90年代に活動した漫画家ねこぢると、その作品についてお話しました!
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サマリー
このエピソードでは、ねこじるという漫画家の独特な作品群が紹介されている。特に、彼女のデビュー作「ねこじるうどん」に見られる残酷な展開や、彼女自身のエキセントリックな人物像について深く語られている。また、ネコジル夫妻がバラナシを訪れ、その独特な文化体験が描かれ、ネコジルの人生や作品についても触れられ、彼の影響力や苦悩が語られている。
ねこじるの紹介
みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、せみやまです。
今日は、ねこぢるとその作品についてお話ししたいと思います。
前回の配信について、Xでコメントをいただいてますので、1つご紹介したいと思います。
こちら、ヤビさんからいただきました。
昆虫少年の心を取り戻したという話。
家の中では虫目ずる姫気味みたいな話が出てくると思いきや、まさかの悪即残に吹き出してしまった。
わら。とのコメントをいただきました。
ヤビさん、ありがとうございます。
虫目ずる姫気味、日本の古典物語、ですよね。
ヤビさんはピアノやゲーム、将棋等、文化系のジャンルを幅広く抑えられているという印象があるんですが、
僕の前回の配信から虫目ずる姫気味を連想されたということで、
虫目ずる姫気味、僕は実は題名は知ってはいたんですが、
最近まで本文を読んだことがなくてですね、
前回の配信の後、ちょうどヤビさんからコメントをいただく前後に本を買って読み終えたところだったんですよ。
最近虫を追いかけていたこともあって、噂の虫目ずる姫気味を読んでみたくなったんですよね。
虫系、特にケムシが大好きなお姫様が周りを困惑させつつ天真爛漫に暮らしているっていう楽しいお話でしたけど、
昆虫の中でも特にケムシが好きっていうのがなかなかハードコアなお姫様ですね。
というのはケムシとかイモムシって虫の中でも特に苦手な方が多いイメージがあるんですよ。
僕自身は最近ちょっとだけイモムシ系に耐性がつきまして、アゲハチョウの幼虫を手づかみする機会がありました。
こないだホームセンターでマイヤーレモンっていう果樹の苗を買いに行ったんですよ。
家でレモン育てたいなと思いまして、
マイヤーレモンは耐寒性のある品種で、日本の厳しい冬もうまくすれば乗り切れるみたいなんですよ。
で、この苗良さそうだなーっていう苗が見つかったんですけど、その苗にアゲハの幼虫がくっついてたんですよ。
あの緑色のそれなりに存在感のあるイモムシなんですけど、
で、あーアゲハの幼虫いるなーと思って、そっと指でつまんで別の苗に移し替えたんですよ。
せっかく購入したレモンの葉っぱを幼虫に食べられても困るなーと思いまして、
アゲハの幼虫に触ること自体に関しては気持ち悪いとかそういうのはなかったんですけど、
思ったよりも柔らかくて、その柔らかさがちょっと怖かったですね。
下手に強くつかんでダメージを与えてしまったらどうしようという不安を感じました。
幸いそういうこともなく、幼虫を別の苗に移動してマイヤーレモンの苗を買って帰ることができたんですけど、
あと虫関連で言うと、最近長野で日本蜜蜂の飼育に関する講習を受けてきたんですよ。
日本蜜蜂を飼育するための巣箱っていろんな種類があるんですが、
その中でも扱いやすい化式巣箱というのを開発した岩波金太郎さんという方がいまして、
明るくて元気なおじさんなんですけど、日本蜜蜂界隈では有名な方なんですよ。
初めての自然養蜂という養蜂に関する本も出されていて、
この方に日本蜜蜂の飼育に関する具体的なお話を伺ってきました。
当日は僕も含めて15人くらい受講する方が来てまして、
長野、山梨、東京、茨城等いろんなところから皆さんいらっしゃってました。
僕は一人で参加したんですけど、ご夫婦で参加されている方も何組かいらっしゃいましたね。
今まで日本蜜蜂の養蜂を始めようとしている人って、僕の周りには僕以外いなかったんですけど、
こんなに多くの方が養蜂に興味を持って始めようとしているんだと思って、ちょっと心強かったですね。
当日は10時から休憩を挟みつつ、15時くらいまで講習を受けまして、移動も含めて1日がかりという感じだったんですけど、
養蜂についての解像度が一気に上がりましたし、行ってよかったです。
実際の日本蜜蜂の巣箱も見せてもらいましたね。
養蜂の肩が身につけている体をガードするための綿布というのを装着した上で、巣箱の見学をしたんですけど、
