2025-04-26 49:42

ヨーロッパ一人旅

せみやまが2012年に行ったヨーロッパ一人旅についてお話しました!


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サマリー

このエピソードでは、セミヤマが2012年に一人でヨーロッパを旅した経験について話します。特に、東日本大震災の影響や旅の準備、出発前の心情に焦点を当てながら、初めての海外旅行の思い出を振り返ります。また、ロンドンとアムステルダムを訪れた一人旅の体験も紹介され、パブでのエールビールや美術館めぐり、オランダの自転車文化に関する印象深いエピソードが語られます。このポッドキャストエピソードでは、アムステルダムやユトレヒトを訪れた旅行者の経験が述べられ、ヨーロッパの文化への憧れと現実とのギャップについて考察します。さらに、スペインのバルセロナでのサグラダファミリアやフラメンコを楽しむ様子も描かれています。また、彼は英語とスペイン語に不安を抱きつつ、イギリス、オランダ、スペインを旅し、次に行きたい国はベルギーであると語ります。

旅のきっかけ
みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、セミヤマです。 今日は僕が以前言ったヨーロッパ一人旅についてお話ししたいと思います。
今回はセミラジオ旅情編ということで、だいぶ前になるんですが、 以前言ったヨーロッパ旅行についてズレズレにお話ししようかなと思います。
このタイミングで話す理由というのは特にないと言えばないんですが、 つい先日なんとなくその時の旅のことを思い返して、
当時デジカメで撮った旅行の写真が入っているフォルダを開いてみたんですが、日付がちょうど13年前だったんですよ。
その旅は2012年の4月17日に出発したんですけど、日付も全く同じで、
それでこれはセミラジオで話せということかなぁと思いまして、 今回話そうと決めました。
こういうこと僕は結構ありまして、これもまたセミラジオ名物、 シンクロニシティ案件かもしれません。
そのヨーロッパ旅行なんですが、まず出発前の状況についてお話ししておこうかと思います。
2012年ということで、その前年、2011年は東日本大震災からの原発事故という状況があって、
僕を含めて日本に住む多くの人たちがショックを受けて打ちのめされていた時期かなぁと思います。
3月11日の当日は、僕は当時勤めていた山梨県の会社にいたんですが、かなり揺れまして。
山梨県の中でも地盤が弱い地域で、揺れの大きさは震度5強くらいでしたね。
外に出てみると信号機が折れ曲がったり、かなり広い範囲で停電が発生してました。
震源地から何百キロも離れた山梨県でもその状況だったんですよね。
停電でいろんなところで信号が止まっていたので、道路もかなり渋滞してまして、
普段だったら当時住んでいた実家まで30分くらいで帰れたんですが、2時間近くかけて帰ったような記憶があります。
実家までようやく帰り着いた時は一安心したんですが、実家で流れていたテレビの放送を見てみると、
当時政権中枢にいた枝野官房長官という人が画面に映ってまして、何やら緊迫したムードで喋ってるわけです。
何のことかなと思って注意深く聞いてみると、福島の原発がちょっと良くない状況ですということを言ってたんですね。
徒歩湖震源地とする地震とそれに続く津波によって福島第一原発が停電状態になり、予備電源のディーゼル発電機も流されてしまい、
核燃料の冷却ができていませんと、そういうことをその枝野という人が緊迫した口調で言っているわけです。
この時点ではそれが何を意味するかはあまりよくわかってなかったですね。 ただ相当まずい状況であることは枝野氏の口調からわかりました。
ただまあ僕はこの時点ではなんだか不穏な感じではあるけど、誰かが何かしら対応はしてくれるんでしょう?
