介護と善意のコントロール
どうも、ボブです。今日は介護の話をしたいんですけれども、今日はちょっと怖いタイトルですが、「善意で敷き詰められた支配」っていうような、その中にいる高齢者っていう話をしたいんですけども、
まぁちょっとどういうこっちゃって思うかもしれないんですが、
まぁあの、善意、よかれっていうことで、あなたのためよ、あなたのためよっていう形で、どんどん知らぬうちに、やってる側も気づかないうちに、相手を支配、コントロールしているっていうことって思い当たりませんか?
なんかね、介護の仕事をしていて、ケアマネージャーなんて特に、あなたのためよと、このまんま行くと足腰が弱くなって動けなくなるかもしれないよっていう恐怖心を与えながら、デイサービス行きましょうねとかね、もう施設に行きましょうとか、いろいろ提案をするわけですよ。
で、これがある意味、本人の選択肢をもしかしたら狭めてるかもしれないし、本人が別に望んでもないことを、よかれという善意で、仕事だから何かこうこちらもしないといけないっていうことで、
本人の意図と全然違う方向に、人生の舵を切らせてしまっていることってあるかもしれないって思うんですよね。そういう危機感と恐怖心と、恐怖心というかね、そういうリスクを秘めているんだよっていうのを自覚しながら、僕たちも仕事をしないといけないなって思うんですよね。
思えば、このよかれ、人の善意から来るコントロールっていうのは、もう幼い時から始まってると思うんですよね。危ないからこれやめなさい。僕も散々危ない危ないって言われてきました。
もう超未熟時代生まれて800gぐらいで生まれたので、もう大事大事に、もう風邪でもひいたら大事。体も弱いから大事大事に育てられてきたんです。それ自体が悪いわけじゃないんです。もうありがたいことなんですけど。
でもそうされすぎると、どんどんどんどん自分の存在欲求みたいなものがどんどんちっちゃくなってくるような気がするんですよね。どうせ自分にはできないんだっていう劣等感を生むかもしれない。そういうリスクもはらんでいる。
幼い時からそういうふうに、善意で大人の善意で、そして社会の善意でいろんな物事が決められて、自分で本当の意味での意思決定ってできてなかったかもしれないなと思うんですね。
これ賛否両論あるかもしれないんですけど、この小児の注射って予防接種ってあるじゃないですか。あれってこの健康とかの話でどんどん調べていったり本を読んだりしていくと、やっぱりこの予防接種自体も病気の予防をしましょうねっていうことで、皆さん当たり前のように母子手帳。
母子手帳でやるようになってますけど、これ打たないといけないの?いつまでにしないといけないってもう散々焦ってね、奥さんと話しながら病院連れていかないととかやってましたけど、これ本当に本当に必要かっていうのを問いてる方、ドクターの方たくさんいるんですよね。
その予防接種が何のためにあって、どんなリスクがあるのかっていうのもあんまりもう言われなくなって、今もう当たり前になっちゃってるんだけども、昔はお薬の被害っていろいろ出てたんですね。
今まで予防接種打ってない状態の時で急に予防接種が始まって、いろんな被害が出ました。最初強制だったんですが、もうあんまりやっぱり強制にしてしまうと責任が国に発生しちゃうので、もう強制ではありませんよっていうふうに今もなってるんですよ。あくまで任意で推奨してるだけですよっていうそんな体なんですね。
それって責任をもうかぶせられちゃ困るからっていう部分も一つあると思うんですよね。そんな感じで、善意でどうぞってなってるんだけども、結局のところ、裏ではその薬を作ってるところが儲かってたりとか、お医者さんたちが儲かってたりとか、そういう構造ってどうしてもあるんですよね。
でも決して悪意でやってる人たちなんていないんですよ。良かれと思ってみんなのために病気を一人でも減らすために使命感を持ってみんな看護師さんとか保健師さんとかやってくれてるんですよね。
だからこれをちょっと否定するようなことを言っちゃうと、また荒らぬ方向で議論がなってしまうわけです。でもそういう仕組みってたくさんあるなと思ってですね。最近のワクチンのことについてもそうだし、添加物とか人工甘味料のこととかこれもやっぱりあんまり知られてないんですよね。
もう今では結構言われるようになったんだけども、昨日僕も訪問して高齢者のご家族の方と話をしてたら、塩ってやっぱりそんなスーパーで売ってる生鮮ってそんなに良くないの?
