その辺り今日ちょっと話したいなと思ってますね。
タブキはポルトガルのリスボンが舞台のレクイエムという小説があって、
それは過去に読んだことがあったんですけど、
インド野草曲は寸読になっていて、
でもタイトルからしてすごく面白そうというですね、
そういう雰囲気をすごく醸し出している作品、本なんですけど、
それがやっと読めて良かったなと思ってますね。
やっぱり期待通りというか、
インドのよくわからない世界に足を踏み入れたような感覚というのが味わえて、
読んで満足できましたね。
いいですね。ちょっとその2人とも満足度の高い本ですが、
まず著者について。
まず著者について説明したいと思います。
アントニオ・タブキは1943年イタリアのピサで生まれた方になります。
2012年に亡くなられていらっしゃいますが、68歳です。
作家としてはもちろんイタリアを代表する作家ということで名は知られているんですけども、
小説家として注目を浴びるまではそれより手前でポルトガル文学の教授だったので、
ポルトガル20世紀最大の詩人と呼ばれるフェルナンド・ペソアをイタリアに紹介したという、
その実績でまずは知られている方でした。
その後、研究者であり、翻訳者であり、自身も作家でありというので活躍をしていくんですけども、
タブキの小説に関しては主に2つのジャンルに分けられると言われていまして、
この本書の綿書きで菅津子さんが書いているのを参照しているんですけども、
まず1つ目がゲーム性の強いものですね。逆さまゲームというのが第4作ですけども、
と、もう1つがジャンルが情勢が豊かで素敵な世界観のものというですね、
これも幻想的な世界観というか、素敵な美しい、そういった世界観の作品を書かれていて、
今回紹介するインド野生曲はもう後者の代表作になります。
じゃあちょっとその作品、具体的に紹介していきましょうか。
ではですね、ここから作品紹介をしていこうと思います。
ちょっとあらすじをですね、出版元から引用させていただきます。
失踪した友人を探してインド各地を旅する主人公の前に現れる幻想と瞑想に満ちた世界。
ホテルと穴ばかりのスラム街の宿。
すえた汗の匂いで息の詰まりそうな夜の病院。
二人の女たちにあがめられた巨根の老人。
夜中のマステール以上で出会う美しい目の少年。
インドの真相なす事物や人物に触れる内面の旅行記とも言うべき。
このミステリー仕立ての小説は、読者をインドの夜の帳の中に誘い込むイタリア文学の記載が描く十二の夜の物語となっていて、
あらすじを読むだけでもですね、非常に引きがあるというか、
魅力的な世界をね、描いているんだろうなという、すごく期待させてくれる紹介の仕方ですね。
何から話そうかなってとこなんですけれども、まずはちょっと魅力を伝えた上でですね、ストーリーを伝えたいと思っております。
まずこれちょっとですね、白水ユーブックスなんですが、150ページぐらいの小説になっています。
我々が紹介している本からするとですね、文字数が少ないと思います。
なので、だいぶ読みやすい、時間かからず読めるんじゃないかなと思いますので、
そのあたりもですね、ちょっと気にしながら聞いてください。
手が出しやすいですよっていう話を今しています。
まずですね、ちょっと話したい部分なんですけど、どうしてもストーリーの魅力というのをちょっと語りたいなと思います。
これはですね、あらすじにもある通り、インドの各地を旅する主人公っていうのがストーリーになってくるので、
この異国を旅していくというストーリーがですね、やっぱりよくて、
この物語が、異国を旅していくだけですごく魅力的な物語になっていくっていうのは大前提なんですけど、
そこになぜこの旅をしているのかっていう主人公の動機が結構ミステリアスで、
後で話しますけど、友人を探してこの主人公を僕は旅を続けるんですけれども、
その友人がちょっとミステリアスで、そこが持つこのストーリーが、
そもそも持っているこの異国を旅をするっていう設定プラス、
その主人公が探している友人が結構ミステリアスっていうところが相乗効果になって、
非常にいい空気を作り出しているなと思います。
あとですね、この主人公の僕が旅している理由、動機なんですけど、
基本的にこの人を探しているということだけしかほぼ明示されず、
状況というのが他一切説明がないまま話が進んでいくというか、
状況に読者を放り込まれる感じがあります。
これやっぱカルビーノとか読んでるとこういう感じなんですけど、
この放り込まれる感じっていうのはやっぱすごく、