みたいなことを思ってました。思考に全く具体性がなかったんですけどね。 でもその時の僕には世界に対する漠然とした信頼感があったんです。
ただ翌日以降、原発が立て続けに水素爆発を起こして、 縦矢が吹っ飛ぶという状況になりまして、その時こういうふうに思いました。
ああ、 世の中って自分が思うよりはるかに混沌としててめちゃくちゃで不安定なんだなぁって思ったんですよね。
世の中はめちゃくちゃで不安定で何が起きるかわからない。 ぼんやりと人任せに生きていて安心できるようなところではないから、
なんとか自分の足で立ってサバイバルしていかないといけない。 そういう自分の行動指針の基本というか世界観を持つことになったきっかけが
2011年3月からの一連の出来事だったと思います。 その翌年、2012年の僕はどんな感じだったかというと、まだまだ不安定でどうやって生きていったらいいのかわからずにいましたね。
いろんな問題や挫折なんかがあって泥の中でもがいてたような感じでした。 まだセミラジオもセミブログも始めてなかったですね。
2012年の4月に4年間勤めていた会社を退職して、 その直後にふと
一人でヨーロッパ行ってみるかって思ったんです。 唐突ですよね。いつも僕が何かをやり始めたり決める時って唐突なんですけど、この時もそうでした。
無意識化で気づかないうちに情勢されていたものがある瞬間意識まで昇ってくるということなのかもしれません。
まあ精神分析でなくとも、ここまで僕のお話を聞いてくださった方の中には、
ああ、当時のセミ山はいろいろと人生がうまくいかなくて、 その閉塞した状況を打ち破るために食糧法的な感じで、いきなりヨーロッパ一人旅に出たんだろうなぁ
と、ご想像される方もいらっしゃるかもしれません。 正解です。完全にそういうことです。
ヨーロッパ旅行の準備
今のところ何一つうまくいってないけど、自分の中には何かを実現できる力はあるんじゃないか?
それを信じたかったんでしょうね。 少なくともそれを自分に対して証明したかったんだと思います。
それを証明するためにはパック旅行ではなく、完全な個人旅行である必要がありました。
パック旅行が悪いと言っているわけでは全くなくて、 その時は僕自身が俺はヨーロッパに一人で行って帰ってこなければならない
という考えに取り憑かれてたんですよね。 その時点では海外旅行に行ったことがない上に、英語も一切しゃべれない状態で
ヨーロッパ一人旅に出発することを決めたわけです。 ヨーロッパにしたのはもともと一番行きたい地域だったからです。
いつか行きたいと思っていたところに今行こうと決めたわけです。 日程は約10日間でイギリス・オランダ・スペインの3カ国を回るというものでした。
今思うとなかなかハードな日程ですね。 今行くならもっと行く場所を絞ってじっくり楽しみたいなと思うんですが、
何せ初めての海外旅行でここは絶対行きたいという国が多かったんですよね。 ちなみに僕は未だにその旅がこれまで唯一の海外旅行だったりします。
2012年の4月17日早朝に実家までタクシーに来てもらって 山梨県の甲府駅という駅に向かいました。
ここから成田空港まで直通のバスが出てるんですよね。 3時間くらいバスに揺られて成田空港に着きまして、空港でチェックインを済ませていよいよヨーロッパ行きの飛行機に乗り込む時は
胸が高鳴りましたね。 高校の修学旅行で北海道に行ったんですが、飛行機に乗るのはそれ以来のことでした。
飛行機の席で隣り合った人と仲良くなってビールで乾杯とかしてましたね。 この時点ではなんだか楽しい旅になりそうだぞという感じで軽く浮かれてました。
で飛行機で11時間くらいかけてヨーロッパに向かったわけです。 エコノミークラスだったのでまあまあ席の圧迫感ありましたね。
小型のモニターが前の人が座っている座席の裏側についていて、 それで映画なんかを見て時間を潰してましたね。
で11時間かけてヨーロッパに着きまして、 ロンドンのヒースロー空港に着いたんですが、どんよりした曇り空で旅の始まりとしてはちょっと不安をかきたてられるような空模様でした。
イギリスのロンドン周辺って曇りやシトシトと雨が降っていることが非常に多くて、 一日中カラッと晴れた気持ちの良い日が続くことってあまりないんじゃないかと思います。
