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  2. ⑥欧米人から見る:部下として..
2025-09-04 34:55

⑥欧米人から見る:部下としては優秀だが、リーダーとしては弱い日本人の特性

今回のテーマは、「欧米人から見る:部下としては優秀だが、リーダーとしては弱い日本人の特性」についてです。

このテーマを考える上で、次の問いがありました。

・外資企業の「日本法人トップ」ではなく、その企業の「グローバル本社トップ」として、世界中の従業員を率いている日本人がいないのは何故か?

・その逆である日本企業の経営トップを外国人が担う例は存在します


このギャップは、一体何を物語っているのか。


本エピソードは、欧米から見た日本人のビジネス特性について考えます。


私たちは、欧米人よりどのように見られているのか、国際社会でリーダーシップを発揮するために何が必要なのかを探ります。是非、お聞きください。


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・『世界から見る日本』は、世界から見た日本はどう映るのか、他国はどうなのかといったことを比較しながら、より良い日本へのヒントを探り、世界から見る日本といった視点をリスナーの方々と共有する番組です。


・ナビゲーター: ゆき 海外在住歴30年以上、現在オランダ在住の日本人コンサルタント


『世界から見る日本』という視点が気になる方、是非こちらを聞いて戴けたら嬉しいです。

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サマリー

このエピソードでは、欧米人が日本人に抱く印象や、その背後にある文化的特性について探求しています。部下として優秀である一方、リーダーシップに欠けるとされる日本人の特性がどのように形成されているのかを考察しています。また、特にリスク回避や意思決定の遅さがビジネス環境にどのように影響を与えるのかが議論されています。

