科学的介護の現状
どうも、ボブです。今日はですね、介護の話をしたいと思うんですけれども、
科学的介護って聞いたことありますか?これは、今日はですね、介護の、あのね、働いてる人たち向けかもしれないですけれども、
科学的介護っていう言葉がね、数年前から介護業界でもよく言われるようになってきました。
科学的根拠っていうのが求められるようになってきました。
今後は、このAIとかを使って、ビッグデータを収集した上で、このデータを元に、
あなたはこういう生活をした方がいい、こういう目標で、こういうふうな支援を受けた方がいいだろう、
っていうようなのが導き出されるようになってきます。
とはいえ、選択肢はいろいろね、こちら、ケアマネージャーや本人、家族で選ぶことはできるにしても、
一応、ベースの根拠としては、AIさんとかの力を借りていく、そんな形になるんじゃないかと思うんです。
そっちの方向に今動いてるんですよね。数年前からデイサービスとか、ケアマネージャーはまだないんですけど、
LIFEっていうものがあって、ビッグデータをいろいろ収集しているところです。
今、デイサービスの状況だったりとか、訪問・介護だったり、施設だったり、
こういう場合はこういうふうな支援が必要だとか、ニーズ・課題が浮上してくるだろうとか、
そういったのをいろんなデータを収集しながら、AIを使って、ある程度普遍的な答えを出していってるんだと思うんですよね。
言ったら平均値みたいなものが出されていくことになると思うんです。
こういう傾向が多いから、今後、このLIFEっていうのを活用する場合に、
今のお体の状況とかを打ち込んだら、パッと答えが出てくるみたいなね。
その答えというのは、ビッグデータで数年収集したデータをもとに、
こういう方たちはこういう傾向があるから、こういうふうな対策をしたほうがいいでしょうね。
そういうふうな答えを導き出してくれる。
それはとてもいいことだと思うんですよね。
科学的根拠への疑問
AIをどんどん使っていったほうがいいと思います。
ただ、今日話したいのは、科学的、科学というものに盲信してしまっている僕らは信者になってしまってるよね。
以前ちょっとこういう話もしたんですけれども、
僕たち自身が科学というものをどう捉えるかみたいな、
それによってなんというか、AIさんが出した答えは正しいから、
もうこうしないといけませんよ、みたいなね。
科学的に根拠があるんだから、あなたこれに従いなさいよじゃないですけど、
そういうね、ちょっと傾向になってしまうんじゃないかなって思うんですよね。
でもこれも働く人の意識次第だったりすると思いませんか。
さっき言ったように、普遍的な答えしか結局出されてないわけですよね。
本当の意味での例外的な個別的な話っていうのはそこに盛り込まれてなくて、
一般的にはこうですよぐらいしか出せないわけですよね。
こういうライフみたいな厚労省が進めているものではなくて、
例えばGPTのような、個人情報が入っても問題ないような、
そういうAIがあるとしたら、そういうのもあるんですけど、
それで個別的にいろいろ情報を入れて、答えやヒントを出してくれるっていう、
そういう方法もあるとは思うので、どっちかというと、
もうそっちの方が正確に出せるんじゃないかな。
普遍的な答えを出されたって、それはそうだよな、それはわかってるんだけど、
ぐらいの答えしかもしかしたら出ないかもしれないなと思うんですよね。
今、デイサービスとか施設とかでライフを使っている事業所の方々はどう思いますかね。
今ライフで出てきた答え、いろいろ出てきていると思うんですけど、
なんだこれ、別にAIに頼まなくてもわかるよ、みたいな答えが出てきてないかなって思うんですよね。
僕が予防栄養学っていうのを学んだ時に、お金をかけて勉強したわけですよ。
その時に思ったのが、僕は科学的根拠を求めて、この予防栄養学を学んだんです。
科学的根拠って言ったら、裏付けがちゃんとあって、論文だったりとか研究があって、実験とかいろいろやった上で、
これは大丈夫だという答えがあるから信頼して進められるなと思って勉強したんですけど、
はたまたやってみると、この論文、ここで教えられる答えはこうだったとしても、
科学的根拠がこうだって言って、本当だなって思っても、別の先生、別の論文から引っ張り出した答えは全く正反対の答えだったりするわけですよね。
コーヒーが体に良いのか悪いのか論争だったりとか、あと16時間断食が良いのか悪いのかとか、