で実はこの時イギリスに移住して働いている友人に事前に連絡を取ってまして、 今度ヨーロッパ旅行行くから一緒に飯でも食わないみたいな感じで声かけてたんですが、
そしたらロンドンは物価高いしホテル代もったいないからうちのアパートに泊まりなよって言ってくれたんです。 旅費も節約できるしイギリスも以前から行ってみたかったのでぜひぜひという感じでした。
初めての海外旅行
それもあって最初の目的地をイギリスにしてたんですよね。 で、友人が指定した合流地点というのがヒースロー空港から電車で15分くらいのところにあるパディントン駅というところだったんですね。
そのパディントン駅にあるパディントンベアの銅像の前で待ち合わせしようという話になってたんです。 パディントンベアというのはクマのパディントンというイギリスの児童文学に出てくる帽子をかぶった可愛いクマのキャラクターなんですが、
少し前の回でお話しした池袋駅の池袋みたいな待ち合わせの目印に使われてるんですよ。 パディントン駅にはヒースロー空港に隣接した駅から乗り換えなしで行けるのでルートはシンプルなんですが、いざ一人で歩き出してみると思ったよりも簡単ではなかったです。
まずヒースロー空港に隣接した駅が結構広くて、どこをどう行けばパディントン方面駅の電車に乗れるかがいきなりわからなかったんですよね。
駅員さんに話しかけてどうにか向かうべき方向はわかったんですけど、それを聞き出すのも簡単じゃなかったですね。
というのはさっきもちらっと言ったんですけど、僕は当時も今も英語もこの後向かうスペインで話されているスペイン語もほぼしゃべれないんです。
ただ2種類だけ旅をするために覚えた言葉がありまして、
Where is どこどこ? ここはどこ? I want to go to どこどこ? 私はどこどこへ行きたい? この2つだけは覚えていったんですよ。
なのでこの時も駅員さんにI want to go to Paddington Stationを連呼したと思います。
で、「あっちだよ!」みたいな感じで教えてもらったんですが、すんなりは行けなくて駅の袋工事みたいなところに行きそうになっちゃったりして、
それを見た白人の集団に、「なんか変な中国人がマゴマゴしてるぜ!」みたいなことを言われてゲラゲラ笑われたりしましたね。
で、ようやくパディントン行きの電車に乗り込んで一息ついたんですけど、
周りを見渡してみると当然のごとく白人しかいないわけです。
自分が乗ってる電車の車両を見渡してもアジア系の人、僕だけなんですね。
ロンドンってアジア系の人もたくさん住んでると思うので、たまたまその時間帯、その車両には白人だけだったということだと思うんですけど、
ちょっとその時は震えましたね。
生まれてこの方、日本生まれ日本育ちで周りもほとんどそうっていう環境で暮らしてきたわけなんですが、
その時初めてそうではない地域、人種の違う人が多数派であるエリアに足を踏み入れたんですよ。
その時の衝撃は今も鮮明に覚えてますね。
そういう地域があるというのは知識としてはあったんですが、
実際自分が体一つでそこに足を踏み入れてみると、想像を遥かに超えるインパクトがありました。
で、電車に乗ったはいいんですけど、今どこの駅なのかも微妙によくわからなくて、
エクスキューズミー、すみません、みたいな感じで電車に乗ってる人に聞いたり、車内を通りがかった駅員さんに聞いたりしました。
駅員さんはパディントンイズネクストって端的に答えてくれましたね。
で、ようやくパディントン駅に着いたわけです。
ただパディントン部屋の銅像も、駅に着いたらすぐにわかるもんだと思ってたんですけど、
ロンドンの文化に触れる
微妙に目立たないところにありまして、見つけるのにかなり苦労しました。
最終的に自力で見つけるのを諦めて、ショップの店員さんにパディントン部屋、スタチュー、みたいにただただキーワードを連呼しまくって、ようやく場所を教えてもらいました。
このお店でも黒人の店員さんに軽く失笑されたりしてましたけど、それはもう仕方ないですよね。
僕も池袋で、池袋、石像、池袋、石像しか言わない人物に遭遇したら、笑いをこらえるのに苦労すると思いますから。
で、パディントン部屋の銅像の前でようやく友人と合流できまして、そこからは友人と一緒に彼の住むアパートに移動することになりました。
ロンドン市内をバスで移動したんですけど、初めて見るロンドンの街並みや風景にはかなり圧倒されました。