日本人の印象と文化的背景
世界から見る日本へようこそ。
グローバル社会と言われている今、世界各国との距離が近くなったように感じる一方で、
皆さんは日本が世界にどう見られていると思いますか?
この番組では、世界から見た日本はどう映るのか、各国はどうなのか、といったことを比較しながら、
より良い日本へのヒントを探り、世界から見る日本、といった視点をリスナーの方々と共有していきます。
番組のお相手は、海外在住歴30年以上、現在オランダに住み、日本とオランダを結ぶコンサルタント業を営んでいる私、ゆきです。
今回のテーマは、欧米人が思う、部下としては良いが、リーダーとしては弱い日本人の特性、という題でお届けしたいと思います。
欧米人と仕事をする上で、彼らが日本人に持っている印象はどういうものがあるのか、
また、それらの特性を生んでいる背景には何があるか、といったことを考えていきたいと思います。
私は長年仕事で、欧州で働く日本人社員向け、あるいは日本企業に買収された欧米人社員向けの異文化ビジネス研修を行っています。
どうすれば効果的に日本人社員とコミュニケーションが取れるのか、などを学ぶ欧米人向けの異文化ビジネス研修では、毎回必ずある質問からスタートします。
それは、日本人社員の印象はどんなものがありますか?と聞くと、欧米人の社員の人々はポジティブなフィードバックとして、
彼らは礼儀正しいし、勤勉に働く、感情の起伏がないよね、と。
物事の詳細に関して最新の注意を払う。
何事にも丁寧だし、衝突を避けて和のある環境を作る。
彼らは情報のまとめや分析を体系的に行うことができる、そして品質を大切にする、などが挙げられます。
皆さんも聞きながら、そうそう、そうだよね、と思われているかと思います。
一方、多くの欧米人から馳せられた日本人へのネガティブフィードバックにはどのようなものがあるでしょう?
コミュニケーションが曖昧。
明確に脳と表現しない。
自己表現が不十分で人前で話すのが苦手。
働きすぎて他の人にもそれを期待する。
上下関係を意識しすぎてリスクを避ける傾向が強く、意思決定が遅い。
必要以上に物事の最新に注意を払う、などがあります。
中にはポジティブとネガティブフィードバックは表裏一体ということがわかりますね。
物事の詳細に関して最新の注意を払う、はちょっとずれると、必要以上に物事の最新に注意を払うになってしまいますし、
衝突を避けて輪のある環境を作るは、明確に脳と表現しないに繋がる部分はあります。
今日はこの中のいくつかの印象について、それらの印象を生んでいる背景と他国とはどう違うのか、などを例にお話ししていければと思います。
コミュニケーションの課題
まず日本人の印象でよく挙げられるのは、
コミュニケーションが曖昧、明確に脳とは言わない、輪を重視する、というコミュニケーションに関することですね。
皆さんは、なぜ我々がこのように世界に埋められているのかということを考えたことはありますか?
ネットなどで見ると、よく言われているのが、日本は農耕社会であったがゆえ、協働作業や協調が必須で、集団内の輪を乱さないことが強く求められるとか、
謙虚、謙遜という、自分をあえて低くし、相手を敬うという美徳的文化価値観だとか、
日本のコミュニケーションは言葉そのもので、それはできません、NOと表現するよりも非言語的メッセージ、
困った顔をしながら、うーんと俯く、考える様子を相手に見せることで、相手にその困った様子の空気を読み取ってもらい、
ああ、きっと無理かもと思わせる、といったことなどが挙げられます。これらのことすべては影響していると思うものの、
そしてまたその一つに、日本が島国であるという地理的特徴が、日本人のコミュニケーションに与えている影響もあります。
今でこそ、外国からの移民が若干増えてきた日本ですが、基本的には日本という国は、移民が少なく、日本人率が高く、
これを証明するが如く、日本にいる移民の方の割合は、2024年度のデータで3%弱です。
ちょっと大雑把な表現をすると、日本にいるのは基本的に日本人ということですね。
となると、日本ではだいたい似たような教育方向、似たような文化的背景、習慣を持っているもの同士でのコミュニケーションがほとんどとなります。
多くの日本人にとって、海を渡らない限り、自分とは異なる教育、文化的背景、習慣を持っている人と日々コミュニケーションをとる、といったことはありません。
これがヨーロッパとは異なる点です。
なぜなら、ヨーロッパは地続きで複数の国家により構成され、南北に200km走れば、そこには異なる国が現れ、そこでは異なる言語、異なる文化的背景、習慣を持っている人たちが住んでいます。
そしてEUとなってからは、EU加盟地域に住んでいる人たちは、EU域内どこの国でも働き、住むことができるので、オランダにいながらルーマニア人、ギリシャ人、スペイン人と日々話すことも多いという状況があります。
