ナウマンゾウを中心に、かつて日本にいたゾウたちについてお話しました!
・日本はゾウの楽園だった!
・ナウマンゾウ巡礼の旅 in 長野
・「野尻湖人」を巡る攻防
・日本最大のゾウは三重県から!
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サマリー
ナウマンゾウは、4万5千年前の北海道に生息していたゾウの一種で、同時期にマンモスも存在していたことが紹介されます。また、現代のゾウの種類についても触れ、それらの特性が説明されます。ナウマンゾウは日本列島に唯一生息していたゾウで、約34万年前に大陸から渡来し、約1万5000年前まで存在していました。野尻湖では多くのナウマンゾウの化石が発見されており、その名はナウマン博士によって付けられました。ナウマンゾウの発見を通じて、野尻湖人の存在や日本各地の古代ゾウについての興味深い知識が深まります。このエピソードでは、ナウマンゾウの化石発掘に関する調査や、日本に生息していた他のゾウの種類についても紹介されます。ナウマンゾウとマンモスは日本各地で繁栄したが、1万5千年前から1万年前にかけて姿を消し、日本がかつてゾウの楽園であったことが考察されます。
ナウマンゾウの生息時期
みなさん、こんにちは。自然を愛するウェブエンジニア、セミヤマです。
今日は、ナウマンゾウと日本にいたゾウたちについてお話ししたいと思います。
本編の前に、前回までのセミラジオにいただいたコメントを、今回3つご紹介したいと思います。
まずは、ゆうせんさんに、富山マラソンチンドウチューwith牛若さんの回に、Xでコメントをいただきました。
富山マラソンお疲れ様でした。目標タイムに届かなかった苦味を少し感じながらも、走る喜びや楽しさが溢れている素敵な回でした。
100キロマラソンの回も楽しみにしてます。ちなみに、リチプアの佐野さんは、恋愛ドロドロの渦から少し離れた年長者という立ち位置でして、STKは違う人が笑い、とのコメントをいただきました。
ゆうせんさん、ありがとうございます。マラソン回、走る喜びや楽しさ、少しの苦味などいろいろなものを感じていただけたということで良かったです。
100キロマラソン回はいつになるかはちょっとわからないんですが、いずれ必ず配信したいなと思ってますので、気長に待っていただけると嬉しいです。
リチプアの佐野さんというのは、以前ふゆひこさん回にお寄せいただいたコメントでお話に上がっていたドラマ、リッチマンプワウーマンでの佐野志郎の役どころのお話ですね。
なるほど。ずっとあなたが好きだったでは、ふゆひこさんとして主役を食う勢いだった佐野志郎ですが、リッチマンプワウーマンではちょっと落ち着いた役どころなんですね。
そしてSTK、つまりストーカー行為は別の登場人物が行っていたということで、リッチマンプワウーマン、そういう不穏な要素もあるドラマなんですね。
というところで、ゆうせんさん、コメントありがとうございました。
続いて、前回のお便り会にナカチャンベイビーさんからXでコメントをいただきました。
お便り読んでいただきありがとうございました。
ゲームをした時間だけ走る×1キロ走ったら1時間ゲーム◯の間違いでした。
なんか見えっぱりみたいで恥ずかしい。質問も答えていただき感謝です。
水野のシューズ使われているんですね。次試してみます。とのコメントをいただきました。
ナカチャンベイビーさんは富山マラソン会にお便りを送ってくださってたんですが、
そちらのお便りの中でゲームをしたのと同じ時間だけ走ることを己に化しているというお話をされてまして、
普段どれくらいゲームしてどれくらい走っているのか内訳がすごく気になってたんですが、
こちらについて訂正をいただきました。
ゲームを1時間プレイしたら1時間走るのではなくて、ゲーム1時間につき1キロだったんですね。
つまりゲーム2時間やったら2キロ走るっていうことですよね。
なるほど。それならそこまで凄まじい負担ではないですかね。
これなら今週あまり走れそうにないからゲームの時間減らそうとか、そういう謎の調整の必要もそんなにはないかもしれないですね。
いやーそういうことだったんですね。
がてんがいきました。
僕からお勧めさせていただいたランニングシューズについても別のコメントの方でAmazonの欲しいものリストに入れていただいたということで、
こちらもうれしい限りです。
というところで、なかちゃんベイビーさん、コメントありがとうございました。
続いて、ボンサイニンジャさんからXでコメントをいただきました。
今日は朝から超なんとキラーカブトガニを見た。
先の読めない意外な展開の連続。
コメディだからこそのなんでもありかんで、なんかもうすごくすごい作品だった。
ラスターとても好きな終わり方だった。
超なんも楽しんでいたようで何より。
でも映画館に見に行く勇気は僕にはない。
とのコメントをいただきました。
ボンサイニンジャさんありがとうございます。
いやー前回のくわ畑さんからいただいたコメント以降、キラーカブトガニ見ました。
これから見ますというお声をちょいちょいいただくんですよね。
リスナーのさんせつこんさんもXでキラーカブトガニをレンタルされたと教えてくださいましたし、
ここに来てキラーカブトガニを見る方が急激に増えてますね。
ボンサイニンジャさんも息子さんもキラーカブトガニ楽しんでいただけたみたいで、
映画館に見に行く勇気は僕にはないということなんですが、
仮にキラーカブトガニの続編、
そう、キラーカブトガニ2が劇場公開されたときは、
ぜひ劇場に足を運んでみてください。
ただ、キラーカブトガニの続編が制作開始したというお話は、
今のところ僕の耳には入ってきてはいないんですけども、
というところでボンサイニンジャさんコメントありがとうございました。
ゾウの種類と特徴
それではそろそろ本編に行きたいと思います。
みなさん突然ですが、好きな動物っているでしょうか?