石造りの大きな建物がたくさん立ち並んでいて、どっしりとした重厚感のある重々しい街並みなんですよ。
あの街並みの迫力は日本で感じたことがないものでした。
夜は友人にパブに連れてってもらいまして、ここで僕は生まれて初めて本場イギリスのエールビールというのを飲みました。
イギリスのエールビールというのは日本の大手ビールメーカーが作っているスーパードライや一番絞りなどのラガービールとは異なるタイプのビールで、
長野にあるヤッホーブルーイングというビールメーカーが出しているヨナヨナエールというビールはそのイギリスのエールビールに日本風の解釈を加えて作られているものなんです。
ヨナヨナエール、最近だとコンビニでも結構見かけますよね。僕は大好きなんですけども。
で、本場イギリスのエールビールもヨナヨナエールみたいな感じなのかなと思って飲んでみたんですけど、ヨナヨナエールとは全然違ったんですよね。
日本でいわゆるビールとして提供されるものとも全く違ってました。
まず常温なんですよ。冷えてないんですよね。ぬるくて、しかもめちゃくちゃ苦いんです。ぬる、苦、まずって思いました。
イギリスには2泊3日滞在しまして、パブには2回行ったんですけど、2回目もやっぱりぬる、苦、まずという全く同じ感想をいただきました。
ただ不思議なんですけど、イギリスを離れる直前、ああ、なんかもう1杯ぐらいあのぬるくて苦いエールが飲みたかったなぁって思ったんです。
不思議な魅力のあるビールなんですよね。
パブを出た後は有名なウェストミンスター寺院やビッグベーンを見物しました。
ライトアップされて夜でも目立ってましたね。特にウェストミンスター寺院は間近で見たんですが、うむを言わせない圧倒的な迫力がありました。
美術館巡りの楽しみ
本当にすさまじい建築でしたね。
イギリス2日目は一人でロンドンの観光名所を回ってみることにしました。
最初に目指したのはロンドンの国立美術館ナショナルギャラリーです。
友人のアパートの近くからバスが出てまして、ロンドン名物の2階建ての赤いバスに乗ってトラファルガ広場というナショナルギャラリーの最寄りのバス停まで行くことができました。
イギリス初日の衝撃はかなり大きかったんですが、友人と会えたこともあって2日目は割と肝は座ってきてましたね。
ナショナルギャラリーには僕の好きなゴッホの絵が何枚か展示されてまして、有名なひまわりもここにあるんですよね。
ゴッホはひまわりの絵は何枚か描いていて、よく知られている花瓶に入ったひまわりの絵は7枚現存しているんだそうです。
それとナショナルギャラリーには美術の教科書なんかではあまり知られていないゴッホの2匹のカニという絵が展示されていて、実はここで見た絵の中で一番印象に残っている作品だったりします。
2匹のカニはその名の通り赤い甲殻を持った2匹のカニを描いた油絵で、1匹はうずくまり、もう1匹はお腹を上に向けてひっくり返っています。
落ち着いた緑色の背景と鮮やかな赤い色合いのカニのコントラストがとても印象的な絵です。
ゴッホはフランスの美術雑誌で紹介されたカツシカホクサイがカニを描いた浮世絵に影響されて、この2匹のカニを描いたと言われていて、日本とゴッホとの繋がりを感じられる絵でもあるんですよね。
ナショナルギャラリーに続いてはやはりアート関連の施設になるんですが、テイトモダンという現代美術館に行ってみました。
ここは使われなくなった火力発電所の建物をリフォームして美術館として使っているところなんですよね。
どんな展示やってるのかなと思って行ってみたんですが、ちょうどやっていたのが日本の現代アーティストの久様弥生展だったんですよね。
あれと思ったんですけど、せっかく来たので久様弥生展見ましたね。
ロンドンまで来て久様弥生展を見るというのも不思議な感じだったんですけど、展示自体はサイケデリックで刺激をもらえて面白かったですね。
美術館巡りの後は友人と合流して大英博物館に行ってみました。
見上げるように巨大なエジプトのオベリスクやイースター島のモアイ、ギリシャのパルテの神殿にあった彫刻など、他では見られないものすごい収蔵物を立て続けに見ることができて圧倒されました。
これらの収蔵物はイギリスが大英帝国と呼ばれていた時代、いろんなところから集めてきたものですね。
集めてきたというか、より正確に言えば強奪してきたんですよね。
