価値観だったと思うんですから、資本主義の価値観でいける人はいけばいいですよね、別にね。
いける人はいいけど、とはいえその資本主義の価値観だとこのままいけば核戦争か地球環境破壊か人類滅亡かなわけじゃないですか、資本主義の価値観をずっと進めていくとね。
なので個人の価値観でいいんですよね。
個人の価値観になろうと思ったらやっぱり自分の考え方が自由、自由な考え方。
仏教用語では漢字材と言うのね、漢字材。漢字材になる必要があるのは、別に仏教用語を使う必要もないんだけど、自由に物事を見る。
歴史を学ぶことによって、まず一つは知識が増えるんですよ。
もう一つは知識が増えるんだけど、視点を変えることがやっぱり大事だと思うんですね。
視点を変える。
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例えば何だろう、視点を変えるのは、今起こっていることを視点を変えるのは結構難しいわけですよ。
よっぽど人間ができていないとダメだけどね。
例えば、私が従業員で働いていたとして、お客様が無理なんだと言ってきて、この畜生と思ったりするんだけど、お客さんも大変だねと。
そういうことですよ、視点。お客さんの視点になって考える。
上司がこう言ったら、上司も大変だねと、上司の視点になって考えるとか、そういうことができたらいいんですけどね。
でも実際、自分に起こっていることはなかなかやりにくいじゃないですか。
歴史という題材を使えば、割と変えやすいかなと。
なるべく個人的な主観というか、個人的な考えというのは持っていいんですよ。
僕は持つべきだと思うんですけど、個人的な考えで。
しかも僕は偏れば偏るほどいいと思っているんですけど。
とはいえ、いつだって自分の考え方を捨てる必要はないけど、ちょっと置いておくみたいな。
視点を変えるようなことが歴史を通してできるのかなと思っていますね。
視点を変えるってどういうことかというと、例えば本能寺の編がありましたと。
で、明智光秀の視点になる。
織田信長の視点になる。
豊臣秀吉の視点になる。
だからいろんな説を考えていいと思います。いろんな説を考えてもいい。
でもね、例えば本能寺の編ぐらいになると、実はよくわかんないじゃないですか。
だからどういう説をしても物語になってしまう節はあるんですけどね。
ただね、例えば明治維新になると、実はすごくいろいろな情報量が多すぎるんですよね、明治維新ぐらいになるとね。
で、それによって大事なことが見えなくなってしまうような、そういう部分もありますよね、明治維新になると。
で、そこをよく考えると。
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考えて、結論は出さなくていいと思うんですよね。
結論は、僕は明治維新で考えると、なんか不思議なことがあるわけですよ。
例えば明治維新、当時のイギリスって、薩摩、長州、両方と戦争したのかな。
当時のイギリスと日本は戦争したんですよ。
日本というグループじゃなくて、薩摩というグループ、長州というグループ、それぞれ戦争をして、そこで当然イギリスの完勝なんですよ。圧倒的勝利。
当時のイギリスって、もうやばいぐらい強いですから、昔の強かった時代の巨人軍ぐらい強いんですよ。
ものすごい強いんですよ。で、薩摩、長州に軽く実力差を見せつけるのが目的なんですよ。
イギリスは勝とうと思ってないんですよ。勝とうと思ってないというか、実力差を見せつけるということが目的の戦争なんですよね。
圧倒的にイギリスが強くて、その強いイギリスが、当時のイギリスの力があったら、日本を占領するぐらい朝飯前なんですよ。
でもなんで占領しなかったのかな。
日本の歴史書は、江戸城無欠解放とか、坂本龍馬による長州と薩摩の同盟とかで、いろいろみんなで力を合わせて外国からの侵略を防いだ、みたいな歴史になってるんです。
そんなわけないんですよね。当時のイギリスの力を持ってしたら、全然余裕で日本を占領するぐらいできたわけなんですよ。
どう見ても国力に違いがありすぎましてね。
でも日本の歴史で教えてることは、力を合わせて守りました、万歳、みたいなことなんですけど。
でもどういうことだろうなーとかね、いろいろ、全然違う話になってしまった。
とりあえず歴史の話をしてみました。失礼します。
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