そういうのって、いろいろな見方で違うわけですよね。
ワクチンが良いのか悪いのかとか、どっちも科学的根拠があるって言うわけですよ。
ちょっと待ってと、僕はですね、一つの答えを、コナン君は真実は一つって言ってますよね。
真実が一つなんだったら、それで科学的根拠として、その科学的根拠って、その真実は一つを導き出すものだと思ってたわけですよ。
でも、結果そうなってなかった。
だったら、ああなんだ、科学的根拠なんて何の根拠もないじゃないかと。
一応一つの側面で、扱う人によって、こっちに持っていきたいっていう人によって、論文が変わってくるし、
そして論文も複数あるわけだから、ある見方、いろんな見方によって答えが変わってくる。
個別性、コーヒーが良い人もいれば悪い人もいるんです。
だから一つを信じて、これだって思ったとしても、私には合わない、なんで私は良くならないの、そんなことが出てくるんですよね、兵役で。
なので、科学的根拠を一つ信じたとしても、何の答えになっていないっていう。
これを逆に、分かった上で使うんだったらまだいいんですよね。
分かった上で、こういう、この一方の見方からすればこうだから、じゃあもう一方の別の論文もあるよと。
そっちの見解から見たらどうだろうか。
感性を重視した介護
そういうふうな考え方ができる方だったらいいと思うんですよね。
いろんな道筋を知ってる。
でも、僕ら介護職、いろんなことに関しては、全てにおいてはパーフェクトじゃないわけですよね。
こうじゃなかったらこう、そういう答えが示されてないまま、
ライフというAIさんとかのビッグデータを使った答え、一つにすがるんだったら、
もうすごく偏った見方になってしまうと思うんですね。
今後は、そういう何かにすがるとか何かを信じる、そこをよりどころに支援を進めていくというよりも、
自分たちの互換を感じて、相手をどう見て、どう感じて、
自分がそれに対してどう動くのかっていうのをしっかり考えられるという、
考えるじゃないな、感じて動ける職員が増えることが大事なんじゃないかなと思うんです。
あれ、何かおかしいなと思っても、あ、でもこういう風になってるからこうだ。
今までそういう方多くなかったですか。
こういう風に決まってるから仕方ない。
そうじゃなくて、あれ、おかしいぞって思ったら、おかしいよね。
じゃあどうしたらいいんだろうということで、いろいろね、いろんな方と話して、
コミュニケーション能力、そこは人間の力ですよね。
そこをみんなと話して、今まではこれだったけれども、新しい答えを導き出していくみたいな、
その時にAIさんを使ってもいいと思うんですよね。
いろんないくつかのパターンとか方法を導き出すためのAI、
そういう感覚で僕らは捉えていかないと、ある一つを感じて、一つを信じていくと、ただの宗教ですよね。
ただ自分たちが、もう本当はあのライフの答え以上に考えられる頭と感性があるのに、
それを捨てて一つの答えにすがってしまうなんて。
今の発展していっているAIと、そのビッグデータを収集して平均的な答えを導き出したAIじゃ、
全くまた質というかね、やっていることが違うわけですもんね。
それを分かった上で扱っていく。
あくまでAIやその作能的な論理的なものっていうのは、
それを扱う側にならないといけないんですよね。
感性とかそういった右脳的な発想の方で、この論理的な部分、作能的な部分を操作して使っていく、
道具として使っていくものなんだけれども、この道具が全てだと思ってやってしまうとおかしくなってしまう。
そう思うんですよね。これはもう介護に限らずそうなんだけども、
僕たちは本当にその感性とかいう部分を、本当にしっかり育んでいくことが大事で、
外国人の労働者の方、すごく丁寧で優しい方多いです。
その感性の部分を日本人として僕たちはどうちゃんと教えてあげられるか、
それも大事になってくると思うんですよね。
言葉一つ、所作一つ、僕たち自身ができてないなんてことも多々あると思うんで、
そこもお互い振り返りながら、もっとより良くなっていけたらなと思います。
今日はAIだったり科学的根拠で、結局それに振り回されちゃって根拠がなくなってしまうよね。
それより大事なことってあるんじゃないかな、そんな話をさせていただきました。
あくまで僕の主観だと思ってください。
科学的根拠やライフ自体を否定するものではないつもりでお話をしたのでご了承ください。
ではではご視聴ありがとうございます。