僕はいろいろいるんですが、
中でもこのセミラジオのメイン画像にも登場していて、
番組のアイコン的存在でもあるマンモスは特に好きな生き物です。
マンモスは約40万年前から4000年前まで、
ユラシア大陸、シベリア、北アメリカに生息していたケムクジャラのゾウさんですね。
僕ケムクジャラの生き物ってなんか好きなんですよね。
大型哺乳類であるサイも、原生種は毛がほとんど生えてない種類が多いんですが、
マンモスと同じ年代にはケブカサイという全身がケムクジャラのサイがいて、
マンモスと同じくシベリアの永久凍土から氷漬けの状態で発見されたりしてるんですよ。
マンモスもケブカサイも自宅にフィギュアがありまして、並べておいたりしてるんですけども、
マンモスが4000年前まで生息していたとさっき言ったんですが、
実はマンモスのほとんどの個体は1万年前くらいまでに絶滅しています。
1万年前というと長いように感じますが、実は生き物の進化の歴史という目線で言うとそんなに昔のことでもないんですよ。
というのは1万年くらいだと生き物が大きく進化したり、大きな変化があることってそんなにないんですね。
絶滅していなくなってしまうことはあっても、1万年で劇的に新しい種が発生することってほぼないんですよ。
例えば1万年前の人間と今の人間って文化はいろいろ変わってますけど、生物学的にはほとんど違いはないと思うんですよね。
1万年前のアフリカ像と今のアフリカ像もそんなに変わってないんですよ。
1万年だと生物が大きく進化するには短すぎるんですよね。
まあとはいえ僕を含めて一人一人の人間の主観からすると、1万年ってまあまあ長いとは思いますし、
うちのおばあちゃんは1万5千年前には生まれてたみたいですけど、という人もそんなにはいないと思うんですよね。
そんな近くて遠い1万年前までにマンモスという生き物はほとんどがこの世界から姿を消してしまったわけなんですけど、
ユーラシア大陸や北アメリカからマンモスがいなくなった後もロシアのウランゲリ島というところには4千年前までマンモスが生き残ってたんですよ。
4千年前というと日本では縄文時代中期にあたります。
またエジプトではギザのピラミッドが建設されてから少なくとも数百年以上は経っていたみたいです。
なので4千年前ってマンモスの最後の生き残りと縄文人とギザのピラミッドが一つの世界に存在してたんですね。
なんかすごいなって思いますよね。
何がどうすごいか明確には言えないんですけど、なんかすごいって思います。
で、ウランゲリ島では4千年前まで生きていたマンモスなんですけど、実は北海道にも2万年前くらいまでいたんですよ。
北海道のいろんなところからマンモスの化石が出てるんですよね。
つまり日本にもマンモスがいたわけですよね。
いやー今の北海道もすごく魅力的で行きたい場所なんですけど、2万年前の北海道もすごくいいですよね。
北海道の各地をマンモスがパオーンパオーンと言いながらのしのし歩いていたと考えるとめちゃくちゃワクワクします。
この北海道でパオーンと言っていたマンモスたちは4万5千年前くらいの頃にサハリンを経由して大陸から渡ってきたみたいです。
この頃、ユーラシア大陸、サハリン、北海道は地続きになってたんですね。
で、マンモスが大陸から渡ってきたこの4万5千年前という時期なんですけど、実はもう1種類のゾウが北海道には生息してました。
そのゾウの名前はナウマンゾウと言います。
4万5千年前の北海道にはマンモスとナウマンゾウの両方が生息してたんですよ。
いやー、すごくないですか、その状況。
タイムマシンがあったら今一番行ってみたいのが4万5千年前の北海道です。
4万5千年前の北海道に行って、当時生息していた巨大な狼やヒグマの攻撃にも耐えられる小型ポッドの中に入って、のんびりとマンモスやナウマンゾウの群れを観察してみたいなって思います。
ちなみに今現在、2024年のこの現在でも2種類のゾウが生息している地域というか大陸はあるんですよ。
原生のゾウは3種類いまして、まずアフリカゾウ、別名サバンナゾウとも言うんですが、
これはアフリカ大陸のサバンナ地域などに生息している世界最大の陸上生物で、体長6メートルから7.5メートル、肩までの高さが3メートルから4メートル、体重は最大で10トンもある巨大生物です。