巣箱という日本蜜蜂がたくさんくっついた巣箱の一部を持たせてもらえて、至近距離で日本蜜蜂の群れを観察できました。
講習では日本蜜蜂の警戒心や攻撃性を解くために、最初に挨拶しておくといいというのを教えてもらいました。
挨拶ってどうやるかというと、手でトントンって巣箱の入り口を叩くんですよ。
で、しばらくすると門番の蜂が警戒心を解いて手に登ってくると。
そうすると後は巣箱を開いて作業をしても襲ってくることはないということをおっしゃってました。
多分いつも同じ形式で挨拶をすることで、蜜蜂もこの人は大丈夫だっていうことを覚えるんでしょうね。
そういう金太郎さんのお話の端々から日本蜜蜂の生態の一端を感じられて面白かったです。
というところでヤビさん、コメントありがとうございました。
それではそろそろ本編に行きたいと思います。
今回はねこじるという漫画家とその作品についてお話ししたいんですけども、皆さんご存知でしょうか。
ねこじるは1990年に月刊マンガガロでデビュー後、
そのポップで可愛らしい絵柄とは対照的な無邪気で残酷な展開が描かれる作品群が話題になり、
1998年に亡くなるまで活動を続けました。
デビュー作の内容
ねこじるの夫はやはりガロ系漫画家の山野はじめで、この人はねこじる作品の実質的な共同制作者でもありました。
それは他に作画を手伝うということだけにとどまらず、
ねこじるの発想やイメージを山野さんが漫画として読める形に落とし込むという領域まで及んでいたようです。
そもそもこの2人の慣れそめ自体が山野さんの漫画に惚れ込んだねこじるが、
おしかけ女房みたいな感じでやってきてそのまま住み着いたという感じだったみたいです。
かなりエキセントリックな人だったみたいですね。
ねこじるが山野さんの家に会ってきたのは、
ねこじるが美容の専門学校を出てすぐの頃、18歳か19歳の時のことでした。
ねこじるのデビュー作はねこじるうどんという短編なんですが、内容はこんな感じです。
まず登場するキャラクターは猫だけです。
ある日うどん屋を営む虎猫のところに三毛猫のお母さんが息子を連れてきます。
で、お母さん猫はこの子一日中うるさくてじっとしてないから虚勢手術をしてくださいって言うんですね。
うどん屋さんは、「いや、うちは病院じゃなくてうどん屋だから虚勢は病院に行ってやってもらってください。」
って言うんですけど、お母さん猫は
先生、今すぐ虚勢してください。にゃーにゃーうるさくて全然眠れないんです。
って繰り返すだけなんですよ。会話が成立しないんですよね。
で、圧倒されたうどん屋の猫が仕方なく
虚勢って言うと要するに金玉を取り出せばいいわけだね。
と言って包丁で子猫の金玉を取り出します。
で、子猫はそのまま死んじゃいます。
そしたらお母さん猫が
先生、金玉取れたけど死にましたよ。
先生、金玉取れたけど死にましたよ。
って今度はそればっかり言うようになります。
そこにお客さんがやってきて
えーとね、猫汁うどんね。
ヘイ、猫汁うどん1丁。
というやりとりでこの漫画は終わります。
展開らしい展開とか何の学びもない漫画なんですけど
逆にすごいと思うんですよね。
方法論からは生み出せない凄みを感じるっていうか
猫のお母さんの会話が成立しない
うすら怖い感じも小回りとかセリフの妙で
すごく伝わってくるんですよ。
これが猫汁のデビュー作です。
この猫汁うどんというのはそのまま初期短編集のタイトルにもなっていて
インド旅行記の魅力
猫汁うどんカブトムシの巻きとか
猫汁うどん自転車でゴーの巻きなどの短編が続いていきます。
これらの短編ではニャーコとニャッタという猫の兄弟がメインキャラクターとなって
毎回残酷な展開や不思議な展開が描かれます。
可愛い絵柄でだいぶ読みやすくなってますけど
言葉にするとかなり物騒で強烈な展開が描かれてます。
うるさい犬を包丁で刺したり
昆虫の標本を作るための薬をホームレスに注射したり
その他あまり倫理的でないことが多々発生します。
猫汁の作品、僕は高校時代に猫汁を知って
その頃よく読んでました。
前回お話ししたこの漫画がえらいっていう本で猫汁うどんのことが紹介されていて
そこからですね
ただ実は僕が猫汁作品に出会った1997年というのは
今から思うと猫汁の活動期間の中で末期にあたる時期ではあったんですね。
猫汁作品のあの倫理感のなさ
当時社会で良しとされる価値観にすごく違和感を抱えてたので
それをぶち壊してくれる猫汁の世界観ってとても好きでした。
まあ今も多少容量が良くなったくらいで