もちろんそうでないものも収蔵されてるんですが、少なくとも今名前を挙げたものはすべて強奪したものですね。
ギリシャのパルテの神殿にあった彫刻というのはイギリスの貴族が現地の人を雇って建造物から削り取って持ってきたものですし、
大英博物館に収蔵されているイースター島のモアイも現地の人たちにとって特別な意味を持つ精神的なシンボルだったんですが、
オランダの独自性
これも当時のイギリス海軍がイースター島から強奪してきたものです。
2018年にはイースター島の代表団が大英博物館を訪れて、私たちのモアイを返してほしいと涙ながらに訴えるという意見もありました。
パルテノン神殿の彫刻もエジプトのオベリスクも各国から返還を求められてますが、それに対する大英博物館側の返答はこうです。
通常の条件に従い貸し出すことは考慮するが返却はしない。
うーん、通常の条件というのは何でしょう。
まあ、規定の料金を払えば貸してはあげますよ。返すことはできませんけど。
ということですよね。 それをどういう顔して言ってるのかは気になりますけどね。
まあ、それをフロントに立って言わされている人も返してあげたいのは山々だけど、僕も仕事なんだよね、と思ってるのかもしれませんね。
大英博物館はすごいものがたくさん見られるんですが、そういう複雑な気持ちにさせられる場所でもありました。
ヨーロッパ3日目はお世話になった友人に別れを告げて、次なる目的地であるオランダを目指しました。
ここから日本に戻るまで完全に一人で行動することになります。
イギリスは島国なんですが、海底トンネルでヨーロッパ本土とつながっていて、そのトンネルを通るのが特急ユーロスターです。
ユーロスターの切符はネットを使って事前に取っておいたので、時間通りに着けば問題なかったんですが、
うっかり降りるバス停を間違えまして、いろんな人に道を聞いて、最終的にはタクシーを拾って、時間ギリギリのところでユーロスターの駅に着くことができました。
この時も結構ハラハラしましたね。
で、ユーロスターでベルギーのブリュッセルまで行って、タリスという高速鉄道に乗り換えてオランダを目指しました。
このタリスという電車の車窓から見た風景、僕はとても印象的で、日本とは雰囲気の違う原っぱが広がっているのどかな景色が見られました。
何でもないと言えば何でもない光景なんですけど、あの時間とても印象に残ってますね。
意外だったのは、タリスの車内が洗練されて清潔感あふれるという感じではなかったことですね。
例えて言うならば、山梨東京間を走る中央本線の各駅停車の車両くらいの微妙にガタが来てる感じの内装でした。
今はわからないんですけど、当時のタリスに比べたら特急あずさとかカイジの車両の方がよっぽど洗練されて綺麗でしたね。
山梨近辺の電車の名前ばかり出してしまって恐縮なんですけども、まあその微妙にぼろっちい感じも親しみやすくて嫌いじゃなかったです。
別に不潔とか不衛生な感じではなかったですしね。 微妙に年季入ってんなぁと思ったくらいですね。
で、電車に何時間か揺られて目的地のオランダアムステルダムに着きまして、アムステルダムで宿泊するホテルはやっぱり出発前にネットで予約しておいたので空港からまっすぐホテルを目指しました。
アムステルダムで印象的だったのは道路の様子ですね。 町の中心を走る太い道をトラウムと呼ばれる路面電車が走っていて、これを使うと安く早く市内を移動することができます。
さらに驚いたのはあらゆる道に自転車用道路がしっかり整備されてるんですよ。 日本だと最近いろんなところで見かけますけど、もともと車道だった道の端っこに路面標識をペイントして申し訳程度に
こちら自転車専用道でございますってしてる道がとても多いんですが、そんなもんじゃなくて車道、自転車専用道路、歩道がきっちり分かれて整備されてるんですよ。
なので自転車乗ってる人ものすごく多かったですね。 オランダは自転車大国って呼ばれています。
それと町行く人の身長がとても大きいのも印象的でした。 オランダでは男性の平均身長が180センチ以上、女性で170以上あるということで、
僕が170にちょっと届かないくらいなのでかなり圧倒されましたね。 190センチ以上ありそうな人も少なくなかったですね。
で、オランダ初日は特に問題なく予約しておいたホテルにチェックインしまして、狭い部屋だったんですけど、どうにか無事にイギリスからオランダまでやってこれたなぁ