アフリカゾウはアフリカ大陸各地のサバンナなどに群れを作って暮らしています。
そしてアフリカの森林地域にはマルミミゾウというもう一種類のゾウが生息しています。
マルミミゾウはその名の通り耳が丸くて、サバンナに暮らしているアフリカゾウよりもかなり小柄な体格をしています。体長最大6メートル、肩の高さが最大2.4メートル、体重が最大で6トンということでアジアゾウよりも小さいんですよね。
マルミミゾウは長年アフリカゾウの亜種とされてきたんですが、実は別種だったということで、近しい地域に暮らしていてもアフリカゾウとは遺伝的に交流することがないようです。
つまりアフリカ大陸にはアフリカゾウとマルミミゾウという違う種類のゾウが同居してるんですね。
原生のゾウではもう一種、アジアゾウというのがいまして、東南アジアやインドに広く生息しています。アジアゾウは体長最大6.5メートル、肩の高さが最大3.5メートル、体重が最大6.7トンになります。
アジアゾウはアフリカゾウに比べて人に慣れやすくサーカスなどで芸をしているのはこのアジアゾウなんですね。
また原生のゾウの中で遺伝的にマンモスやナウマンゾウに近いとされているのもこのアジアゾウの方だったりします。
原生のゾウに関してはその3種類がいるんですね。
ナウマンゾウへの注目
で、話をナウマンゾウに戻すんですが、実は最近まで僕はこのナウマンゾウという生き物にそこまで注目してなかったんですよ。
ナウマンゾウというと僕の中で真っ先に出てくるのがドラえもんの映画第一作
のび太の恐竜という作品です。恐竜の卵の化石を見つけたと大喜びするのび太に対してドラえもんが至極冷静に
恐竜の卵とわかる?ただの石ころかもしれない。化石だとしても古代のコノミかなんかかもしれない。ナウマンゾウのうんこかもしれない。
というセリフを言い放っていて、それがすごく印象に残っています。
なんでのび太がすごくワクワクしているのに谷底に突き落とすようなこと言うの?って思ったんですけど
結果そののび太が見つけた化石は首長竜の卵だったので、のび太と恐竜にはナウマンゾウは
うんこも含めて登場してないんですけども、ともかく僕の中ではごく最近までナウマンゾウといえばそのエピソードが一番印象に残ってたくらいだったんですよ。
あと日本のどこかに野尻湖という湖があって、そこでナウマンゾウの化石が発見されたということは以前読んだ古生物本で知ってはいました。
でもそれくらいだったんですよ。ただ最近ナウマンゾウについて色々と調べてみて、
実はナウマンゾウほど日本全域に生息して化石の数も多くて、日本列島に根差していた日本のゾウというのは他にいなかったということがわかってきたんですよ。
今回のセミラジオはこのナウマンゾウを中心にかつて日本に生息していたいろんなゾウについてお話しできればと思います。
ナウマンゾウの特徴
まずは今回の主役となるナウマンゾウについて基本的なところからお話ししたいと思います。
ナウマンゾウは約34万年前に当時陸続きになっていた大陸から日本にやってきました。
そして15000年前までこの日本に生息していました。
ナウマンゾウのサイズですが肩の高さが約2.5メートルから3メートルということで原生のアジアゾウより少し小柄でした。
昔の生き物って恐竜とか巨大なイメージがあるのでナウマンゾウがアジアゾウより小さかったというのは少し意外ですよね。
原生のゾウはアフリカのサバンナやアジアの熱帯ウリンなど暑い地域に住んでいて体毛が少ないんですが
ナウマンゾウは寒冷な地域にも生息していてマンモスのように全身に体毛が生えていたと考えられています。
牙はオスでは長さ約2.4メートルにも達しました。
牙の形はマンモスが大きくカーブを描いた特徴的な形をしているのに対してナウマンゾウも根元のあたりは緩やかにカーブしてるんですが
マンモスに比べると比較的まっすぐ前に向かって伸びていて並べてみるとはっきりとした違いがあります。
あと外見的な特徴で言うと頭蓋骨の形がかなり独特です。
マンモスが頭頂部、頭のてっぺんが盛り上がった山のような形をしているのに対してナウマンゾウの頭蓋骨は