世の中のいろんなことについて違和感を感じる機会はとても多いんですけど
まあでもそれはまた別の話ですね。
猫汁の作品は猫汁大全という上下巻の分厚い本で
すべての作品がまとめられています。
紙の本はプレミア化してますが猫汁大全はkindleでも読むことができます。
今現在紙の本で僕が持っている猫汁の本が1冊だけありまして
それはジルジル旅行記インド編という本になります。
猫汁は夫の山野さんと1995年の2月から3月にかけてインドのバラナシを放浪してまして
その時のことを漫画化したのがこの作品になります。
この本猫汁の作品の中で特に好きで
思い出しては読み返している僕のお気に入りの作品です。
こちらもkindleでも出てますね。
紙の本も中古ですがそこまで大きく値上がりはしてないようです。
でも僕が以前買った時よりは値上がりしてました。
インドって独特の世界観がある国なので
旅行エッセイ漫画の題材として割と取り上げられていると思うんですが
他の作品だとこうこうこうでインドに行くことにした
っていう前提が冒頭に入ることが多いと思うんですけど
ジルジル旅行記って前提なくいきなりインドにいるんですよ。
既存の漫画の形式にとらわれることがなかった猫汁の作品性がそこにも垣間見えるなあって思います。
1話の一コマ目の時点でもうインドにいるんですよね。
1話の冒頭で猫汁夫妻がいるのは有名なタージマハールがあるアーグラーという町で
2人は一応タージマハールにも行ってみるんですけど
そういう巨大建造物とかあまり興味ないみたいで
ガイドさんが熱心に説明してくれるんですけど話半分に聞き流してます。
正直な人たちなんですよね。
好き嫌い興味あるものないものがはっきり分かれてて
猫汁自身もそういう人だったみたいです。
思ったことは周りの目線とか気にせずはっきり言う人だったみたいで
日本で寿司屋に行った時
まずいこれ人口いくらでしょと言い放って店内を凍りつかせたという話もあります。
で2人はインドのアーグラーから目的地であるバラナシーへの列車に乗ろうとするんですが
山野さんは切符代をけちって駅ではなくインチキ臭いチケット屋から切符を買ってまして
切符をよく見ると出発駅が最寄りのアーグラーではなくツンドラという聞いたこともない駅になってるんですよ。
で調べたらツンドラは2人がいる場所から何十キロも離れてると
出発時刻が迫る中2人はインドのオンボロタクシーに乗ってツンドラ駅に急行するわけです。
猫じるの心の中にはじわじわと不安が広がっていくんですが
読んでいる方としてはもうこの時点で面白いわけです。
バラナシでの経験
そしてようやく到着したツンドラ駅は心の中いっぱいに膨らんだ不安がそのまま目の前に現れたようなところだった
というところで第一話が終わります。
その後もようやくバラナシ行きの列車に乗り込むことができた2人なんですけど
ツンドラからバラナシの間が600キロも離れてるんですよ。
その怪しいチケット屋から買った切符というのが観光客は絶対乗らないような
地元の人だけがギューギューに押し込まれた列車の切符だったみたいで
そのオンボロ列車に16時間揺られてようやくバラナシに到着するわけです。
このバラナシは有名なガンジス川が流れるヒンズ峡最大の聖地です。
ジルジル旅行記の中で描かれる90年代のバラナシは
当時の日本とも今の日本とも全く異なる世界観を持つ完全なる異世界という感じがあります。
聖地ということで法律よりも宗教の力の方が強いので
警察署の前で堂々とバングラッシーを売ってたりします。
バングラッシーというのはタイマーをすりつぶした汁をラッシーで割ったもので
これが1杯30円くらいで売ってると。
これを飲むと当然トリップするわけです。
作品中ではネコジル夫妻もこのバングラッシーを飲んでトリップしています。
ヒンズ峡ではタイマーは芝心の好物とされてるんだそうです。
タイマー以外もいろんな薬物を売る売人がいて
不良外国人がひがな1日ドラッグをやってゴロゴロしたりしています。
そんな薔薇なしにネコジル夫妻は1泊150ルピー
当時のレートで約450円の安宿に泊まって
気ままに街をぶらついたりするわけです。
薔薇なしでの生活の中でネコジルはいろんな人に出会います。
チャラスと呼ばれるタイマ樹脂のやりすぎでどうかしちゃった人なんかも出てきます。
この人は薔薇でゴソゴソと何かを探しています。
ネコジルが何をやってるのと聞くと
金を探してるんだと言ってポケットから石ころを出して見せてくれたりします。
ガンジス川のほとりで行われる仮想の下りは結構印象的な場面です。
