イデアっていうことを考えたんですけど、
要は、私たちが生きている世界、
これを現実界と言いまして、
実はもう一つ、この世には世界があるんだと。
それが、イデア界っていう界。
現実界と世界。
現実界とイデア界の、
あ、イデア界。
二つの世界がこの世には存在しますと。
いうのがソクラテスの考え方。
で、今現実界で私たちが見ている犬っぽいものとか、
三角っぽいものみたいなのは、
あくまでそれを犬と呼んでるだけで、
本当に完璧な犬っていうのは、
実はイデア界にいるんですよっていう。
すげえ難しいことを考えました。
なんでこれが犬かってわかるかというと、
私たちは本当に、この現世に生まれてくる前、
魂だけの時に、
イデア界にいて、
そのイデア界では、
本当の犬と、
本当の三角とか、
本当のコップとかがある世界。
それは、近くでは感じ取ることができない、
理性でしか考えることが、捉えることができないものです。
で、魂は最初そこにいて、
本当の犬とか、本当の三角っていうのを見た状態で、
現世に、体にヒュッと魂が入って、
今生きている。
魂が入った瞬間に、
イデアにいたことは忘れちゃうんだけど、
なんとなく思い出す瞬間。
あ、これ犬だ。
あん時イデアにいたな。
あれに似てんな。
だから犬かな、みたいな。
それを、なんかイデアを想起するっていう。
まあ、要は想起。
思い起こす。
思い出す、思い起こす。
ほうほうほうほうほう。
みたいなことをしている、
人間というのはそういうことをしている。
要は、犬っていう本質とか、
三角っていう本質っていうのは、
この世で知覚することはできないんだけど、
イデアの世界には存在しますぜっていう。
本質って存在しますぜって言ってるのが、
プラトンです。
なるほど。
じゃあ僕らが見ている、
目から見える、
視覚で見るものは、
そう、視覚で見ているものは、
本質ではない。
偽物です。
偽物ってことですよね。
本質です、ではないです。
本質です、ではないです。
ああ、なるほどね。
同じドーベルマンや、
いろいろ柴犬や見てるけど、
本質の犬ではない。
そうそう。
犬の本質ではない。
なるほど。
なるほどね。
まあ、でもそうか。
なんかなんとなくわかります。
なんとなーくでしょ。
確かにコップも、ガラスのコップがあれば、
陶器のコップがあるし。
陶器のコップもあるし。
プラスチックのコップもある。
でもコップだ。
そう、それをコップたるゆえんっていうのがあるわけじゃん。
そうですね。
なんかこれぐらいの大きさで、みたいな。
で、なんかちょっと取っ手がついてるやつとか、
そうじゃないのもあってさ、みたいな。
そうですね。
で、水が入って漏れなくて、みたいな。
でも、それが体よりも大きくなっちゃうと、
コップじゃないよね、みたいな。
そうですね。
なんとなくみんなが思ってる。
そうそうそうそう。
ドラム缶かな、みたいな。
そんな感じになるじゃない。
なんとなくみんなが思ってるものっていうのはある。
で、そのイデア界にはそのものの本質、
すべての本質っていうのが存在してるんですけど、
存在してる世界なんだけど。
で、その中で本当にひときわもう輝いている、
これが最上の思想だよっていうのが、
禅のイデア。
これがイデア界の太陽です。
人間は本質を探求するっていうことが、
そもそも人間には必要なことなんだけど、
その中でも何を考えるかっていうと、
禅の本質、イイって何だろうか、
みたいなことを考えるのが人間なんだよっていうのを、
プラトは言うとります。
イイって何かを考えるんだ。
そう。
で、これがね、俺ちょっと本当に面白いなと思ったのが、
次の話にもつながってくるんですけど、
神くだいって言うと、
プラトンが言ってることって、
結局得を積んだほうが得をするんだよっていうことらしい。
要は悪いことしたら損するよって。
単純なの。
だから得を積んだほうが得するよっていう。
じゃあ、なんで得を積んだほうが得するかって言うと、
世の中に性格悪いやつっているじゃん。
性格悪いやつっていうか、
あーあー残念だなみたいなやついるじゃん。
そうっすね。
とか、悪いことしちゃう人とか、犯罪しちゃう人とか。
そういう人たちって、
要は得を積んだ、得を持ってたほうが有益だっていう、
知識がないから歪んだ行動を平気でできちゃうんだっていう。
だから、まずは得を持ったほうが有益っていうことを知っていく。
じゃあその得を得るためには何が必要なんだっていうのを、
今度は説明します。
おー。
プラトンは、人間は本質を考えるべきものです。
何が正しいのか、何が本当なのか。
で、その中でも犬の本質とか、
コップの本質みたいなのを考えるのももちろん大事なんだけど、
その中でも一番考えなきゃいけないのは、
良いっていう善の本質を考えなきゃいけない。
善ね。良いことの善。
良いことの善。
それが何かを考えることが大事だと。
で、その善の本質を考えるには、
得がいるよっていう話。
知識とかがいるよみたいな話。
あー、なるほどー。
なんか、最初すげーざっくりした話かなと思ったら、
すごい、人とはとか、
人のために何をするべきかみたいな話につながりそうで、むちゃくちゃおもろいですね。
そう、なんかね、
プラトンさんちょっと小難しいこと言うとりますけど、
好きになれそうでしょ?人としての。
好きになれそう。
肩幅広い人でしたっけ?