だから、海に囲まれている島国日本と比べて、圧倒的に異なる民族と接する機会が多いのです。
当然ながら、これら各国、それぞれの言語、文化的背景、習慣も異なるので、皆ほとんどの場合、共通言語である英語を通じて、言葉を尽くしてコミュニケーションをとっています。
あいまいな表現などをすれば、あなたは何を意図しているの?それはどういう意味?と聞かれます。
したがって、異なる文化背景のある人たちとは共通したベース、つまりは共通した言語、教育、文化的背景がないため、
イエスかノーか直接的、明確なコミュニケーションをとり、そこに誤解が発生するチャンスをいかに少なくして、お互いの意図を理解しようという努力を必然的に欧州人は身につけているというわけです。
加えて、大切なポイントとして挙げられるのが、欧州人のコミュニケーションには、やはり伝えたいという意志がこもっていて、言葉を発する自分がコミュニケーションにおけるインセンティブをとって、相手に伝えるという行為を能動的に行う特徴があります。
日本人は忘れがちですが、欧州人にとっても英語は多くの場合、自分の母国語ではありません。
そのような判例があるからこそ、自分のメッセージを能動的にあらゆる言葉を尽くして伝えないと伝わらないという実感が欧州人にあるからこそ、日本人と比較すると直接的で明確なコミュニケーションスタイルになるのです。
一方、日本人はというと、どうしても日本人にありがちなNOとは言わないけれど、
うーん、難しいね、と言いながら腕を組み、頭を傾け、この難しい状況をわかって、という受け手側に自分が発するメッセージの解釈を委ねる、感じ取ってもらうということを無意識にしてしまうことがあります。
それは、異なる文化背景を持った人たちと話す機会が圧倒的少ない日本人、そして日本語以外の言語を使う頻度が欧州に比べて圧倒的に少ない日本では、
教育環境の違い
当然、前にお話しした明確にNOと言わない、空気を読むというコミュニケーション、受け手側に自分のメッセージの解釈を委ねるコミュニケーションを取っていても問題は起こりません。
それは、日本人みんなが共通したベース、つまり共通言語、教育、文化背景を持った人々同士でコミュニケーションを取っていることで、自分が言葉でNOと言わなくても、相手がその意図をあなたの表情、動作から感じ取ることを習慣にしている日本人が相手だから成り立つコミュニケーションとなっているわけです。
しかし、このような受け手側に自分のメッセージの解釈を委ねるコミュニケーションは、欧米人には理解しがたく、欧米人の日本人に対するコミュニケーションが曖昧といった印象に繋がってしまうことがあります。
次に、自己表現が不十分、人前で話すのが苦手という点について考えたいと思います。
自己表現と一言で言っても、色々ありますよね。
言葉での表現から、ある作品を通じての表現など、人は様々な表現方法があります。
しかし、ビジネス環境で考えると、やはりその人の発言ということが自己表現の主とあるものとなり、人前で話すのが苦手という日本人の印象が欧米人にはやはりあるようです。
日本人と欧米人とのコミュニケーションは、主に英語である場合が多いと思うのですが、その中でも、話す、聞く、書く、読むと4つのコミュニケーション手段の中で、日本人は何が一番苦手だと思いますか?
やはり日本人として一番苦手なのは、話すという行為ではないでしょうか。
会議での発言が少ない、プレゼンテーションはスライドに書いてある内容を読み上げているだけ、など、欧米人からよく言われます。
書く、読むといった作業は、時間が与えられていれば、AIやら翻訳ソフトで十分対応できるのですが、その場での会話のキャッチボールを、英語で、しかも意見を出し相手を説得、など、その場、瞬時に対応することは、たとえ準備をしていても、日本人にはハードルが高いことかもしれません。
ここで少し、私の子供たちを見て気づいたことをお話ししたいと思います。
私には、小学校5年生になる10歳の次女がいます。
彼女は月曜日から金曜日までオランダの学校に通い、そして土曜日には日本語補習校へ行き、日本語を学んでいます。
そして、日本語補習校からの夏休みの宿題として、好きな本の紹介、誰に勧めたいかという課題が与えられ、自分の好きな本について紹介し、なぜその本が好きなのか、また誰にその本を紹介したいか、そしてなぜその人に紹介したいかと思う理由などを、
原稿用紙に書き、先生に提出する課題が夏休みにありました。
まあ、いわゆる読書感想文の変形版といったところでしょうか。
皆さんもよく覚えがある夏休みの宿題だと思います。
一方、彼女はオランダの学校でもこのような読書感想系の課題があります。
しかしオランダでは、読書感想発表となっています。
だいたい小学校3年生くらいからこれが始まります。
