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どうも、ボブです。
今日は、幸せそうな認知症と、辛そうな認知症についてお話しします。
今回は、完全に僕の主観だと思ってください。
これが完全に正しいとは思わないでください。
介護の仕事をしていると、この方、認知症だけど、なんか幸せそうだよね〜っていう人います。
いるんですよ。
そして、この方、大変だな〜っていう方、辛そうだな〜っていう方、やっぱりいるんですよね。
本人も家族も辛そうだな〜って、そういう方います。
で、その2つを、2人を比べてみた時にですね、あれ?って思ったことがあったので、お伝えしたいと思います。
その前に、いつもですけど、毎回事例を簡単に出す時はですね、実際の話と結構変えてるんです。
伝えたいことだけで伝わればいいと思っているので、個人情報の観点からですね、内容はいろいろ変えてお伝えします。
本人が聞いても、誰のことか分からないようにしてますので、ご了承ください。
まず先に、辛そうにしてる年長の方。
女性、おばあちゃんなんですけど、この方、昔はですね、もうすごく頑張り屋で、今も同じように頑張り屋さんなんですね。
子供が4人もいて、家事をしながら自分も仕事に出て、
ご主人さんもいましたけど、ご主人さんももう仕事で忙しい時代ですよね。
かつ、お金もせっせと貯めてですね、少しずつ少しずつ貯金もしながら、自分に厳しいタイプの方だったですね。
でもですね、必死に頑張ってきたにもかかわらず、騙されて、人がいいからでしょうね。
騙されて、お金盗まれてですね、お金に苦労するんです。
そして、人を簡単には信用しないとか、もうちょっと疑い深いようになったわけですね。
そしてお金にすごく取られまい、もう次は取られまいと、もうお金にはシビア。
さあ、その後どうなったでしょうか。認知症になってですね、そうなると財布を取られたとか、誰か泥棒が入ったとか、とにかく怯えて怯えて過ごすんです。
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みんながこうなるわけではないんですよね、きっと。
財布がないとか取られたとかいう方が、みんなこうやって昔お金のトラブルがあったわけではないんですよね。
なので、お金云々とかではなくて、その前に何かですね、
物、お金も含めてですね、物やお金の執着心があるとかですね、
人を信頼できなかったり、漠然と将来の不安がすっごく強い人、こういう方は根本的にはもう劣等感、劣等感があるんですよね。
その奥には恐怖心、そういった漠然とした恐怖心があるような方、
こういった方が認知症になった時に、こう、辛そうな、お金がないって不安になったり、そういう認知症になってしまうんじゃないかなっていう僕の仮説です。
これはアドラー心理学を勉強してた時にちょっと思ってたんですけど、
こういった恐怖心、劣等コンプレックスがある方っていうのは、
自己肯定感が低いというか、自己需要、自分を受け入れるということができていないっていうふうにアドラーは言ってたんですね。
まあ、なんかこんな言ったらちょっと失礼な言い方かもしれないですけどね。
あくまで仮説なので、自己需要っていうものができてなくて、自分を好きになれない、人を信用できない、常に不安がある、そういった方なのかもしれないと思ってるんです。
ではでは逆に、明るい幸せそうな認知症の方はどんな方だったかっていうと、
普段車椅子でですね、細くてちっちゃいおばあちゃんです。
で、いつもにゃんにゃんにゃんにゃん、猫ですか?っていうぐらい。
いつもにゃんにゃんにゃんにゃん、にゃんにゃんにゃんにゃんってテーブルを叩きながら叫んでるんです。
でもそれがね、かわいいんです。
にゃんにゃん言いながら笑ってるんですよね。笑い顔で。
こっちを指差して、ははははって笑うんです。失礼なんていう。
さすがに意思疎通はできないです。会話もまともにはできないです。
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にもかかわらず、まあかわいい。
この状態となると、在宅ではないんです。施設におられる方なんですけどね。
ご家族に、昔どんな方だったんですか?って聞くと、決して猫が好きだったわけではないそうです。
このにゃんにゃんは未だに謎です。
今ここまでなる前の段階もですね、
お家にいる時も、わりと認知症があったとしても物取られたとか、そういったことは言ってなかったそうです。
そして、新聞の記事を切り抜いて、で、なんかノートに貼っていくことが、なんか後でこう、時代を確認したいのかわからないですけど、そういったノートを作るのが好きだったみたいなんですね。
それが認知症、どんどん進行していくと、新聞のちっちゃい字の、ちっちゃい字を一文字一文字切って、もう無数のちっちゃい新聞紙の塵が集まって、それを爪楊枝で刺して、
ノリをつけてノートにペタペタ貼っていくという作業を永遠にやり続けるっていう、もともとは何かを作ってたんでしょうけど、ひたすら爪楊枝で刺してノートに貼るという作業を永遠と楽しむっていう。
本人ももしかしたら、認知症になっていく過程で、いろいろ不安になったりとかしたかもしれないんですけど、でも、なんかいつの間にかなってたみたいな、そんな感じかもしれないです。
家族も、え、認知症になってたの?っていうぐらい、いつの間にかなってたそうです。穏やかに穏やかにずっと生活し続けて、気づかないうちになっていたという、すごいなっていう方なんですね。
じゃあ、お若い時ですね、性格的にはどんな方だったんですかって聞くと、母からは怒られたことがないです。
いつも穏やかで口調も優しい、そして人の悪口は言わない、聞いたことがない。
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そして時間に追われるような生活ではなく、忙しくはしてたけれども、なんかこうカリカリ、せかせかしてたわけではないようなんですね。
若い時のこの方に会ってみたいなって思うんですけどね。
ということは、あんまり劣等感とか自己肯定感が低いとか、そういったのとはまたちょっと違うような方なのかなっていうふうに思ったんです。
ただですね、どちらが良いとか悪いとかいうことでは決してないです。
過去の生活状況が何というか、性格的にもずいぶん違う、両極端のような、そんな方だからこそですね、なんか感じるものがあったんですね。
このおばあちゃんは施設でもかわいいかわいいって言って、職員さんからみんなから、言葉悪いですけどかわいがられてるような、そういうおばあちゃんですね。
家族もちょこちょこ来てくれる。
幸せそうな認知症とつらそうな認知症の方。
この表現も勝手に僕が主観で言ってるだけで大変失礼なことなんですけれども、ただ皆さんどう思われたでしょうか。
僕はですね、認知症に因果関係があるかどうかはもう分かりません。
それは別としても、やっぱりアドラーが言ってたような、劣等コンプレックスから抜け出して自己需要ができるようにする、そういった心の持ち方を早めにするっていうことは大事なことじゃないかなとは思います。
では今日はこの辺にさせていただきます。ご視聴ありがとうございました。