あ、そうそう。肩幅広い人。
好きになれそうですね。
好きになれそうでしょ?
例え下手かっていうぐらい、
なんかもう、周りくどいんだけど、
要は得を積んだ方が得するよみたいなことを言ってるっていう。
もうなんか、全然、今、現代にも通ずる話じゃないですか。
そうそうそう。
なんか、みんな結局さ、
なんか悪いことした方が勝ちみたいなとかさ、
なんか正直者がバカを見るみたいな感じで思う人も多いと思うんだけど、
それは、なんでそう思うかっていうと、
得をした方、
そういう風に正直にした方が得をするってことを知らないからなんだよっていう。
一時の利益というか、気持ちよさみたいなのを取っちゃうと、
良くないよってことなんですよね。
そう。すごい救われる。
へー。
なんか改めてこういうことって、
学ばないっていうか、
まあなんか、
学校では教わらないじゃないですか。
そうね。生前説なのかな、一応。
そうですね。そっか、確かにな。
いや、めちゃくちゃ面白いですね、この話。
面白い。そうなの。で、これをね、読んだときに、
僕、この間も言ったかもしれないですけど、
自分のセブンルールを作ろうっていろいろメモしてるんですよ。
今、セブンルールっていうタイトルなのに15個あるんだけど。
ちょっと倍超えてるじゃないですか。
そうそう。減らしていかないといけないんですけど、
その中にね、「正直で誠実であれ。」みたいなことを書いてあるんですよ。
ほうほう。
で、それね、結構実生活でも逆だってんなと思うのが、
本当に嘘つきたいときってあるじゃん。
なんか、「やべえ、ミスった。」とかさ、
なんかちょっと遅刻したとか、
なんかこれ、なんていうんだろうな、恥ずかしいとかあるじゃない。
ありますね。人間誰しもね。
人間、人間誰しもあるじゃない。
で、それをね、本当に嘘つきたいときほど、
ごまかさないほうがうまくいくなっていうのが、
なんか最近実感してて。
へえ。そうなんですか?
そう。なんか、知ったかしないとか、
無知の地にもちょっと繋がるんだけど。
あー、なるほど。
そうそうそう。なんか、「あ、ごめんなさい。知らなかったです。」とか、
「ごめんなさい。忘れてました。」とか。
あー。
って言って、ちゃんと伝えて、ちゃんと謝るっていうことをしたほうが、
結果、なんか後からぐちゃぐちゃならないし、
気持ちも晴れるし、いいんだなみたいな。
まあそうですね。確かに1個、
たとえばごまかしたとして、
嘘をついたっていう自分自身も多い目があるじゃないですか。
そうそうそう。
しかもその嘘を、この後、通じつま合わせていかないといけないっていう手間?
うんうん。手間ね。
あと、どんどん綱渡りになっていく感じね。
あーあーみたいな。
確かにそう思うと、最初にもうさらけ出して、
大事にならないといったら、言っちゃったほうが楽ですね。
そうなんです。そうなの、そうなの。
っていうことを、やっぱり知ってる人、
知ってると、要は悪い道に行かないよみたいな。
そうですね。
確かにその一歩で、嘘をつくという一歩で、
悪い道の一歩進んでるようなモンストもね。
そうなのよ。
あーなるほど。
で、なんでそっちに行かないでちゃんと謝れるかっていうと、
謝ったほうが得するっていうふうに思って分かってるからっていう。
要は、そういうこと。得を積んだほうが得するよっていう。
そっか、謝ることも得なんだ。
そうなんです。
あーなるほど。
なんか謝ると、なんかこう、何でしょうね。
負けを認めるって感じる人もいるかもしれないですしね。
あーそうそうそう。そうなの。
まあそうなんだけど、実際にはそっちのほうがいいよっていうことを、
周りくどーく言っとります。
これを遥か太鼓から教えてくれてたんですね。
そう、2400年、え?2400年前って言ってたかなこれ。
すごいですね。
すごいよね。
全然、令和の今にも役立つ話でしたね。
そうなんですよ。