という安心感は大きくて、ようやく一息つくことができました。 オランダ2日目もイギリス同様、アート関連の施設をメインに回りまして、
ゴッホ美術館も行ったんですが、この美術館に行く途中、 ゴッホの絵画に出てくるような糸杉が立っているところがあって、
ゴッホもこういう糸杉を見て、それを彼独特の力強い絵柄で描いたのかなぁなんて想像を膨らませたりしましたね。
オランダ2日目は美術館以外にも飾り窓地区と言われるエリアに足を踏み入れてみました。
この飾り窓地区というのは、 合法的な売春婦の人たちが客を引いているエリアのことです。
そのエリアの建物はみんな大きな窓がついていて、 そこに下着姿の売春婦たちが佇んで客を待っているわけです。
オランダというのはそのあたりオープンな国なんですね。
アムステルダムの体験
まあ腰に手を当てて仁王立ちしている百戦錬磨のお姉さんたちがたくさん飾り窓の中にいまして、
僕はちょっと遠くから恐る恐る様子を伺うだけでした。
このあたりはアムステルダムの中でもそんなに治安が良くないところで、 ドラッグディーラーの人に声をかけられたりしましたね。
納銭給、納銭給と言ってすぐに立ち去りましたけど、 ヨーロッパ旅行中は防衛のためにパスポートは袋に入れて首から下げて服の中に入れておいたのと、
クレジットカードは念には念をで靴のインソールの下に入れてましたね。
幸いそこまで恐ろしい目には合わなかったんですけど。
そういえばこの飾り窓地区のあたりを歩いていた時、すれ違いざまに女性に
おう、チンって嫌そうに言われました。 チンっていうのはオランダ人の言う中国人や東アジア人に対する別称ですね。
そのすれ違った女性も見るからにヤバそうな人とかでもなく、ごく普通のオランダ人女性という感じだったんですが、
ごく普通の人がすれ違いざまにそういうことを言ってくるというのが逆に答えましたね。
あとはこれも飾り窓地区で歩いていたらかなり遠くから ヘイ、チンって呼ばれて手招きされました。
10代後半から20代くらいの若いオランダ人の男の子5人くらいのグループだったんですけど、
ニヤニヤしながらこっちを見てました。 手招きされたんですが方向転換して別の道を行きました。
追いかけてきたらどうしようかと思ったんですが、向こうもそこまではしてきませんでしたね。
行きの飛行機で隣に座っていたのが旅慣れた人で、その人からアドバイスをもらってたんですけど、
ヤバそうな奴がいたら道を途中で変えてでも近づかない方がいいよということを教えてくれてて、
なるほどと思ってその通りにしたんです。 正解だったんじゃないかと思いますね。
ヨーロッパ旅行に行く前って僕は結構ヨーロッパ美意気というか、ヨーロッパの文化やそれを生み出した人たちにかなり大きな憧れを抱いていたんです。
なんですけど立て続けにそういうこともあって、自分が抱いていた憧れや幻想と実際に自分が現地に来て体験したことの間には
かなりギャップがあるなぁと思いまして、少なからずがっかりはしましたね。
自分の憧れが大きすぎたということかもしれません。 今はヨーロッパや西洋文化というものに対して以前よりもかなりフラットに見ていると思います。
過度な憧れや幻想を抱くことはなくなりましたね。 オランダ3日目はユトレヒトーというオランダ第4の都市に行くことにしました。
ユトレヒトの訪問
ここにはディック・ブルーナハウスという施設がありまして、ミッフィの産みの親であるディック・ブルーナさんの記念館なんですね。
僕はミッフィの大ファンというわけではないんですが、 アムステルダムから電車で30分くらいで行けるということで、ちょっと行ってみようかなという感じでした。
このユトレヒトーはとても静かで落ち着いた雰囲気の石畳が広がる街で、 なんだか古き良きヨーロッパってこういう感じなのかなぁって思ったりしました。
歩いている人もそんなに多くはなかったですね。 で、ユトレヒトーの街をディック・ブルーナハウスを目指して歩いていると、
白髪で長髪のちょっとヨレッとした感じの服を着た人とすれ違いまして、 その人に話しかけられたんですよ。
何言ってるかよくわからなかったんですけど、 おそらくお金を少し恵んでくれませんかというようなことを言ってたんだと思います。
断ったんですけどね。断った瞬間、手のひらを返して罵声を浴びせられるというようなこともなく、 そこはちょっと安心したんですけど、その時僕