なんと、パワーポイントのプレゼンテーションを駆使しながら、クラスの前に一人で立ち、
担任の先生がパワーポイントをプロジェクタースクリーンに移し、
生徒はプレゼンテーションのスライドの指示を先生に出しながら、
本の作者について語り、内容紹介をし、本の一部を音読、
なぜ自分はこの本が好きなのか説明し、
クラス全員が自分の読書発表をしっかり聞いていたことを確かめるため、
最後は質問を3点出し、答えを発表するため手を挙げるクラスメイトを指し、
その子の答えを聞いて、当たり、はずれなどを言いながら、
10分程度のプレゼンテーションを終えるといった内容です。
日本の読書感想文とは異なる形です。
もちろん、パワーポイントの作成は、はじめは保護者が手伝ったりします。
でも、自分が発言する内容をパワーポイントのプレゼンテーションに全て書いている子なんていませんし、
それを読み上げるだけなんてことをしたら、先生からの評価も良いものとはならないでしょう。
加えて、プレゼンテーションを終了すると、最後に担任の先生から、
はい、クラスのみんな、ミヤさんのプレゼンテーションはどうだったでしょう。
フィードバックと発表の重要性
3つのポジティブフィードバックと、3つの建設的ネガティブフィードバックをお願いします。
と言い、クラスの子供たちが手を挙げ、
ミヤちゃんの音読は抑揚が効いていて聞きやすかった。
とか、いまいちなぜこの本を選んだのか伝わらなかった。
とか、発表した子はクラスの前に一人で立ちながら、
正直で、時には辛辣な子供たちからのフィードバックを浴びさせられるのです。
これを毎年1,2回。
年齢が上がると、読書感想発表だけに限らず、
自分が選択したテーマについて発表する機会も出てきます。
ここでポイントなのが3点あると思います。
まず1番目に、全員参加であること。
それぞれがパワーポイント発表を用意し、
先生が何人かを指し、その指された数名のみが発表ではなく、
3週間くらいかけてクラス全員が発表すること。
したがって発表を避けるということはできません。
2番目に、これが原稿用紙に書いて提出する読書感想文ではなく、発表であること。
クラスの前に立ち、自ら発表の内容、話すテンポ、スライドの移り方など、
自己監督が必要なこと。
そして3番目、これがグループ作業での発表ではなく、1人での発表であること。
次条の日本語補修授業校では、去年学級新聞作りという課題発表があったのですが、
これは3人でチームを組み、それぞれの担当紙面があり、
3人でクラスの前に立ち発表するというものでした。
でも、オランダの小学校での読書感想発表は、1人で行い、
クラスメイト間のフィードバックを正面で受け止める形になっています。
昭和平成に教育を受けた者として、自分が1人でクラスの前に立ち、
自分がまとめた内容を発表するといった記憶が、
多分大学までなかったような気がする私としては、
このオランダ小学校の課題の取り組みについて、なるほどなぁと思いました。
小学校3年生から、このように人前で発表しているオランダ人と、
ほとんどそのような機会がなく育ってきた日本人となら、
当然ながらその後のビジネス環境の場でも、
自己表現が不十分とか、人前で話すのが苦手と言われてしまうのも最もだと。
小さい頃から人前で話すことを100千年間の欧米人と、日本人では全く違います。
しかも母国語以外で人前で話すとなればなおさらです。
でもそれは多くの欧州人も一緒ですね。
彼らだってビジネス環境では、ドイツ人、フランス人、イタリア人、オランダ人でありながら、
母国語ではない英語を駆使してコミュニケーションをとっています。
欧米人のプレゼンテーションには写真や図が多く、テキストは少なめで、
何かを読み上げるプレゼンテーションなどなく、
みんなその場ですらすら話をし、プレゼンを行います。
そしてこれはオランダに限ったことではなく、
デンマークやドイツ、そして他の欧州諸国でも、
小さい頃から人前で発言をするという教育を受けてきたものと、
レポート的に提出しているものとは、やはりその差は埋められないと思いました。
リーダーシップとリスク回避の関係
部下であれば、様々な情報を体系的に伝える報告書作成が上手いことは重宝されますが、
リーダーには、やはり周りに伝える力が必要です。
そして今では、AIが発達し、いろいろな調べ物が簡単にできる時代となっています。
しかしその情報を、取捨選択、そして伝え方、あるいは発言の仕方にこそ、
その人の性質、考え方が出るため、それを磨く教育は必要であるとも痛感します。
それでは、欧米人が往々にして感じる、日本人はリスクを避け、意思決定が遅い、というのはどうでしょう?
なかなかビジネス上での例を挙げても、その業界にいないと理解できないことがあるため、
多くのリスナーの方に、欧米人が感じるこの日本人の印象をどうお伝えしたら、