昔ながらの日本家屋で見られる軒のように頭頂部が張り出しているんですよ。
別の言い方をすると頭蓋骨のてっぺんが平たい帽子とか角刈りの髪型みたいになってるんですよね。
これがナウマンゾウの大きな外見的な特徴で他の種類のゾウとは頭蓋骨が全然違う形をしてるんですよ。
野尻湖とコミュニティ
見た目に関してはそんな感じなんですがこのナウマンゾウ最初に化石が見つかったのは1867年神奈川県の横須賀でした。
その後ナウマンゾウの化石は明治政府に実質学の教師として雇われていたドイツ人のナウマン博士によって研究され1924年にはナウマン博士の名前をとってナウマンゾウと命名されました。
このナウマンゾウかつては日本中のいたるところに生息してまして最初に横須賀で化石が見つかって以来北北海道から南亜九州まで日本の各地から化石が発見されてるんですね。
僕の地元の山梨県でも化石が見つかっています。昭和59年、1984年には甲府市の緑ヶ丘スポーツ公園の東側を流れる藍川という川で葉の化石が見つかってます。
ゾウの果て、表面がギザギザの昔の湯たんぽみたいな特徴的なすごく目を引く形をしているので川に転がってたら普通の石とは違うなっていうのはわかるわけですね。
僕が住んでいる山梨県の全域にもかつてナウマンゾウがのしのし歩いてたわけですよね。そう考えるとナウマンゾウという生き物をものすごく身近に感じます。
もしかすると皆さんのお住まいのすぐ近くでもナウマンゾウの化石が発見されているかもしれませんし、まだ発見されていなくてもかつてはナウマンゾウが住んでいたかもしれません。
沖縄など南西諸島からはナウマンゾウと確定した化石は出てないようなんですが、他の種類のゾウの化石は沖縄でいろいろと発見されていますし、ナウマンゾウの化石も今後発見される可能性はあるんじゃないかと思います。
で、山梨県でもナウマンゾウが発見されたということで、それにちなんで山梨県甲府市にある県立広古博物館にはナウマンゾウの親子の銅像が建ってます。
僕はこの県立広古博物館に関しては子供の頃に行ったことがあるくらいで、ナウマンゾウの銅像があるというのも最近になって初めて知りました。
これは行かなければということで、先日早速山梨県立広古博物館にナウマンゾウの銅像を見に行ってきました。
車で行ったんですが、広古博物館入り口すぐのところにナウマンゾウ親子の銅像がデーンと鎮座してまして、全体に六肖によって和びた緑色になっていて迫力のある造形でかなり見ごたえがありました。
山梨県立広古博物館に隣接した海布土器農家曽根丘陵公園という大きな公園があるんですけど、ここには4世紀から5世紀くらいの間に作られた東日本では最大級の規模の古墳がありまして、
その古墳を含む40万平方メートルくらいの広大な地域がそのまま公園になっていて、その大きな古墳にも階段とかがついていて、歩いて登れるようになってるんですよ。
で、せっかく来たのでその古墳にも登ってきました。
4世紀か。ナウマン像がいた頃に比べると結構新しいな、とか謎の比較をしながら登ったんですけど、で、その巨大な古墳の頂上に立つとちょうど天気も良くて幸福の街が一望できたんですよ。
で、そんな気持ちの良い景色、日差しの中で周りを見渡してみると先に登っていた他の方たちと亀がいたんですね。
あれ、亀がいる。意外と足早いと思いつつ、その亀を見てたんですけど、その亀、その古墳の頂上に先に登っていたご家族連れの方たちのペットだったんですよ。
で、気になってなんて種類の亀なんですかと聞いてみたらロシアリクガメだって言うんですよ。
えっと思いまして、というのは僕がいつも楽しみに聞かせていただいている生物系ポッドキャスト番組
生物をざっくり紹介するラジオ仏作の第一シーズンでロシアリクガメを紹介されてたんですよね。
ポッドキャストの取材の一環で訪れて、たまたま登った東日本最大級の古墳の頂上にたまたまペットの亀がいて、それが仏作で紹介されていたロシアリクガメだったんだと思いまして
またしてもセミラジオ名物、シンクロニシティ発生かと、その古墳の頂上で静かに旋律してましたね。
で、ナウマン像についていろいろ調べる中で改めてナウマン像化石の一大山地である
野尻湖という湖の存在が自分の中ですごく大きくなってきまして
