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どうもボブです。
今日はお金について、最近考えさせられることがいろいろあったので、お伝えしたいと思います。
遺産相続のトラブルっていろいろ聞きますよね。
仕事をしていても、介護の仕事をしててもですね、家族とかでいろいろそういった話も聞きますし、
自分の親族でもそういったことってやっぱりあるんですよね。
なんか思うんです。お金のトラブルの中で一番悲しいことだなーって。
そもそもお金って感謝の気持ちを形にしたもの。それがお金でしょ。
物をもらって、あーよかった助かった。じゃあこのお金どうぞありがとうって渡すもんですよね。
お金をもらう側は、自分の知識とか、自分の持っている物とかで役に立ってもらおう、喜んでもらおう。
そういったことをして、そしてありがとうねーっていうことでお金をもらってるわけですよね。
じゃあ遺産相続ではどうなっているのか。
お父さんやお母さんが子供のために残ったお金をこれで使ってもらって困らないようにしてもらおう。
仲良くしてもらいたい。今までありがとうね。そうやって残してくれたお金なんですよね。
それを私はもらってない。私の方が少ない。
俺はもらってない。あいつの方がもらってる。
それって俺の方が感謝されてて当然だ。
私の方がいろいろしてあげたんだから感謝されて当然だ。
当然だ。当然だ。当たり前だ。
当たり前の権利だ。
なんでこういうふうに考えてしまうんでしょう。
お客様に対して、こんだけしてやったんだから金くれよ。
こんだけか。足りねーよ。
そんな定員さん嫌ですよね。
感謝の気持ちの塊を残してくれたお父さんとお母さんを天国で泣いてますよね。
どういう心境なんだろう。
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毎日お父さんお母さんに手を、例えば手を合わせてありがとうありがとうって仏壇にこう拝んでるような人とか。
毎日子供も一緒にいて幸せに生活しているような家庭。
そういった人たちが急にお金が私はもらってないもらってないって争うだろうかって思うんですよね。
わかんないわかんないけど。
逆に満たされてない人。
なんかこうもうお父さんお母さんに感謝するどころじゃなく生活が苦しくてお金に苦しんでたり楽しみとかがなくて孤独で寂しいそういった状況の人。
そういう心の欠乏感があるような人が急に私はもらってないもらってないって言い出すのかな。
本当の意味でご先祖様を感謝するっていう気持ちがあるのであればこんな争い起きるんだろうか。
お金は感謝の気持ちを形に表したものだっていうそういう意識がある人がこういう争い起こすだろうか。
せっかく最初はお父さんお母さんからもらった綺麗なお金がこうやって争って
すごい感じになってそんなのをもらったとしても幸せになるような気がしません。
そしてさらに孤独が深くなっていって
もしね孤独で悩んでるとしたらもっと孤独になってもっとお金もなくなって
せっかくのお父さんお母さんの気持ちはもうみんな忘れてしまって
家族みんなバラバラになってしまうようなそんなことになっちゃうんじゃないのかな。
マジでやめてくれって。
でも今までだったら家族をどうにかしようと必死こいていろいろ話したりしてたかもしれないけど
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アルフレッド・アドラーの言う通り課題の分離
自分の心の持ちように意識を集中する
それしかできることってないんですよね。
相手は変えられない。
少なくとも僕自身はその中に足を踏み入れない。
ご先祖様に感謝する。
綺麗なお金の使い方をしよう。
改めて心に決めました。
今日もご視聴ありがとうございます。