皆さんになるほど、と少しでも実感を持っていただけるだろうかと悩みました。
そして少し乱暴な例なのかもしれないのですが、
どの年齢のリスナーの方も理解できる例として、次を考えましたのでお伝えしたいと思います。
もし皆さんが、欧米人とヨーロッパのどこかにハイキングに行くとします。
そうですね、例えば、皆さんがフランスの企業を訪問して、そこに勤めるフランス人やイタリア人、ポーランド人などから、
せっかくフランスに来たのだから、フランスの自然を味わうためにハイキングに行きましょうと先方が提案してくれたので、一緒に行くことになりました。
山や川のあるハイキングを先方が考えてくれて、
普段運動していない人でも歩けるような3時間コースをGoogleマップで探し、みんなでスタート地点から歩くことにしました。
どんどん歩くと、少しずつ山の中に入り、山の間を流れる川などが横に見えてきました。
そして少し時間が経った頃、大きな川を渡る吊り橋のような場所にたどり着きました。
そこからの景色はとても素敵なので、吊り橋を渡るために並ぶ人も多く、
人は写真を撮りながらゆらゆら揺れる吊り橋をゆっくり渡るため、列は一向に短くなりません。
その吊り橋は多くの人が渡るたびに結構な揺れを見せていて、
日本人のあなたは、この吊り橋大丈夫なのかしら、なんて思い始めています。
もう10分くらい並んでいるでしょうか。
それでもまた吊り橋を渡るまで時間がかかりそうです。
日本人のあなたは、あと何分くらいこの場所に立って並んで待っているのかな、なんて思い始めています。
そんな瞬間、吊り橋の方からキャーッと叫ぶ女の人が声が聞こえ、
吊り橋にいる人たちはざわざわし始めています。
誰かが足を踏み外したようです。
でもあなたは列に並んでいるので、いまいちその吊り橋の様子がよく見えません。
そこであなたは一緒にいるフランス企業の同僚に、
あの吊り橋って何の材質出てきてるの?
アルミ?スチール?と聞いても、
知らない。ここからはよく見えないよね。
なんて呑気な回答。
こちらの不安を全く意味に返せずといった感じで、日本人のあなたはないし、
この人ここに危なそうな吊り橋があるってこともきっと知らなかったのね、と思っています。
15分経っても、吊り橋を渡る順番まではほど遠い感じです。
周りの欧米人たちは楽しそうに話しているばかりで、
時間を気にしているのは日本人の暖かい様子。
ねえ、まだ結構待つかな。
なんでフランス人同僚に言っても、そうかもね。
でも、自然の中は気持ちいいよね。
なんてな回答。
ずっと立っていたら、なんだかトイレにも行きたくなってきたし、お腹も空いてきた。
はい、これが逆に、あなたがそんなハイキングの案内役だったらどうでしょう。
日本人であれば、まずハイキングコースには何があって、休憩場所などあるか。
吊り橋なんてものがコースにあれば、
ハイキングに参加する人に高所恐怖症の人がいるかと確認。
より慎重な人なら、
吊り橋の安全性を考えて過去に事故などがなかったかどうかを調べ、
吊り橋の材質も把握し、
調べているうちに、この吊り橋には混んでいる場合、
待ち時間が30分以上になることもわかれば、
この吊り橋の位置から別のハイキングルートに行ける他のルートがあるかどうかも確認し、
吊り橋を渡るのを待っている間に、
みんなで食べられるおやつや飲み物もリュックに入れる、
ということができるのが日本人だと思うんです。
吊り橋という一種のリスクに対し、安全を確認し準備する。
もし、吊り橋の列が10分経っても進む気配がない場合には、
事前に調べたルートBに変える。
なぜなら、事前に案内側の日本人メンバーみんなと、
吊り橋がある地点から行ける別のルートA、Bに変える場合、
どのルートが安全で良いかと協議した時、
みんなで素敵な滝があるBのルートにしようという合意形成もできていたからです。
欧米人にしてみれば、この事前準備、リスク回避のためにいろいろ考え、対応策を練るということは、
吊り橋にどれくらい並ぶかどうかもわからないのに、事前にいろいろリスクを調査・把握。
リスクが生じた場合の対応策についても、合意形成を事前にするという行為自体は、時間の無駄に思えるのです。
起こるかわからないリスクをあれこれ考え、対応策まで講じても、
実際そのリスクは発生しないかもしれないでしょう。
その時間をかけるくらいなら、もっと精算的に時間を使おうよ。
本当にそのリスクが実際に発生した時に考えればいいでしょう。
トライアンドエラーでいいんじゃない?
日本人は失敗を恐れるあまり、リスク回避をしがずで、
そんな起きるかわからないリスクをいろいろ考え、この場合はどうしたらいいのか。
なんてお互いに協議しているから、意思決定が遅くなるんだよ。
とそんな感じです。
欧米ビジネスでは、やはり上に立つリーダーである経営陣には、