だから読書をする上ではすごく、映画とかでももしかしたら体感できるのかもしれないけど、
結構ですね、やっぱりいい体験だなと思っています。
ちょっと読みにくい部分もこのせいでできちゃうんですけれども、
やっぱこれこそ旅だなという感じが、
この訳のわからない状況に身を任せていくっていうのが旅だなと思うので、
そのあたりもこのストーリーは非常に体現してくれているのでいいなと思いました。
で、ラストですね、明かされる確信っていうのが、
これまで読んできた物語を全て包括して迫ってくるような強さがあって、
こういうのってなんだろうな、小説にしかできないようなことだなと思っていて、
ほんとラストシーンはですね、自分はめちゃめちゃ、
ラストシーンってラストでしょうか、最終章はだいぶ聞こえましたね。
で、これ問われているテーマっていうのが、
もちろんこの主人公を僕が経験することで読者に体験させてくれるんですけれども、
人間だったら多分誰しも一度は考えてしまうようなテーマを扱っているので、
読んでみるとですね、必ず自分の中に何か巻き起こると思います。
で、改めてですね、ちょっと今思ってるんですけど、
これを150ページで成し遂げているタブキすごいなっていうところがちょっとありますね。
そうですね、ストーリーやっぱ面白いですよね。
この150ページぐらいなんですけども、
インドのいろんな街を点々とするんですけども、
なんかね、それもさっき状況に放り込まれる感じとあったんですけども、
本当に一本道ではなくて、すごく行き当たりばったりで、
関係のない話が間にあったりとか、目的地に向かう途中で印象的な出来事があったりとかですね、
本当に旅行記みたいなんですね。
そういった要素も含まれていて、すごくロマン感じる作品かなとも思いました。
そこを切り取るとエッセイのようにも見えるしさ。
そうですね。
ちょっと変わった短編小説、ショートショートみたいにも見えるしね、ちょっと面白いよね、確かに。
で、やっぱラストはね、すごい良いですよね。
ちゃんとした小説なんだって、すごいね。
最後に思いましたね。
この着地は本当に良かったね。
次にちょっとお話したいのは、表現とか文体のあたりですね。
さっきも話してる通り、これ短いんですよ。
で、かなり端的にいろんな話というか、字の文のところがね、割とそんなに凝ってないかな。
凝ってないとこがゼロではないんだけど、割と淡々としている文章が多くて、
でもですね、その淡々としている中にですね、奥深さのようなものを見せてきてて、
これはですね、登場人物のセリフが良かったりとか、
ちょっとしたその字の文のスパイスの効かせ方が良かったりとか、
そういうとこなんですけれども、すごくなんていうか、
言い方ちょっとこれで言うとちょっと語弊があるかもしれないですけど、
キレが良いなとは思いましたね。
で、12章に分かれてるんですけど、結構最後の文が、
セリフで終わったり字の文で終わったりするのはそれぞれなんですけど、
最後の文がね、めっちゃ印象に残るようなことをサラッと添えてね、締めてくるから、
非常にこの小説は本当この12章、すごい面白いなと思って読みました。
そうですよね。まず文章すごく読みやすいんですよね。
無駄なく書かれているのと、またやっぱり言葉遣いが巧みというか、
すごい描き方が上手いなと思うんですね。
結構ね、インドの街の情景とか書いたりしつつも、
でもね、そればっかりにならずちゃんと人と人とのやりとりっていうのを簡潔に書いているとか、
本当に読みやすくて良いです。
そうね、確かに。
次にちょっとお話ししたいのが、翻訳の部分ですね。
で、まあこれ、そもそものこの本が持つ魅力みたいなのがすごく高いと思うし、
どういう翻訳がされたかっていうのは正直ちょっとわからない部分ではあるんですけれども、
ゲームちょっと読めないので、イタリア語ちょっと読めないのでわかんないんですけど、
この菅篤子さんの翻訳っていうのが、なんかこれ全く古びてないなと思っていて、
これ翻訳されたのが90年、1990年なんですよ。
で、もう30年以上前の文章なのに、
全然こう、なんだろう、もう今の現代小説と同じような感覚で読める。
だからすごくやっぱ菅篤子さんって、なんか時代を超えた文章を書ける人なんだなと思って、
ちょっと改めて尊敬した取材でございますね。
そうですね。
なんかやっぱりこの菅篤子さん、すごい好きな翻訳家であり作家さんなんですけども、
そうですね。
やっぱ菅篤子さんの文章が、この作品のやっぱり魅力、