で、地元の方には本当に申し訳なく思うんですが、僕は最近まで野尻湖がどこにあるのかよくわかってなかったんですよ。
確認してみたら長野県の上見の地群、品の町にあるということで、長野県の北部、新潟県との県境近くにある湖だったんですね。
で、野尻湖の近くには野尻湖ナウマン像博物館というナウマン像の化石標本や復元像、ナウマン像がいた頃の野尻湖の環境について知ることができる施設があるということで、これはもう行くしかないと思ったわけです。
で、行く前にXでセミラジオ関連の取材で長野に行くかもしれませんとポストしたんですが、そうしたらなんと以前からお便りを何度も送ってくださっているリスナーのロンドンさんからこんなメッセージをいただきました。
セミラジオ、品の町というと例の博物館ですか?だとしたら私は小学生の頃に行ったきりです。もしご希望でしたら周辺含めてご案内しますよ。というありがたいお申し出をいただいてしまったんですよね。
ロンドンさんは長野が地元ということなんですが、セミラジオ関連の取材で長野県の品の町に行きますという情報だけで見事に目的地を言い当てられちゃいました。
で、そこからDMでやり取りをさせていただいて、当日僕が電車で長野駅まで行きまして、そこからはロンドンさんに車を出していただいて、初対面の2人による謎の震動中が始まりました。
ナウマン像巡礼の旅ですよね。この震動中、ナウマン像博物館以外にもいろんな場所にロンドンさんにご案内していただきました。まず最初に印象的だったのは蕎麦とうどんの自販機ですかね。
蕎麦とうどんの自販機って皆さん使ったことありますかね。
カップ麺とか缶麺の蕎麦が買える自販機じゃなくて、250円で蕎麦かうどんが選べて、ボタンを押すと熱々の蕎麦かうどんが出てきて、そのまま置いてある箸で食べるっていう自販機が長野にあるんですよ。
かなり古い自販機でロンドンさんによると日本全国で数十台くらいが稼働しているそうです。もともと長距離トラックの運転手さん向けに作られたものだったみたいです。
コンビニなんかがない頃は結構重宝されてたのかもしれないですね。で、自販機の横にある机と椅子にロンドンさんと二人で腰を落ち着けて蕎麦を食べたんですけど、味は250円にしては結構おいしいなと思いました。
天ぷらも乗ってましたね。衣が多すぎて何の天ぷらかよくわからなかったんですけど、そんな珍しい自販機で購入した蕎麦でお腹を満たして改めてナウマン像博物館に出発しました。
長野市から車で1時間くらいで野尻湖近くに到着したんですけども、ナウマン像博物館のすぐ近くにはやはりというかナウマン像親子の像が置いてあって、かなりリアルに造形されていてとてもいい感じで、きっとこんな風にナウマン像たちは野尻湖のあたりを歩いてたんだろうなぁと思いながら
写真を撮ってましたね。で、ナウマン像博物館に入りまして、実物大の化石のレプリカや一部実物のナウマン像の化石も見ることができて、その巨大さ迫力に圧倒されつつ来てよかったなぁとしみじみ思ってました。
ナウマン像の葉の化石の実物に触れるようにもなっていて、これもとても考え深かったです。
野尻湖では戦後すぐの1948年に地元で旅館を営んでいた方がナウマン像の葉、旧市の化石を見つけて以来、たくさんのナウマン像の化石が発掘されてきました。
どうして野尻湖でナウマン像の化石が大量に発見されるかなんですが、野尻湖は約7万年前に誕生し、それからずっと湖だったということで、かなり歴史が古い湖なんですね。
ナウマン像が日本列島からいなくなったのが約15,000年前ですから、ナウマン像が生息していた時代にも野尻湖は湖としてあったわけです。
で、何かの理由で湖に落ちてしまったナウマン像は、湖底に沈んで空気から遮断されることで、風化することなく骨などが保存され、そのまま化石となって大量に湖の底に堆積してるんですよ。
で、野尻湖は水力発電の関係で人為的に水位を下げることがあるんですが、そうするといつもは湖の水に使っているエリアが水位が下がって露出するんですよ。
野尻湖ではそのタイミングで発掘調査を行ってるんですよね。また野尻湖では野尻湖友の会という地域の人たちや日本全国で野尻湖の発掘に関心を持つ人たちのコミュニティがあって、そういう一般の人たちが中心となって発掘調査をしてるんだそうです。