とか、あと添加物においても、もう添加物盛り盛りの食べ物を食べて、そして発がん性と言われるものを、いろんな発がん性の物質に入っているものをたくさん食べていて、がんにならないようにしないとって言っているこの矛盾な状況って多かれ少なかれ皆さんあると思うんですよね。
がんになりたくない、妊娠症になりたくないって言うんだけれども、実際やっている生活はむちゃむちゃそれにまっしぐら進んでいるような食生活と生活習慣、ストレス、そういうのをたっぷり抱いて生活している方ってたくさんいると思うんです。
こういうのに気づくっていうことがやっぱり大事だと思うんですよね。気づいたときにようやくフラットになると思うんですよね。選択肢がこう見えてくる。自分でこっちの方向とこっちの方向とこっちの方向と他に選択肢があるんだ。予防接種拒否していいんだとかですね。
そういうので実際拒否する場合も結構勇気がいるわけですよね。なのでそういう部分から自分の自己を取り戻していくっていうのってあるんじゃないかなと思うんですね。
こういうののずっと積み重ねで結局高齢になって病気になって介護になって施設に行くっていう決断をせざるを得ない。でも最後の決断でその施設に行く決断すら自分で決めたものではないっていうことが起こり得るわけですよね。
直感と自分の意志
施設に入ったら入ったで入った中の生活も自分でこうしたいああしたいっていくら言ってもただのわがままになってしまうわけですよね。ちょっと待てよと死ぬまで生まれてから死ぬまで本当の意味での自分のわがまま。わがままじゃない本当の自分の意思っていうのを出せないまんま人生終わってしまうっていう。
そういう方って結構いるんじゃないかなと思うんですね。
このいつの間にか良かれあなたのためよっていう風な形で本人に判断決断をする余地を与えない状況をずっと作っていったとするとですよ。
善意で良かれって言ってんだからそれを拒否しちゃったら自分ひどい人じゃないですか。拒否なんてできないんですよ。一択しかできなくなっちゃうんですよ。
なのでそれをずっと続けていってると。
親に対して学校の先生に対して会社に対して世の中社会ご近所さんに対して
同じようにみんな良かれという善意を押しつけてくるんだけれどもそれを全部間に受けて受け取ってしまうと
いつの間にやら劣等感っていうものを自分で育ててしまうことになると思うんですね。
本当は本来の自分はもっと自由なんだけれどもそっちに行けないということでの劣等感。
自分は自分で決めたものじゃなくて相手に決めてもらうのが当たり前という固定観念をずっと育んでしまうことになるんですよね。
いざ高齢になってケアマネージャーが聞きます。あなたのしたいことは何ですか。
本人の意向を聞きますが誰も答えられません。
言うたら僕たちだって将来の夢がありますかとか何か今やりたいことありますかなんて聞かれたとしても
別に今そんなに今そんなすごいね渇望しているわけじゃないし何かに困っていることないんで別にないですっていう感じになる方多いと思うんですね。
でも自分で何かこうやりたいこととかってなかなかこう作り出せないだってそんな習慣今までなかったんだから
でその中でどんどんどんどん自分と本来の自分と今の意識の自分等が乖離していってでもどうにもできない。
高齢になったらもう娘息子の方が強いんですよ。自分がどんなに主張してももう言いくるめられてねもう頭もボケてからとか言われて
もう何も言い返せないまま人生終わってしまう本当にこれでいいんだろうかって思うんですよね。
でも娘その高齢者の娘さん50代とか40代とかそのくらいの段階の人たちからあれちょっと待てよ今のお父さんお母さんたちの年代を見て病気になっている人たちとかたくさん見て
自分たちも身の振りを考えないといけないと思うんですね。今までのようにやってていいんだろうか本当に今の自分たちはここを目指してるんだろうか失礼ながら
すごい部分もたくさんあるんだけれどもでもこのなんでこんなに病気になっているのかっていうのを見ていくとそこは真似したくない真似したいとこはたくさんあるけどここは真似したくないな
じゃあ何が良くなかったのかな次の世代はそうやって考えていかないといけないんじゃないかなと思うんですよね
この善意良かれあなたのためよすごく危険だと思うんですね怖がる必要はないんだけれどもまず自分で判断する自分の腹で腹に落とし込んで本当にこれ自分が望んでるのかな
誰かがいいよって進めたとしても自分はどうなんだろう僕がやってる調走診断や調心セラピーっていうのは常にお腹に効くんですよねお腹で自分の感情を察知するっていうことができるようになってくるのででお腹に意識する習慣をつけていくと
なんかこう自分の頭ばっかりで考えてたことが直感だったりとかお腹自分の体自律神経と結びついて判断できるようになってくるかもしれないなんかこれは嫌だから少なくとも選ばないなんてことができるようになってくるかもしれないと思うんですね
感情がずっと残り続けているそれがずっと溜まって雪だるま式のように大きくなっているというのがあるんですよねなのでほんと善意っていうものが自分に迫ってきたらちゃんと自分のお腹や直感で決める
誰かに気を遣ってとか誰かのためにそこは 自分のためを優先してほしいんですね
長くなっちゃいましたけどもしねそのお腹について興味ある方は まあのコメント欄に長とか書いてくれたらですね
あの長相診断というの無料でどんなもんかですねあの自分でお腹触ってもらって やってもらうということができますので興味ある方は面白いのであのぜひ
お声掛けください じゃあご視聴ありがとうございます