それらへの責任が与えられており、
結果を出すために一番良い方法を選択するのは彼か彼女であり、
その決定権は私が持つ。
なぜなら、私はそれ相当の責任と役職、お給料をもらっているからだということになり、
周りもそれを認識しています。
欧米ビジネスでは、決断をする人が誰なのかが明確です。
誰がどの決定権を持っているのか明確ではない、
日本人同士への合意形成プロセス、
リスク失敗を避ける思考の強さ、
責任回避と権限異常の遅れ、
安定思考の期末、
そして回想的な意思決定プロセスなど、
いろいろな日本人の特性が複合的に影響し合い、
それらが日本人が欧米人からリスク回避法や意思決定の遅さを指摘される原因となっています。
今回のエピソードでは、少し乱暴に欧米人と日本人ということでお話ししましたが、
もちろん一国民をみんな同じであると括ることは危険です。
その一方で、日本人の特性として多くの場合、このような傾向があるというのも事実です。
また、欧米人でもデーマークとスペイン人では異なる特性があるため、一括りにはできません。
しかし全体的な傾向として、日本人のコミュニケーションは、
欧米人に比べて曖昧であるとか、自分を前面に出し発言するのは苦手だとか、
自らも、そして部下へもリスク失敗を恐れずに果敢に挑戦する姿勢を促す文化よりも、
安全、確実、保守的な選択肢を選んでしまう傾向にあるということは言えると思います。
そしてそのような日本人の不特性が悪いということではないのです。
日本人のリーダーシップ特性
これは我々の教育、地理的環境、文化的価値観などから生まれてきている大切なものでもありますし、
日本人案内役による背筋コースでの素晴らしい準備力などは、多くの場合、称賛されることでもあります。
実際私の研修でも、多くの欧米人が日本人の情報分析力、何事においても先例を学び、
その分野において知り尽くせることを全て把握してから、リスクを考え、周りと競技し、最善策を取るという
集団主義的な取り組みが称えられる場合もあります。
しかし、上に立つリーダーとなれば話は異なります。
リーダーには企業のビジョン、ミッション、目標を伝える力が必要ですし、リーダーの顔とその決断が部下に見えることも必要です。
日本には過去にも素晴らしい経営者が多くいます。
経営の神様と言われる松下幸之助氏、日本の縁人とも言われた本田壮一郎氏、そして京セラKDDIの創業者であり、
ジャル再建を担った稲森和雄氏などは有名ですね。
しかし、次の質問はどうでしょうか。
外資企業の日本法人の経営者ではなく、外資企業のトップにて、英語にて世界中の従業員を相手にその企業をリードしている日本人経営者はいるでしょうか?
私は残念ながらこのような例は知りません。
その一方、外国人経営者でありながら、日本企業経営のトップを担った人は、竹田薬品工業CEOであるフランス人のクリストフ・ウェーバー氏やら、
宝富社長、そして2020年まで新日本プロレスリング社長をされていたオランダ人ハロルド・ジョージ・メイ氏もいますし、
2024年3月末までミジムシ・ケミカルの社長をされていたベルギー出身のジョン・マーク・ギルソン氏もいます。
これらの外国人経営者の功績については、様々な意見があるかもしれません。
しかし、日本人で外資企業のトップに立った経営者がいないということは、やはりこのエピソードでお話しした日本人の特性が少なからず影響していると思います。
日本人以外の方と仕事をするとき、やはり相手はどのような文化的価値観を持っているのか、相手から自分はどのように見られているのかという視点が必要です。
より良い協業作業のため、相手の文化的背景について勉強し、自分の対応をどう変え、歩み寄ることができるのかという発想が大切になってきます。
それはもちろん、相手側からも同じような対応があることが理想です。
自分が相手からどう見られているのか、理解しているのとしていないのでは、相手への対応も全く異なります。
そしてこの番組、世界から見る日本では、日本の常識、価値観だけで物事を捉えるのではなく、世界には様々な価値観、考え方、視点があることを皆様と共有しながら、より良い日本へのヒントを探りたいと考えています。
文化的価値観の重要性
はい、今回のエピソードはいかがだったでしょうか。毎回悩みながら番組を制作しています。
番組が気に入っていただけた方は、番組を続けるモチベーションにもなりますので、ぜひ番組のフォローをお願いいたします。
また皆様からの感想も、概要欄からのフォームにてぜひお知らせ願います。
お相手はオランダに住み、日本とオランダを結ぶコンサルタント業を営んでいるユキでした。
それではまた、次回木曜日にお待ちしております。
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