野尻湖とナウマン像を中心にそういう活発なコミュニティが形成されていて、そういう全部の関係性を含めてすごくいいなって思うんですよ。
野尻湖人の痕跡
で、実はその野尻湖発掘調査団の人たちはナウマン像の化石だけを熱心に探しているわけではなくて、野尻湖人の痕跡を探してるんですよね。
野尻湖人とは何かというと、4万年前から3万年前頃に野尻湖の湖畔に住み着いて狩猟採集生活を行っていたとされる旧石器時代の人たちのことです。
野尻湖では野尻湖人の骨や足跡など直接的な証拠は見つかってないんですが、野尻湖人の存在を思わせる痕跡はいろいろと出ています。
まず石器らしきものがいくつも見つかってます。 またここで発見される動物の種類がかなり偏っているというのが間接的な証拠としてあります。
野尻湖で発掘される哺乳類化石のほとんどがナウマンゾーカー、同じ時期に生息していたヤベオオツノジカという体長2.6メートル、肩の高さ1.8メートルもあった巨大な鹿だったんです。
野尻湖は野尻湖人が集団でそういう大型の獲物を追い込んで倒す狩場だったのではないかと、野尻湖発掘調査団の方たちは考えてるんですね。
ただ、野尻湖人の存在については、実は諸説ありまして、野尻湖ナウマンゾー博物館の展示やホームページなんかを見ると、野尻湖人とはこういう人たちだったんですという内容が詳しく書かれてるんですが、
実は野尻湖に限らず、4万年から3万年前という時代に日本に人間がいたかどうかというのは、考古学者の間でも意見が割れているみたいです。
同じ日にロンドンさんに連れて行っていただいた都学市地質化石博物館では、ガイドの方に館内を案内していただいたんですが、その方は野尻湖人については割と客観的な目線で見られているようでした。
今の段階では、はっきりとした証拠もないし、定説とも食い違うので、想像の域を出てないですねというふうにおっしゃってたんですよね。
ナウマンゾー博物館では、野尻湖人はいたんです。石器も見つかってます。
骨や足跡など確実な証拠を今探しているところです。というような切り口の展示を目にして、同じ日に別の博物館では、石器らしきものであって、石器と確定はしてません。
今の段階では、野尻湖人というのは想像でしかないです。というお話を聞かせていただいて、
うわぁ、野尻湖人ってそんなことになってるんだ、と結構認識を揺さぶられましたね。
日本の古代ゾウの紹介
僕自身は野尻湖人に限らず、この日本でナウマンゾーと人が遭遇していた可能性はあったんじゃないかと思ってるんですけどね。
実際のところはわからないんですけど、出会っていたと考えた方が夢は膨らむし、面白いですよね。
で、ナウマンゾー博物館の後にはロンドンさんにロッジ風のレストランに連れて行っていただきまして、長野名物、熱々の焼きカレーを美味しくいただきました。
お店の雰囲気もすごく良かったですね。
そこからさらに移動して、都学寺神社に行きました。
ここは日本神話で天照大神が天の岩戸に引きこもった時、
タジカラオノミコトというパワー系の神様が岩戸を力づくでこじ開けてそのまま放り投げたそうなんですが、
その放り投げた岩戸が落っこちてきたのがその都学寺神社だったということみたいです。
そのため都学寺神社の御神体もそのタジカラオノミコトなんだそうです。
都学寺神社の奥は巨大な杉の木が連なる杉の並木道になっていて、石組の階段があるんですが、
これがかなり急でちょっとした低山を登っているくらいの負荷はかかってましたね。
なかなかの険しい道でした。
都学寺神社は初めて行ったんですが、圧倒的に大きい杉並木が神聖な雰囲気があってすごく良かったです。
続いてさっきも話に出た都学寺地質化石博物館というところに行きました。
ここでもナウマン像や古生物の化石をいろいろ見ることができました。
ここは廃校になった小学校の建物を再利用していて、理科室や教室として使われていた部屋がそのまま展示室になっていて、
そういうところも面白かったですね。
かなり古いものがいろいろと置いてある部屋があって、いろいろと見てみたんですが、
古そうな机の引き出しの中に赤髪が入っていたのが印象的でした。
旧日本軍が一般の方を軍隊に招集する時に送っていたという、あの赤髪ですね。