姿勢感が変わったという文脈で語られることが多いこのガンジス川での仮想ですが
その場に居合わせたネコジル夫妻も周りの観光客もぼーっと見てるだけで
誰も何も考えてないということが描かれます。
味の開き焼く時の匂いだなっていうセリフも出てきます。
正直で飾らないんですよね。
何か賢ったことを言われるよりもリアルに感じるし信頼できるなって思います。
インドで修行を行うサドゥーという人たちがいます。
彼ら生涯家庭を持たず聖地から聖地へと放浪と修行を続けます。
そんなサドゥーの一人とネコジル夫妻は交流することになります。
サドゥーが飲みたがったコーヒーを持って行ってあげると
お返しにナンを焼いて食べさせてくれたりします。
静かな威厳を感じるサドゥーとの交流はこの作品の中で印象深いシーンになります。
ネコジルたちがサドゥーにもらったナンを食べている横で
野良犬たちが何かを食べています。
それは子供の足でした。
子供や変死した人はガンジス川に流されて水槽にされるんだそうです。
その子供の足を眺めていたサドゥーが現地の言葉で何か言いました。
ネコジル夫妻は聞き取れなかったんですが
このバラナシに流れ着き、
生地の犬に食われた子供は幸せだとか何とか言ったのかもしれない。
そんなモノローグでその回は締められています。
ネコジルの人生と影響
別の回ではネコジル夫妻はホテルでテレビを見てるんですが
急に東京の風景が映って驚きます。
画面には霞が関の地下鉄やガスマスクをかぶった人の映像など
ただことではない雰囲気が漂っています。
お店の人に確認すると
ポイズンガスアタックインサブウェイという答えが返ってきます。
1995年3月に発生した地下鉄サリン事件のことを
ネコジル夫妻はインドのニュース番組で知ったわけです。
ここもとても印象的ですね。
いろんな場面についてお話ししてきましたが
ネコジルという人がインドを訪れて飾らない正直な印象を漫画にした
このジルジル旅行記
とてもおすすめの漫画ですのでぜひぜひチェックしてみてくださいね。
冒頭でネコジルは1998年に亡くなったと言ったんですが
正確に言うと1998年5月10日
ネコジルは自殺によってこの世を去りました。
去年31歳でした。
ネコジルと交流のあったライターの吉永義明という人がいるんですが
この人が自殺されちゃった僕という著書の中で
生前のネコジルの印象について書いています。
身長153センチ体重37キログラムと小柄な人で
武装願望がある人だったそうです。
ナイフが欲しいのとポツリと言ったことがあったと。
吉永氏は本の中で
世間も人間も彼女にとって気に入らないことだらけで
世の中はネコジルにとって危険がいっぱいだったのだろう
と書いています。
ネコジルは自殺未遂の成就者でもあったそうです。
ネコジルが自殺した時と時、僕は高校生だったんですが
正直ピンとこなかったんですよね。
ああいう攻撃的な作品を書く人が
自ら死を選ぶというのが
その時は頭の中でうまくつながらなかったんです。
最近吉永氏の自殺されちゃった僕を読んで
そうかネコジルってそういう人だったのか
そういう人が心の内側に作り上げたイメージの一端を
俺は作品として読んでたのか
なんだかいいようのない気持ちになりました。
97年から98年頃のネコジルって売れっこになっていて
かなり制作がハードスケジュールになっていたようです。
そのことにネコジルはかなり追い詰められていました。
90年代ってすごく閉塞感があって
逃げることが許されないっていう空気感があったんですよね。
今は少しだけ変わってきている気がするんですけど
ネコジルもどこかに逃げられたらよかったのになと思います。
ネコジルの死後、夫の山野さんはネコジルYという名義で
にゃーことにゃったが登場する作品を発表しています。
また2001年にはネコジル草という短編アニメーションも制作されています。
ネコジル作品いろいろありますが
初期の純度の高い狂気を感じられるネコジルうどん
異世界である90年代インドを堪能できる
ジルジル旅行記インド編この辺りがおすすめです。
概要欄にリンクを貼っておきますので
よかったらチェックしてみてくださいね。
セミラジオではお便りを募集しています。
Xのハッシュタグセミラジオや概要欄のフォームからお送りいただけると嬉しいです。
今日はネコジルとその作品についてご紹介させていただきました。
ご視聴ありがとうございました。
28:37
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