次元菅篤子さんの文章を読めるっていうところは一つ大きいかなと思っていてですね。
で、読んでいくとですね、この小説自体はまあ書かれたのはもう90年より前かのはずなので、
今の印度とはだいぶ状況が違うんじゃないかなと思うんですけれども、
なのでちょっとこの小説の中で描かれている印度っていうのは、
ちょっと違うんじゃないかなと思いながら読みましたので、
まあその辺りも踏まえながら今日は話し聞いていただけたらなと思います。
じゃあちょっとストーリーについて話していきたいと思います。
で、ストーリーなんですけれども、今回はですね、完全ネタバレで最後まで話してしまおうと思っております。
リスナーもある程度ですね、読んだ感じになってもらいたいという思いがあるんですけれども、
出てくる順番にちゃんと話すので、だいぶはしょるんですけど、
まあ疑似体験できるんじゃないかなと思います。
で、その上ですね、この作品が放つテーマについてちょっと我々が話すので、
まあその辺り聞いていただけたらなと思います。
ではですね、まずこれ12章に分かれているんですけれども、
最初の4章かな、ぐらいがですね、インドのボンベリーですね、の話になります。
えー、主人公である僕がですね、まあ小説家なのかな、
している友人のシャビエルという人物を探すためにインドに来るというところから話は始まります。
このシャビエルはですね、そのボンベリーで付き合いのあった女性がいまして、
その女性がですね、この主人公である僕に手紙を書いておりました。
で、その手紙を頼りに僕はですね、このシャビエルを探すために女性を訪ねていきます。
ただもう、その女性の元にはですね、シャビエルはおらず、行方はわからない状態になっていました。
ただ病気になってしまったということが聞かされます。
で、そのシャビエルはですね、病気のせいなのか、まあちょっと気が変になってしまったのか、
それまで書いたもの、書き溜めていたものをですね、すべて燃やしてしまったと聞かされます。
で、僕はですね、その後シャビエルが入院してと思われる病院を訪ねて、
えーと、それらしい患者はいないのか、またいなくなってしまったら行方はどうなのかということを探ります。
ですけど、結果何も掴めない状態で終わってしまいます。
で、あのさっきの女性が少し漏らしていた、えーと、心智学協会という団体の名前が出てきたので、
その団体を訪ねるためにマドラスへ移動していくというところで、このボンベイのパートは終わります。
すでにちょっとミステリアだな。
なんのこっちゃかわかんないんですけど、
友達のシャビエルを探しているという目的がちょっとずつ明かされていくというのが第一ですね。
ほんとその状況しかわかんないから、ここだけ見るとミステリ要素がすごく強いなって思って読んでましたね。
結構インド要素ありましたね、最初の。
最初のタクシーに乗って、主人公がこのホテルに行ってくれって言うんですけど、
タクシー運転手が逆方向走るんですね。
で、なんでかって言ったら、そこはもうスラム街みたいなところなんで、
お兄さんだったらもっと一流のホテル泊まった方がいいと、そこ連れて行くよって言われて、
で、主人公が切れて、タクシーから強引に降りて、
自分が行きたいのはこっちなんだって言って、
そういうやり取りとか、病院に入った時にゴキブリがめちゃめちゃいっぱいいて、
なんかもう絶望的なね、最悪やなってなったりとか、
ところどころインドらしさがあって。
そういう描写もね、結構怖めに入ってくる。
そのあたり読んでるとちょっとドキドキしますよね。
ここから2部、マドラスの話をしたいと思います。
1部からの流れで、主人公はマドラスに行きます。
で、そこでレストランに入ってご飯を食べたりして、
目的の新地学教会の会長さんと会うこともできたんですけども、
ただ、ちょっと邪剣にされたりしてしまいます。
それでもですね、探していた友人のシャビエルがゴアンにいたことっていうのを知ることになります。
なので、主人公は早速ゴアンに向かうんですけども、
もともとですね、主人公はゴアンに行かないといけない用事っていうのが他にもあったので、
ちょうどよかったという流れになっていきます。
ゴアンまでですね、結構なバスでの長旅になるんですけども、
その途中の停留所に泊まった時にですね、ちょっとした印象的な出来事というのが起きます。
その停留所で泊まっている時に結構時間があったので、
主人公がバスを降りて周りを見ると、ある少年がいました。
その少年が背中で最初はですね、猿を背負っていると思ってたんですけども、