招集礼状って書いてある真っ赤な髪だったんですけど、怖くて写真も撮らなかったんですが、あれは本物だったんでしょうか。
レプリカにしては割と唐突に何の説明もなくそこにあって不穏な感じがしましたね。
それがすごく印象に残ってます。
で、その都学市地質化石博物館を後にしまして、長野駅まで戻って、
そこで今度はロンドンさんに長野駅近くのレトロゲームセンターに連れて行っていただきました。
こちらゲームセンター沖縄というところだったんですけど、
入り口の看板にゲームのキャラクターの画像が使われてたんですが、ニコニコ動画やゲームがお好きな方であればご存知じゃないかと思うんですが、
レッツゴー音名字の矢部の彦丸の画像でした。
入り口に矢部の彦丸をデカデカと掲げるゲーセンということで、
店内は非常に濃厚なレトロゲーム空間になってましたね。
ストリートファイター2、通称スト2やその時代の格闘ゲームの筐体がたくさん置いてありました。
僕とロンドンさんはそんないろいろあったゲームの中でも2人で虹色蝶の奇跡という90年代にカプコンが出したクイズゲームをちょっとだけ遊びました。
で、ロンドンさんがこれコナミじゃなくてカプコンなんですねとおっしゃるので、どうしてコナミだと思われたんですかと聞いたら、
トキメキメモリアルドラマシリーズの虹色の青春と混同されていたということで、話が噛み合うまでに若干時間がかかりました。
かなり高度な間違い方をされてて、それが逆に印象に残ってますね。
で、長野駅近くには全工事の総本山があるということで、そちらにも連れて行っていただきまして、
全工事もとても立派などっしりとした雰囲気の建物ですごく見応えがありました。
全工事は全国で使われている七味唐辛子の八幡谷磯五郎発祥の地で、お店の前に七味唐辛子の容器風の椅子や七味唐辛子のディスプレイがされた営業車とかもあって、
七味唐辛子のおしっぷりがすごかったですね。
で、観光も一息ついて、夜は長野のご当地の美味しいものが食べられる居酒屋にロンドンさんに連れて行っていただきました。
ホルモンの唐揚げ、ホルカラやラム肉のステーキ、ラムテッキなどご当地のおつまみ、どれも最高に美味しかったです。
長野の地酒もいただきまして、僕は普段そんなに強いお酒飲まないので、だいぶ顔が赤くなってたみたいなんですが、地元のロンドンさんは慣れていて、同じ量飲んでもシラフと全然変わらなかったですね。
そして、縁も竹縄になったんですが、僕は帰りの電車の時間も迫ってたので、ロンドンさんに駅まで送っていただきまして、お土産までいろいろといただいてしまいました。
ロンドンさん、今回は本当に最高に楽しい時間をありがとうございました。
リンゴバター、めちゃくちゃ美味しかったです。
バクコが作ってくれたホットケーキに乗せて食べたんですが、最高でした。
シャインマスカットのドライフルーツは美味しすぎて、開封して数分で完食してしまいました。
本当に今回はお誘いいただきありがとうございました。
長野でも山梨でもまたの機会にお会いできたら嬉しいです。
というところで、ロンドンさんからのありがたいお力添えをいただき、無事ナウマンゾウ巡礼の旅を終えることができました。
今回、ナウマンゾウという生き物だけの話ではなくて、ナウマンゾウの発見によって野尻子を中心にできた発掘コミュニティや野尻子人をめぐるお話など、
この旅を通していろんな流れを見ることができて、それが本当に面白く興味深かったです。
ナウマンゾウ巡礼の旅
今回ナウマンゾウと野尻子への巡礼の旅については以上になるんですが、
実はナウマンゾウやマンモス以外にも日本の各地で発見されたゾウが何種類かいまして、
最後にそれらのゾウをご紹介したいと思います。
最近発売された月間たくさんの不思議日本にいたゾウという本があるんですが、
そちらを資料に日本にいたゾウたちを時系列順にご紹介させていただきます。
まずは今から1900万年前に生息していたアネクテンスゾウというゾウの仲間ですね。
1900万年前ということで、もはや意味がわからないほど昔なんですが、
人類の祖先が類人猿と分岐したのが約700万年前ということなので、
まだ人類と呼べる存在はこの世界に出現していない時期の生き物ですね。