さあって呼ばれたんですよ。 エクスキューズミー、さあ、なんちゃらなんちゃら、みたいな感じで、 さあって英語で目上の人を立てる時の呼び方ですよね。
ホランダ人ってほぼ全員英語が話せるので、英語でさあって呼んでくれたと思うんですけど、 僕、後にも先にもさあって呼ばれたのこの時だけじゃないかと思いますね。
で、そのまま石畳の道を歩いてディックブルーナハウスに着きまして、 ミフィや犬のスナフィーなんかの可愛らしいキャラクターのイラストをたくさん見ることができました。
で、ディックブルーナハウスには塗り絵のコーナーがあって、 来館者の人たちが自由に塗ったミフィちゃんの塗り絵がたくさん飾られてたんですよ。
そこでスタッフのお姉さんにやってみませんか?みたいな感じで誘われて、 僕もミフィの塗り絵やってみたんですよ。
で、普通に塗るだけだと面白くないかなと思って、 ホランダ出身のゴッホにちなんで背景にゴッホの代表作の一つである
星月よみたいなタッチの夜空を描いたんですよ。 で、Like a Vincent Gohhoみたいな感じの適当な英語とともに、それをお姉さんに見せたら結構笑ってくれて、それは嬉しかったですね。
せっかくヨーロッパに来たのに、あまり現地の人とコミュニケーションらしいコミュニケーションをとれてなくて、 ちょっと寂しかったので、ここでのやりとりは結構記憶に残ってますね。
それとヨーロッパでは食べ物にも結構苦労しました。 もちろんいろんなものが食べられるんですけど、あまり日本人の体にあった優しい食べ物って見つけられなくて、 ホテルの朝食もパンがメインでしたし、この時点でご飯とか味噌汁が無償に食べたくなってました。
スペインの旅
で、ディックブルーナハウスを出て、そろそろ戻ろうかなと駅に向かってたんですが、 その途中でこじんまりしたバールみたいなお店を見つけたんですよ。
なんとなく引き寄せられるようにそのお店に入りまして、 中に入るとそのお店のお子さんなのか10代前半くらいの男の子が給仕をやってまして、 ヨーロッパのレストランってあんまり写真付きのメニューとかないので、
多分何らかのパスタだろうと思われるメニューとご当地のビールを頼もうと思いまして、 日本語っぽい発音でコーレンウルフ、コーレンウルフって注文するんですけど、全然通じないんですよ。
そしたらその男の子が何かに気づいたような顔をして、コーレンウルフって言ってくれたんですよ。 あ、ネイティブの発音それかーと思って、イエスと言ってようやく注文することができました。
あと注文関連の話で言うと、これは他のお店であったことなんですけど、水が飲みたくてウォーター、ウォータープリーズって言うんですけど、全く通じないんですね。
その時も何度か言ってたら相手が気づいてくれて、ワタって聞き返してくれました。 ワタなんですね、発音。ウォーターじゃダメでしたね。
で、僕が注文したパスタはサーモンとエビのパスタだったみたいで、それが出てきたんですが、そのパスタがヨーロッパ旅行で食べたものの中で一番おいしかったです。
自分の感性に合う静かな街の落ち着いたお店でゆっくりとパスタとご当地のビールを味わったこの時間は、とても印象深く自分の中に残ってますね。
オランダ4日目の朝は今回の旅の最後の目的地であるスペインに移動するためにスキポール空港に向かいました。
そして空港で小型機に乗ってスペインはバルセロナエルプラット空港に移動しました。
オランダの空港からスペインの空港に移動したわけです。
オランダスキポール空港は非常にきっちりした構造の都会的な空港だったんですが、バルセロナのエルプラット空港は窓から外を見ると赤ちゃけた土がむき出しになったエリアが広がっていて、あれと思いました。
同じヨーロッパでもオランダとはだいぶ雰囲気違うなぁと思いましたね。
スペインで宿泊する宿は事前に決めてなかったので、空港の係員の人に頼んでホテルをとってもらいました。
で、そのホテルに向かったんですけど、スペインってこれまで訪れたイギリス、オランダに比べると治安が悪い国ということは事前に知ってたんですね。
何かあったら嫌だなぁと思ってたんですが、スペイン到着後間もなくちょっとしたことがありました。
ホテルに向かって歩いていたら背中に軽い衝撃を感じて振り返ってみると口ひげを生やした若い男がすぐ後ろにいて走って逃げていったんですよ。