よくよく近づいてみると、それはですね、キケイジで生まれた男の子を背負っていました。
聞くとその二人は兄弟で、少年が背負っているのはお兄さんで、
手が曲がったりとかですね、顔の形が崩れていたりとか大変な状況だったんですけど、
ただ目だけがすごく綺麗なお兄さんが、実はですね、ジャイナ教の預言者でした。
この預言者というのが占い師みたいなものなんですけども、
あそこでですね、主人公に話を持ちかけてきて、お兄さんの過去も未来も見ることができると、
だから主人公にあなたのカルマを知りたいですかと、
5ルピー払ってくれたら占ってあげますよということで、主人公がお金を払って占ってもらうことになったんですけども、
ただですね、占い師、預言者の兄さんからちょっと占うことができないと言われてしまいます。
あなたはもう一人の人だからと言われてですね、
どうやら話を聞くともう一人本物の自分というのが別にいて、
今の自分というのはもう一人の自分であるというですね、
そういう状態みたいで、じゃあ本物の自分はどこにいるのかという主人公が尋ねて、
お金をいっぱい払うと船の上にいると言われてしまいます。
というですね、こんな占ってもらったというところで第2部が終わります。
この占いのシーンはだいぶ印象的ですよね。
あとあれですね、この神学教会の会長との会話が結構面白くて、
結構わかりやすく言うと変なマウントを取れようとしてて、
それがあっちも知識を出してきて、こっちも知識を出して、
一見不毛な争いをちょっとしてて、そのあたりもちょっと不穏で印象的でしたね。
そうですね。結構文学話をするんですが、ヘッセをどう思いますかという、
あのヘルマンヘッセですね。
例えばヘッセどう思いますか。ヘッセってスイス人でしょって主人公が言うと、
いや違いますとドイツ人ですよと。
スイスの市民権を取ったのは1921年になってから。
主人公が死んだ時はスイス人だったんですよ。
でも会長が、いやまだあなたにヘッセについての意見を伺ってませんでという。
このやり取りとか結構しょうもないんですけど読んでると面白い。
面白かったよね。
じゃあちょっと話を先に進めていきたいと思います。
3部5話でこの話は終わるんですけれども、
ちょっと面白いのが結構5話について、主人公の僕はちょっと眠ってしまって、
不思議な夢を見て夢の中でも友人を探しているような状況が描かれたりします。
僕はですね、この5話のホテルで決定的な手掛かりをシャヴィエルに対する決定的な手掛かりを得ます。
もう多分居場所が分かったような状況になりますね。
この手掛かりのどう得るかっていうのは結構インドっぽいやり取りがあるんですけど、
高いワインを注文して、あちらからシャヴィエルだったらこのワイン飲むかな?
シャヴィエルだったらこういう時どういうワインを飲むだろう?みたいなことを言って、
いやシャヴィエルだったらどこどこのホテルのどこどこのワインを飲むんじゃないでしょうか?みたいな形になって、
ようやくあそこのホテルにいるのか?みたいな形で居場所が分かるという流れになりました。
急いで僕はそこに向かいます。
最終章、12章になるんですけれども、ここで僕はですね、あるホテルのレストランで女性と食事をしています。
この女性とは知り合ったばっかりの女性であまり出場の知らない2人です。
会話はちょっと楽しく弾んでいて、僕はですね、自分が書いている小説のことを女性に話します。
内容はですね、自分自身を探すという旅であるという内容の小説でした。
その小説の中でまさにこんなレストランのシーンが出てくるんだと話してきます。
この時ですね、この僕はですね、僕を探している男がレストランで僕を見ながら食事をしているというのを見つけるという話をして、
そういう話がこの小説に入るんだという話をして幕が閉じるというとこですね。
だからこれちょっとだいぶ端折ったんですけど、いろんな実は泥棒の話とか他にもいろんなちょっと今回話せない部分、
この150ページの中にはあるんですけれども、大枠はこれで。
最後ですね、ついにこの小説の構造がわかるっていう。
これ解釈するにはもうこの12章のうち11章はもうずっとこの僕が書いていた小説に違いない。
その中でこの僕は、ややこしいんだけど、僕が書いている小説の中の僕はもう一人の自分だったということですね。
結構これ聞くとなかなかややこしく思ってしまうんですけど。
まあまあでも読んでるとなんか意外となんかすんなりそういう話だったんだってね。
入ってきますよね。
ちょっとこの辺カルビーのチックで好きだったな。