アネクテンスゾウは原生のゾウやナウマンゾウと違って、
上顎と下顎のそれぞれに2本ずつ合計4本の牙が生えてました。
で、体の高さは約2メートルということで、原生のゾウと比べてかなり小柄ですね。
このアネクテンスゾウが最も古い時代に日本に住んでいたゾウになります。
続いて、1800万年から1600万年ほど前にはシュードラチデンスゾウという発音しづらい名前のゾウが日本に生息してました。
その後の約1000万年くらいの間は、日本ではゾウの化石が見つかっていないゾウの空白期間が発生しています。
で、400万年前くらいになると、ようやくゾウの化石が出始めます。
この400万年くらい前に日本に住んでいたゾウがすごくて、ミエゾウというゾウがいたんですが、
最初に化石が発見されたのがミエケンだったので、ミエゾウと命名されたゾウなんですが、
このミエゾウ、全長8メートル、高さ4メートルということで、なんとアフリカゾウより大きいゾウだったんですよ。
日本で化石が発見された陸上哺乳類の中で最大の生き物がこのミエゾウなんです。
すごいことだと思うんですよね。
今のアフリカゾウより大きなゾウが日本に生息してたんですよ。
このミエゾウは中国で化石が出ているツダンスキーゾウと近縁か同じ種だと考えられています。
大陸と日本が地続きになった時にやってきたんだと思います。
このミエゾウなんですが、ミエケン総合博物館ミエムという施設に巨大な復元骨格が展示されていて、ここもいずれ行きたいなと思っています。
さらに時代が進んで200万年前くらいになるとアケボノゾウという体の高さが2メートルくらいの小柄のゾウが日本に住んでました。
このアケボノゾウはあの巨大なミエゾウが日本の環境に適応して小型化したものと考えられています。
ちなみに高さ4メートルのミエゾウと高さ2メートルのアケボノゾウの間に高さ約2.5メートルの八王子ゾウという種類もいました。
名前の通り東京の八王子市で化石が発見されたゾウなんですね。
60万年前くらいになると東洋ゾウというゾウが大陸から日本にやってきてたんですが、この東洋ゾウは日本に生息していた期間はそんなに長くなかったようです。
東洋ゾウという名前の割には日本がしっくりこなかったのかもしれないですね。
そして34万年前には満王子して大陸から日本に我らがナウマンゾウがやってきます。
その後4万5千年前にはマンモスも大陸から北海道にやってきました。
ナウマンゾウとマンモスの生息
その後数万年に渡りマンモスは北海道、ナウマンゾウは北は北海道、南は九州まで広く生息し繁栄したんですが、
1万5千年前から1万年前にかけてナウマンゾウもマンモスも相次いで姿を消し今に至ります。
ということで、途中ののじり子でのロンドンさんとの沈道中のお話を挟みつつ、ナウマンゾウを中心に日本にいたゾウについてお話ししてきましたが、いかがだったでしょうか。
もともとはケムクジャラで巨大で圧倒的存在感のあるマンモスが僕は好きで、
ナウマンゾウというのは無数にいる古代生物の一種くらいの認識しかなかったんですが、今回調べてみて思った以上にナウマンゾウは日本という土地に根差したゾウだったんだなということを感じました。
のじり子を中心としてナウマンゾウから始まった発掘コミュニティもあるということで、今を生きる人たちにも大きな影響や刺激を与えているゾウでもあるんだと思います。
今回ナウマンゾウという生き物が自分の中でとても大きな存在になったと感じてます。
皆さんにもナウマンゾウという生き物の魅力や、日本はかつていろんなゾウが生息するゾウの楽園だったということをお伝えできたらいいなと思い、今回の配信をさせていただきました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。 セミラジオではお便りを募集しています。
Xのハッシュタグセミラジオや概要欄のフォームからお送りいただけると嬉しいです。 今回はナウマンゾウと日本にいたゾウたちについてお話しさせていただきました。
ご視聴ありがとうございました。
55:13
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