で、背中をよくよく見てみると背負っていたリュックサックにべったりとアイスクリームがついてるんですよね。
うわ、なんだこれ嫌がらせか?と思いつつ、仕方なくそのまま歩いていると前の方から小柄なスペイン人の男が歩いてきてアイスをペロペロ舐めながらなんか声かけてくるんですよ。
僕のリュックサックを呼びさしてなんか言ってて、で、あ、これはやばい奴だと思ってアイドンノーアイドンノーと言って足早に立ち去りました。
その男は僕が相手にしないもんだから、んだよちくしょうみたいなことを言ってたような気がします。
多分僕のリュックにアイスを塗りたくった奴と後から出てきたアイス舐めてた男はグルだったと思いますね。
一人がリュックをアイスで汚しておいて、もう一人が君リュック汚れてるよ、僕が拭いてあげようかみたいに親切そうに声をかけて荷物を奪うという手口だったんじゃないかと思います。
スペインは20代の失業率が50%近くあるということで、なかなか旅行者として行くには注意が必要なところなんですね。
スペインに到着した直後に洗礼を受けてしまったわけなんですが、荷物を奪われなかったのは何よりでした。
初日はその後、無事ホテルにチェックインして、2日目は僕がスペインを旅先に選んだ一番の目的である建築家ガウディの代表作、サグラダファミリア教会を見に行きました。
これは本当に凄まじい建造物で、着工から150年以上経った今でも未だに建築が進められているという未完の大作ですね。
この時、教会の内部に入ることができまして、ガウディらしい有機的なデザインの内装や色鮮やかなステンドグラスがとても美しかったです。
スペインでは4泊したんですが、主にバルセロナ市内に点在するガウディの建築を見て回ってましたね。
食べ物ではご当地の素材で作ったイカスミのパエリアが最高に美味しかったです。
スペイン料理は結構味が濃い目のものも多いんですが、お米の料理であるパエリアをはじめ日本人の口に合うものも多いんじゃないかと思います。
スペイン最後の夜はライブハウスでフラメンコを見ました。
薄暗い照明の中でエンジャーたちが情熱的に歌い踊る現地のフラメンコはとても見応えがありましたね。
そして長かったこの旅も終わりを迎える時がやってきました。
キロはバルセロナの空港からドイツのハンブルク空港を経由して成田空港を目指しました。
行きと同じく10時間以上を帰りの飛行機の中で過ごしながら、約10日間のヨーロッパ旅行のことをかみしめるように思い返してましたね。
ヨーロッパ旅行の振り返り
英語もスペイン語もほぼほぼわからない状態で、イギリス、オランダ、スペインの3カ国を回り、無事帰ってくるという、出発前に立てた旅の目標はどうにか達成できたわけです。
そのことは少なからず自信につながったと思いますし、いろいろトラブルもありましたけど、
思い切って行ってみたからこそ、今回こうやってお話しすることもできましたから、
やりたいと思ったことはやっぱり思い切ってやってみた方が面白いなって思いますね。
それ以来海外旅行は行ってないんですが、行ってみたいなと思っている国はいくつかあります。
ヨーロッパの国で言うと、今一番行ってみたい国はベルギーですね。
以前セミラジオでご紹介したベルギー絵画にまつわる場所にも行ってみたいですし、各地にあるという不思議なデザインの一般家屋も気になります。
たしたようなスタイルのベルギービールやムール貝やホワイトアスパラガスなんかの名物も味わってみたいですね。
3年に一度開催されるという記載猫祭りなんかも気になっています。
行くならベルギーだけで10日間くらい過ごしてみたいですね。
今便利な翻訳アプリやグーグルマップもあるので、以前行った時より苦労せずに旅ができるんじゃないかなぁなんて思ったりしています。
最後にこの配信に先立ってセミブログの方にヨーロッパ旅行について書いてますので、そちらもよろしければ概要欄からチェックしてみてくださいね。
旅行の思い出と感想
ヨーロッパ旅行で撮った写真なんかも多数掲載しています。
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今日は僕が以前行ったヨーロッパ一人旅についてお話しさせていただきました。
ご視聴ありがとうございました。
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